8. 迷いの森 3
「――おーい、テイト、リゲル、レンリちゃーん」
遠くから仲間の声が聞こえてはじめて、テイトはそこにどれだけ立ち尽くしていたのかを理解した。
あれからずっと森を注視していたがレンリが現れる気配は一向になく、でももしここを立ち去った後に彼女が戻ってきたらと思うと、テイトにこの場所を離れる選択はできなかった。
そうして、いつの間にか結構な時間が経っていたようだ。
「全然お前達と合流しないから、心配になってちょっと駆け足になっちまったぜ」
「あれ? レンリちゃんは?」
テイト達が無事な様子に安心しながら、仲間の一人はキョロキョロとレンリの姿を捜している。
テイトとリゲルはどう伝えようか、と視線を合わした。
「……レンリさんは、その、消えちゃって」
「え? やっぱり、天使とか妖精とかの類だったの?」
本気なのか冗談なのか分からない調子で話す仲間を見ながら、テイトは困ったように頬を掻いた。
「森の中に入ったきり、戻ってこないんだ」
「森に入れたのか!」
森に入ったという言葉に仲間達は歓喜の声を上げたが、テイトは微妙な気持ちだった。
別に事態が好転したわけではない。
「レンリちゃんだけね。俺もテイトも入れなかった」
「ん? どういうことだ?」
テイトとリゲルの顔を見て状況が良い訳ではないことを悟ったのか、仲間達は声を潜めた。
リゲルが迷いの森に入ったらどうなるのかを実演し、レンリも試したいというのでそれを了承したこと。
レンリが森の中に入るところまで二人で確認したが、その後いつまで経っても戻ってこないのだということ。
その起こった事実について順を追って説明すると、仲間達は心配そうに顔を歪めて森を見遣った。
「……たまたま一点だけ入れるポイントがあったとか?」
「そう思って、ここらあたりは全部試したんだけど、僕たちはやっぱり入れなかったんだ」
その言葉に仲間達は黙り込んだ。
暗い沈黙が訪れた時、それを掻き消すような綺麗な声が耳に届いた。
「――っテイト、リゲルさん!」
弾かれるように一斉に声の方へと視線を向けた。
森の奥からレンリが小走りに駆け寄ってくるのが見えて、テイトは喜ぶ仲間を尻目に走り寄った。
「レンリさん!」
レンリはテイトの目の前まで来ると頭を下げた。
「ごめんなさい、ご迷惑をおかけしました」
「レンリさん、顔を上げて。無事なら良かったです、怪我とかしてないですか?」
テイトが気遣わしげに声をかけると、レンリは泣きそうに唇を引き結んだ。
その表情にテイトは焦ったように手をばたつかせた。
「え、どこか痛いところでも!?」
「いいえ、私は大丈夫です」
「良かった」
テイトがほっと胸を撫で下ろすと、レンリはようやく顔に小さな微笑みを浮かべた。
その時、森の方から第三者の足音が聞こえたため、テイトは咄嗟にレンリを背に庇って腰の短剣に手をかけた。
「――誰だっ」
テイトの纏う緊迫した空気に、背後の仲間達も臨戦態勢に入ったのが分かった。
張り詰めていく緊張は、しかし不意に自分の手にそっと触れる白く細い手に僅かに宥められた。
「レンリさん?」
森の方を警戒しながらテイトが窺うように振り返ると、レンリは小さく首を振った。
「私、先程森の魔法使いにお会いました。その方が、テイト達と話をしてくださると」
「え?」
テイトが驚いて前に視線を戻すと、森から若くて見目の良い男がゆっくりと歩いてくるのが見えた。
力のある魔法使いと聞いて勝手に年老いた仙人のような姿を想像していただけに、その細身なシルエットにテイトは一瞬呆気にとられた。
(本当に彼が……)
しかし、男の左腕に赤紫色の刺青が刻まれているのが見えて、テイトは納得しながらも尚警戒を解かなかった。
「――あんた達がクエレブレの奴らだな」
「っ知ってるんですか?」
「俺もあんた達と同じことをしただけだ。探られたから探り返した」
男はそう言うと切れ長の目を更に細めた。
