団子坂の下で

久宿 キュー

第一話 しびれ口

「性」への憧れを強く抱くようになったのは二十代も半ばに差し掛かろうとする頃だった。

 大学の新歓オリエンテーション合宿で夜な夜な酒に酔わされ連れ出されたときも、密かに想いを寄せるチヒロ先輩とホテルに行ったときも、高校三年の夏に童貞を卒業して以来、「セックス」というものは欠陥品のような自分を映す鏡のようなものでしかなかった。

 生身になって交わり、そして結合することは臆病で酷く心の弱い自分にはとても勇気の要ることだった。深いつながりを切に願ってはいても、いざことが始まると、自分にはその資格があるのだろうかと思ってしまう。巨大なコンプレックスの塊りのせいで酷く怯えてしまうのだ。

 未踏の地の部族の儀式のようにセックスという名のその行為は過酷な試練のように思えた。快楽に耽るだなんておこがましい。何より肝心なのはその試練に合格することだった。

 何事もなく無事にその行為としての「体」を成し遂げたとき、初めて、こんな自分でも許されたのだと、そう思えた。

 世の男性にもれなくくっついているであろう「ペニス」その大切な局部は自分の場合、自分自身を映す、文字通り「ムスコ」であり、そしてそのコンプレックスを象徴するものだった。


「ミチロウのはなんかもの足りない」


そう言われたのはつき合って半年を過ぎた頃のことだった。鶯谷のラブホテル。艶かしいピンク色のシーツが敷かれたベッドの上で、行為に及んだ後、疲労困憊の自分の胸にもたれ、チヒロ先輩は耳元でいみじく、そう囁いていた。

 顔色を伺うかのような前戯にしびれを切らして発破をかけたのか、それとも陽気な先輩らしい、単なる冗談のつもりだったのかはわからなかったけれども、つまらないセックスしかできない自分のもう限界を見透かされたような気がした。

 命からがら薄氷を踏む思いで続けて来た航海も、とうとう、その土手っ腹にとびきり大きな風穴を開けられた瞬間だった。

 結局、それがトラウマとなり行為に及ぶも自分のムスコは三度続けて勃たなくなった。そうして機能不全に陥った哀れな青年の元を大好きだったチヒロ先輩は去って行った。

 情けなかった。恋人と性を愉しむこともままならない。若者にとって致命的とも言える欠点を抱えたまま思い悩み、そして途方に暮れた挙句、大学を三年で中退した。

 子供の頃からそうだった。誰にだって容易にできることがは自分には遠くて遠くて仕方がなかった。


 瞬間湯沸かし器。赤チン。にわとり語。マシンガン。しびれ口。

 小学生の頃、自分の「吃り癖」はそう呼ばれ、クラスメイトたちによく馬鹿にされていた。

「なにそれ、うけんだけどー」

「顔、真っ赤じゃん」

「具合でも悪いの〜?」

「コッ、コッ、ココッ、コッ、コケ〜コッコ〜」

 皆が連れ立って、寄って集って騒ぎ立てる。小学児童特有の「からかい」である。

 びっくり仰天人間、吃りの天才。

 特異な存在の自分は、格好の標的だった。


 上手く喋れるようになりたい。

 幼少の頃からずっと胸に切実に思っていた。酷い、吃音持ちで、帯の弛んだカセットテープのように、一度始まると口がまるで言うことを聞いてくれなかった。そのうえ誰もが渋い顔をして聞くものだから、余計に緊張し、赤面まで止まらない。要領を得ず、しどろもどろになり、精一杯努めてはみたものの見下されて、笑われた。

 いっそのこと、振り切っておどけてしまえば良いものの、後悔し、顔に出し、とても辛い気持ちになる。勇気を出して友達の輪に飛び込んでみても気ぐるしさばかりが先行し、気づくと一人、自らを外へと追いやっていた。

