第12話 終
俺の生存本能は日に日に高まり、チカとアイの殺人未遂行為にも少しづつ慣れてきた。
怖くないと言えば嘘だ。しかし、怖いばかりかと言えばそうでもない。それが慣れというやつなのだろう。
本当に女神が牙を剥くまで、俺は油断していたのかもしれない。
眠っていた俺は、突然のエイトビートと激しい音楽で目を覚ました。
「何だ?何なんだ!?」
爆音に起きて周囲を見渡すと、布団が消えていた。
それどころではない。
部屋の中の風景から一変し、闇の中で正面に輝く真っ直ぐな道だけが出来ていた。
横には等間隔で人間が同じく
背面は黒い障壁になっており、俺は壁を頼りに座り込むと道に照らし出された人々を見た。
下着か部屋着を着て、長髪の者、髭面の者、眼鏡の者もいた。女性らしき人影もあるが圧倒的に男性が多い。
「異次元レース!ニート走!」
ハイテンションな叫びと同時にトランペットが鳴り響き、俺や横並びの者たちが驚く。
「これはなんの真似だ!サクラ!シノ!」
右隣の男が誰かを呼ぶ野太い声を上げ、左隣の痩せた女は青ざめていた。
「これは、どういうつもりだ…。」
狼狽する俺を無視してナレーションの女の声が響く。
「説明しましょう!父神モルテの娘にして時の女神ルルディ様は、生きごたえないくせに命の狩りごたえのある熟成されたニートの皆様に愛想がつきました。」
バラエティの典型みたいな作った笑い声が響く。
「ルールは簡単。これから皆様にはゴールまで走ってもらいます。道を走っている最中で道の後ろがどんどんと落ちていきますので、逃げ切ってください。」
なんだその酷いゲームは。
「ゴールまで走りきれなかった人は奈落に落ちてこれまでの人生を失いゲームオーバー。晴れて転生となります。」
何が晴れて転生、だ。死ぬということじゃないか。
「ゴールできた皆様は人生はそのままに異世界へ召喚され開放となります。」
どっちみち異世界に行くのかよ‥
「それでは皆様、あと一分で出走開始です!」
目の前に赤と黄色の刺々しい数字が現れ、カウントダウンを刻む。
「嘘だろ!?」
「知るかボケ!」
「はいはい夢ね。」
「何なの!もう嫌ぁ!」
驚愕、怒り、無視、ヒステリー。
阿鼻叫喚の声にパニックになった俺だが、周囲の叫び声を聞いてかえって冷静になった。
血の気が引くのを感じながらも立ち上がる。
あと20秒。
よくわからない。でも動かないと、走らないと死ぬ。
これは、現実なのだから。
あと5秒。
「位置について」
再び女の声がする。
「よーい、ドン!」
俺は、駆け出した!
一心不乱に走りながら周りを見渡すと、道が消えていき人が次々と落ちていくのが見えた。
俺は光さす方角へ走りながら、前の方角から沢山の四角い映像が流れては消えるのを見た。
生まれてきた時、赤ん坊の頃のこと。幼稚園に通っていたこと。小学校までは頭が良いと評判だったこと。中学での初恋のこと。高校で虐めを受けたこと。背中寂しい浪人時代のこと。等など。
「これは、走馬灯かよ。」
走っている他の人間も同じらしい。止めるよう声を荒げる者もいれば、雄叫びをあげ何もかもぶち壊しにするように走る者もいる。
「ゴールは、ゴールはまだか!」
いつの間にか息を止めても平気な自分に気がついた。肉体的疲労もない。
これは、心を試されてる?確証はなにもなかった。
走る動作をやめずに背後を見ると、走ってきた道は一定の長さで消えていっており、俺の恐怖を煽った。
更に周りを見ると走っている人は少なくなっている。
左隣の女が隣でまだ走っていた。だが、俺と違い走る
「あぁ!」
判断は一瞬だった。俺は咄嗟に手を伸ばし、落ちかけた隣の女を掴んで引き寄せた。
どんどん消えていく足場に肝を冷やしながら、女を抱えて走り込む。
他人に触れたのはいつ以来だ?
パジャマの上からでも痩せているのが分かるのに、運動してないニートには荷が重い。
段々と足取りが
もう駄目だ!
「ウワァァァァ!」
「キャァァァァ!」
俺と女の叫びが
落ちていく。落ちていく。
自己保存の本能とエゴが、とっさに生じた人助けの念に負けた結果、俺はこのまま死ぬことになった。
抱えた女が見える。他は闇だ。
このまま地面に叩き落とされて死ぬのか…!
