第37話、過去、棒


 シン・タリを含めた訓練生四十五名は、一晩眠った次の日の朝、建物の外の運動場に全員集められた。そこで、全員に渡されたのが、少年達の背丈より長い一本の樫の木の棒だった。

「君たちには、これの使い方を覚えてもらう」

 教官の、ジェット・ケヌが額にしわを寄せ言った。

「こいつは、突撃棒といって、特殊武装隊の武器だ」

 ジェット・ケヌの手には、槍のような物があった。ジェット・ケヌの身長程度の木の棒に、薄い鉄板を先端部分に巻き、その先から、三十センチ程度の長さの細く先のとがった鉄の棒が固定されている。頭を殴るか腹を刺すか、それに特化した武器のようであった。それを持つ、ジェット・ケヌの手は、なぜか、ぶるぶると震えていた。

「とはいえ、君たちにはまだ早い。普通の木の棒で十分だ。全員一列に並び、棒を構えろ」

 少年達は、一列に並び、与えられた木の棒を構えた。重く自分達の背丈より大きい棒のため、皆ふらつきながら、各自バラバラに構えた。

「ルト・アタ、テンフ・ポポイ、こいつらに構え方を教えてやれ」

 ジェット・ケヌの命令に従い、ルト・アタとテンフ・ポポイ、二人の教官が少年達に棒の構え方を教えた。ジェット・ケヌは相変わらず震える手に突撃棒を持ちながら、だまって、その様子を見つめていた。

「そうだ。両足を広げ、右手の左手の位置は、肩幅と同じぐらい、首はまっすぐ、肩の力を抜いて、そうだ。水平に保て」

 何度か、二人の教官は少年達の間を行き来し、全員に基本の構えを教えた。全員の構えが一応そろったところで、初日の訓練は終了した。


「なんだか、拍子抜けだな。もっときついと思ってたぜ」

 夕食の席で、サイ・タタラが言った。訓練生四十五人全員、班ごとに別れ、長い机に座り食事をした。

「そうだね。今日、全員で棒を構えただけだもんね」

「もっと軍隊って、厳しいとこだと思ってたけど、飯もうまいし、良いところだな」

 そう言いながら、プフ・ケケンは、つぶしたジャガイモとトウモロコシの粉を混ぜて作った団子をスープに浸して食べた。塩見が少しきついが、十分満足のいく味だ。

「初日だからだろ、みんな環境になれてないから、きつい訓練はしなかったんじゃないか。明日から、徐々に厳しくなっていくかもしれないな」

 シン・タリが言った。

「えー、まじかよ。やだなー。てか、お前冷静だなー」

 サイ・タタラはシン・タリの方をこづいた。

「いきなり、厳しいより、ちょっとずつの方がいいよ」

 キョ・イシリが言った。

「そうだな、俺も最初は牛舎の掃除からやらされたからな、牛の餌やりはまだ早いってな」

「サイ・タタラのうちって、牛飼ってるの」

 キョ・イシリが聞いた。

「ああ、うち、牧場だからさ。毎日牛の世話やらされてたんだ」

「へー、どんなことするの」

「うん、まずは、掃除だな。あいつら、毎日びっくりするぐらいうんこをするからよ」

「おい、食事中にそんな話するな」

 シン・タリが止めた。

 和やかな雰囲気だった。ソ・キ・ハナは会話に加わらず、黙々と食べた。なぜか周りを警戒しながら食べているように見えた。


 シン・タリの予想通り、訓練は徐々に厳しくなっていった。棒をかまえ、それを崩さず、歩かせられた。それから棒を持ったまま延々走らされた。一ヶ月ほど、基礎体力を付ける訓練を行った。体ができあがってきた頃をみはらかって、棒の振り方を教えられた。じょじょに少年達はたくましく成長していく。


 新聞記者


「聞いたことがあります。陸軍の訓練施設のことは」

 ヨン・ピキナは、暴動の取材を何度か行っている。もちろん、暴徒を鎮圧した陸軍の功績をたたえた、いつものよいしょ記事を書いた。その時に、陸軍の特殊武装隊の訓練施設の話は聞いた。だが、少年が集められ訓練を受けさせられているとは知らなかった。

