龍雲、來る。

物部がたり

龍雲、來る。

 龍が怒つてゐる。

 分厚い嵐雲が空を覆い、雨と雷を降らせてゐる。れいはかえるにかえれず高架下で(どうしたものか)思案していた。このまま待てど暮らせどれそうになひどころか雷雨はますます強くなる一方だ。

 かといつて走つて歸れば當然とうぜんずぶ濡れは免れなひ。

 傘を持ってれば良かつたと思つたが、自然の脅威に傘一本で立ち向かふなど、逆立ちして世界一周するに等しひ無謀な行爲こういだ。これで良かつた。不幸中の幸ひだつたと考えることにした。

 れいは昔、不思議な雨雲を見たことがあつた。細長い雨雲が空を滑るやうにして動いてゐた。雨雲の下には雨と雷が降り、瞬くに通り過ぎる。まるで生命を宿してゐるやうな動きに、れいは龍の存在を信じるやうになつた。


 今になつて考えると、氣流きりゅうの影響だと考へられなくはなひが、そう納得してしまふと陳腐なもののやうに思へて面白くなひ。

 龍は居るのだと信じて空を見上げるのたのしひ。

 海を泳いでいると、海の底には得體えたいの知れなひ何かがいると感じるのと同じやうに、空を見上げて「得體の知れなひ何かが空には居る」と信じる方が夢がある。

 あの雲の中にはきつと何かが居たのだと、自分を信じさせるのも面白ひと、れいは思つた。

 そんなふうに思い出にふけつていても、雨と雷は治まつてはくれなかつた。このままここにいても仕方がなひので、れいは豪雨の中を走って歸る決意を固めた。雨降る空の下に出ると、分厚い曇天の切れ目から巨大な目玉が覗ひてゐた。龍なのかわからなゐ――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

龍雲、來る。 物部がたり @113970

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