第4話 花火

 電車内に戻って夕飯を食べ終わってからしばらくすると、彼女は靴を履いたまま、電車内のドア付近に座り込んでいた。泣き腫らした目をした彼女の隣に座り、コンビニで買った花火を勧めた。

「……全然つかないよ」

「うーん、湿気てるのかな」

 持っていたライターを線香花火の先端に近づけるものの、中々着火してくれない。不安そうに見つめる彼女を前に、何度も付けようとライターに力を入れているせいか、僕の親指がじんわりと痛くなってきた。すると次の瞬間、バチッと、光を放った。

「点いた!!」

 暗闇に青や黄色の花が咲き、二人の顔が照らされる。火玉が落ちて、沈黙が流れる。線香花火に火をつける度に硬いライターに再び力を入れた。

「お兄さんは、どうしてここに来たの?」

「え、僕? えっと…………」

 彼女からの突然の質問に、僕はどう答えればいいのか分からなかった。本当のことを言えばいいだけだと分かってはいたが、好きな人が体を売るのが辛くて自暴自棄になりました。なんて言えるはずもなかった。

「教えてよ、私も言ったんだから」

「……うーん、えっと……」

「教えてくれないなら、お兄さんのこと警察に言うもん」

 僕はハッとして、悪い顔をした彼女に困惑した。その瞳は本気だとそう感じた僕は、明日世界が終わることを祈って、今までの事を振り返りながら彼女に話した。今までの事、全部だ。

 頑張った分だけ、会社は認めてくれるだろうと過信して、仕事を詰め込みすぎたこと。そのせいでストレスが溜まり五キロ痩せたこと。担当女優の奔放さには呆れていること。付き合っていた恋人が大人なビデオに出演すること。未だに彼女への想いを捨てきれないこと。本当は生きていたいこと。

 初めは簡潔に終わらせるつもりだったが、喋り出したら止まらなかった。

「自分の辛さを抱えすぎたことも、彼女の辛さに気づけなかったことも、今抱える全ての思いが後悔だ」

 今日出逢った年下の女の子に、どうして僕はこんなにも胸の内を明かしてしまうのか不思議な気分だった。話している最中、彼女は僕の話を一度も遮る事無く、全てを黙って聞いてくれていた。その安心感は、今僕が一番欲しい安心感そのもだった。

「ごめんな、長々となっちゃって」

「ううん。私が聞いたんだもん。ありがとね」

 彼女は僕の肩をさすり、笑顔で花火を続けた。僕の肩に乗るその手には、彼女なりの励ましがあった気がした。

「私、実は芸能界に興味があってさ。いつか実力派女優として、地位を確立出来たらなぁって、思うんだけどどう思う?」

 先程買った流行雑誌を手に、彼女は微笑み、熱く僕に語りかける。その瞳は、死を求める瞳ではなく、夢にときめき、未来への希望を抱く女子高生そのものだった。

「そうなんだ……あ、じゃあいつか僕が律のマネジメントするよ」

 僕がそう言うと、彼女は深く頷き、ライターをぐっと握りしめた。

「ありがとう。ねぇ、お兄さん」

「ん?」

「私、明日全てを終わらせるよ」

 たった今まで、笑顔で夢を語った彼女は、手に持ってた流行雑誌に火をつけ、そう呟いた。その声に何ら震えもなく、僕は驚きを隠せずにいた。彼女のその真っ直ぐに僕を見つめる瞳が、いつもと少し違って見えたからだ。

「……行くんだね、」

 最後の線香花火に火をつけ、散りゆく花火と、燃えて灰になっていく雑誌を、僕はただじっと見つめた。

 これで良かったのか。彼女を止めなくて、本当に良かったのか。彼女を救う選択肢は、どれを取っても最善とは言えなくて、きっとあの頃の様に、僕は何も出来ない。それが酷く残酷で、そう思う程に視界がぼやけていった。

 青い火玉がストンと地面に落ち、線香花火から出る僅かな煙が僕の瞳を刺激して、とうとう涙がこぼれた。

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