「さすが、新聞記者さんだ」

 ケリキ・サリルと名乗る男が言った。

「しかし、なぜ、子供達が集められたのでしょうか」

 おそらくヨン・ピキナの前にいる男達の名前は偽名だ。訓練施設に集められた元少年、そういうことであろう。その陸軍の特殊武装隊の一員が、なぜ自分の目の前にいるのか、いったい何があってここにいるのか、訓練施設がどんなところなのか、なぜ、彼らが今ここにいて、何らかの活動を行っているのか、ヨン・ピキナは、くわしく知りたくなった。



  過去、訓練所


 訓練の休憩中、建物の陰で五人の少年達は、水筒の水を飲みながら、休んでいた。訓練は厳しかった。訓練生全員等間隔、突撃棒を持ち列になって運動場を走り回り、腕立て腹筋背筋スクワット、再び走り、筋トレ、次は棒振り、全員横一列になり、教官達の前で突撃棒を振る。先端のとがった金属製の棒とそれを固定するように巻かれた金属製の板、荒く削られた樫の木、少年達の体格にくらべると、長く重かった。基本は、上に持ちあげおろす。その際、あげすぎてはいけない、狭い室内での戦闘を想定しているためだ。振り下ろすか、腕を引き、突きこむか、この二つを永遠と繰り返す。少しでも構えが乱れたり、手を抜いたりしたら、容赦なく打擲された。休憩の合図の笛が鳴る頃には汗が噴き出し、へたり込む。

「腹減った疲れたー」

 サイ・タタラが地面に寝ころびながら言った。

「毎度のことながら、疲れるよ、ほんと」

「俺はまだまだいけるぞ」

 水筒の水をがぶ飲みしながらプフ・ケケンが言った。いつもの五人が建物の陰で休憩しながら水を飲んでいた。

「おまえ体力ありすぎだよ」

 シン・タリが言った。

「しかし何でこんなにきつい訓練しなくちゃいかないのかねぇ」

「そりゃ、暴徒をやっつけるためだろ」

「暴徒ねぇ」

 フン・ペグルは暴徒と間違えられて殺された母のことを思い出した。

「外はどうなってるんだろう」

 キョ・イシリが金網を見ながら言った。乾燥した荒れ地が広がっていた。

 その時、すきま風が弱く吹くような音がした。聞き慣れない音に反応した五人は、その音の方角に目をやった。細く薄汚れた一匹の子猫がよたよた歩いていた。

「猫、だよな」

 サイ・タタラがつぶやいた。

「うん、なんか小さいけど、猫だね」

「猫か、そういや、昔、爪で、ひっかかれたな」

 ソ・キ・ハナが、傷だらけの頭の側頭部を指しながら言った。確かにそこには薄い三本の線があった。

「どっから入ってきたんだ」

「あんだけ細けりゃ、金網も素通りだ」

 この施設の周辺は、金網で囲まれ、簡単に出入りできないようになっている。子猫は、歩みを止め、五人に目をやり、尻を向け座った。

「ずいぶん生意気な猫だな」

 プフ・ケケンが言った。

「おなかすいてんじゃないかな。水をあげてみよう」

 キョ・イシリは、しゃがみ込み、水筒の水を手のひらに入れ子猫の前に差し出した。

 水の匂いをかいだのか、子猫は、すっと首を持ち上げ、うかがうようにキョ・イシリを見つめ、二三度鼻で匂いをかいでから、水を飲んだ。水はすぐになくなり、子猫はキョ・イシリの手のひらを盛んになめた。

「くすぐったいよ」

 笑いながら、キョ・イシリは水を手のひらに追加した。水滴が子猫の頭に当たり、きゅっと目を閉じた。

「おい、もうそろそろ、休憩は終わりだ。いくぞ」

 シン・タリが言った。

「うん、でもどうするの、この子猫」

「どうするって、どうしようもないだろ。ほっとけよ」

 サイ・タタラは立ち上がり、ズボンのほこりを払った。

「飼ったりしちゃだめかな」

 子猫はかぼそい声で泣きながら、キョ・イシリの手に顔をこすりつけた。

「馬鹿なこと言うな、そんなことできるわけないだろ。ここは俺たちの家じゃない。宿舎で動物を飼えるわけないだろ」

 シン・タリはあきれた顔をした。

「でも、だまってれば、何とかなるんじゃないかな。ほら、サイ・タタラもいるし」

「なんで俺が出てくんだ。あっ、牛の世話と猫の世話一緒にすんじゃねぇ。だいたい、猫なんて、腹の足しになんねぇだろ。それどころか猫の食い物どうすんだよ。いやだぜ、俺たちの飯を分けるなんてさ、今でさえ腹ぺこなのによ」

