乙女ゲーに転生したら本編前の主人公と仲良くなった。

4kibou/しきぼー

1/気付いてしまった





 彼が彼女とはじめて出会ったのは中学三年生のとき。

 まだ季節の暖かさが残る、春の終わり頃だ。





 ◇◆◇





 紙の上ではありふれた話ではあるけれど、彼がこうして在るのは二度目だった。


 どこか遠いところで産まれ育って、紆余曲折を得ながら過ごして――病気で死んだのが十九歳。

 それからもう一度意識が起きて、誰とも同じく普通に暮らして十五年。


 分かったのは経験というのは馬鹿にならないというコトと、それでも自分には足りないものがいっぱいあるというコトと、なんであれ生きるのはしんどいというコト。

 あとは、それでも疲労心労に項垂れないぐらい月並みなものは有り難いというコト。


「…………、」


 ほう、と息を吐きながら歩く。


 町外れのそこそこ大きい――けれどその割に利用者が多くもない進学塾。

 授業がはじまるまでは結構時間があるためか、廊下には人影がない。


 しん、と静まり返った廊下はきっちりひとり分……彼のスリッパの音だけを反響させている。


 もとより人の気配が少ない建物だ。

 混み合う時間を避けるとこの通り、空気は見事に閑散としたものになる。


(……経営とか、大丈夫なんだろうか……)


 ふと、なんでもない疑問なんて浮かんだりする。


 授業内容は決して悪くない。

 講師の先生もしっかり教えてくれていて、入会金その他の費用も他と比べれば安め。

 だというのに立地的な問題か、町中にできた流行りの大手学習塾に人をどんどん取られているのか生徒の数はてんでさっぱり。


 彼としてはおそらく後者かなと予想しているがどんなものか。


 そうなるとなんとなく、コンビニエンスストアやスーパーマーケットに追いやられた下町の商店街を想起させる。


「…………、」


 ペタペタといやに響く足音を鳴らしながら進む。

 目的地は塾生なら基本自由に使える自習室だ。


 時間帯は決まっているものの、前述した通り寂れた学習塾の一室。


 誰も近寄らないような片隅も片隅。

 学校よりも静かで、図書館よりも他人に気遣うコトがない。

 勉強するには打ってつけの場所である。


 ……そう、勉強。


 一年もない先に迫った高校受験の対策。

 言うまでもなく、足りないというのはそのあたり。


 もともと、彼は勉強があまり得意ではない。

 以前の高校は近場でそこそこの、大ポカでもしない限りは無理せず入れる市立高だった。

 それもせいぜい一年ちょっとで辞めざるを得なくなり、その後は通信教育に切り替えるもあまり身が入らず断念。


 そんなもんだから人生二回目がどうしたというのか。

 前世の記憶なんて大層なモノを引っ張り出しても、進学はまったく優位にならない現実を突き付けられたのである。


(……あれ?)


 不意に足を止めて気付いた。

 廊下の先、あとわずかの距離まで迫った塾の自習室。

 本来なら誰もいないはずのそこから、薄く光が漏れている。


(珍しいな……、俺以外に使ってる人いるんだ……)


 騒ぐような声は聞こえない。

 響いている音はせいぜいが教室の壁一枚で押さえ込めるぐらいの微かな物音だけ。


 だとするなら恐らく向こうも同じ手合いだ。

 静かな環境のほうが集中できるというコトだろう。


 少しばかり息をおさえて、できるだけ大人しく……ゆっくりと、自習室の扉を開ける。


 中に居るのは――たったひとりだけ。


「…………、」

「…………、」


 目が合ってお互いにコクリ、と会釈を交わす。


 見れば同年代の、学校にいれば間違いなく人目につくであろう人間だった。

 室内の古びた蛍光灯の下でさえその綺麗さは霞んでいない。


 冬の月みたいに冷たく光る銀色の長髪と、暗い紫水晶じみた両の瞳。

 肌は玻璃のように白く、ペンを持つ手は細くてしなやか。

 ひときわ目を引くのは赤い縞模様のカチューシャと、髪を結んだ黄色いリボン。


 こんなところにいるのが似合わないぐらいの、とんでもない美少女だ。


(……でも、なんだろう。彼女、どこかで――)