俺は死を待つ以外どうすることもできなかった。
落下しているのか。闇の中で立っているのか。
俺は無意識にお姫様抱っこみたいに抱えていた女に触れている感覚だけを頼りに、長く長く落ちているのだと悟った。
「あの。」
俺は思い切って声をかけた。女はいつの間にか叫ぶのをやめている。
「はい。」
俺は女性から返事を貰いながら、落ちている方向へと足を伸ばした。
「私は鬼灯博といいます。」
「あ、私は
最期かもしれない会話が自己紹介という我ながら間抜けな言葉に気まずい心地になる。
落ちるスピードがゆっくりになっていき、落ちている感覚が麻痺した。
俺たちは恐怖を抑えるため思わず互いの顔を見た。別段、彼女と縁もゆかりもないので感慨はなかったが、彼女は俺を汚物でなく人間を見る目でみていた。それだけで有り難いと思った。
俺たちはいつの間にか部屋の中にいることに気がついた。
「やってくれましたね、鬼灯さん。」
独特のおっとり声がする。何もない部屋に扉が現れた。
「その声は女神様だな。」
「そうです。」
素直な返事からして、やはり女神本人らしい。
「あんまりイレギュラーなことされると困ります。道に敷かれた一つの存在に2つの魂なんて入らないのです。」
ぷんぷん!とか言いそうな勢いで女神が怒りだす。だが、口調に騙されてはいけない。エイッと間の抜けた声で人を簡単に殺せる怖さがある。
「それなら、二人とも元の世界に戻してくれよ。そして、放っておいてくれ。」
「そういうわけにはいきません。鬼灯さんは特に、転生させるのにローリスクだったので何度も何度も転生させた便利な魂だったのですから。」
「何だと!?」
衝撃の事実を前にして、俺は奴隷だった前世を今こそはっきりと思い出した。
前世の俺は子供の頃、別の世界の文字に精通していた。
それは、奴隷のそのまた前世の記憶からだった。
俺の前は奴隷、奴隷の前は神学者、神学者の前はペテン師、ペテン師の前は…。
様々な人生、様々な記憶、命一つ一つのエッセンスが、空っぽの人生に流れ込む。
「その様子では前世を全て思い出したようですね。こうなっては転生させるまでもありません。そのまま莫大な過去に潰れて壊れてしまいなさい。羽田さん
ドアが開き、大鎌を手にした女神が入ってくる。
「そんな。死ぬのは嫌。嫌だぁ。」
両手で顔に触れ、膝から崩れ落ちる羽田を視界にとらえながら、始まりの俺が俺に語りかけた。
終わりの俺、鬼灯博よ。
空っぽの俺という存在を、全ての俺は待っていた。
今こそ、俺を僕を私を統合して、一つになるとき。
俺は、
視界の中で女神が羽田に鎌を振り上げていた。
俺は鎌を掴んだ。
女神の驚く顔を見つめながら、俺は今までやったこともないニヤリとした笑みを浮かべた。
「待てよ。」
「私の鎌に汚い手で触れるな!」
女神が不敬に抗議するが、俺はウインクして無視した。
これは癖だ。
前世からの癖が戻ってきた。
「羽田さんを元の世界へ開放してもらいたい。俺を、そう、ちゃんと人を見る目で見てくれた彼女を助けたい。」
鎌を動かそうとする女神に対して、万力の様な力で鎌の柄を掴み固定する。腕の筋肉だけではない。全身の力や体重を用いる技だ。武術の師範だった前世から汲み取った。
「それで、彼女を逃して貴方はどうするつもりですか?何者にもなれない者よ。」
「彼女を開放する代わりに、俺は異世界に転移し、全ての俺の前世の経験を使って、ルルディ、あんたに借りを返してやるよ。」
「良いでしょう。羽田さんはドアを開ければ元の部屋です。ご機嫌よう。」
羽田は俺と女神を見て一瞬たじろいだが、ドアを開けて去っていった。
「キモいおっさんが格好つけても見苦しいだけですよ。」
「かもな。だか、善意は完遂して初めて善意であると前世哲学者だった俺が言っていた。」
「その自分語りもキモいです。扉を異世界に繋げたから、鎌を離してとっとと出ていって。」
「悪いが、これは貰った。」
俺はユニークな前世の力を使ってみた。
神々の武器を自分のものにするという能力。異世界で神々と闘った神殿戦士の力だった。
大鎌が女神の手から離れて形と質量を失い、時空を司り死をもたらす
「私の鎌が!」
「じゃあな!」
俺は勢いよくドアをくぐった。
ドアの向こうは崖の上だった。
銀に輝く塔が向こうに見え、異世界でしか存在しない翼竜が飛ぶ。
裸足で大地に触れる。
前に見た夢の類ではないことをはっきりと自覚する。頭の中もクリアだ。
「まずは靴だな。」
スウェット姿で苦笑いしてみた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます