第2章 銘と名の調べ3


「俺の教育方針は、習うより慣れろだ」


 全員が揃ったのを確認した後、徐に口を開いた目黒先生。

 その言葉の真意を理解できたのは、すぐ直後のことだった。

 ビシリ……、

 まるでガラスにヒビが入った時のような、軋んだ音がした。

【れん、気をつけろ】

 なんの音かと原因を考えるより先に、リツが警告の声を上げる。

「な、なんだ……あれ」

 クラスメイトの一人が、呆然と呟く。

 指を差す方向に視線を向けると、暗かった筈の夜空が、燃えるような黄昏に染まっていた。

――ドクン……ッ!

 刹那、心臓が一際大きく跳ねた。

「……っ!」

(この、感覚……)

 黄昏の空を見上げる。

 自然現象とは違う、無理やり世界が創り変えられたかのようなその違和感を、正体を、僕は既に識っていた。

「……来る」

 ポツリと、言葉が自然に零れ落ちた。直後、

「ギィイイイイィ――――ッ!」

 声とも音とも区別のつかない咆哮が、黄昏色の空間に響き渡る。

「ひ……っ」

 近くにいた秋葉さんが、微かな悲鳴を上げた。

 ビリビリと身体の奥底まで染み込むような、けたたましい轟音。

 バサリと大きな羽音を響かせ、黒々とした塊がゆっくりと頭を上げる。

 顕現したその姿はまるで――黄昏刻の世界の主だと言わんばかりの存在感があった。

「おまえら、大群の〝禍津者〟と対峙するのは初めてか」

 目黒先生の淡々とした声が不思議と耳に届く。

「刮目して見やがれ。――コレが、今からおまえらが味わう地獄だ」



 その後の出来事は、まさに阿鼻叫喚の光景だった。

 影のような怪鳥が、何羽も黄昏の空を埋め尽くし黒い雲のような塊を形成したかと思うと、鋭い嘴を向け、一直線に降下を始めた。

 その様はまるで天から降り注ぐ槍の如く。

 地面を穿ち、クラスメイトの身体を裂き――悲鳴と怪鳥の鳴き声が混ざり合っていく。

 周囲に立ちこめる血臭。

 それに吐き気を覚えながらも、自らの頭上に降り注ぐ槍を、鋼針で弾いては周囲の状況を確かめようと視線を奔らせる。

 逃げ惑う者、為す術なく貫かれる者、応戦しようとする者。

 対応は様々で、チームを組まされたとしても連携の取りようなど微塵もない。

 皆、自分の身を護ることで精一杯だった。けれど、

「あの先公……っ」

 悲鳴とは別の、苛立ちを孕んだ声が耳朶に届く。

 それは同じ四番のクジを引いた仲間――千石夏生の声だった。

 足を引っ張るな、そう言っていた筈の彼は、まるで護るかのように僕と秋葉さんの前に立つ。

 刹那、周囲の空気が変化するのを肌で感じた。

「銘は黒雨くろさめ、名は刻水こくすい

 その人物は、まるで初めから使い方を識っていたと言わんばかりに、鋼針を刀のように構えていた。そして詩のような詠唱が紡ぎ出された直後、

「今、汝の力を此処に解放せん――」

 目映い閃光と同時に生徒の持っていた鋼針が一本の刀へと変化していた。

 それが、どういう理屈なのかは解らない。

 けれど今この手にある鋼針それだけが、自分の身を守れる唯一の存在だというのだけは理解した。

「……っ!」

 かじかんでしまいそうな心を奮い立たせる。

「きゃああぁああぁ――――!」

 すぐ傍で、甲高い悲鳴が響く。

 気づけば、影のような黒い塊が秋葉さんのすぐ眼前まで迫っていた。

「秋葉さん……!」

 ギュッと鋼針を握り締め、意識を鋼針に集中させる。

(もう、あんな思いはしたくない……!)

 心の奥底で渦巻く後悔が、熱を帯びる。

 なんでもいい。

 どんなものでもいい。

 今、助けられる何かをこの手に……!

 今、生き残れる何かをこの手に――!

「銘は幽冥ゆうめい、名は冥血めいけつ――魄冥こんめい

 頭の中に言葉が浮かぶ。

 言葉が音に。音が詠唱へと変化する。

「今、汝の力を此処に解放せん……!」

 刹那、手にしていた鋼針から閃光が迸った。

 心臓が大きく脈動する。血液が激しく沸騰する。

 心が、魂が、大きな力に打ち震える。

「冥血、魂冥……!」

 一対の小太刀が何処からともなく眼前に舞い降りる。

 それは退禍師達もが扱う刀――退禍刀と呼ぶ代物。

 それを瞬時に掴むと同時に、秋葉さんの元へと飛び込んでいく。

「く……っ」

 ガキンっ、とまるで岩でも斬ったかのような固い手応えがあった。

 切りつけた先から、ドロリとした黒い血が溢れ出す。

 断末魔の叫び。

 命を奮わせながら、消えてゆく魂。

 恐怖を感じた。

 この手で命を奪う恐怖を――けれど、同時に覚悟もできた。

 この手で命を奪う覚悟を――略奪する決意をした。

(護るために、この刀を扱ってみせる……!)

【落ち着け、れん。落ち着いてやれば大丈夫じゃ……!】

(うん……!)

 頭の中で、リツの声が響く。

「秋葉さん! 怪我は……?」

「だ、大丈夫……です。でも、身体が震えて……」

 秋葉さんの手にはまだ鋼針がそのままの状態でカタカタと震えている。

「ど、どうすれば……できる、ですか……。でも、怖くて……」

 助けを求めるような、懇願するような呟き。

 その気持ちを、掬い上げられる存在。

 その思いを、無碍にさせない存在。

 そう在りたいと思った。

「入試の時を思い出して――。深呼吸して、鋼針に意識を集中させて……きっと君だけの、秋葉さんだけの言葉が思い浮かぶ筈だから」

「は、はい……です!」

 入学試験の時の過酷な状況を思い出したのだろう。

 秋葉さんの声に、言葉に力が込められるのを感じた。そして、

「銘は赤羽あかばね、名は烈火れっか……!」

 透き通るような旋律が、詠唱が耳朶に染み込む。

「今、汝の力を此処に解放せん――!」

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