テイトは冷や汗が伝うのを感じた。
探られていたことに全くと言うほど気がつかなかった。
一体どうやって。
聞きたいことは山ほどあったが、テイトは先ず短剣から手を放して敵意がないことを示した。
「それなら、話は早いですね。僕はテイトと言います」
「名乗る必要はない、俺は誘いを断りに来ただけだ」
開口一番に拒否され、テイトは眉を顰めた。
「……貴方はこの国で今何が起きているのか知らないのですか?」
「俺には関係のないことだ」
「関係、ない?」
テイトは唖然と呟いた。
男が顔色一つ変えずにそんな言葉を口にしたことが信じられなかった。
「関係ないことないでしょう。この国の問題なんですよ。戦火はいつここに来るかも分からない、それなのにっ」
「戦火がここに来たとして、俺には対抗する術がある」
「その力を他の方を助けるのにも貸して欲しいんです」
「見ず知らずの奴を助ける義理がどこにある?」
「義理とかそういう話じゃないです。誰かを助けたいと思う気持ちに、わざわざ理由なんていりません。手を取り合わなければ立ち向かえないから、皆で協力したいだけなんです」
「感情論だな」
男は冷たい視線をテイトに浴びせた。
「それなら聞くが、やられたからやり返すという反撃方法が本当に戦争を終わらせると思ってるのか?」
「これは戦争じゃない、一方的な虐殺なんです」
テイトは訴えるように叫ぶが、男に思いが届いている様子はなかった。
「力に対する対抗手段が力の時点で、どっちにしろ同じことだ」
「てめー、黙って聞いてればっ」
背後からリゲルが声を荒げて近寄る足音が聞こえ、テイトは振り返らずに右手を横に出して制した。
「っテイト、止めんなよ。奴らのやり方も知らないような奴に、これ以上自由に言わせておけねぇだろ!」
「……僕たちは彼と争いに来た訳じゃないよ」
「でもっ」
懸命に怒りを抑えようとするリゲルを見ながら、男は興味を失ったように目を伏せた。
「そもそも、誰かの力を借りなきゃ戦えないなら人助けなんて向いてないだろ」
「ってめー」
身を乗り出すリゲルをテイトは両手で押さえ込んだ。
興奮状態のリゲルとは対照的に、男は終始冷静な様子で動揺の色一つ見せなかった。
「リゲル、落ち着いて」
「っなんで、こんな奴に、そんなこと言われなきゃいけねぇんだよ!」
テイトが宥めるように数度声をかけると、やがてリゲルは大きく息を吐いて力を抜いた。
「確かに、僕に人助けは向いてないのかも知れません。でも――」
テイトは強い瞳で男を見つめた。
「――誰かを守るために戦う力と戦う意志がある。そこに戦わない理由はありません」
男はゆっくり目を細めた。
「ふーん、なるほど。その理論で言ったら、俺は戦う力があっても戦う意志はない。それなら、戦わない理由になるってことだな」
「そうですね。わざわざ僕たちと会って話してくれて、ありがとうございました」
テイトが頭を下げると、男は拍子抜けしたように僅かに目を開いた。
「随分聞き分けがいいんだな」
「貴方が仲間になってくれないのは、もう十分に分かりましたから」
テイトも努めて冷静にそう返すと、男は口元を緩めた。
「それなら、次は俺の話だ」
予想だにしない言葉に、テイトは一瞬呆気にとられて目を見開いた。
森の魔法使いに用があったのは自分たちの筈で、その魔法使いが自分たちにする話などテイトには全く見当が付かなかった。
「レンリは俺が保護する」
「え?」
言葉の意味が分からずテイトは訝しげに眉を寄せた。
「彼女と少し話をした。結果、俺の関係者である可能性が高いと判断した」
だからこちらで保護する、と男は平然とした様子で再度繰り返した。
テイトは戸惑ったままレンリの方を振り返った。
「……彼の話は、本当ですか?」
「私は、よく分からないのですが……」
レンリも困ったようにテイトを見つめた。
レンリの困惑は当然だとテイトは思った。
