46/星に願ったのは……





 街のはずれにある展望台からは、あたりの景色を一眸するコトができた。


 ……色々渚が振り回されたり、勝手に熱を上げたり、無機物になったり。


 そんなフードコートでの昼食を終えたあと。

 モール内を軽く見て回り、適当な買い物を済ませた次の行き先が此処だった。


 連れてきたのは肇のほうになる。

 渚は依然として手を引かれたまま歩みを進めただけ。


「……よくこんな場所知ってたね」

「往年の知り合いに教えてもらったんだよ、つい今朝方」

「へぇ……、水桶くん、こっちにも知ってる人いるんだ……」

「んー……まあ、ちょっとね。話した回数自体は少なかったんだけど」


 困ったように笑いながら肇は空を視線を投げた。


 なんにせよ彼にとっては今のところどうでもいいコト。

 渚としても聞いたところで何ら変わりない事情。


 わざわざここで話すようなものでもない、と微笑みつつ息を吐く。


 同時に、確信がより深くなったのはあるだろうけど――どれにしたって本筋には関わり合いのない問題だろう。


 要するに彼はただ、素敵な場所を紹介してもらっただけ。


「――――……、」

「………………、」


 風が頬を撫でていく。

 春特有の肌に馴染むような暖かい空気が皮膚を伝う。


 もうそろそろゴールデンウィークも見えてきた四月末。

 桜はすでに散っていて、どこもかしこもピンク色の影は見えない。


 そんな中、ふたりは揃って遠くへと視線を投げた。


 少しずつ西へ傾きはじめた午後の青空。


 天気は良好。

 雲の流れは穏やかでこれといって異変もなし。


 眼下に広がる町並みは壮観というには少し物足りないぐらいか。


 いくら発展したとはいえ微妙にもすぎる地方都市だ。

 決して手放しで褒められるような景色ではない。


 けれど、午前中を使って散策したあとならそれも違ってくる。


「……なんか、良いね。こういうの」

「…………うん」


 示し合わせてもいないのに、お互い頷き合う。


 眺めてみればちいさな町の風景。


 一歩離れたところから見る都市はミニチュアじみていてなんともスケールが曖昧だ。


 おそらくはそれだって何千何万という絶景に隠れる程度のものでしかない。

 ともすれば大都会のビル群にすら呑まれて沈むだろう。


 でも。


 つい先ほどまで自分たちがあのわずかな片隅に居たのだと思えば、不思議と印象はがらりと変わっていく。


「――ん。あー、うん。あははっ」

「っ……な、なに。急にどうしたの……?」

「いや、こう、ビビッと来て。それこそ良いなあ、ってね」

「……ふーん……」


 なにかしら彼の琴線に触れる部分があったのだろう。


 空の下にぽつんと固まる人工物。

 アスファルトの色が殆どを占める近代風景。


 メインになりそうな印象深いモノは一切ない。

 特徴も特色も薄い調色の町。


 しかしながら、そんなものがやっぱり雫を落としたように波紋を広げるのであって。


 ……どうしてかなんて、いまさら肇は思い悩むまでもない。


 いつだって彼の食指が動く理由ワケにはが絡んでいた。


「実際歩くと十分大きいのに、こうして俯瞰すると驚くほど小さい……っていうのはよく使われるようなテーマだろうけどね」

「……よく使われるんだ……」

「うん、見てれば分かる。伝えたいコトってさ、やっぱり濃く筆に乗るんだよ」

「…………そう、なの?」

「そうそう。いくら取り繕ってもね」


 創作意欲はしぼまない。

 こうしているうちにも肇の胸に灯った火はあれから燃え続けている。


 よほど強力な着火剤、もしくは上質な燃料だったからか。


 いいやむしろ、どちらも揃っていたからか。


 気分は謎の達成感を伴ったものが近い。

 あと一欠片というジグソーパズルのピースを上手くはめ込んだ後のような心持ち。


 だとするなら正しくそのとおり。


 ……それがなくても全然生きていけるし、それがないだけで全部壊れるというほどの代物ではないけれど。


 彼にとって物足りなかったモノがあるとするなら、間違いなく。



「――――……うん」



 肇はこくんとひときわ深く頷いた。


 万感の思いを秘めたかのように強く、重く。


 展望台は標高たかさがあるだけに気持ち風も強い。

 垂れた彼の前髪がさらりと流されて揺れる。


 渚の銀糸の髪はぶわりと広がって、彼女はそれを咄嗟に押さえつける。

 ちょうど耳元へと手を添えるかのように。



「――――やっぱり、素敵だ」



 そうして。


 こぼれた言葉は無音の空気かぜを震わせた。


 少年は頬を染めてみたいに少女のほうを向く。


 酷く珍しい年相応な彼の表情。

