神獣~フェラデア~

霜月日菜

第1話 合縁奇縁

「…何、ここ」


 思わず口をついて出た言葉は、いたって平凡で、しかし大問題の言葉だった。


 自分は今、ついさっき、理不尽とばかばかしいを掛け合わせたような言いつけばかりしてくる3人組に言われて、とある神社に赴き、鳥居をくぐったばかりのはずだ。


 鳥居の一歩手前で見た光景は、薄暗い暗闇の中、月明かりに照らされ、苔でびっしり覆われている、いかにもな雰囲気を漂わせていた石階段が確かに存在したはずだ。


 しかし、いざ鳥居をくぐった先にあった、目の前に広がるこの光景は何だ。




☆☆☆☆☆☆☆

「まり~、ちょっといい~?」

「…何?」


 ――ああ、まただ。


「ちょっとさっきの授業寝てて板書映してないんだよね~。だからさ、あんたのノート見せて」


 制服をだらしなく着崩し、茶髪に染めた長い髪をぐるぐるに巻いた少女・雪野ほのかが、黒髪をポニーテールに束ね、しかし快活なイメージからは程遠い雰囲気の、暗い顔をした少女――朔陰まりに右の手のひらを突き出した。


「あ、ちょうどいいじゃん、あたしにも見せなさいよ」

「私にも~」


 ほのかの言葉に釣られて、2人の少女もやって来た。


 1人は、ほのかと同じようにだらしなく制服のポロシャツを着崩し、とても中学2年生とは思えないような化粧をしている仲田由理奈。

 もう1人は、一見どこにでもいる中学生に見えるが、降ろされたストレートの黒髪に隠れた耳に、たくさんの派手なピアスをつけている福原沙希だ。


 ほのか、由理奈、沙希の3人は、この小規模の学校では、いや、この小さな村の中で知らない者はいない、とされているほどの有名人だ。――主に、悪い理由で。


 夜も遅い時間に外で大音量の音楽を聴く、人の飼い犬にちょっかいをかける、挙句の果てには力ない者――まりのようなおとなしい者に、カツアゲまがいのことをしていると、もっぱらの噂だ。

 そして、そんな3人にいいように扱われているのがまり、ということだ。


 先ほどの国語の授業の板書を映したまりのノートを、ごちゃごちゃと何か言いながら丸写ししていく3人を見て、まりは小さくため息をついた。


「そういえばさ~今日だよね」


 ほのかがふと何かを思い出したかのようにノートから顔を上げた。


「は?何が」

「決まってんじゃん、大神神社の怪談話」


 ほのかの言葉に、由理奈と沙希がああ!という顔をした。逆にまりは嫌な予感がして顔をしかめた。


「あれか、『満月の夜の12時に大神神社の境内に入ると、異世界に連れていかれて一生戻ってくることができない』ってやつ」

「ピンポンピンポンだいせいかーい!!」


 大げさなリアクションをしたほのかは、意地の悪い顔で笑ってまりを見た。


「ね~気にならない、まり?」

「…何が」


 だいたい言われるであろうことを予想しながらも、まりはせめてもの抵抗として目をそらしながらとぼける。

 それすら見透かしたかのように、にやにや笑いながら沙希がまりに詰め寄った。


「決まってるでしょ、怪談話の真偽よ」

「確かめるなら今日だよね~。ちょうど今日が満月じゃん?」

「てわけで、まり、ちょっとあんた行ってきなさいよ」




「…何で私が行かなきゃいけないのよ。気になるとか言ったのはあの人達でしょ。私は興味ないし…」


 村全体がすっかり寝静まった時間。


 10月の、夏の気配が遠ざかって冬を感じさせる風が吹く中、まりは学校でのおとなしい殻を破った不機嫌全開の顔で文句を言いつつ、大神神社に向かって歩みを進めていた。


 ぶつくさ言いながらも実際に足を運んでしまっているのだから、彼女たちにばかり文句は言えないのだろうが。


 というより、彼女たちに命じられるままいつも足を動かしてしまう自分のことが、まりは一番嫌いだった。


「…着いたけど、やっぱり一人はさすがに怖いなあ」


 誰かに付いてきてもらえばよかった、と思ったものの、すぐにまりの口元に自虐的な笑みが浮かんだ。


 そんな相手が一人でもいれば、今ごろこんな場所に立っていない。


 気持ちを切り替えて、目の前の灰色の鳥居を見上げる。


 大神神社はうっそうとした木々に囲まれた小さな神社で、誰がいつ頃、何のために建てたのか全く知られていなかった。そして確かなものが、村に昔から伝わっているらしい大神神社怪談話という、正直本当なのかウソなのか微妙なものだった。