彼女に記憶がない以上、関係者であると言われたところで易々肯定はできないだろう。
テイトの横ではリゲルが「あいつ美少女といたいだけなんじゃないか?」と小声で呟いていたが、それを否定できるだけの情報は生憎テイトも持ち合わせていなかった。
「……貴方の言葉をどうやって信用しろ、と」
「逆に、今日話したばかりの彼女にどうしてそこまで拘る?」
「それは……」
「あんたの言う虐殺の行われる場所にでも連れて行く気か? 彼女は魔法の使い方も知らないのに?」
「そんなつもりじゃ」
「それなら、俺の提案にデメリットは何一つないはずだ」
男の言うことは確かに尤もであった。
レンリを自分たちと一緒に連れて行くことは危険が伴うことであるし、彼女の身元がはっきりしていないこともあってリゲルも手放しで賛成はしていなかった。
その点、魔法使いの男の側にいればレンリの身の安全は約束されるのだろう。
ただ、レンリをこのまま任せるにはいまいち彼を信じ切れない。
テイトはちらりとレンリを窺った。
レンリにどうしたいか尋ねるのが一番なのだろうが、記憶のない彼女にその選択を迫ることは酷なことに思えた。
「……何故、レンリさんが貴方の関係者だと思うのですか?」
「彼女が覚えていない以上可能性の話になるが、俺の所にはもう一人刺青を入れた竜の子がいるとだけ伝えておこう。彼女も既に会っているから知っているはずだ」
テイトが驚いてレンリを見ると、レンリは瞳を揺らしながら小さく頷いた。
竜の子はかなり珍しい存在だ。
しかも彼女と同じように刺青まで入れているとなれば彼の言うことはいよいよ本当なのだろうか。
「――……テイト」
そんなテイトの思考を遮るように、突如背後から緊張を含んだ声で名前を呼ばれた。
仲間の方を振り返ったが、呼んだ張本人は顔を東の方に向けたままだったため視線が合うことはなかった。
「テイト、あれ」
次いで指し示された方を向いて、テイトは目を細めた。
黒煙が見えた。
方角は街の方向だろうか。
《アノニマス》かも知れない、とテイトの顔は険しくなった。
森を挟んだ隣の街が襲われているというのに、自分たちは魔法使い捜しに気を取られて全く気が付かなかったのかと舌打ちしたい衝動に駆られたが、なんとかその感情を押し殺した。
(いや、逆に近くにいたことを僥倖に思おう)
気持ちを切り替えてテイトが仲間達に目配せすると、仲間達はそれぞれ神妙な顔で頷き街の方へ走り出した。
その背を見送りつつ、テイトはぐるりとレンリに向き合ってできるだけ何でもない風を装った。
「話の途中ですみません。少し確認しなければいけないことができたので、その間彼と待っていてください」
しかし、テイト達を心配するようにレンリの瞳は不安そうな色を宿した。
レンリが状況を察していることに気付いて、テイトは苦笑を漏らした。
「心配はいりません。もしかしたら、敵じゃないかも知れないですし。ちょっと様子を見に行ってくるだけです」
「ですが……」
尚も晴れないレンリの顔色に、テイトは敵の情報を話しすぎてしまったことを後悔した。
相手の魔法が強力で苦戦していることなど、事実とはいえ彼女に話すべきではなかった。
「できたら、考えておいてください。僕たちと来るか、彼の所にいるかを。彼の所にいるのが安全だと僕も思いますが、でも、僕が貴女の記憶を取り戻す手伝いをしたいと言ったのも紛れもない本心です。だから、余計なことは考えなくて大丈夫ですから、僕たちが戻ったらレンリさんの気持ちを教えてください」
「私の、気持ち……」
「はい。それをまた、ここに確認に来ます」
テイトは魔法使いの男に視線を戻した。
「僕たちが戻るまで、レンリさんをお願いします」
テイトは男に一度頭を下げると、脇目も振らずに仲間の後を追いかけた。
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