 いつものような落ち着き払った態度も、物静かな空気も取っ払った高校生らしい笑み。


 それは真正面から眺めたのに背中から刺すように。


 ……どくん、なんて生易しいものじゃない。


 ざくん、と。


 渚の胸に刃を突き立てていく。



「――――――――」



 ……恋に落ちるなんてコトがあるのなら、きっとこんな感覚を言うのだろう。


 すでに惚れてしまっている彼女をしてそう思うぐらいの衝撃。

 比喩ではなく心臓が止まるコトがあるのだと彼女は刹那に理解した。


 渚は目を見開いて向き合った肇の顔を見ている。

 瞼の裏どころか脳裡に焼き付けんばかりにその景色をおさめている。


 何度も思った感想は繰り返すように言葉として浮かんできた。


 眩しいにもほどがある。

 なにかに熱中する彼はとても魅力的で、輝いていて、なにより――――







 ――――なにより。

 なにより……なんだろう、と。


 そこまでフルで回転していた渚の思考は急ブレーキをかけて停止した。


 オンオフを切り替えるみたいに見事に回路が変質する。


 端的にいって。


 彼の言葉を理解するのに、少女の頭は時間を要した。


 一度整理しよう。


 町はずれの展望台。


 そこに立って景色を見た彼は大変満足したように笑って。

 そして渚のほうを向きながら素敵だと伝えてきた。


 ここまでは良い。


 大丈夫だ。

 なにも問題はない。


 あるとするならそこに付け足された最後の一言。



 〝優希之さんは〟



「――――――――ぇ?」


 鼓膜の奥で名前オトが反響する。


 優希之さん、ユキノさん、ゆきのサン、ゆきのさん――――――


 ……修飾、被修飾の関係にて考えると。


 この場合、上の語句がすなわち下にかかるのであって。

 素敵なのは、たらいうモノであると。


 彼は。


 肇はそう言っているコトになる。



「――――なっ、ぇッ、っ!?」

「ん、どうしたの?」

「どっ、どどど! どどどどどどう!? ぇっ!? あ!? なんっ――」

「……今日も散々言ったのにねー……」


 〝っ、だっ、だだだだぁっ、だ! だだだ! だだだだだっ――――!?〟


 あわあわワナワナと口をあけて震える渚。


 それはもう後ろから刺すなんて生温いものじゃない。

 彼女の心臓を直接抉り出して握りつぶすような蛮行だった。


 クサい台詞を言うのならまだ耐えられる。


 肇はそこまでキザな物言いが自然と馴染むタイプではないからだ。

 そのあたりを気にしないで居られるときは雰囲気の後押しあってこそ。


 こういう場面で「優希之さんのほうが綺麗だよ?」なんて言われたとしても――想像しただけでちょっと渚の余裕は淡雪のごとく溶けたが――ギリギリ我慢できる。


 が、これは不意打ちでバズーカを喰らったようなもの。

 油断していたところへ空から宇宙戦艦が降ってきたのに等しい埒外の暴力。


 勘弁してほしい。


 先ほどまでのアレコレですらもう保たない気配がしていたのだ。

 渚の心はもうぐしゃぐしゃのべしゃべしゃである。


「――ね、優希之さん」

「っ!!」


 そんな頭ピヨピヨの雛渚ヒナギサちゃんの頭に、ぽんと置かれる手がひとつ。


「他の誰がどう思っても、優希之さん自身がなんて思っても、俺にとってはきちんとしっかり君が素敵なんだ。それを忘れないでほしい」

「なっ、ぁ、ぇう――?」

「あはは、なに言ってるか分かんない。――落ち着いて」

「ひぇぅっ!!」


 ぴた、と問答無用で肇が渚とおでこをくっつける。


 少女の顔からは急速に沸いて噴き出ていく蒸気。

 ぷしゅーっ、と吐き出された湯気は銀髪を持ち上げるように揺らしていく。


 熱が上がりすぎているせいか。


 すでに彼女の言語野はもう使い物にならないレベル。

 大人しく池の鯉よろしく口をパクパクさせるしかない。


「大丈夫。ぜんぶ大丈夫だよ。俺がいる。だから慌てないで。焦らないで。無理しないで――落ち着いて。大丈夫だから」

「っ――――……ぁ……――、ぇ……と……っ」

「……平気?」


 〝じゃないよ??〟


 こくこくこくこくぅ!! とキレのある上下運動を披露しながら渚の胸中は真逆の感想で埋め尽くされていた。


 致命傷を喰らったところへトドメの一撃。

 ラストの追撃。

 さらにはシメの連撃――と喰らって平気なんかじゃない。


 平気でいられるワケがない。


 この土壇場においてそれを越えられたならもう彼女は恋愛強者を名乗っていいだろう。



 〝あぁあぁああやばいやばい近い近い顔が距離が身体が匂いが存在がなにもかもが近い至近距離頭に手が乗ってる肌触りさいこーていうか顔が良いなこいつなんなの私を殺す気なの私死ぬの死にますごめんなさいもうむりげんかい――――〟


