第34話、記者
記者
第四回目の裁判が終わり、すべての関係者が日常へと戻る。だが、戻れないものも大勢いた。その一人が、新聞記者のヨン・ピキナである。
あれから記事を何度か書いた。すべてでたらめだ。あの刑事の話、それをすっぽり抜かし、検事二人が作り上げたパン見習い職人の犯行説、それのみを、大きく大げさに、時にユーモアを交え書いた。
この国には、半官倍民という言葉がある。例えば、国が道路を一本造ろうとする。すると半分しかできない。なぜこんなことが起こるのか、道路を造る金を、役人が半分取ってしまうからだ。本来国民のために使われる税金を役人が半分取ってしまい、残った半分を国民のために使う。そのため、道路を一本造ろうとしても、半分しか作れない。さらに追加で道路一本分の金を入れなくてはいけない。つまり道路一本作る金を役人が半分取ってしまい、国民が道路二本分つまり二倍のお金を負担しなくてはいけない。半官倍民、そんなことわざができるぐらい、役人に対する不信は強かった。
それを告発したい。そんな不正がまかり通る世の中を変えたい。ヨン・ピキナは学生時代にそう考え新聞記者になった。いつからか、といわれればわからない。上司や先輩に言われるまま、疑問をたくさん持ったまま、一つの記事で妥協し、次の記事でも妥協し、次の記事では書いてはいけないことを予測し書くようになった。いつの間にか記者ではなくなっていた。
あの刑事の姿が目に浮かぶ、裁判で一人、カカ・カ氏とあわせれば二人、公然と事実を述べたのだ。うらやましい。そして恥ずかしい。
恥辱と羨望を胸にかき抱いたヨン・ピキナに二人の男が声をかけてきた。
「おや、奇遇ですね。ヨン・ピキナさん」
印刷所の社員ツム・ホレンと出版社のケリケ・サリルの二人だ。
「また、あなたたちですか」
若干というか、かなり強い不信感をヨン・ピキナは抱いた。
「そんなつれないことを言わないで、お話ししましょうよ」
そういいながら、二人はどうぞどうぞと前に行った居酒屋へと不信感と記者としての悩みに煮詰まったヨン・ピキナを連れていった。
ヨン・ピキナは酒に酔いながらも、自らの思いをこの国に対する怒りをぶちまけた。二人に対する不信感は、しばし蓋をすることにした。話を聞いて欲しかったのだ。二人は熱心に聞きうなずいた。
「書けばいいじゃないですか」
ケリキ・サリルが、さも当然と言った。
「それが、できればとうの昔にやっていますよ」
ニコテ・パパコはさめた口調で言った。最近では書いてはいけないことを見つけると嫌な気分になり、書いて、いいことを見つけると、ほっとするようになっていた。
「いや、でも書きたいんでしょ。それに、書くのは自由じゃないですか。書くだけ書いてみたらどうです」
ツム・ホレンが言った。
「書いたところで仕方ないじゃないですか。一体誰が読むんです」
むなしいだけだ。記者が誰も読まない記事を自分の慰めのためだけに書くなんて、だいたいそんな物が見つかったらどうする。新聞記者は国の監視対象になりやすい職業だ。記者が泥棒に家を荒らされたなんて、よく聞く話だ。
「そんなことはないですよ。私らは読みたいですよ」
ケリキ・サリルが言った。
「ええ、私らは読みたいです。すごく」
ツム・ホレンが言った。
「僕の記事をですか」
トロンとした、乳白色の酒だった。
「そうですよ。あなたの記事を読んでみたいです」
「ええ、私たちは、あなたの記事を読んでみたいです」
「読んで?」
「ええ、読んでみたいです。ぜひ書きなさい」
「そう、そう、ぜひぜひ書いてしまいなさい」
「だめですよそんなこと」
「そう言わず、ちょこっとだけでも」
「そうそう、ちょこっとだけ」
「ちょこっとだけ?」
少しだけなら、結論を書かなければ、真実の先端を少しだけ、少しだけ、書いて、見てもらえれば、いや、そんなことをしたら止まらなくなる。
「でも、少しは多めに読みたいですな」
「そうそう、わかる程度に」
「いやいや、そんな中途半端な物を書いたって仕方ありませんよ」
「確かに」
「そりゃ確かに」
「じゃあ、全部書いちゃえば」
「そうそう、全部書いてしまうんです。つい、うっかり」
「うっかり?」
「そうそう、うっかり」
「筆を滑らせて」
「完成させてしまうんです」
「そのあとは?」
「見せてやればいい」
「あなたの記者魂を」
「編集長に」
「同僚の記者たちに」
「この国の国民に」
「ついでに私たちにも」
「真実を」
「真実を」
「真実」
いい響きだった。
「なんだこれは」
ヨン・ピキナは編集長に、朝方、書き終わった原稿を渡した。前夜あれだけ酒を飲んだにもかかわらず、二日酔いもなかった。真実を、真実を、その言葉に突き動かされ記事を書いた。こんなにいいものがかけるのかと自分でも驚いてしまった。書けば、読んでほしい、たまらなく思った。
「読んでください」
編集長は、原稿用紙をすするように読んだ。
「これをどうしろと」
読み終わった編集長は、ぎょろりとヨン・ピキナを見つめた。
「記事にしてください」
「だめだ」
「編集長! お願いします。責任は取ります」
ヨン・ピキナは、編集長に封筒を渡した。辞表だ。
「覚悟のうえという奴か」
「はい」
この原稿が新聞に載れば、自分の記者人生に思い残すことはない。ヨン・ピキナはそう考えていた。
「良い記事だ。これほどの記事、書ける人間、この国にはいないだろう」
「編集長」
最大の賛辞と言っても良い。
「わかった。こいつだけ預かっておく」
編集長は、ヨン・ピキナの記事を突き返し、ヨン・ピキナの辞表を引き出しに入れた。
「え」
もう何もかも失ったのだと、ふらふらと没になった記事片手にヨン・ピキナが歩いていると、二人の男が声をかけてきた。
「おや、奇遇ですね。ヨン・ピキナさん」
印刷所の社員ツム・ホレンと出版社のケリケ・サリルの二人である。ヨン・ピキナはしばらく二人を見つめた。
「あなたち、一体何者ですか」
そう言った。
ツム・ホレンとケリキ・サリルは互いを見つめ、笑った。
「それ、例の記事ですか」
ツム・ホレンが言った。
「書いたんですね。真実を」
ケリキ・サリルが言った。
「ああ、おかげで無職だ」
「お話を、しましょうか」
「うん、それがいい。行こう」
ヨン・ピキナは二人に得体の知れない不気味さを感じながらも、まあいいかというあきらめと、くすぶる好奇心でついていくことにした。
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