第5話 6

 不意に衝撃が走って、天井が崩れ落ちた。


「――ルキオン様、こちらへ!」


 瓦礫が降り注ぐ中、クリスはそう言ってルキオンの手を引く。


 廊下もまた、ひどい有様だった。


 天井が裂け、空が覗いている。


「――あれは……」


 陽光を受けて真紅に輝く巨大な一対の脚甲。


「筆頭聖女の第三帝殻です。

 ……相変わらず、無茶をしてくれますね……」


 苦笑混じりのクリスの説明に、ルキオンは首を傾げる。


「……クリス?」


 だが、クリスは答えず。


 ふたりで崩落が続く廊下を駆け抜ける。


 何人もの兵とすれ違ったが、彼らもまた混乱の最中にあって逃げ惑うのに夢中で、ルキオン達を止める者はいなかった。


 やがてふたりは倉庫らしき場所までたどり着く。


 回廊から見上げれば、中央棟にそびえていた物見塔がなかばから崩れ落ち、その下の棟に突き刺さって傾いていた。


「いずれ助けが来ます。

 ここに身を隠しましょう」


 と、クリスは倉庫の扉を開けて、中に踏み込む。


 ルキオンもまた彼女の後に続いた。


 倉庫内はわずかな明り取り窓しかなく、ひどく薄暗い。


 クリスはルキオンの手を引いて、積み上げられた木箱の陰に身を潜めた。


「……クリス、君は……」


 以前のクリスとはまるで違う行動力に、ルキオンは再び訊ねる。


 するとクリスは薄闇の中、微笑みを浮かべた。


「――申し遅れました」


 その顔が姿が不意にぼやけて、クリスとは別人の――紫髪の少女へと姿を変える。


 紫の戦装束バトル・ドレス姿の少女の瞳は虹色に輝いていたが、徐々にその色が紫へと変わっていく。


 ――魔眼だ。


 ルキオンがそう理解するのと同時に、彼女は腰を落としてカーテシー。


「わたしは聖女管理局、第五席聖女のシェイナ。

 あなたを無事に確保する為に参りました」


 ルキオンは知らない事だが、第五席聖女は聖女管理局の諜報部に所属している。


 幻惑の魔眼と<姿変え>の魔法で別人へと変貌し、潜入調査を得意とする聖女なのだ。


「――じゃあ、本物のクリスは……」


「ええ、無事ですわ。

 開拓村の人々も、わたしの部下が解放に向かっています」


 その言葉にルキオンは安堵する。


「……よかった……」


 仲間を、そしてクリスを巻き込んでしまった事に絶望していた。


 だからこそ、ルキオンは彼らが無事だと知って、心から安堵する。


 思わずその場にへたり込んでしまったルキオンを見下ろし、シェイナは微笑みを浮かべる。


「変わられましたね……」


 以前のルキオンなら、開拓民の事など気にもしなかっただろう。


 クリスの事だって、多少は気にかけたかもしれないが、これほどまでに思い悩む事はなかったはずだ。


 そう告げるシェイナに、ルキオンは首を振る。


「まだまだ努力不足だと痛感させられたよ」


 ルキオンは苦笑し、多少よろけながら立ち上がる。


「しかし、席次聖女の君がここに居て良いのか?」


「わたしは他の者と違って、戦闘能力に関してはそれほど高くありませんので。

 戦場ではむしろ足を引っ張ってしまうのです」


 と、シェイナは潜入や情報収集が、自分の主な仕事なのだと説明する。


「――だからこそ、ルキオン派がクリスさんの身柄を押さえようとしているのを察知でき、こうして入れ代わって潜入できたわけなんですけどね」


 ルキオンは、改めて聖女管理局の人材の豊富さに舌を巻く。


 そして、その人材を適切に管理し、国の為に尽くしていた姉、ルシアーナに比べて、自分がいかに甘やかされていたのかも自覚した。


 王族を名乗りながら、まだ学生の身だからと、なんの役割も果たすこともなく暮らしていた日々。


 ルシアーナが学園入学の時分には、すでに聖女管理局を任されていたのを知っていたのに、自分は姉とは違うと卑屈になり――そればかりか、自分を持て囃す貴族達にノセられて、ひどくわがままに生きていた。


 つくづく愚かだったのだと、ルキオンは唇を噛む。


 それで兄や姉を押し退けて王位に着こうとしていたのだから笑えてくる。


「……俺は本当に、お飾りとしてしか見られていなかったのだな……」


「それがわかるようになっただけ、成長したということですよ。

 ――現にスキマットの誘いに、乗らなかったじゃないですか。

 ……ご立派でしたよ」


「……シェイナ……」


 褒められて頬を赤らめたルキオンは、彼女の名前を呼ぶ。


「ああ、でもルキオン様。

 わたしに他意はありませんからね。

 女心についても、もうちょっと学ばれた方がよろしいかと思いますわ」


 手を突き出して念押しするシェイナに、ルキオンはさらに顔を赤くして顔を逸らす。


「――わ、わかっている!」


 惚れっぽい性格は、まだまだ直っていないようだった。


 と、扉の外が騒がしくなったのは、その時だ。


 ふたりは息を潜めて木箱の陰に身を隠す。


 倉庫の扉が開いて。


「――まったく! ガルドールめ! なにが戦は数だ!

