第3話 アンとハイジの考察

今、アンとハイジの変な話ばかり書いてるんだけど。


私はこのふたりを分析してる。

アンとハイジは似てて違う。


アンは早くに両親を無くしてるようで

施設で育っている。

しかも赤毛、、。

これって私達には理解しがたいが、アメリカ、イギリス、ヨーロッパなどにおいては

かなりのハンデらしい。

つまり、アンは親なしっ子の赤毛と言う

惨めな境遇だったと考えられる。

こうした子は養子に貰われることは無いようだから、アンが自分に価値を見出すことはかなり困難だったと思う。

その為、アンは常におしゃべりをして注目行動を起こすか、現実逃避として空想の世界へ逃げ込んでいる。

三歳までに子供は溢れるくらいの愛情を受ける必要があり、それが無かったアンは

脳の前頭葉の発達に支障をきたしたのでは無いかと予測される。

癇癪持ちなのもそれが原因なのだろう。

しかしながら、マシューとマリラから

遅ればせながら、安定した普遍的な愛情を

与えられるようになってからは、本来の

利発的な能力が開花し、ありもしない空想にふけることは少なくなっていく。

これは、現実世界での幸福がアンに空想世界に逃避させる必要性がなくなったからであると

思われる。


ハイジも小さな時にまずは父を事故で亡くし

その後母も亡くなっている。

しかし、叔母であるデーデが引き取って育ててくれている。

オンジに押し付けたり、フランクフルトへ騙して連れて行ったりして、一見、悪人のように思われがちであるが、独身で身寄りもないデーテが働きながら、小さな子供の面倒をみるのは並大抵ではなかったと思う。

げんに、自分が働きに行っている時には

近所のおばあさんにお金を渡して預かってもらっていた。

ハイジがアルムに来たのは五歳とすると

三歳までの親から受ける愛情はデーテが

足りないつつも与えてくれたと思われる。


ハイジの明るさや天真爛漫さ、人を疑わない性格の成り立ちは、やはり、この時期の愛情のある無しが大きく影響したのではないだろうか。

アルムの山でオンジと出逢い、深い安定感のある愛情と自然がよりハイジを自由で子供らしい子供にした。


このふたりのラッキーだったところは

親はいないのだが、それに代わる愛を

注いでくれる大人との出逢いがあったことである。

それが無ければ、アンは大人になっても

無駄なおしゃべりで人の気を引き、空想ばかりしていだろうし、ハイジもオンジの所では無く施設に入れられてたら、あの天真爛漫さは

なくしてしまったのではないだろうか。

陰気で人の顔色を伺う大人になったハイジ。


人間の子供はどんな自分でも愛してくれる存在なくしては生きていくことはとても難しい。

何とか生きのびても、どこか、不思議ちゃんに

なってしまうことが多い。

きっと現実とどこか違う世界との境界線が

曖昧で、それが他者から見ると、変わった人に映るんだろうなぁ。


まっ、そんな事を考察しながら書いてる訳ですよ。


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