17. 廃都市アルゲティにて 2
事態が一転したのは、半刻ほど歩いた時のことだった。
どこまで歩いても変わらぬ景色に気が重くなっていたが、ふと視界の端に僅かに動く影を見つけて、テイトは徐に立ち止まった。
その方向に目を凝らすと、今にも壊れそうな建物の中に古びた布を纏う老婆の姿が見えた。
少しの警戒を滲ませたリゲルとは裏腹に、テイトはゆっくりとその人の元へと歩み寄った。
「――こんにちは、お婆さん。ちょっとお話いいですか?」
テイトが声をかけると老婆は驚いたように顔を上げ、テイトの背中に担ぐ剣が見えると怯えたように後退った。
「っひぃ」
「あっ、待ってください」
テイトは慌てて立ち止まると、武器を全て地面に置いて両手を高く掲げた。
リゲルが焦ったような声を上げたが、テイトは近付かないように目で訴えた。
「あの、少し訊きたいことがあるんです」
テイトがその場から動かないまま伝えると、老婆は次第に落ち着きを取り戻したようで、緩慢とした動作でボロボロの椅子に腰を掛けた。
「……なんだい?」
「お婆さんはこの街の方ですか?」
「そうだと言ったら何だって言うんだい」
老婆の声は刺々しく険を帯びていた。
「もし知っていたら教えて欲しいんですが、ユーリ、もしくはステラという名前に聞き覚えはありませんか? この街に住んでいたみたいで、年は――」
「――知らないね」
途中で冷たく遮られ、テイトは一度口を噤んだ。
「……この街は、お婆さん以外にも誰か住んでますか?」
「知らないよ」
拒絶するように紡がれる言葉にテイトが再度黙り込むと、もう行こうとリゲルが小さな声を上げた。
しかし、テイトはその場から離れなかった。
草臥れた服の裾から覗く老婆の手足は細く、きちんとした栄養がとれていないように見えた。
「……答えたくなければ無視してくれていいんですけど、お婆さんは一人でここにいるんですか?」
「……」
「この街が襲撃されてからずっとですか?」
「……」
「ご飯はきちんと食べられていますか?」
「……煩い子だね、お前さんには関係ないことだろ。放っておいてくれ」
完璧な拒絶を耳にし、痺れを切らしたリゲルがテイトの肩に手を置いた。
「……行こう」
老婆を一瞥して、テイトはゆるゆると武器を拾い上げた。
それから、自身の荷物を漁って水と幾つかの食料を取り出すと、近くの瓦礫の上にそっと並べた。
「質問に答えてくれてありがとうございました。不要だったら捨ててください」
テイトは深く頭を下げて、踵を返した。
「……どういうつもりだい?」
震える声に振り返ると、老婆が呆然とした様子でテイトを凝視していた。
「……僕の村も同じ奴らに襲われました。その時、この街の出身だという二人に助けてもらったので、その恩を返したいんです」
老婆は動揺したように立ち上がった。
唇を震わせ、迷うように口の開閉を繰り返している。
「……お前さんの所も?」
「はい。あの時、助けてくれる人がいなければ、僕もきっと」
「そう、かい……」
老婆は力を失ったように椅子に座り込み、皺々の両手で顔を覆った。
「……本当に知らないんだよ」
「……」
「誰がどこにいるかも知らない、生き残った者は親戚の伝手を頼ってこの街を離れた。ここは……残るには辛い思い出しかないからのぅ」
老婆はゆっくりと言葉を紡いだ。
「親戚も家族も、皆この街にいた。……身寄りのないあたしゃ、どこにも行く宛てがなかった。だから、残らざるを得なかった」
テイトは老婆の元へと歩を進めた。
老婆の気持ちは痛いほどよく分かった。
「孫が生きてりゃ、お前さんぐらいの歳になったろうに……なんであの子が死んで、あたしゃがっ」
聞こえる声に嗚咽が混じり、テイトはそっと老婆の手に自分の両手を重ねた。
