抜群の運動神経で女子を魅了し、明晰な頭脳で周囲を圧倒するタイプの彼女

二歳児

第1話

続かない

───────



 体育の授業というのは、誰か特定の人の活躍を喧伝するために存在するものではない。ましてや授業の為に観客が集まってくるようでは本来の目的である生徒の体力向上は全くもって見込めないだろう。

 叫び続けるという観点では体力が付くというのも間違ってはいないのかもしれないが。


 濱野はまの忠之助ただのすけは溜息をきながら女子・・の体育の授業を眺める。

 活躍しているのはある女子生徒だ。才色兼備という言葉の範囲を大幅に上回っている、天に二物も三物も与えられたような彼女は名を樋之口てのくち優香ゆうかと言った。


 長身、美貌、人当たりの良さ、輝かんばかりの笑顔、自信、スタイル、肌の白さ、瞳の色の薄さ、睫毛の長さ───………。汗を拭拭うその仕草でさえも輝かしく見えるのは何故なのだろうか。

 今現在彼女たちが行っているのはバレーボール────言わずと知れた、長身に絶大なる優位性が払われる競技である。この学校はどっかの誰かさんがバレー部に所属しているせいでバレー部所属の女子の数が異常に多いのだが、そのために体育のバレーでは授業とは思えないほどの完成度を誇っていた。


 もちろん、今も活躍の中心は件の樋之口である。


 身体的優位性を最大限に活用して、回ってきたボールを相手のコートへと叩き込む。もし味方にミスがあっても笑顔で背中に手を添えて励まし、自分がミスしたら憎めない笑顔で謝る。サーブともなれば一転して一気に真剣な表情となり、得点をするとまた楽しそうな笑顔を見せる。

 最早コートは樋之口の独壇場だ。


 男子は一応体育館を使ってなんでもいいから自由に練習しろと指示が下っている。男子の体育の顧問がバレー部の顧問をしているために、女子の授業の様子を部活モードで真剣に見守ってしまっているのだ。それで良いのか体育顧問。生徒としては有難いけれどもが。

 一応、男子の半数ほどはボールを投げ合って楽しそうに笑い声をあげている。高校生らしくて何よりだ。しかして、その半分は勿論女子の観戦であった。


 色々と事情のある濱野の周囲には、やはり人が集まってくる。それとなく、ではあるのだが。どちらかというと遠目に噂話をされることの方が多い。色々とあって最近ではそれもめっきりと減ってきているものの、やはりなくなることはなかった。

 一番近くまで擦り寄って来たのは、四時限目だというのに未だに寝癖が直っていない筋肉系男子、鈴木けいだ。去年から彼の友人として、キャラ的には対極ではあるものの、程よい交友を保っていた。


「おうおう、樋之口さんの活躍が凄まじいっすねぇ」

「どうせ実は人間じゃなかったとかいう落ちでしょ」

「適当言いやがって」


 鈴木が壁にもたれかかって体から力を抜く。少し前までは奇声を上げて走り回っていたので、それ相応に疲れてはいるのだろう。


「他の男子も樋之口さんにご執心のようっすけど」

「見てれば分かる」

「分かっていて放置かよ」

「俺じゃ何もできない」


 樋之口優香は女子からの人気が最初の印象として付随してくるが、男子から何も思われていないかというと勿論そんなことはない。イケメン顔だとは言え、ジェンダーが何たらという昨今、格好良い系の女子の需要は幾らでもあるのだ。女子の盾が厚すぎて表立った行動を起こすことは殆ど不可能に等しいが、やはり人気は途絶えることがなかった。


 今も、数人の男子が垂涎の表情でバレーコートを眺めていた。若干下心が透けて見えるのは、…………まあ健全な男子高校生として仕方がないことではあるのだろう。

 ただ樋之口の体型はどちらかと言えばスレンダーだから────いや、何とは言わない。やめよう。


「絶対今年生まれた人間の平均値上げるために樋之口作ったろ、もし神が存在したら」

「自分の御傍に仕えさせるためだと思う」

「違いねぇ」


 考えるのにも疲れて、濱野はぼんやりと樋之口を眺めた。


 実は、完璧な彼女にも唯一と言っていい欠点がある。それは、最近できた彼氏がどう考えても冴えないことだ。

 その彼氏とは、何を隠そう、濱野忠之助その人である。





 授業が終わる時間になって、女子の方の活気に満ちた挨拶を遠くに聞きながら、男子はおざなりに授業を終えた。

 濱野が早いところ教室に戻ろうとしていると、遠くから女子の集団が近づいて来る。鈴木は何かを察したかのように急に笑顔になって離れて行く。


 近くまで来ていた女子の集団は、ある一定の距離で踵を返すように戻って行った。その中心にいたはずの人物、樋之口が浜の方へと歩を進めて来る。周囲の男子は濱野に怨恨の籠った視線を軽く向けてから、気を遣うかのように足早に体育館を去っていった。