 ……会っただろうか? なんて思案する少年。


 だが生憎なにかしたようなエピソードも、すれ違ったような記憶もない。

 そもそもあれほどの容姿であれば一度見ていれば早々忘れないものである。


 少なくとも、直接的な関係を持ったワケじゃないのはたしかだ。


(……気のせいかな。たぶん。大体、女の子の知り合いなんて殆ど居ないし)


 静かにドアを閉めて、彼は廊下側――彼女から少し離れた席についた。


 念のため視線を向けたみたが反応はない。

 どうやら新しく人が入ってきたことよりも自分の勉強に夢中のよう。


 受験生の鑑みたいだ、なんて思いながら彼もノートと教材を開いていく。


「…………、」

「…………、」


 静けさを取り戻した自習室には淋しい音だけが続く。


 ガリガリとペンを走らせる音。

 どちらも気にならないぐらいの息遣い。

 そしてたまに、わずかながら起こる衣擦れの音。


 ページは時たま止まりながらも、これといった大渋滞はなく捲られていく。


「………………、」

「………………、」


 ガリガリ、ガリガリと。

 視線は教材とノートを行ったり来たり。


 やる事も考える事もそれなりに多い。

 忙しないけれど、地道で気の遠くなるような時間。


 やっぱり勉強は、得意ではなかった模様。


(理数系と英語はどうにかしたいな……国語と社会はなんとかいけそうだし)


 目下、彼の第一志望は県内有数の超名門校だ。

 正直ノー勉でもいけた前回とは違ってハードルがぐんと上がっている。


 教師からの評価はまあ頑張ればいけなくもないんじゃないか、というぐらい。

 それだって毎回必死に勉強しての成果なのだから、生半可なモノではきっと敵わないだろうコトは分かっていた。


(ほんと、大変だこれ)


 ひっそりとため息をつく。


 繰り返すように、勉強は得意じゃない。

 人一倍頑張ってやっといまの学校で成績上位に入れる程度。

 ちょっと高望みなのは最初からなんとなく察していたのだ。


 ……そのあたりで心配させたのかどうか。


 いまの彼の両親は、無理して良いところにいかなくても構わないと言っていた。

 有り難いお言葉である。


(……けど、ちょっとは良いほうが、そりゃあ、良いだろうし)


 理由なんてそんなもの。

 ぶっちゃけてしまえば熱意に燃えているワケでも、使命に追われているワケでもない。

 ましてや命を懸けるほど本気になっているのでもない。


 ただよくしてもらったから、その分だけ返せるなら返したいのであって。

 たぶん良い学校にいって、良い会社に入るのがそうなのだろうと。


「――――――、」

「……、」


 益体もないコトを考えながら問題を解くこと数十分。

 ちょっとした難問にぶつかった。

 簡単な計算ではなく応用問題である。

 しかもちょうどよく苦手範囲に被っているところ。


 不幸なコトに、頭がそっちの方面にまったく弱い彼はこういうタイプが大敵であった。

 それまで最低限のリズムを保っていたペンがピタリと止まる。


(まじか)