 家に帰ると、無口な母は「言いたいことがあるんだったらはっきり言いなさい」と吃る自分によく溜息を吐ついていた。実の母親にでさえ、何かを伝えるのに時間を割き、落胆させてしまう。目を閉じればいつだって、母の心の声が聞こえていた。

「面倒くさいやつだ」

 喋ることは、とても惨めなことだった。


 自分は「口下手」なだけだ。そう信じて日記をつけ始めたこともあった。日記と言っても、その日見たアニメ番組の感想を記すようなものだ。なんでもよかった。まとまっている必要なんてなかった。日記は馬鹿にしない。思ったことを素直に綴ればよい。そうしていれば、いつか普通に喋れる日が来るのではないか。子ども心にも懸命に踠こうとしていた日々があった。願いを込めて自家製の日記帳を作った。いつも机の一番上の引き出しに入れておいた。

 頁を開くと白紙の罫線には無限の可能性が広がっていた。思う存分、紙の上にだったら幾らでも書くことができた。鉛筆が軽やかに走り、文字に翼が生えて、頁の上を自由に飛び回り、気持ちをありのままに伝えることができたのだ。書くことは救いだった。そのときだけは、自分も明日への希望を持つことができた。

 けれど、それも、校舎の門をくぐると脆くも崩れ落ちた。次第に日記を更新することにも億劫になっていった。


「 いただきます 」

「 いっ、いっ、いたたたったったっだっだっぎますっ」

 給食の時間になると小森さんは良く思い出し笑いをする。そして堪え切れずに口にする牛乳を吹き出す。それも盛大に。

 彼女が放った瓶詰め特濃が野菜スープへと着水すると乳濁色の不気味なクリームシチューが出来上がった。男子生徒が「きったねー」と囃し立て、隣りで市橋さんが慌ててハンカチを差し出す。小森さんは手で口を押さえながら必死に笑いを堪える。しかし止まらない。牛乳も止まらない。一度、ツボに嵌ると小森さんは止まらない。目を見開き、ブフォォォォッと牛乳を吐き出すその姿はさながら、狂気のマーライオンだ。

 このような光景が目の前で何度も繰り返された。元凶は自分である。小森さんもまた、被害者の一人だった。恥ずかしそうにスプーンでシチューを掬う彼女を見ながら、すまなさに人知れず赤面していたことを今でも覚えている。

 牛乳騒動を機に彼女には「小森乳牛」の異名が与えられる。晴れて自分の仲間入りを果たした。誠に申し訳ない。

 予期せずして自分は人を不幸にも突き落とす。

 そんな「吃る」にまつわる逸話が幾らでもあった。

 国語の朗読。音楽室での独唱テスト。日直の今日の言葉。登下校の挨拶当番。

 いつでもどこでも、言葉を詰まらせれば、真っ先に皆が喜んだ。ときに先生たちでさえ、下を向いているかと思えば肩を震わせていた。

 三年生のときの担任の原田先生は厳格でとても怖い先生だった。眼鏡の奥に潜ませる鋭い眼光をいつも生徒たちに向けていた。その様はまるで任侠映画のニヒルなかたき役だ。

 先生は「自信が足りないからそうなる」と言い、国語の時間になると執拗に自分に朗読をさせた。教室がざわめくと「笑うなっ」と、その場を一喝し、鷹の如き目で睨み回し、黙らせ、朗読を続けさせる。それが、原田先生のやり方だった。無言の恫喝で授業を推し進める。妨げようとする者などいなかった。

「もう一回」「まだだ、もう一度」「だめだ、もう一回」

 先生は眉ひとつ動かさずに、淡々と淡々と、自動裁断機のように自分の吃音を切り捨てる。地獄の千本ノック。鬼監督。子供と言えど容赦はしなかった。

 先生が本物の鷹に思えてきた。その鋭い嘴と荒々しい鉤爪で獲物を狙う目をしている。本気で喰われることを想像すると恐ろしくて仕方がなかった。小学校に来るべき教員ではない。ヤンキーがたくさん生息する中学か高校でこそ、その真価を発揮するべきだ。そんなことばかりを思っていると吃音は更に酷さを増した。文字をなぞる声も震え始める。

