第3話 4
「――なんなのだ、アレは……」
タックスは自室で使用人達に、持ち出す荷物の指示を出しながらブツブツと呟く。
「なぜキーンバリーが……」
戦車に掲げられたキーンバリー公爵家の紋章は、タックスも目撃していた。
なぜあんなもので攻めて来たのか、タックスは本当に理解できていない。
税を払えなかった領民をけしかけた事など、忘れているのだ。
当然、そこを忘れているなら、シャルロッテの目的に行き着くこともない。
サーバンが連れてきた護衛の傭兵達が徹底的に排除されるのを見て、タックスはただただ恐怖を覚え、そしてこうして逃げ出す用意をしているのだ。
禿げ上がった頭頂から湯気が立ち上るほどに、タックスは焦っていた。
「あいつらもあいつらだ。
用心棒ヅラして居座っておいて、なんの役にも立たないではないか!」
タックスから見れば、相手はたったふたりの小娘だった。
実際はこの国の武の最高峰の一角なのだが――聖女管理局の存在は秘匿されている為、タックス程度では窺い知ることすらできないのだ。
だから、サーバンが連れてきた傭兵達が鎧袖一触されていく様に怒りを覚える。
「なにが歴戦の傭兵だ! 瞬殺されとるじゃないか!
――あ、おい! その像は高かったんだ! 慎重に運べ!」
その苛立ちを使用人にぶつけ、タックスはウロウロと落ち着きなく、部屋の中を歩き回る。
――そこへ。
「――見つけたわ!」
開け放たれたドアの向こう――まっすぐ伸びる廊下を、女ふたりがこちらに向かってきていて。
金髪の女――ミリスがタックスを指差して声をあげる。
「荷造りの最中とは――悠長だこと……」
赤毛の女――シャルロッテが呆れたように呟き、肩をすくめる。
使用人達が悲鳴を上げて逃げ出し始める。
「――お、おまえ達、ワシを守れ!」
タックスが叫ぶが――
「――うっさい、ブタっ! 誰があんたなんかの為に!」
使用人達は聞きはしない。
実に人望のないハゲブタであった。
シャルロッテ達が、いまやタックスだけが取り残された部屋に踏み込む。
「――貴様ら、いったい何が目的だ!
ワシは子爵だぞ! こんな事して許されると思っているのか!」
怒鳴るタックスに、ミリスが苦笑。
「爵位を盾に取るなら、シャルロッテは公爵令嬢よね」
ミリスの言葉に、タックスは目を剥いた。
キーンバリー家の長女が四年前、神器に選定されたのは貴族社会ではあまりにも有名な話だ。
そして、その聖女が先日、第二王子をフルボッコにして、号泣土下座させたという逸話もまた、貴族社会を駆け抜けている。
そうして彼女につけられた異名は――
「――狂華の聖女だとぉ!?」
ピクリとシャルロッテの眉が上がる。
社交界でそう呼ばれ始めているのは知っていたが、実際にそう呼ばれたのは初めてである。
「あははははっ! あんた、そんな二つ名付けられてたの!?」
ミリスがお腹を抱えて笑い出し。
「……案外、イラっと来るものなのね……」
シャルロッテは平静を装いつつも、そう呟く。
「ふふっ、あんたでもそんな顔するのね!」
そんなシャルロッテをからかい、けれどミリスは不意に真顔になって懐から書状を取り出す。
エリオバート王家の紋章が刻印された制式状だ。
「――タックス・チュースキン、あんたを不当税設定の容疑と寄付金横領の容疑で捕縛するわ」
「こ、小娘ごときが、なんの権限があって――」
「これは王家が発行した正式な書状よ。
そしてわたくしには、それを執行する権限が与えられているの」
この手の問答には、シャルロッテもミリスも慣れていた。
聖女管理局そのものが秘匿されているがゆえに、聖女の役目を知る者は少ないのだ。
……だから。
「しょ、証拠は――ん、なんぺぐっ!?」
シャルロッテはひどく自然にタックスに歩み寄り、その顔面に拳を叩き込んだ。
吹っ飛んだタックスは、机を砕いて床に転がる。
……シャルロッテ・キーンバリーは気が短い。
グダグダと討論や説得をする気など、はじめからないのだ。
「――証拠なんて、これからいくらでも見つけられるでしょう?