 なにこれ? と頭を捻りながら問題文を見詰める。


 読み直す、解いてみる――ダメだ違うやり直し。

 順番が違うのだろうか、それともシンプルに方法がダメなのか。

 それとも考え方が根本的に間違っているのか、そもそも式は合っていて――


 なんて、うんうん唸りながらぐるぐる思考を回すことしばらく。


「あの」


 ふと、件の美少女から話しかけられた。


「? はい」

「……それ、数学……です、よね」

「そう……ですね」

「……あ、と。西中にしちゅうの……」

「え? ……あ、そっか。制服……うん、そう。三年です」

「……私も三年、北中きたちゅう。……悩んでるみたいだし、よかったら教えよう……か……?」

「…………いいの?」


 恐る恐るといった問いかけに、少女が「うん」とだけ短く返す。

 なんとも親切な申し出である。

 大方、彼のペンが止まったのを気にして話しかけてくれたのだろう、と。


「私、数学は得意だから。その……同じ受験生として、見過ごせないっていうか」

「……ありがとう。是非」

「――――……うん」

「えっと、じゃあ早速なんだけど、ここの問題で――」

「……ああ、これなら――――」


 彼女の説明をもとに問題を解いていく。


 地頭が良いのだろう。

 態度こそ初対面故の距離があるものの、少女の教え方は酷くするりと耳に入った。


 勉強のできない彼でも思わず「おぉ」なんて声に出してしまうほど。


「ならここはこうだ」

「あ、違う違う。そうじゃない。まず――」

「え、じゃあこう――」

「それでもない。問題文にこう書いてあるから――」

「……あれ? 違うの? 合ってる?」

「最後で間違ってるよ。そっちの数じゃなくて――」


 ……そう、本当に、説明は分かりやすかった。

 分かりやすかったのだ、間違いなく。

 いけないのは二回も人生体験を繰り返している変な頭のほうである。


「――――で、できた……」

「ん、よかった」

「どうもありがとう。すごいタメになった。……代わりといってはなんだけど、文系なら俺も自信あるから」

「そう……なんだ。私はがちょっと苦手だから……助かる、かも」

「うん。それならその……必要そうなときに、呼んでもらえたら。……まあ一番得意なのは美術なんだけど」

「……絵?」

「え? ……あ、絵。絵か。そう、絵」

「……好きなの?」

「うーん……それなりに」


 笑いながら彼が答えると、彼女はどこかぼうっとしながら。


「……そういうこと言う人って、大体好きなんだよ」

「…………そうかな?」

「うん」


 そうでもないんだけど、という言葉は声に出さずにおいた。

 わざわざ伝えるコトでもなし、必死になって否定するほどでもない。

 なんだかんだで色々と嫌いでもないのだし。


「……えっと、じゃあ……西中の……」

「あ、名前まだだっけ。俺は水桶肇みなおけはじめって……言います」

「……なんでいきなり敬語?」

「なんで、だろう……?」

「……まぁ、いいのかな……水桶みなおけくんね。……やっぱ、違ったのか」

「?」

「あ、ごめん。なんでもないよ」


 ふわりと笑って少女が彼――肇の前に立つ。


 ――瞬間だった。


 例えるならパチッと火花が散ったような。

 肌に針を刺したみたいな、あっと跳ねるような唐突な気付き。


 不思議と、偶然、引き上げられてきた記憶が。

 脳裏に過った一枚のイメージが――眼前の少女と一致する。


「――私はなぎさ優希之ゆきの渚。……よろしくね、水桶くん」


「――――――」


 その名前には覚えがあった。


 勉強の時とは比べものにならないほど思考が回転する。

 水底深くに沈んでいた記憶が攪拌されていくような錯覚。


 微かながらもキーワードは以前から。


 彼が進学先として選んだ県内有数の超名門校。

 世間に広く知れ渡っている聞き慣れない社名。

 古いモノに引っ張られるようなナニカ。


 そして決定打は――――この少女の名前。


 ……間違い、ない。


(ここって、もしかして……)


 いや、もしかしなくても。


 ほんと、紙の上ではありふれた話ではあるけれど。


 どうやらここは前世でいう乙女ゲームの世界であって。

 自分はその中の本編に影も形もない名もなき誰かになっていて。


 いま目の前にいるのはその作品の主人公――ヒロインである、ということらしい。



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