 ところが、十回目にして、鷹の目はほころんだ。原田先生が、ぷっ、と吹き出したのだ。そして、「んっぐっぐっぐっ」と笑いを我慢していた。先生が笑っている。あの原田先生が笑っていた。そうして、沈黙の教室に押し笑いが響き渡ると、やがて、つられてクラスのみんなも笑い出した。先生のそれは合図だった。教室は大いに沸いた。

「静かにしろっっっ」

 先生は我に返ると怒鳴り声を響かせた。けれど一度火がついた教室は制御不能である。何より、火種を作った張本人の声は説得力を欠いた。鎮圧させるのに時間を要していた。

 あれほど怖かった先生を自分が屈服させた。未だ経験したことのない事態に自分はどうして良いかわからずに、阿呆のように、口をぽかんと開けたまま立ち尽くしていた。


「セキヤがハラセンを笑わせた」

 誰も成し遂げたことのない快挙だと、クラスメイトたちは騒ぎ、休み時間になると自分は束の間の人気者にされた。

 囃し立てないで欲しかった。

「笑わせた」ではなくて「笑われた」だ。

 その言葉の意味する違いは海より深い。

「天才じゃん」

 誰かがそう言った途端、その場で一斉に即興の天才コールが鳴り起こる。とてもではないが、やりきれない気持ちで辛くなった。

 赤面し、下を向き、場が収まるのを待った。そんな才能要らない。不名誉極まりない。ドブに投げ捨てたい。

 先生、ごめんなさい。

 翌日、いつもと変わらぬ様子で自分は皆に笑われた。

 それからして、原田先生は少しだけ丸くな

った。小学校の教員として、在るべき姿へと身を落ち着かせた。

 皆が、その「詰まる」を期待しているように思えた。自分が喋ろうとすると、場が騒めく。まるで自分は舞台上で曲芸を披露するサーカス団の一員である。

 道化芸、猛獣ショー、火の輪潜りに綱渡り、空中ブランコ、そして、最後は華麗に自分が吃り切った。

 歓声が起こると自分は黙って下を向き、その場が収まるのをただ、じっと待つのだ。

「詰まる」ことが良いことなのか悪いことなのか、そのときの自分にはそれがよくわからなかった。 


 笑われたり、馬鹿にされたり、そればかりではなかった。

 学校の玄関をくぐり、良く知らない魚が泳ぐ水槽の前を通り過ぎたその先には縁日の屋台骨で組み上げたような小さな用品店があった。学者ノートや、名札や、縄跳びや、ゴムボールや、体操服が並べられたそこには、いつも元気そうなおばさんが立っていた。

 おばさんと初めて話をしたのは、小学二年生の頃、新学期の準備をしに訪れたときのことだった。震える手でメモを読み上げる自分に、「あわてることなんてないよ」と言い、親切に接してくれた。ノートの表紙の柄を一緒に選んでくれて、お釣りを封筒に入れるとランドセルのポケットに仕舞ってくれた。「ひとりでえらいね」おばさんはそう言ってくれた。

 寸胴のような胴体をするおばさんは、毎日そこで登校する生徒たちを見守っていた。胸を張り、背筋をピンと伸ばし、その姿は堂々と逞しさすら覚えた。うつむきがちに自分が水槽の先を抜けようとすると、決まっておばさんは声を掛けてくれる。

