黒い職場で働く友人に、直接はとても言えないのでここで代わりに
きつね月
第1話
こんな僕が、今でもその歯を食いしばって働いているであろう君に、こんな偉そうなことを言えたような立場じゃないのは重々承知の上で――それでも思わずにはいられない。
ねえ、時代によって働き方、生き方っていうのは変わるべきじゃない?
残業上等、根性で理不尽なことも乗りきって二十四時間働けますか、飲みニケーション、ゴルフ、ギャンブル、女、働いて働いてまた働く――みたいなノリは、その先に希望があったからこそ出来た話だと思うのよ。
働いたら働いた分だけお金が貰えてたくさん貯金ができて、いい家が買えて、いい車が買えて、福利厚生も充実していて、結婚もできて、子供もいい学校に通わせることができて、年金もしっかり貰えて、老後の心配もなくてっていう、がむしゃらに働いた先にそういう明るい展望があったからこそ、その時代の人は無理が出来たんだと思う。特別根性があったんじゃなくて、希望があったのよ。今だってそうじゃない?もし現代日本の将来にそういう明るいものが見えるのなら、みんなもうちょっと足取り軽く会社にでも行けるでしょう。辛いことにも耐えられるでしょう。
でもさ、今はもう、そうじゃないじゃない。
なんのために頑張っているのか、それをすることになんの意味があるのか、それが見えにくくなっている時代。例えば、車を買わなくなったと言われるようになって、でも車自体にはなんの変わりもない。むしろ性能は上がって選択肢も増えた。それでも買わなくなった。なぜか。それは車を買うこと、つまり消費すること自体に憧れがなくなったからだと思うのよ。
車だけじゃない。いいスーツ、いい腕時計、いい家、いいお酒、そういうものに大金を出す、ということにもう魅力を感じなくなった。車は車好きの人が買えばいいし、服は服好きの人が買えばいいし、腕時計、家、酒、それぞれ買いたい人が買えばいい。買えるだけのお金があったとしても、それを要らないや、と思う人には必要がない。この先何が起こるかわからないし、なるべくお金は取っておきたいもの。
逆に、昔はそういうものを買うことに魅力があった。まとまったお金を浪費しても、それを取り戻せるだろうという明るい展望があった。だから車なんて実は興味なくても買うし、服、時計、家、酒、買えるものはもりもり買う。そういう風に、消費すること自体に魅力があったんだと思う。働いて、金を使ってまた働く。高度経済成長がどうの、バブルがどうの。でも、そういうものは好景気と、将来に対する希望があればこそ成り立つのではないのかな。
今の君を見ていると、働いて、不景気だからお金は使わずまた働く。そしてどれだけ稼いでも
君のせいではない、と言いたくなってしまう。
まったく余計なお世話だと思いつつ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます