ロータス・ガール(白蓮少女)
有笛亭
第1話
ロータス・ガール
上沢蓮子(ハスコ)の二階の部屋から、四月の田園を見渡すことができる。この辺りの田んぼは、稲田よりも蓮田が多かった。蓮子の家も農家で、以前は米とレンコンを栽培していた。が、今は何も作っていない。というのも、数年前に父が亡くなったからだ。農業は、とても女子供だけで、できる仕事ではない。兄は一人いるが、都会の方で暮らしている。
上沢蓮子は、女子高に通う三年生、母は父の後妻で、蓮子からすれば、義母あるいは継母にあたるが、二人は一つ家に住みながら決して陽気な間柄ではなかった。それは世間ではよくあることだ。といって継母が蓮子に意地悪をするわけでも、蓮子が継母に悪口を言うわけでもなかった。傍目には何の問題もない家庭に見える。見えない部分、つまり愛情というものが著しく欠けていた。
たとえば蓮子が学校を無断で休むとする。継母は何も言わない。無関心。二人の会話は、必要最小限にとどまっていた。父がいなくなってから、さらにその傾向は強まった。
ただ生活面での変化は、父がいた頃とあまり変わらない。というのも、生活が変わらないだけの決まった収入源があるからだ。
上沢家には、十年前に田んぼをつぶして建てた賃貸アパートがあり、さらにあちこちの田畑を人に貸していた。
ただし、家のすぐ裏にある蓮田だけは、誰にも貸していない。今後も貸すつもりはない。この蓮田は蓮子にとって特別なもので、自分の名前の起源であった。
──蓮子は七月に生まれた。父は裏に咲く蓮の花を見て、蓮子と名前をつけたが、最初は、華蓮(カレン)であった。華蓮はちょっと外人っぽい。で素直に蓮子としたのだ。蓮のように根を張って、堅実に生きてほしいという願いを込めて。
にもかかわらず、蓮子は幼い頃から自分の名前が嫌いだった。年寄臭い、線香臭い、といつも思っていた。
ところが、命名した父が死んでから、蓮子は不思議とこの名前に愛着を持つようになっていた。
蓮という植物自体は、蓮子は好きな部分と嫌いな部分があった。大きな花は気品と優雅さがあり好きだったが、その花が散ったあとのはちすは、ぶつぶつして嫌いだった。
強風で大きな蓮の葉がぶつかり合い、ぼこっぼこっと鈍い音をたてる。雨が水滴となって、葉の上を流れる。
そういった光景に蓮子は心を癒されてきた。
その蓮田も、今は放置しているが、父がいた頃は、当然ながらレンコンを収穫していたのだ。
レンコン堀は、かなりの重労働で服も汚れる。しかし、蓮子はたまにスコップを使ってレンコンを掘ることがある。そして、その泥のついたレンコンを洗って台所に置くと暗黙の了解で継母が料理する。この点に関しては律儀である。ただ一緒に食事をすることはない。
因みにこの蓮田は、年中近くの川から水が入り込み、蓮の地下茎が乾燥して枯れるということがない。それで、毎年花が咲き、蓮子はその長い茎を切って、仏壇にお供えをする。
またこの蓮田は、台風で川が氾濫すると、大きな鯉やナマズ、雷魚などが入り込んで悠々と泳いでいたりするが、蓮子は、そういった光景を観察するのも好きだった。
要するに蓮子は少年っぽいのだ。思考の方も、一般の女子高生とは違っていた。孤独を好み、友人関係というものを持たない。この年頃は、同世代とぺちゃくちゃ話に花を咲かせるものだが、蓮子はたいてい一人教室の隅にいた。といって、のけ者にされているわけではなく、あくまでも自分から距離を取っていた。それでは学校生活が楽しくないのではないか──と誰でも思うが、あにはからんや蓮子は毎日が楽しくて仕方がない。
蓮子には、あるプランがあって、それは例の蓮田に四阿を建てることだ。たしかに普通の女子高生が思い付くことではない。
蓮子は、その四阿にテーブルと長椅子を置き、冷たいものを飲みながら読書をする。また満月の頃は、月見をする。といったことを夢見ていた。夜だからといって怖いことはない。いつも見慣れた蓮田である。蓮子にとっては、裏庭のようなものだ。
問題なのは、蓮の花が咲く頃は、蓮田は池のように水が張るので、四阿につながる通路は、桟橋にする必要があったことだ。
四阿も通路も業者に頼めば簡単に施工する。が、その代わり相当な金額になるだろう。で、蓮子は、自分で作ることにした。こういうところが普通の女子高生とは違うのだ。か弱い女学生にそんなことができるわけがない。
ところが、蓮子は幼い頃から工作が好きで、犬小屋も書棚もドリルを使って器用に作ってきたのだ。
学校の休み時間に蓮子は四阿のデザインをノートに描いていた。すると、級友がそれを見て、「蓮子、それ何なの、寝台なの?」と聞いてきた。
級友は四阿という壁の無い小さな建物を知らないのだ。
蓮子は笑った。しかし、何も答えなかった。答えれば、さらに質問され、間違いなく変人扱いされただろう。
家に帰ればインターネットを使い、四阿を調べたが、そんな厳密なものでなくていいのだ。耐久性などは必要ない。せいぜい半年もてばいい。蓮子は来年、都会の大学へ行く予定なのだ。
ところで蓮子の兄は高校の建築学科を出ている。で、蓮子は携帯電話で自分の計画を兄に話した。
兄は、素っ頓狂な声を出して笑った。
「馬鹿野郎、お前一人でできるわけがないだろう、お盆になれば、俺が帰省して手伝ってやるよ」
「お盆では遅すぎるのよ。七月の満月の頃までに完成させたいの」
兄はしばらく考えてから、「そうか分かった。じゃあ、お前でも簡単に作れる四阿を俺が設計してやるよ。三、四日待ってくれ。それと材料はどこで調達するつもりだ?」
ホームセンターと蓮子が答えると、
「あそこは大雑把な寸法しか切断しないから、材木屋に頼んだ方がいいぞ。で、肝心なことを聞くが、裏の蓮田のどの辺に建てるつもりだ」
「家の敷地から二十メートル離れたところ」
「大きさは?」
「テーブルと椅子を置いて、読書ができればいいの。ただちょっと寝そべってみたいから、一辺が二メートルくらいあったほうがいい」
「なるほど。蓮の花が咲く蓮田で昼寝がしたいってことか。なかなかしゃれているじゃないか。で、通路は幅六十センチあればいいだろう。まずお前がやるべきことは、家の敷地の縁の高さを測ることだ。その高さが分かったらまた俺に教えてくれ。そして川の水が入らないように、土嚢か何かで水路をふさぐこと。さらに四阿を建てる場所を適当にならしておくこと。──柱が傾かないように地面を固めるのだ」
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