「今日もがんばんなさいよ」

 そう言って手を振るおばさんの存在に、うんと背中を押されていたような気がする。

 他にも、優しい言葉や励ましの声を掛けてくれる生徒は存在した。

「馬鹿にされたら言い返さないとだめだよ」

「気にしなくていいんだからね」

「今度の当番、代わってあげるよ」

 その一言、ひとことが心を軽くしてくれた。

 図書委員で一緒だった、岡野さんもそのうちの一人だった。もの静かでおたやかそうな岡野さんはバレンタインデーにチョコレートをくれたクラスで唯一の女子だった。

 星やハートを綺麗に型抜いた手作りのものを青色の透明セロファンにくるみ、下駄箱にそっと忍ばせておいてくれた。

 包みを開くと、そこには小さなメッセージ付きの付箋紙が同封されていた。


「セキヤくんが一生けんめい、しゃべっていることは、みんなわかってると思うよ」


 じんっ、と胸にきてしまった。食べるのがあまりにもあまりにも勿体なくて、少しずつ、少しずつ、嚙り、気付いてみれば完食するのに十日かかっていた。カカオの染みがべったりと糊づけされたようなそのメッセージカードは今でも大切に引き出し中に入れて置いてある。岡野さん、ありがとう。

 皆、おもしろおかしくしたいだけなのかもしれない。多少の悪気はあっても悪意はないのだと自分に言い聞かせると、気持ちも少しは晴れた。道端に列を作る蟻の行列を踏み潰す程度にしか考えていないのだろう。残酷だとは思っていない。そこに深い意味などないのだ。

 その巨大な靴底の裏にいつも怯えていた。それでも、巣穴まで帰って来れたのは、紛れもなくこの人たちの存在があったからだ。言い返せる勇気は足りなくても、口を結んでやり過ごせることはできたのだ。

 だから、自分は声を発し続ける。前に進んでゆく。


 そんな学校生活も高学年になると変化を迎えた。今まで自分に嘲謔ちょうぎゃくちょうぎゃくの目を向けていた生徒が一人、また一人とその態度を変えるようになったのだ。心境の変化である。鶏の鳴き真似をしていたA君も、電気ナマズと叫んでいたB君も、自らの行動を諌めるようになったのだ。彼らもまた、上級生としての「自覚」を持ち始めるようになった。

 同級生たちは手本を示そうと、特に下級生と関わり合いのある年間行事にはみな、積極的だった。学校清掃では雑巾の絞り方まで丁寧に教えていたし、ふれあい遠足では歩幅を合わせ、優しく二年生の手を引いていた。

 学級会になると、大人しかったクラスメイトたちでさえも、自信を持って自分の意見を伝えていた。見間違えるような変化である。

 同じ校舎で、同じ目線の高さから、同じ景色を一緒に見てきたけれど、年を追う毎にその見え方は人それぞれ違っていたのかもしれない。それは立派な成長だった。けれども喜ばしい、そのはずの一方で胸のうちは複雑な気持ちでいっぱいだった。

 自分は「不変」のままだった。自覚どころか下級生にだって笑われている。差は開く一方だった。

 朝、学校に来て席に着いて、言葉に詰まって、休み時間になって、また詰まって、給食を食べて、また詰まって、水洗レバーの壊れたトイレのように「詰まる」を繰り返す。その為に学校に来ている。詰まるところ、自分は詰まりに来ている。

 みんなのように行動してみたい。そう思って精一杯、背伸びをしても何一つとして上手くいかない。勇気を出して発言しても、頑張って手を上げても、心に決めて校門の前に立っても、全てが恥を上塗りするだけだった。

 自分の置かれている状況への焦り。近い将来への不安。それらが一気に胸に押し寄せる。

「自分は人より劣る」自覚したのは埋まることのない周囲との差だった。

 皮肉だった。自分はこのまま卒業してしまうのだろうか。

 瑞々しく伸びる若竹のように真っ直ぐ手を上げるクラスメイトたち。まだ、日が高い午前中の教室はもう、彼らのものだった。自分の瞳には眩しく、きらきらと輝くばかりだった。

