親愛なるあなたへ〜「小料理屋しづ」の日々〜

山いい奈

第1話

 狩野志津かのうしづは「小料理屋 しづ」を経営している。カウンタが8席のみのこぢんまりとしたお店である。白色の壁に薄茶のはりや柱を用い、柔らかな空気感を出している。カウンタの色も柱と揃いだ。場所は大阪市内の下町である。


 「しづ」の隠れた名物はたこ焼きである。人気店には太刀打ちできないが、泉佐野市の漁港で水揚げされる「泉だこ」というブランドたこで作りたかったのだ。


 そして青ねぎも大阪ねぎだ。11月から4月中旬までは、なにわ伝統野菜に指定されている難波なんばねぎを使う。その名の通りかつては難波が一大産地だったのだが、今は松原市に移っている。


 せっかくの特産品を使わない手は無い。一般的なたこ焼きよりはお高くなってしまうが、それだけの価値があると志津は思う。


 それはありがたいことにご常連に受け入れられ、毎日ご注文をいただく様になったのである。




 9月に入って酷暑だった夏が終わりに近付き、朝晩などは少しばかり過ごしやすくなって来ていた。


「志津ちゃん、たこ焼き4個ちょうだい。マヨソースで」


「はぁい、お待ちくださいな」


 ご常連のしげさんのご注文である。志津は手早く生地を作り、油を引いたたこ焼き用の鉄板にお玉で流し入れた。


 泉だこの角切りを沈め、大阪ねぎの小口切りと紅生姜のみじん切り、天かすを散らしてじぶじぶと焼いて行く。


 その間にグリルに入れていたさわらの塩焼きが焼きあがった。さわらも大阪湾で水揚げされる魚である。9月の今は旬の走りだ。


 角皿にさわらを移し、片隅に大根おろしを盛った。


「はい、小倉おぐらさん、さわらの塩焼き、お待たせしました」


 小倉さんもご常連で、妙齢の女性だ。ふくよかな体型で、緩くパーマをかけた茶色いボブカットはふわりと波打っている。いかにも大阪マダムといった風貌ふうぼうだ。服装もチュニックかボトムのどちらかがヒョウ柄で、今日はチュニックがヒョウ柄だった。


「はいよ、ありがとさん」


 小倉さんはご機嫌でお皿を受け取る。小倉さんはお魚が好きで、さかいあなごの天ぷらもお出ししていた。


 堺あなごも大阪泉州せんしゅうの名産である。堺市での水揚げは年々少なくなって来ているのだが、大阪湾で水揚げされたあなごが全て堺市の出島でじまに集められ、加工されて堺あなごと銘打って流通する。あなごには専門的な加工技術が必要で、それを持つ業者が出島に集まっているのである。


「小倉ちゃん、魚ばかり食うてんと、野菜も食わなあかんのとちゃうか」


 隣り合っている繁さんに呆れ顔で言われ、小倉さんはかすかに不機嫌そうな表情になる。


「何言うてんの。さっきカルパッチョやら言うやつ食べたがな」


 「しづ」のカルパッチョは、スライスした泉州玉ねぎの上にサーモンとたいのお刺身を円形状に交互に並べ、貝割れを散らし、オリーブオイルとレモン汁、お塩と胡椒こしょうで作ったソースを掛けたシンプルなものだ。


 サーモンはノルウェー産、鯛は愛媛県産で、どちらも養殖物なのだが、丹念に育てられたそれらはねっとりとした旨みが強い。それが甘さ自慢の泉州玉ねぎと合わさり、爽やかなソースがまとめ上げるのだ。