「――――ね、優希之さん」

「っ、ぅえ!? あっ、う、うん!!」

「……前に言ってた話なんだけど」

「ま、まえ!? あ、ぇと、その、なん、だった……けっ……!?」

過去むかしのコトは、いま、どうかなって」

「っ……――――――」


 さらっと。

 でもきっと、彼としてはたしかに気遣って。


 空気を伝ってきた言葉が渚の胸に沈みこんでいく。


 苦労していた暴れ狂う感情はそれで一応の静けさを取り戻すものだ。

 それほどまでに彼女にとって古い傷痕は大きい。



 …………大きい、ハズなのだが。



 どうしてだろう。


 いまはぜんぜん、冷や水をかけられたみたいな消沈も。

 心臓の奥を引き裂くような苦い痛みに悶え苦しみもしない。


 ……痛みはある。


 太い針かトゲのような、胸を刺す悲しみの色。


 それはいつまで経っても消えやしないココロに根付いた記憶の破片だ。


 きっと一生涯完治しまい。

 だからそんなのは正直気にするほどでもない。


 ――――そう。


 気にする、ほどでも。



「………………ぁ」



 そこでやっと。

 ようやく、渚は驚愕の事実を理解した。


 自覚したと言っても良い。


 彼女自身が気付いたのはいまこの瞬間。


 けれどもタイミングで言うのならもっと前から。


 思えば水族館のときにだって彩斗おとうとのコトは思い出している。

 些細な記憶だったが、それでもつい一年ほど前の彼女なら心底から取り乱していた。


 じゃあ、さっきは。

 いまはどうなのかと言えば。


 ……言わずもがな。


 今更になって掴んだコトだけれど。


(………………軽く、なってる……)