「吃ること」は醜くて恥ずかしい。心を責め立てられるようにして教室への階段を登るようになった。


 そして小五の冬。心の不安は症状として表れた。

 校庭のキンセンカの花壇に薄ら霜柱が降りる寒い朝だった。その日は一限目から漢字の書取り試験が行われる予定だった。ところが、準備をしようとランドセルを開けると筆入れが見当たらない。ひっくり返しても出てこない。不用意にも、どうやら忘れてきてしまったようだ。遅刻と忘れ物だけには人一倍、用心してきたつもりだったのに。迂闊だった。もうこれ以上、余計な失態を増やしたくはなかった。

 困ってしまい、折れ端でも隠れていないかと、机の中に手を突っ込んでいるときだった。隣りの席に座る遠藤君に珍しく声を掛けられた。


「なに探してんの?」

「えっえっえっえっ、あっ、あっ、いっやっえ、え、えんぴ、ぴつを」

「忘れたの?」

「うう、う、うん」

「貸してやろうか?」

「えっ、えっ、ほっほ、ほっ、ほんっとうに?」


「いいぜ」


 五学年目にして初めて、彼とはクラスが一緒になった。運動神経が良く、小柄だけれど体力に自信があり、負けん気の強い性格の生徒である。他所の組の喧嘩自慢を負かしたことで、一躍、クラスの中心的メンバーの一員となった。言うところの彼は、限られた「優越者」の内の生徒の一人であった。自分とは対極の存在である。故に自分のことなどは眼中になく、また、彼に声を掛けるのも無論、気が引けた。驕るような彼のその目が自分は苦手だった。

 けれども、そんな彼が快く、消しゴム付き鉛筆を一本、貸してくれると言うのだ。素直に嬉しかった。その厚意を心から感謝し、頂戴した。助けてくれたのだと、そう思っていた。

 それまでは。

 テスト用紙が前の席から順にリレー形式で送り終えた、そのときだった。


「やっぱ、返して」

 横からニョキっと手が伸びてくると自分が握っている鉛筆を、ばっ、乱暴に奪い返した。

 一瞬のことに咄嗟に、はっ、と顔を向けると、そこで遠藤君はほくそ笑んでいる。勝ち誇ったかのような顔で。まさに狙い澄ましたかのようなタイミングで。

 冗談でも何でもなかった。

 彼はとても意地悪だった。


「だって、病気がうつるじゃんか、おまえ、気持ち悪いんだもん」


 彼は淡々と、そう言ってのけた。そしてそれっきり、そのまま前を向くと、自分のことを無視し続けた。

 あっという間だった。ただ、ただ、あっという間に、見事なまでに、馬鹿みたいに自分は騙されてしまった。

 このときを、狙って待っていたのだ。

 優しさなどではなかった。初めからそうするつもりで親切を装ったのだ。

 ひどく悪質な厭がらせだった。卑怯極まりないやり方だった。ショックだった。


「えっえっ、えっ、えっ、えんどうくん」

「 ……… 」

「おっ、おっ、おっ願い、ええ、鉛筆を、かかかっ、貸してっ」

「 ……… 」

「かっ、かっ、貸して、くくっ、くっ、くださいっ」

 テストが始まる。


「……黙れ、しびれ口」


 遠藤君は苛立っていた。


 もう、何を言っても無駄だった。遠藤君の「遊び」は終わったのだ。これ以上、訴えてもむなしいだけだった。

 鉛筆一本、借りられないなんて、惨めを通り越して滑稽だろうか。やり切れない。どうしようもない。どうして良いかわからない。机に向かって俯くしかなく、悲しみに暮れた。

 目の前に置かれる答案用紙に目をやれば、そこに当てはめるべき、部首も訓読みも、送り仮名も、すらすらと書き入れることができた。それなのに、この手には鉛筆が握られていない。肝心なものが備わっていない。     