 この施設に来た当初は、施設の食事に満足できていたが、徐々に厳しくなる訓練と少年達の成長に伴い、ここの食事はいささか物足りないものになっていた。

「僕の分をこの子に分けるからさ、いいでしょ」

 キョ・イシリは子猫を懐に抱き懇願した。

「足りないだろ、俺たちも成長するし、その猫だって成長する。それに、ばれたらどうする。連帯責任だぞ。よく考えろ、ここを追い出されたら、俺たちがその猫みたいになっちまう」

 シン・タリが言った。訓練生の中で、誰も逃げようとした人間はいない。ほとんどの少年は、貧しい家の者だ。食事も十分とはいえないが毎日食べられる、訓練はきついとはいえ十分耐えられる、家族が恋しいとはいえ、ここには仲間がいる。ここから追い出されたら、その言葉は、少年達の心に突き刺さった。

「たかが猫一匹で追い出されるわけないだろ」

 フン・ペグルが言った。

「そうだぜ、いくらなんでも、たかが猫一匹で追い出されたりしねぇだろ。飼うのは反対だけどさ」

 サイ・タタラが言った。

「そうかもしれないな、だけど、それを五人全員で試してみるのか? キョ・イシリ」

 シン・タリはキョ・イシリを見つめた。それはできない。キョ・イシリは、子猫をおろした。

「おいおい、いくら何でも脅すのはなしだ。シン・タリは、こえーなぁ。よし、こうしよう、多数決で決めようや。それならいいだろ、みんな納得だ。な」

 サイ・タタラが言った。

「そうだな、俺も少し言い過ぎた。多数決ならいいだろう」

 シン・タリは多数決に賛成することにした。サイ・タタラは反対する、頭を猫にひっかかれたソ・キ・ハナも反対する。プフ・ケケンはわからない。もちろん、俺は反対する。多数決なら、飼うということにはならない。シン・タリはそう計算した。

「うん」

「よし、じゃあ、この猫、飼いたいって思ってる人」

 キョ・イシリは手を挙げた。プフ・ケケンもおずおずと手を挙げた。ソ・キ・ハナも、なぜか手を挙げた。三対二、予想に反して猫を飼う派の勝利となった。

「嘘だろ。ソ・キ・ハナ、なんでおまえが手を挙げているんだ。猫に頭、引っかけられたんじゃないのか」

 シン・タリは驚きながら問うた。

「うん、近づかなきゃ、大丈夫。離れたとこで見てるよ」 

 ソ・キ・ハナは、恥ずかしそうに目を伏せ、子猫を見つめた。

「がぁ、猫好きか!」

 サイ・タタラは頭を抱えた。

「ねぇ、じゃあ、飼って良い。この猫飼って良いよね」

「ふうう、仕方がない。こうなったら仕方がない。ばれないように飼おう」

 シン・タリはため息をついた。声が漏れないようにするにはどうする。俺たちがいない間はどうする。えさはどうする。動物飼うの初めてだ。シン・タリの頭はめまぐるしく回転した。

「やった!」

 キョ・イシリはうれしそうに笑った。


 新聞記者


「でも、すぐばれっちまったんだよな」

 男達はうなずきながら笑った。

「やっぱ猫は鳴くしな、かりかりうるせぇし、ソ・キ・ハナは寝てる間に頭引っかかれるし。手間ばっかかりかかりやがる」

「ああ、だが、なかなか楽しかった」

「牛よりかわいいのは認めるよ」

「それで追い出されたんですか?」

 新聞記者ヨン・ピキナは聞いた。もし、そんな理由で追い出されていたら、彼らが何者なのか、何をしようとしているのかわからないが、この国を変えようとしている人間が、猫を飼っていた事がばれて、陸軍の施設を追い出されたとしたら、正直幻滅である。

「まさか、いくら何でもそんなことで追い出されない」

「そうそう、俺ら子供だったんだぜ、猫飼ったぐらいで追い出されねぇよ」

「別にほめられなかったが、たいして怒られなかった。教官に呼ばれたんだ」

「ああ、教官のルト・アタに呼び出された。猫をつれて来いってな」

「驚いたよ。あの先生には」


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