 瞬殺されておるではないか!

 おい、まだルキオンは見つかっておらんのか!?」


 スキマットが怒鳴りながら、倉庫にやってきた。


「砦内も混乱しておりまして……現在も捜索中です」


 付き従った兵が応える。


「まあ、良い。こうなったら奥の手だ!

 いかに聖女だろうと、アレの前には――」


 そうして彼らは倉庫の奥へと進んで行って。


「……あいつら、いったいなにを……」


「見てきます。ルキオン様はここで待っていてください」


 シェイナは身軽に木箱の上に飛び乗り、スキマット達の後を追う。


 陰から陰へと身を潜め、辿り着いたのは倉庫の最奥で。


「――――ッ!?」


 そこにいたものに、シェイナは息を呑んだ。


(――飛竜……ですって!?)


 十メートル四方の巨大な檻の中で、身を丸めて眠るそれは、まさしくそれだった。


 ソリスダート帝国の一部地域に生息する鉱鱗類の生物で、その性格は獰猛。


 魔獣や――時には魔物さえも、餌にするという恐るべき生物だ。


(あんなものを捕縛して持ち込んでいたの!?)


 シェイナは内心で呻く。


 スキマットが言う奥の手――それが、あの飛竜なのだろう。


 兵騎の装甲ですら噛み砕く強靭な顎と、儀式魔法による法撃にすら耐える鱗を持つ――自然界における頂点の一角だ。


「ほれ、さっさと起こせ!

 そしてあの忌々しい小娘共を蹂躙させるのだ!」


 スキマットの指示に従い檻の一角が開け放たれ、兵の一人が手にした香炉に火を灯す。


 倉庫内に甘い香りが立ち込めて。


 飛竜が――その金色の瞳をゆっくりと開いた。


 ――咆哮。


 大気がビリビリと震え、スキマット達は驚愕に尻餅をついた。


 瞬間、飛竜は檻の中から首を伸ばし、香炉を持った兵を丸呑みにした。


「ヒイイィ――――ッ!?」


 スキマット達が悲鳴をあげて、先を争って逃げ出す。


「あ、操れているのではなかったのか――ッ!?」


 その後を追って飛竜もまた檻から這い出して。


 再び咆哮する。


 それは怒り。


 人間という卑小な存在に捕らわれていた自身に対する怒りであり、自身を捕らえていた人間達への報復を告げる叫びであった。


 そして、飛竜は床を蹴る。


 レンガ敷きの床は、それだけで踏み砕かれてめくれ上がった。


 巨体からは想像もできない速度。


 飛竜は大気を巻いて一瞬で倉庫の入り口に到達し、その周囲の壁を突き破って外へと飛び出して行った。


「う、うわああああぁぁぁぁ――――ッ!!」


 追いつかれた兵が、胴を噛み砕かれ、真っ二つにされて地面に放り出される。


 まさに蹂躙だった。


 近づいた者から、その牙で、爪で、無惨に切り裂かれていく。


「……なんてこと……」


 まるで制御できていない。


 スキマット達は、戦力としてあの飛竜を帝国から譲り受けた。


 香炉の香りによって、制御できるのだと――そう教わっていたのだ。


 だが、それは偽りであった。


 あの香炉は、眠らせた飛竜を目覚めさせるだけのもの。


 帝国の目的は、あくまでエリオバート王国内の混乱である。


 反乱の成否など、どうでも良い事だった。


 国内に生息地を抱えるソリスダート帝国にとっては、飛竜への対処法も確立している。


 だが、エリオバート王国にはそれがない。


 怒れる飛竜とは、一種の天災である。


 それを熟知しているからこそ、帝国はスキマット達を唆して、王国内に持ち込ませたのだ。


 飛竜は壁を突き崩しながら、逃げるスキマット達を追って行く。


 シェイナは呆然とたたずむルキオンの元へと戻る。


「――シェイナ。どうする!?

 ひ、飛竜だなんて……」


 ルキオンはひどく取り乱してシェイナにまくし立てる。


「……さすがにここに至っては、手加減させろとかいう指示に従ってられませんね」


 一方のシェイナは苦笑してそう答えた。


 彼女もまた、常々宰相に泣きつかれている一人なのだ。


「――ルキオン様。とりあえず脱出しましょう」


「だ、だが、あの化け物はどうする!?」


「だから、脱出するのですよ。

 あのが本気を出せるように……」


 シェイナは肩をすくめ、ルキオンを横抱きに抱え上げる。


 戦闘力が高くないと言いつつも、それは他の聖女と比較しての事。


 彼女もまた席次を預かる聖女だ。


 ルキオンひとりを抱え上げるなど、造作も無いことだった。


「知ってますか、ルキオン様」


 外壁に跳び上がりながら、シェイナは告げる。


「全力になった、わたし達の筆頭はね――正真正銘の化け物なんですよ?」


 外壁の上に到達した彼女は、さらに躊躇なく砦の外へと飛び降りる。


「また地図の書き換えが必要になるって、宰相は泣くのでしょうけどね……」

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