 この手はなにも掴めない。

 願っても叶わない。自分の置かれている現実をまざまざと見せつけられた気がした。


 筆箱を忘れたことに端を発した。

 自分の何がいけなかったのか。醜いからだろうか。劣っているからだろうか。存在がいけない。そもそも、全部、自分がいけなかったのかもしれない。

 それでも、彼の、優しさを餌に、そこにつけ込んだ行為の卑劣さを、その性根を思うと、嘆かずにはいられなかった。

 優越的な立場にいながら平然とそんな真似ができてしまうこと。それが、どんなに残酷な行為であるかということ。そして、それを楽しんでいること。

 言いようのない気持ちが込み上げる。その立場を弱い者いじめになんかに使って欲しくはなかった。される側の気持ちを考えて欲しかった。本当に「いけない」のは誰なのだろうか。

 そのとき初めて、自分はボロボロと涙を流して泣いた。

 遠藤君もまた、自分と同じ「未だ、変わらない」生徒のうちの一人だった。

 変化を望み、受け入れようとする生徒。懸命に手を伸ばそうとする生徒。それすら気づこうとしない者。そして、厭な顔をしようとする者。

 彼にとってみれば、「自覚」とか「成長」とか、そういうものはくだらない、格好悪いこと、だったのかもしれない。

 全員がまた、足並みを揃えられる訳ではなかった。

 涙が滴り落ちると、わら半紙が滲んでふやけた。

 胸が締め付けられるように苦しい。こんなに苦しいのは初めてのことだった。そうして気づけば、呼吸も思うようにままならなかった。身体ががたがたと震え、言いようのない強い不安に襲われる。苦しみに悶えながら、机にしがみついた。


 それがパニック発作だと、のちに自分は知ることになる。

 身体は正直だった。


 得体の知れない、何かに押し潰されそうになる。

「お前なんか、ここで死んでしまえ」

 幻聴が、聞こえる。

 堪え切れない。

 一度、「それ」が噴き出してしまうと自分ではもう、どうすることもできなかった。

 精神が、悲鳴をあげていた。

 遠藤君が、教室のみんなが、恐ろしい。椅子を引き摺る音、窓辺に差し込む朝の陽かり、ストーブの焦げた匂い、全てが恐ろしい。不安に駆られると、教室の全てが恐ろしくて思えて仕方がなかった。

 暗い沼底に引き摺り込まれる。


 その後の記憶は定かではない。隣りで、異変に気が付いた遠藤君が何かを叫んだのを最後に、自分は失神し、保健室に運ばれた。

 胸の内に潜む苦しみが表立って現れたのはそのときが初めてだった。

 目を覚ますと、担任の先生が目の前に座っていた。普段から冗談ばかり言って、いい加減な先生だったけれど、そのときばかりは大真面目な顔で親身になって自分のことを心配してくれた。それが教職員としての務めなのか、それとも、本来の先生の人間性によるものなのかは、その目を見れば明らかだった。その優しさが自分の心には沁みた。

 気分はすっかり落ち着いていた。一体、あの「異常」はなんだったのだろうか。思い返すだけでも、ぞっ、として身震いする。咽せ返す炎天下の重い空気を吸うように胸が苦しくなる。

 でも、ふと思う。あれは、もしかしたら自分の心の弱さが原因なのではないのかと。自分は本当に心の病気なのかもしれない。

 何も言い返せずに黙ってやり過ごしてきたけれど、いつの間にか自分は駄目になっていたのかもしれない。いや、もうとっくに駄目だったのかもしれない。

 自分の心はもう、とっくに死んでいるのかもしれない。

 そう思うと、それ以上、そのことには触れたくなかった。とても辛い気持ちになった。

 その日は、そのまま早退をした。先生は授業があるにも拘らず、わざわざ自分を家まで送ってくれると言う。北風の中を二人、並んで歩いていると、先生は首に巻いているマフラーを、そっと、自分の首もとへと巻き直してくれた。