もしくは貴方を歌わせるって手もあるわね。
どちらにせよ、あまり手を煩わせないで」
久しぶりに神器の力を使わずに、すんなりと終わりそうなのだ。
シャルロッテは、ここで時間をかけたりしたくなかった。
「ヒ、ヒイイィィ……」
机だった木片の上で、涙や鼻血にまみれた顔を歪め、タックスが悲鳴をあげる。
「さあ、サーバンはどこにいるの? あいつにも捕縛指示が出ているの」
そんなハゲブタに歩み寄って、ミリスは襟首を掴み上げて訊ねる。
(…………ん?)
「ねえ、ミリス。
誰かしら、それ」
「はあ!? タックスの篤志事業を隠れ蓑に、奴隷売買してた奴隷商よ!
あんた、知らなかったの!?」
コクコクとうなずくシャルロッテ。
ここに来て、ふたりは互いが持っている情報に齟齬がある事に気づく。
「私は――」
シャルロッテがここに来た事情を説明し。
「……そんな事までやらせてたのね……
わたくしが受けた命はね――」
と、ミリスもまた、今回の仕事内容を説明する。
「つまり――無能なブタにいらない知恵をつけたのが、そのサーバンとかいうクズだ、と」
「めちゃくちゃ噛み砕くと、そういう事になるわね」
ふたりで納得して、タックスを見据える。
「で、サーバンは何処?」
「し、知らん! さっき逃げる用意をすると、ヤツも出ていった。
自分の部屋にいるのでは――ぐおぉッ!」
必要な情報を聞き出せば、このブタは用済みだ。
シャルロッテはタックスの腹に当て身を食らわし、その意識を奪い取る。
「ちょっと! サーバンの部屋を聞き出す前でしょ!?」
怒鳴りながらも、シャルロッテの行動には慣れているミリスは、手甲に仕込んだワイヤーを引き出して、タックスの捕縛を始める。
極小の刻印が施されたワイヤーは、その細さに反して頑丈で、しかも結び方によっては魔法を封じる効果も発揮する。
「そこらの使用人を捕まえて訊けば良いでしょう」
「それもそうね」
と、ミリスもまた納得し、意識を失ったブタを床に転がす。
「見て、ハムよ」
ミリスがおどけてみせる。
「あら、上手ね」
基本的に大雑把なシャルロッテでは、あんな風には拘束できない。
床に転がったタックスは、ミリスが揶揄したように、ハムそのものであった。
ふたりで笑い合い。
「さあ、それじゃサーバンの部屋を探すわよ!」
と、ミリスが腕組みして宣言する。
その時だ。
激しい衝撃と金属を引き裂く音が、窓の外から響いて。
ふたりは窓を開け放って、テラスへと飛び出す。
そこには。
「――兵騎!?」
ミリスが呻く。
それは、五メートルもの大きさの巨大な甲冑だった。
短い手足に太い胴。
大きな頭には八つのスリットがあって、その奥で青い光がバラバラにうごめく。
古代の遺跡から発掘される魔道甲冑――兵騎だ。
それが今、手にした巨大な長剣で戦車を叩き割り――
「――はーはっはー! 小娘共、出てこい!」
兵騎の肩に乗った、痩せこけた男――サーバンが目をギラつかせて叫ぶ。
もう一方の手には、エレノアとマリサが握られている。
「出てこなければ、こいつらを潰すぞ!」
シャルロッテはため息。
(……結局はこうなるのね……)
そこに恐れなど無い。
ただただ予定調和のように、神器の力が必要になった現実に、諦めのような感想が過ぎるのみだ。
テラスから飛び降り、シャルロッテは兵騎の元へと歩き始める。
「シャルロッテ、フォローはしてあげる」
あとを追って来たミリスがそう告げて。
「――だから、あんたはあのデカブツを頼むわ」
その言葉に、シャルロッテはうなずく。
いかにミリスが次席聖女として、ずば抜けた肉体性能を持っていたとしても、さすがに生身で兵騎の相手は荷が重い。
今、アレの相手をできるのは、シャルロッテしかいないのだ。
なぜ一介の奴隷商が、国が管理しているはずの兵騎を保有しているのか――だとか、色々とサーバンには訊きたい事があったけれど。
「……ぶっ飛ばしてからでも、それはできるものね」
だから、シャルロッテは歩を進めながら、胸の前で拳を握る。
胸の奥の魔道器官から声に魔道を乗せて、世界の理を捻じ曲げて理不尽を喚び起こす
「――目覚めてもたらせ。<
真紅の閃光が、辺りを染め上げた。
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