 完全に消えてしまったワケではない。

 目を逸らして見ないようにしているのでもない。


 思い出はかくも痛い。


 だからこその大事なモノだ。

 忘れない、忘れられるハズもない過去ぜんせ記憶おもいで


 それは当たり前みたいに引っ張り出せて、大切に仕舞い込める宝石のような彩りの欠片。


「…………いまは」

「…………、」

「いまは、ぜんぜん……大丈夫……」

「……そっか」


 あのとき終わりの見えなかった、

 止む気配のない雨のなかで吐露された渚の後悔。


 未練、情けなさ、後ろ向きな想いそのもの。


 そんな暗さは最早薄い。

 雫を落とすまでもない程度の悲しさ。


 ……ああ、なんてコトだろう。


 彼の言っていた「いつかの日」は、こうして甘すぎるぐらいにやってきた。

 そんな未来を教え導いてくれた彼自身の手によって。



「――――それなら、良かった」



 肇はぽつりとこぼすように呟いた。


 彼女の心の安らぎを思っての笑顔ではなく。

 ただどこか、安堵するような表情をしながら。


 その言に嘘はないのだろう。


 ましてや別の意味が被っているのとも違う。

 彼は純粋に、偏に、ならばこそ良かったものだと頷いた。


 渚にはその真意が読み取れない。


 いや、読み取ろうとするにはその顔がどうにも見慣れていなくて――


「みな――」

「今朝は冗談でやってみたけどさ」


 肇が渚と視線を合わせる。


 彼女の言葉はそれで途切れた。

 続けようにもなにを言いたいのかが自分自身分かっていない。


 代わりに話を切り出した彼の声に口を噤む。


「やっぱりさ、名前で呼ばない? もう余所余所しい仲でもないと思うし」

「――――……えっ、と」

「……恥ずかしい? 別に無理強いしたいとかじゃないんだけど」

「そっ――……や、恥ずかしいは、恥ずかしい、けど……っ」

「うん」

「………………っ」


 こくん、と渚がちいさく頭を縦に振る。


「……良いってこと?」

「っ……だ、だから、そう……!」


 ぎゅぅうっ、とスカートの端を握りながら。

 うつむき加減の顔を赤くしながら、彼女は答えた。


 ほんの一握りの言葉と、一握り以上の気持ちで。


「……わかった」


 肇はならうようにちいさな笑みで返す。


 それで構わない。

 いまはぜんぜんそれでいい、と。


 いじらしい少女の思いを汲むように、ゆっくりと彼女へ手を差し伸べた。



「じゃあ、もうそろそろ帰ろっか。


「――――……う、うん……っ」



 再度手を握り直して展望台を後にする。


 散々渚が振り回されっぱなしだったふたりのお出かけはこれにて閉幕。

 あとは駅に戻って逆向きの電車に乗って、家までちょっと歩くだけだ。


 時間でいうなら午後四時にさしかかる前ぐらい。


 日はまだまだ高くある。

 夜の気配は微塵も存在しない。

 空は澄み渡っていた。


 気持ちの良い休日の一ページ。

 それはどちらにとっても快い思い出のひとつ。


 遠ざかる足音に乱れはなく。

 そのままふたりは小さな町の中へ、潜るように消えていった。







 ◇◆◇







「――あっ、そうだ」

「?」


 ふと、別れ際に思い出したように肇が声をあげた。

 何事だろう、と見守る渚をよそに荷物のなかをごそごそと探る。


 彼女としても彼の予想外の行動、突飛な対応は慣れたものだ。

 軽く流して当然、なにもそこまで振り回されるコトはない。


 ……と、常々心の中では思っているのだが。


「……ん、あったあった」

「……なにかあるの?」

「あるよ。――はい、どうぞ」

「えっ」


 〝あぁ、なるほど。プレゼント……〟


 そういうコト、とどこか納得しながらソレを受け取る。


 彼が渡してきたのは封筒のような梱包の紙袋だった。

 どこか――それこそ昼間のショッピングモールとかで――見覚えのある店名とロゴ。


 重くはない。

 厚みもない。


 軽くて薄い、振っても音すらしない代物。

 封がしてあるあたり空ではないだろう。


 ぺり、とシールを剥いで中を覗いてみる。


 ――――と、


「…………しおり?」

「そう。こっそり買っておいた」

「……気付かなかったんだけど……」

「渚さんと合流するより先に買ったものだからね」

「あー……どうりで……」


 現地集合にした理由はそれだったのか、と渚が苦笑する。


 しっかりした小物店の品物だからか。

 しおりの作りは結構良いもので、デザインもシンプルで可愛らしい。


 ピンク色の背景に象ったように描かれた星形の花弁。


 そのカタチは綺麗ではあるが彼女の知識にはなかった。


「……これ、なにか知ってるの。みなッ――は、肇くん……?」

「クロウエアとかなんとか」

「……へぇー……クロウエア……」

「ちなみにサザンクロスって言うんだって。なんだろう、凄く格好良いよね!」

「そういう部分ところなんだから……」


 瞳をキラキラさせる肇とは反対に、ちょっと冷めた視線を向ける渚。

 よくある「男子ってこういうの好きだよね」みたいな目だ。


「そういえばこういうのも良いなーって思って。渚さん、本は読むでしょ?」

「まあ、そこそこ……」

。まぁ、そこは俺たちなんだし良いってコトで」

「……? ブルースターって、なに……?」

「なんでもなんでも。いや、あれはあれで凄いものだなーって」

「…………??」


 よく分からないコトを言う肇はどこか遠くを見ていた。


 時折ある、古びた記憶を引っ張り出すような仕種。

 そんな態度が少し気になった渚だったが、彼女が声をかける前にその空気はふっと消えていく。


 見れば彼はいつも通りの雰囲気でにこりと微笑んでいる。


「――そういうわけで。またね、渚さん。今日は楽しかったよ、ありがとう」

「っ、わ、私も、うん……また、ね。肇くん……っ」

「――――ん」


 顔をほころばせながら、肇はひらひらと手を振って渚と別れた。


 おそらくはそのまま真っ直ぐ家に帰るのだろう。

 時間を経たずして彼の背中は遠くなっていく。


 ……彼女はそれが完全に見えなくなるのを待って、ゆっくりと踵を返した。


 自然と口元がにやけたのは仕方ない。


 楽しい思い出、充実した時間。


 それらを大事に抱え込むようにして、贈り物をぎゅっと抱きしめる。



 ――大変疲れた。



 引っ掻き回されて、こっぴどく振り回されて。

 心は乱されっぱなしでもうくたくた。


 文句のひとつでも言ってやりたい惨状だったが……そこはまあ、彼女も彼女で。


 なんだかんだと言いながらも、満足できた一日だったのだ。




 ……なので、そう。


 今日のところは、これぐらいで勘弁してやろう――





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