「今日はまた、特に冷えるなぁ」

 先生のマフラーは臭い煙草の匂いがした。

 そしてとても温かった。

 感傷が揺らいで、思わず、涙がこぼれ落ちそうになる。先生にだったならば、自分のこの気持ちを理解して貰えるだろうか。

 門をくぐる度、思う、胸の不安。繰り返す失望。笑われたり、馬鹿にされたり、好奇の目を向けられることの惨めさ。置いてけぼりにされる焦りと孤独感。

 言葉にすることの恐怖。

 幾重にも折り重なる、負の感情が自分の中には混在している。


 自分のそれは、やはり醜いものなのだろうか。笑われて当然のものなのだろうか。自分のこれは、気持ちの悪い病気だと思われても仕方がないのだろうか。


 一生懸命喋ることは、そんなにいけないことなのだろうか。


「そんなことはない」と誰かに言って欲しかった。信じられる言葉が欲しかった。先生ならば、導いてくれるだろうか。

 問うてみたかった。


「教えてください、先生」


 心の声を、口にすることはできなかった。



 手足が悴む冬が終わりを迎えた。

 田畑にハクセキレイが開墾を告げに訪れる。

 その出来事を境に自分は物言わぬ案山子となった。

 醜さを露呈させてはならない。

 喋ることを放棄した自分は、これ以上、傷つかない道を選択した。


 迎えた七度目の春、自分は小学校を卒業した。特別、何かを成し遂げる訳でもなく、「仰げば尊し」を謳い、そして「不変」を胸に刻み、学校生活を終えた。

 胸の「うち」が変わることはなかった。

 不安を押し殺すようにして中学へと上がった。 

 登校しても、もう、人の顔色ばかりを窺うようになった。人の輪の中に入っても、へらへらと愛想笑いを浮かべ、周囲に取り入った。

 必要に迫られれば、何に対しても首を縦に振り、皆んなが笑えばとりあえず自分も笑う。馬鹿にされ、笑われれば、その倍を費やし、自分自身を嘲笑った。そうすれば、もう誰も、何も言わない。

 同調と迎合。そのときの自分には、そんな、政治家の処世術のようなやり方が必要だったのかもしれない。


「周りに流され易く主体性に乏しい」

 通信簿の担任欄にそう書かれる一方で、人の話しに耳を傾け、良く頷き、丁寧に聞いているとも書かれていた。

 紙一重だろうか。いいや、そんな訳あるはずがない。

 教室や廊下でプロレスの真似ごとをし、ふざけ合ったり、先生に怒鳴られて貞腐れたり、先輩にフラれたと泣きじゃくったり、そんなクラスメイトのことが心底羨ましかった。思春期特有のありふれたその光景が自分の目にはとても貴く映っていた。何の気も病まずにありのままに人と接するようになりたい。年を追うごとにその願いを他所に担任欄の所見の通りに、むしろ鋭さを増し、気付いてみれば自分は十八を迎えていた。



 退学届を提出するとしばらくして実家を離れた。そして自分のことをまだ誰も知らない、ある町の小さな清掃会社で働き始めた。


「新しい地で生きていく」

 無謀だということは重々承知していた。けれども迷いはない。蜂の巣だらけのような自尊心で絞り出した、それは答えだった。

「吃音持ち」であるその先に自分は言葉を諦めた。酷く思い悩み、心も気持ちもすっかり億劫になった。自信は喪失し、自意識も無いに等しい。

 働き、家賃を払い、自炊をし、自分の住処で朝を迎える。その地のこの場所に確かに存在しているのだと、その自負が欲しかった。

そうすれば何かが変わるかもしれない。新しい一歩を踏み出せるかもしれない。そう信じた。


 自分を変えたい。

 すがるようにしてやって来たその地で、強くその想いを心に込める。


 自分はやれるだろうか。


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