 鳥居をくぐった先にある石階段を上って、上った先にある祠と、そのそばに飾られている、首元に鈴らしきものをつけた犬のような狼のような石像の写真を撮ってくれば、今日のミッションはクリアだ。


「さっさと終わらせて帰って寝よう…。お母さんとお父さんにバレるかもしれないし…」


 確実に心配をかけてしまうと思って、父母には何も言わずに家を出てきてしまったのだ。


 ただでさえまりに関して、以前にも多大なる心配を両親にかけてしまっていた。これ以上心配させるようなことをしてはいけない。バレる前に帰らなければ。


 そう思って気合を入れ直し、いざ鳥居をくぐったまりを、突然強烈な閃光が襲った。


 目の前が一瞬で真っ白になり、思わず目をつぶる。瞼を突き破る光が、目の奥を焦がすかのようだった。


 次いでまりが再び目を開いた先に広がっていた光景は、苔の生えた石階段ではなかった。


 そして冒頭の状況に至るのだ。



 目の前に広がる景色は、小さな草が申し訳程度に生え、地面の大部分の面積を占めている土が、完全に乾燥し、時折吹く風にさらわれて舞い上がっている、というものだった。


 鳥居をくぐる前に広がっていた光景の名残は、180度見渡してもどこにもない。それどころか、自分がたった今くぐったばかりの鳥居すら、影も形も消えている。


『満月の夜の12時に大神神社の境内に入ると、異世界に連れていかれて一生戻ってくることができない』


 唐突に、昼に沙希が言っていた言葉を思い出した。


 まさか、本当に?


 目の前の光景が信じられなくて、まりは何度も目を瞬かせた。しかし殺風景なこの景色は、何一つとして変わらない。


 ではここが本当に、大神神社怪談話で言われている異世界なのか。しかし、異世界にしてはあまりにも無味乾燥すぎるのではないか。


 何となく「異世界」と言われて、よく小説で描かれる、不思議な生物と魔法を操る何者かがたくさんいるキラキラした世界をイメージしていたが、目の前の光景はどう頑張っても殺風景以外の言葉が見つからない。


「ここ…ほんとにどこ?」


 この場所に立っているのは自分だけ。人っ子一人いない。そして物がなさすぎるため、そもそも情報が何一つとして無い。


 パニックに陥りそうな思考を何とか押しとどめ、まりは何か手掛かりはないかと歩き始めた。


 しかし、歩けど歩けどひたす砂漠のような光景が続くだけだ。


 15分程すぎただろうか。これ以上歩いても何も分かることは無いだろう、とあきらめかけた時だった。


 少し遠いところの砂地に、何かが立っていた。


 ハッとしたまりは、何か分かるかもしれないという一縷の希望にかけて走りだした。


 息を切らしながらなんとか目指した物の近くまで着く。


 目の前に現れたのは、ごつごつとした灰色の表面の岩だった。


 高さは3メートルほどで、幅と横が5メートルくらいだ。そしてその表面には、まりが四つん這いになれば何とか入れるくらいの穴が開いており、奥深くにつながっている。岩の中は暗く、外からでは様子が分からない。


「どうしよう…」


 もしかしたら、ここが何なのか、そして元いた場所に帰る手立てが見つかるかもしれないとも思う。


 しかし、正直恐怖もある。


 この穴を通れば、まず間違いなく何かあったらすぐに逃げられない。


 走るどころか、入ることだって難しいのだ。


 しかし、行動しなければ何も現状は変わらないだろう。

 ここには自分以外頼りになる人はいない。


 ――いや、もともと自分には頼りにできるような人はいなかった。


 思考が嫌な方向に行くのを無理矢理抑え込み、意を決したまりは、穴の中にその身を滑り込ませた。


 そして、どこかひんやりとした冷気の漂う暗い穴を進んですぐ、膝立ちしても頭に余裕があるような開けた空間で、まりは銀と紅の宝石の輝きを見た。


 ――それは、気高い雰囲気をまとう、白銀の豊かな毛並みと赤い瞳を持つ、1匹の狼だった。

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