第25話 疑問と不安と
「冗談じゃねえ、こんなヤバいところに一秒だっていられるかよ!」
俺は叫んだ。
「お前らはここでゾンビの餌になりな。悪いけど俺は行くぜ」
おお。
ついに叫んだぜ。
雑誌モブデイズの「モブとして一度は言ってみたい台詞ランキング」で毎年上位に入る、全国のモブ憧れの台詞、「こんなヤバいところにいられるかよ」。
うひょー、言ってやったぜ。
ナンパモブやってる限りは、こんな台詞を口にすることはないだろうと思ってたけど。
ナンパモブはせいぜい、「たまにはもう少し作者に言い方を捻ってもらいたい台詞ランキング」に「ねえねえ、俺たちとどっか遊びに行こうよー」が時々ランクインしているくらいだ。
ナンパモブって認知度こそ高いけど、モブとしては地味な存在なんだよな。
「あばよ!」
俺はそう叫ぶと、ギプスをした右腕を揺らしながら、出口に通じる大きな扉に向かって走った。
「待て、そっちは!」
後ろで主人公の青年が叫んでいる。
だけど俺はもう振り向きもしない。
がちゃり。
でかいドアノブを捻って扉を押し開けた時だった。
「うわっ」
思わず目を見開く。
俺の背後からも悲鳴が上がった。
それもそのはず。俺の開けた扉からゾンビがわらわらと入ってきたのだ。
「ぎゃああっ、なんで!?」
俺は叫んだ。
「ちょ、ま、助け…」
俺の声もゾンビたちに覆いかぶされてすぐに聞こえなくなる。
ガジガジと俺の身体を齧るゾンビたち。
あー、いてえ。
やっぱゾンビものはだめだ。
痛い痛い痛い。
痛い時間が長いって。
これならA太みたいに謎の光で蒸発した方がよっぽどましだっつうの。
だんだんと意識が遠ざかる。
あー、これ死んだな。
気がつくと、俺は病院の外のベンチに腰かけていた。
物語の世界からは抜け出した感覚があった。
やれやれ。
あっちの世界では病院の中でゾンビが大量発生しているんだろうけど、こっちの世界は静かなもんだ。
身体が何となくすかすかしてるのは、腕とか足がゾンビに食われてところどころ虫食いみたいになってるからだ。
全治五、六時間ってところか。
しばらくここで休んでいくか。
俺はポケットからスマホを取り出して、アプリを起動する。
仕事の終了時間を入力して、「落命」の欄にチェック。
「死因」か……「ゾンビに食われた」っと。
はい、これで終わり。
次の仕事の依頼が来てないか見てみるけど、さすがに何もなかった。
まあ、そりゃそうだよな。腕の折れたモブなんてそうそう使い道はない。
「はーあ」
青い空を見上げてため息をつく。
仕事、入らないときついなあ。
助けた男の子の両親がお見舞金を少しくれたけど、それだけで食っていけるはずもなく。
生活、厳しいなあ。
そのとき、スマホが震えた。
A太からの電話だった。
「もしもし」
「おー、B介。なんか気の抜けた声してんなあ」
A太は相変わらず元気そうだ。とはいえ、気の抜けた声は俺の元気がないせいばかりではない。
「違えよ。ゾンビに食われてほっぺたに穴が開いてんだよ。それでさっきから喋るときにしゅーしゅー空気が漏れてんだよ」
「あー、ゾンビもののモブやってんのかあ」
A太は能天気に笑う。
「手当ていいもんなあ」
「やりたくねえけどさ。腕が折れてるうちは、ナンパモブもできないから仕方なくだよ。それよりそっちはどう。こないだの仕事とか大丈夫だったか」
「あー、大丈夫大丈夫。D郎が来てくれて、うまくやったよ」
「そうか、それならよかった」
「で、俺も今ちょうど一仕事終えてこれから夕飯でも食おうと思ってるんだけどよ」
A太は言った。
「一緒にどうだ?」
「あんまり金がねえんだよ」
俺は情けない声を出す。
「病院代もあるし、仕事も減っちまったしさ。当分はスーパーでもやしでも買って塩でゆでて食うわ」
「ぎゃはは。そう言うだろうと思ってさ。今日くらいはおごってやるから来いよ。退院祝いだ」
A太はいつもの居酒屋の名前を挙げる。
「先に入って待ってるから」
「さっきゾンビに食い殺されたばっかりだから、まだけっこう肉とか見えちゃってるけどいいか?」
「そんなもんこの街じゃ珍しくねえだろ」
A太は笑って電話を切った。
ありがたい。
スマホに向かって頭を下げる。
持つべきものは仲間だぜ。
いつもの居酒屋。
右腕を吊っていて箸をうまく使えない俺は、唐揚げを爪楊枝で刺して食いながら、ハイボールを一口。
「あー、うめえ」
「ほら、頬からこぼれてんぞ」
A太がおしぼりを差し出す。
「あれ、まだか。もうほとんど塞がったと思ってたんだけどな」
俺は頬の穴をおしぼりで拭く。
ここに来るまではゾンビみたいにしか歩けなかったけど、時間の経過とともにだいぶ足の肉も戻って来て、普通に歩けるようになった。
「やっぱりゾンビものの現場は過酷だな。背に腹は代えられねえけど、落命手当の付く現場って慣れねえわー」
俺が言うと、A太もハイボールを飲みながら頷く。
「だよなー。でもギプスさえ取れれば、もう骨が折れてるなんて外からは分かんねえだろ? そしたらナンパモブに戻って来いよ。もしバイオレンスな作風でヤバくなったら俺がボコられてやるからさ」
「すまん、A太」
ありがたい言葉だ。確かに、ギプスが取れた段階なら、うまくごまかせば復帰できそうだ。
「いいってことよ。相棒がいつまでもいないんじゃ俺も困るからな」
A太は厚揚げを一切れ口に放り込む。
