マイペンライ

マコリン

第1話 【ふるさと北見からせんせーとして出発】

 1993年、短くて暑いオホーツクブルーに包まれた北見の夏、真は渾身の声で選手たちに呼びかけた。「今日は勝ちに行くぞ」「オー!」一点のよどみのない返事が球場内にこだました。チームの心が1つになり、選手たちは元気にグランドに整列した。

 かつては北北海道の代表として甲子園にも出場した古豪であった。しばらく低迷を続けていたチームが、久しぶりに地方大会の小さな支部大会の決勝戦まで駒を進めた。球場はOBをはじめ高校野球ファンも含めて満席となっていた。

 自分の学校の応援のためレフトスタンドに陣取った教職員、生徒たち。相手校は全道大会の常連校のため、キラキラの楽器をもったブラスバンドと元気いっぱいのチアガールが一体感のある素晴らしい応援パフォーマンスを見せていた。

 そんな状況にあっても選手たちは落ち着き、目は闘志にあふれて、全てにおいて今までとは違った闘う集団へと変貌していた。思えばこの対戦相手は、夏の地方大会の直前に練習試合で顔を合わせていた。

 その時のスコアは忘れもしない20対0という点差で、しかも5回で終わらせてもらう屈辱的な内容であった。あの時、真は試合前から選手たちの気持ちが負けていて、勝ちに行こうとしない雰囲気にひどくもどかしさを感じていたので、試合途中で切り上げる決断をした。

 「こちらからお願をしていながら大変申し訳ありませんが、5回コールドゲームとして終わらせてください」真の急で一方的な申し出に対して、相手の監督さんはねぎらうようにと返答した。「そんな気にしないで、最後までやりましょう」「いいえ、本当に時間をとっていただきありがとうございました。せっかくの夏の大会前の大事な時間にこれ以上迷惑はかけられません。これにて失礼します」と言って深々と頭を下げた。

 選手たちの所に戻った真は「この情けない気持ちを忘れないためにもグラウンドまで走って帰れ!」選手たちは一切不平不満をもらさず、ただうなだれた状態で荷物をしまうと、潔く走って帰って行った。

 7キロほどの道のりだったろう。彼らはどんな気持ちで走って行ったのだろうか。真にとっても念願の高校教師になった1993年の夏、練習試合とは言え野球部の顧問になり初めての監督としての采配だっただけに、忘れられない思い出であった。

 あの時の球場の様子は今も鮮やかに真の脳裏に焼き付いている。エースピッチャーの政貴は、連投と蓄積した疲労から肘を完全に壊していた。準決勝終了後に病院へ行き、試合前には痛み止めの注射を打っての満身創痍の出場であった。しかし、彼の闘志は燃えていた。もともとストレートで押していくタイプのピッチャーであり、相手もそのようなイメージを持っていたに違いない。

 思い切って投げられない最悪の状態の中で、考え抜いて出した戦法は、超スローカーブを使うことであった。初めて試したこの投球が見事にはまった。地方大会とは言え、決勝戦という舞台である。大胆にスローカーブを交えたピッチングを披露してくれた。相手打線を完全に抑え込んだのだ。試合終了後、相手の監督さんが「今回はやられたと思ったよ」と王者を土俵際まで追いつめていたこともわかった。

 さらに、2週間前に0点で負けていたチームである。そんな相手に連打が飛び出し、序盤に3対0でリードして試合を有利に進めたのである。選手たちは堂々と戦った。しかし、全道大会常連校の相手チームは、徐々に政貴のピッチングパターンに合わせてきた。

 6回に同点に追いつき、7回にリードを許し、8回にダメ押し点を入れられたのだ。4回から相手のエースがマウンドに立つと、こちらの打線はピシャリと抑えられた。序盤は全道大会を見越してエースを温存していたのだ。

 試合は5対3の惜敗であった。試合終了直後、レフトスタンドを見ると、全員総立ちのスタンディングオベーションである。事前の予想を遥かに越えた素晴らしいゲームに、いつもは白けていた生徒たちも全員立ち上がり、惜しみない拍手を送ってくれた。確かにこの夏の選手たちの成長ぶりには目を瞠るものがあった。

 1年生が生徒指導事故を起こし、チーム全員に対して練習停止の処置をした。しかし、「毒を変じて薬となす」という言葉のとおりに、何か課題がある度にチームは1つになり、それらをバネにして大きく成長して行ったのである。教員となって初めての心地よい経験であった。

 指導者が粘り強く熱い風を送り続ければ、暖かい春の陽射しを浴びると、寒い北国の冬に出来上がった分厚い氷の壁でも、いつしか溶かしてしまうように、教師の温かい愛情こそが、生徒を成長へと導く鍵であるということを身をもって体験した。

 真は、はじめての教師としてこの生徒たちと体験した貴重な体験と感覚を土台に、見果てぬ夢である甲子園を目指して、熱い思いを胸に抱き、教員生活をスタートさせたのである。

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