「……もし僕が貴女の孫だったなら、貴女だけでも助かって良かったって、そう思います」
老婆は堪えきれなくなったのか、小さく声を漏らしながら涙を流した。
テイトは老婆が落ち着くまで傍に寄り添い、その骨張った背中をさすり続けた。
暫くして老婆のしゃくり上げる声が聞こえなくなると、老婆はすまないねと謝罪しながらテイトと所在なさげに立っていたリゲルに椅子に座るよう声をかけた。
「……悪かったね。あれ以来、少し人が怖くてね」
老婆はゆっくりと身の上を語り出した。
襲撃された時、街は勿論混乱状態に陥った。
足の悪い老婆は一人で逃げることもできず、同居していた家族から一緒に逃げようと声をかけられたが、足手まといになりたくない一心で気丈にそれを断った。
泣きながら離れていく家族を見送った丁度その時、近くの建物が大きな爆発音と共に崩れ、不運にも逃げた家族の上に瓦礫が降り注いだ。
目の前で大切な者の命が散っていくのを、老婆は動くことはおろか助けることもできず、ただただ耳を劈くたくさんの悲鳴に恐怖して震え、その場で縮こまって耐えることしかできなかったと言う。
辺りが静まりかえった時には、もう既に街は変わり果てた状態になっていたのだと語った。
「……幸か不幸か生き残ったもんは、一人、また一人と街を離れていったよ。今この街に誰が残っているのか、それとももう誰もいないのか、あたしゃ分かりしない。この足だ、確かめようもない」
老婆は諦めたような顔で足をぽんと叩いた。
「お前さんが孫なら、あたしゃだけでも生きてくれて良かった、そう言ったね。あたしゃ家族を見捨てたのに、本当にそう言えるのかい?」
「言えますよ。だってお婆さんは何も悪くない。自分を置いて行ってなんて、簡単に言えることじゃない」
テイトは間髪入れずに返したが、それでも老婆の顔は絶望に染まっていくように見えた。
「……そうかい。でもその決断が、結局皆の命を奪ってしまった」
「違います。奪ったのはこの街を襲った奴らで、お婆さんじゃない。お婆さんは家族を助けようとしたんです。結果、助けられずに自分を恨む気持ちは分かります。でも、僕は貴女は立派だったと思います」
テイトがそう言い切ると、老婆は自嘲するように笑った。
「……優しい子だね」
老婆は目を細めて眩しそうにテイトを見つめた。
「人を探してると言ったね。ここは首都に次ぐ大きな街だったから、見つけ出すのはおそらく難しいじゃろうて。それに、こんな有様の街にはきっともういないだろうねぇ」
「……二人はこの街出身で、そして、この街ではないところで亡くなりました。だからせめて、形見だけでも故郷に戻してあげたかったんです」
テイトの言葉に老婆は一度目を見開き、それから視線を落とした。
「そう、かい。……でも、こんな街、戻りたいと思うかね?」
「二人の家族はここで亡くなったと聞いています。離れ離れは、きっと寂しいはずだから……」
老婆は暫く下を向いたまま黙り込んでいたが、不意に立ち上がると足を引きずるようにして部屋の奥へと姿を消してしまった。
途端に、リゲルは緊張の糸が途切れたように大きく息を吐き出した。
「めぼしい情報はなさそうだ。早く次に行こうぜ」
「……うん、そうだね」
テイトが神妙な面持ちで頷くのと、老婆が手に何かを抱えて戻ってくるのはほぼ同時だった。
「町の西端に霊園がある。襲撃で亡くなった者の慰霊碑もそこに建てられたと聞くから、弔うならそこがいいじゃろう」
老婆が手に抱えていた物をテイトに差し出したため目を向けると、ボロボロの紙の中に数本の野花が丁寧に束ねられているのが見えた。
花束と呼ぶには幾許か寂しいがこれは、と思いテイトが視線を上げると老婆は目尻の皺を深くした。
「持って行きなさい」
「でも……」
「ついでに、家族の墓参りも頼もうかね。あたしゃ、久しく行けていないから」