「俺、今D郎と組んでるんだけど、結構、何ていうかさあ……B介もあいつと組んだことあったよな?」
「ああ、あれだろ」
A太の言いたいことはすぐに分かった。
「先輩風」
「そう」
A太は頷く。
「なんなの、あいつのあの先輩面。年下の癖しやがって、先輩風が風速50メートルくらいで吹き付けてくんだけど」
「そうなんだよ。あいつ、やけに言葉がきついんだよ。普通に言ってくれりゃいいものをさあ」
俺たちはしばらくD郎の愚痴で盛り上がる。
「まあ、そんなことより」
突然、A太がにやりと笑って話題を変えた。
「こないだのあの子、誰なの」
「ああ……」
聞かれるとは思っていた。A太が今日、夕飯をおごってくれると言ったのも、もちろん俺を元気づけてくれるという意味もあるだろうが、それを聞こうという目的も大きいんだろう。
「能勢梨夏ちゃん」
「おお」
A太は目を丸くする。
「名前のある子か。そうだよな、あんなに可愛いもんな。どうやって知り合ったんだ」
「いやー……実はさ」
俺はハイボールを一口飲んで唇を湿らせる。
話すつもりはなかったんだけど、俺も骨折して仕事が減って、気が弱くなっていたのかもしれない。
俺はA太に、梨夏ちゃんとの出会いから今日までのことを全部話してしまった。
聞き終わると、A太は難しい顔で腕を組んだ。
「それはちょっと、おかしいな」
「だろ? 闇堕ち判定されちまうかな」
「闇堕ち?」
A太はきょとんとする。
「闇堕ちって、お前がか? いや、それはねえんじゃねえの。だって向こうからぐいぐい来たんだろ?」
「まあ、そうだけど」
「クレームだって来てないんだろ。それならB介が闇堕ち呼ばわりされる筋合いないんじゃねえのか」
「そうかなあ」
「まあ森井さんあたりの耳に入ったら、何て言われるか分かんねえけどな」
「そうだよな」
俺が頷くと、A太はハイボールを飲んで、とにかく、と言った。
「俺がおかしいって言ったのはそっちじゃねえよ。ナンパが成功したとか相談に乗ったとか、モブがそんなことやるのも変わってるけど、結局そのへんは作者さんの裁量だろ。そうじゃなくて、あの子に現実世界でも会ったってのはどう考えてもおかしいだろ」
そうだ。
A太の言う通りだ。
確かに、梨夏ちゃんがモブの俺にやけに懐いてくれるのは、まあそういう作風なんだと言われれば納得できなくもない。かなりおかしな話ではあるけど、そういうことだってあり得るというレベルの話だ。
だが、ショッピングモールで、三階から落っこちた俺のもとに駆けつけてくれた梨夏ちゃん。
あれは物語の中でも何でもない。
それは、どう考えてもおかしいんだ。
「物語世界の人らがこっちに出てくるときってのはさ」
A太が言う。
「その物語がエタっちまったときじゃん」
「そうだな」
エタる。
物語が完結を迎えることなく、作者さんが執筆を完全に放棄してしまうことは、そう呼ばれている。
物語がエタってしまうと、その物語世界の壁は徐々に壊れて、やがて俺たちの現実世界と同化する。
そうしたら、物語世界の登場人物たちもこっちの世界で暮らしていくことになる。
もちろん、自分の物語世界にいた時のような超絶した能力や圧倒的な容姿なんかは失われてしまうわけだけど。
それでもまあ俺たち普通のモブよりはちょっとは輝いて見えたりもする。
逆にそのせいで、彼らにはモブの仕事はなかなかできない。
とはいえ、エタるという現象の基準自体、かなり曖昧だ。
どこまでいけばエタったとみなされるのか。
物語世界の壁が壊れてしまって俺たちの世界と同化したときには、完全にエタったと言えるのだろうけど、エタりかけた物語世界の壁が崩壊するまでにかかる時間は、その物語の長さや人気などによるらしい。
たった一話でエタってしまう物語はたくさんあるが、そういう世界の壁は壊れるのもすごく早い。
逆にそれが何百話も続いた物語なんかになると、すっかりエタってしまっているはずが何年経ってもこっちの世界と同化しないということもあるらしい。
まあ、それでもいつかは……ということなんだろうけど。
「エタってはいないもんな」
A太は言った。
「だって、その梨夏ちゃんって子の作者さんからは、ついこの間もモブの依頼が来たばっかりなんだろ?」
「ああ」
俺は頷く。
「ついこの間ってほどでもないけど。公園で泣いてた梨夏ちゃんの話を聞いたのは、二か月くらい前かな。それから今日までの間に何の更新もなかったとしても、もうエタったってことにされるのはさすがに早すぎる気がする」
「だよな」
A太は難しい顔のまま、ハイボールを飲んだ。
「B介。この話をするの、ここだけにしといたほうがいいぞ」
A太は言った。
「いろいろとわかんねえ点が多いからな。万が一、何かがある可能性だってある」
「ああ、ほかの人に喋るのは今日が初めてだよ」
俺は答えて、それから急に不安に駆られてA太に尋ねる。
「万が一何かがあるって、たとえばどんなことだよ」
「知るかよ」
A太は肩をすくめた。
「ただのモブに難しいこと聞くんじゃねえ」
「悪い」
そりゃそうだ。A太に分かるわけがない。
ただのモブの俺にも、もちろん。
何か、俺なんかの手にはとても負えないことが進んでいるのかもしれない。
そんな悪い予感は拭えなかった。
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