「あー、忠くん。どうだった?見てくれてた?」

「凄かったよ、流石」


 二人が付き合うことになったのは、何てことはない、樋之口が濱野に告白して了承されただけのことだ。それがつい一週間前の出来事だ。

 何が理由で自分が告白されたのかも分からない濱野は、距離感も掴めないままに臍を噛む。こんなことなら女子との話し方を前世で取得するべきだった、と。現実逃避である。


 年相応に恥じらいを見せた樋之口は、「ちょっとだけど、一緒にいこっか」と濱野に笑い掛けてから体育館の出口へと歩み始める。

 笑い掛けられた濱野は、樋之口が放つ圧倒的な陽のオーラに消し飛ばされそうになりながらも、彼女の隣をついて歩いて行った。


 彼女が運動後に彼氏に近づくことに女子らしい恥ずかしさを覚えていることなど彼は勿論知らない。





 樋之口が恋に落ちたのは、特段何かがあるわけではないのだが、濱野という人物の外見に少なからず関係する。


 濱野は、身長は低くも高くもないのだが線が非常に細い。髪も若干伸ばして後ろで纏めており、引きこもりが故に白くなった肌も相まって、見ようによっては女子ともとれるような外見をしていた。もちろん声変りを過ぎた男子濱野の声は低く、のどぼとけを見ても、顔の詳細を詳しく見ても男子だとは直ぐに分かる。更に言うならば手を見たって、筆跡を見たって話を聞いたって分かる。


 要するに、彼はなよなよとした外見をしてはいるものの、創作物の中であるような女子と見まごうばかりの愛らしい男子ではなかった。しかしながら樋之口としては、授業中に無表情で教師の顔を凝視している濱野を見ては、頭の中でメイド服を着せて見たり、エプロンをして家事をしているシーンを創造したりなどして勝手に尊みを感じていたのである。

 持ち上げられることの多い樋之口ではあるが、彼女も一介の女子であり、今までの恋愛経験の少なさ故にどちらかというと夢見がちと呼ばれる部類であった。そのため濱野を見て色々と妄想するのは、彼女の専売特許と言っても過言ではなかったのだ。


 しかしあるとき転換が訪れる。それは、偶然席が近くなって濱野の付近で過ごすことが多くなった際のことである。基本的に誰かに囲まれている樋之口とは雖もいえども、授業中であれば周囲には誰もいない。

 斜め前に座った濱野がぼんやりと鉛筆を握っているのを横目に見ながら幸せな気分に浸っていたとき、濱野が小さく呟いた。「は? 分かんな」と。授業中の言葉としては少々口は悪いものの、特段大きな声で言ったわけでもなく、問題視されるようなことではなかった。


 問題だったのは樋之口の心臓である。普段から無表情で線の細い濱野がそんなに口が悪くなる瞬間があると思ってもいなかった樋之口の心臓は簡単に早鐘を打った。


 そのときから、彼のことを直視するのが難しくなってしまった。後ろから眺めているだけでも段々と心臓の音が大きくなって行き、耳が熱くなってくる。そこまで酷い症状ではなかったが、いっそのこと楽になりたいと樋之口に告白を促すには十分だった。


 そして告白したのが一週間前。告白の内容はありふれたものだったが、濱野はそれだけでも動揺したらしく、考えるよりも先に首を縦に振ってしまっていた。

 このようにして出来上がったのが件のカップルである。





 樋之口と濱野は近寄ったりは慣れたりしながら、初々しい距離感で学校内を歩いて行く。濱野は存在を抹消されかけた消沈状態であるとはいえ、いつも無表情であるが故にそれが外に漏れることはない。はにかみながら嬉しそうにする樋之口と並んでいることも相まって、二人は普通の恋人同士に見えた。

 普段は周囲にできるであろう人だかりも、今日ばかりは遠くから眺めるだけだ。それも、この初々しいカップルを見守るかのように。


 樋之口は自分が思ったよりも嫉妬深いことをまだ知らず、濱野は未だ樋之口の顔面に慣れていない。樋之口の”盾”であった女子たちが今では二人の恋愛の行く末を陰ながら激励しているということは二人とも知らない。

 二人の恋愛はまだまだこれからだ。この初々しさが消えるには、もう少しかかるかもしれない。

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