「繁さんこそ野菜ばっかり食べてんと、肉ぐらい食べんと長生きできひんで」


 ほのかに嫌味がこもった様な小倉さんの台詞せりふに、繁さんは「まぁなぁ」と苦笑する。


「もう歳なんか、あんま肉類を食べようと思わへんのよなぁ」


 繁さんが注文されたのは泉州水なすの浅漬けにかみなりこんにゃく、泉州さといもの煮っころがしだ。


 たこ焼きの鉄板がじじじと音を立てる。綺麗な円形になったたこ焼きをピックでころころと転がし、程よい焼き目を付けた。


 木製の舟皿に盛り付け、たこ焼きソースを塗って、マヨネーズを掛けたら完成である。


「はーい繁さん、たこ焼きお待たせしました」


「はいはい。ありがとうな」


 繁さんのたこ焼きを見て、小倉さんは「ふん」と鼻息を吐いた。


「そんなソースこってりのたこ焼き頼んどいて、肉があかんてどないやねん」


「それもそうやな」


 繁さんはおかしそうにからからと笑った。


 今は火曜日のまだ早い時間で、お客さまは繁さんと小倉さんのおふたりだけである。このおふたりはほぼ毎日来られている。


 繁さんは数年前に定年退職された。独身ひとり暮らしを貫かれ、家事も全てご自分でこなして来られた。


 一級建築士の繁さんは、建築会社退職後に戸建こだての自宅で設計事務所を設立し、お仕事を始められた。


 少食なこともあって、「しづ」で食事を楽しむぐらいの余裕はあるのだろう。


 小倉さんは既婚なのだが、数年前に旦那さまをご病気で亡くされた。ひとり息子さんも独立され、こちらも気楽なおひとり暮らしである。


 数年前から始めた事務パートを今でも続けており、こちらも贅沢ぜいたくさえしなければ充分暮らしていけるのだそうだ。


 小倉さんはおひとりでのごはんが寂しいと、「しづ」をご利用いただく。ここに来れば志津がいるし、繁さんたち顔見知りのご常連もいるからだ。


「よっしゃ繁さん、うちがなんか肉おごったろ。志津ちゃん、なんかええ肉あるか?」


「うちのお肉はなんでもええもんですよ〜」


 志津が歌う様に言うと、小倉さんは「そりゃそうか」とけろりと言う。


「いやいや小倉ちゃん、わしもうそんな食べられへんがな」


「なんやの、だらしないなぁ」


 小倉さんは憤慨ふんがいする様に見せるが、実際に怒っているわけでは無い。こんなやりとりはいつものことだ。小倉さんは良くも悪くも大阪のおばちゃんなのだ。少しばかり口が悪く、押しが強く、情に厚い。


「繁さん、1人前が多い様でしたら、少しだけお出ししましょうか? 「なにわ星の豚」の角煮、おいしゅうできてますよ」


 こうした便宜べんごはかれるのも個人店の強みである。志津が笑顔で言うと、繁さんは「そりゃあええなぁ」と顔を綻ばせる。


「ほな、少しだけもらおうかな。いつも融通ゆうずうしてくれてありがとうな」


「いいえぇ」


 志津は角煮の鍋から一切れと煮汁を小さな片手鍋に移し、ししとうを加えて火に掛ける。


「あ、それと志津ちゃん、秋鹿あきしかもらおうかな。冷やでな」


「はい。かしこまりました」


 志津は棚から「秋鹿 純米酒 千秋」の一升瓶を取り出し、丸みのあるグラスに静かに注ぐ。


 秋鹿は大阪の最北端能勢のせ町にある秋鹿酒造がかもす日本酒である。米作りから醸造までを一貫して行うこだわりを見せる酒造だ。


 ほのかな酸味を含む秋鹿純米酒千秋は、冷やでいただくことで山田錦の丸みある旨みを感じることができるのである。


「はい、秋鹿純米です。お待たせしました」


 繁さんに手渡すと、「ありがとう」と嬉しそうに返って来る。秋鹿をちょびりと含み、「ふぅ」と心地好さそうな息を吐いた。


 温めている角煮をひっくり返し、弱火でことことと熱を入れた。小鉢に盛り付け、ししとうを添え、仕上げに白髪ねぎをふわりと載せた。


「はい、なにわ星の豚の角煮です」


 なにわ星の豚は、大阪市内で唯一の養豚所大山畜産で育まれたブランド豚である。脂があっさりしながらも噛みしめると甘みと旨みが広がる、飼料にもこだわった質の高い豚肉だ。

「ありがとう」


 繁さんはさっそく角煮にお箸を付ける。層に沿って割れ目を入れると、ほろっと剥がれる様にほぐれた。


「ああ、美味しそうや」


 見た目だけで相貌そうぼうを崩し、ひとかけ口に運ぶ。柔らかくはあるが、噛みごたえはしっかりしている豚ばら肉を食み、繁さんは「うんうん」と頷いた。


「やっぱり美味しいなぁ。肉を食べると、元気が出る気ぃがするわ」


「ほら、やっぱり肉は人を元気にするんや。志津ちゃん、この角煮、うちの伝票に付けとってな」


「はは。ほなありがたくご馳走になろうかな。ありがとう」


「はい。ありがとうございます」


 我が意を得たりと鼻息を荒くする小倉さんに、繁さんは嬉しそうに目尻を下げ、志津はゆったりと微笑んだ。




 実は繁さん、この「しづ」の成り立ちに大きく関わっている。志津がこの街で小料理店を構えようと奔走している時、不動産会社に紹介してもらったのだ。


 繁さんは志津に親身になってくれた。銀行からの融資が受けられるかどうか不安だった時も、繁さんが後ろ盾になってくれたのだ。


 実は志津は施設育ちなのである。赤ん坊のころに施設の前に置き去りにされていたそうだ。親は志津という名前だけをかろうじて残してくれた。狩野という苗字は施設の名称なのである。


 料理に興味を持ったのは小学生時代。家庭科の授業が楽しかったのだ。施設でも調理を手伝った。


 高校卒業後、志津が選んだ就職先は料亭の厨房。独立を目標に研鑽した。


 そんな志津にとって、繁さんは父親の様な存在となった。親切な、だが時には厳しいことも言ってくれる歳上の男性に父親像を重ねてしまったのだ。


 繁さんがどう思っているのかは判らないが、志津が慕うのは勝手である。繁さんのご迷惑にならない様に、そっと寄り添うことができたらと思っている。

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