「……そういうことなら」
テイトが受け取ると、老婆は嬉しそうにそして今にも泣きだしそうな顔で微笑んだ。
手を振る老婆に見送られ、テイトとリゲルは進路を西へと変えて歩き始めた。
老婆から預かった花束を大切そうに抱えるテイトに、無言を貫いていたリゲルはぽつりと言葉を漏らした。
「……やっぱり、お前はリーダーに向いてるよ」
「え? 何急に?」
テイトがまじまじとリゲルを見ると、リゲルは頭を掻きながら視線を逸らした。
「優しすぎるとは思うけど、お前は誰でも自分の懐に入れられるだろ。俺には絶対無理なことだから」
「……それが、リーダーに必要かどうかはまた別じゃない?」
テイトは花束に視線を落とした。
「でも、そういう奴じゃないと仲間は集まらないだろ。そのおかげで、魔法使いだって仲間にできたわけだし」
「それはほぼほぼレンリさんの力で、」
「そのレンリちゃんを誑し込んだのもお前だろ」
「誑し込むって……」
俺は警戒することしかできなかったし、と落ち込んだ様子で続けるリゲルをテイトは真っ直ぐに見つめた。
「でも、それは僕にできなかったことだから。僕はリゲルに感謝してるよ」
テイトが素直に気持ちを述べると、リゲルははぁと溜息を吐いた。
「お前、そういうところだぞ」
「え? 何が?」
リゲルはその問いに答えなかったが、代わりに真剣な顔でテイトを見つめた。
「ユーリさんがお前を選んだ理由、よく分かるよ」
だから自信を持て、とリゲルはテイトの背中を一つ叩いた。
テイトはほぼ無意識に花を抱える手に少しだけ力を込めた。
「……でも、僕、ステラさんを見殺しにしたんだ」
「……え?」
テイトはリゲルの視線から逃げるように、じっと花を見つめた。
「ユーリさんはそんな僕を知らないから、知ってたら、絶対に僕をリーダーには選ばない」
他の仲間も、きっと、と小さく続けてテイトは口を閉ざした。
訪れた沈黙にじわじわと恐怖心が募り、テイトは震えそうになる手に更に力を込めた。
くしゃり、と花を包む紙に皺の寄った音が響いた。
テイトはリーダーになりたかったわけではない。
しかし、ユーリの死後にそれを望まれた時、断ることも出来なかった。
不相応な期待は重たかったが、リーダーがいなければ《クエレブレ》はこのまま消滅するのだと思ってしまうほどに、あの時は皆酷く疲弊していた。
だから、引き受けた。
そこには確かに罪悪感もあった。
皆のため、でもこんな自分が、ユーリのため、こんな弱いのに、毎日葛藤に悩まされたが、誰にも言うことは出来なかった。
自分がリーダーに相応しくないと誰よりも分かっていたはずなのに。
「……ずっと言わなかった理由はそれ?」
リゲルの声がいつもよりも冷たく聞こえ、テイトは目を合わせないまま小さく呟いた。
「……軽蔑した?」
「でも、お前のことだから、何か理由があるんだろ」
予想だにしない言葉に、テイトは呼吸も忘れてリゲルを見上げた。
厳しい顔をしているとばかりに思っていたが、その想像に反してリゲルは辛そうに顔を歪めている。
「……どうして?」
「あれだけステラさんに懐いてたテイトが、理由なくそんなことしないだろ」
「そんなの、分からないじゃん」
「分かるよ、お前の努力はずっと見てきたんだから」
分かるよ、と繰り返されてテイトは俯いた。
信じてもらえることが嬉しい一方でその期待を裏切ってしまうのも怖かった。
「……じゃあ、いつかちゃんと話すね」
「今じゃないのかよ」
まるで子供のように唇を尖らせるリゲルを見て、テイトは僅かに笑みを漏らした。
それからはお互い口数も少なく、ただ静かに廃墟を通り抜けた。
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