第23話 どうしてここにいるんだい

「じゃあ、俺は現場に行くからな」

 ストレッチャーに乗せられた俺から少し離れたところで電話をしていたA太は、小走りに近付いてくるとそう言って俺の顔を覗き込んだ。

「しっかり治療に専念しろ。無理すんなよ」

「仕事、大丈夫そうか」

 俺は言った。

「当直が寺井君だったら、またテンパらせちまうな」

「気にすんな、そんなこと。こっちは大丈夫だから自分の怪我の心配だけしとけ」

 A太はそう言って笑うと、心配そうに俺の方を見ている梨夏ちゃんをちらりと見た。

「そんなことより、あの子のこと後でしっかり教えろよ」

「あ、おお」

 俺の生返事に、A太はにやにやと笑う。

「いやー、お前にあんなモブらしからぬ彼女がいたとはよ。気付かなかったぜ」

「いや、彼女とかじゃねえって」

「いいからいいから」

 俺が三階から落っこちて大怪我をしたというのに、A太はもうすっかりいつもの調子だ。

 まあ、そんなもんだろう。俺もA太が大怪我したら、多分そんな感じになる。

 モブという職業柄、お互い仲間の怪我には慣れすぎるくらい慣れてしまっているのだ。

 一種の職業病のようなものだ。

「じゃ、行くわ。あの子供の親には俺から言っとくから」

 そう言うと、A太は軽く手を振って去っていった。

 すまん、A太。

 心の中でA太の背中に謝る。

 あいつはあいつで、これから大変だ。

 俺の代わりをよこしてもらわないといけないし、だめなら一人でナンパすることになるが、話が違うと作者さんからクレームがつくかもしれない。

 本当に、今日の当直が寺井君じゃなけりゃいいけど。

「それじゃ、行きますよ」

 救急隊員が言った。

 ストレッチャーを押され、俺は救急車へと搬送されていく。その後ろを、心配そうな顔の梨夏ちゃんが付いてきてくれた。



 右腕の骨はもちろん折れていたが、幸いそれ以外の場所は打撲程度で済んだ。

 だが頭を打っている可能性もあるということで、大事を取って今日一日だけ入院することになった。

 ああ。また金がかかる。

 あてがわれた病室でぼんやりしていると、カーテンが遠慮がちに開いて梨夏ちゃんが顔を出した。

「さつきさん」

「よう、梨夏ちゃん」

 眠くもないのにベッドに横になっていた俺は上体を起こした。

「ありがとな。付き添ってもらっちゃって」

「いえ、いいんです」

 梨夏ちゃんは包帯でぐるぐる巻きにされた俺の右腕を痛ましそうに見た。

「痛いですか」

「まあ、動かしゃ痛いけど。こうしてる分には大丈夫だよ」

 俺は梨夏ちゃんに椅子を勧めた。

 俺の怪我のことなんかより、聞きたいことがあった。

「びっくりしたよ」

 俺は言った。

「こんなところで会うなんてな」

「私もびっくりしました」

 梨夏ちゃんも神妙な顔で頷く。

「あのとき私、ちょうど二階から下を見てたんです。そしたら、上からすごい音がして、見上げたらさつきさんが落ちてきたから」

「よく俺だって分かったね」

「さつきさんは、見間違えるわけないです」

 梨夏ちゃんは微笑んだ。

「ずっと探してた人だから」

「え」

「あ、いえ」

 俺が固まると、梨夏ちゃんは慌てて手を振った。

「あの、変な意味じゃなくてですね、お礼を言いたくてずっと探してた人っていう意味で」

「ああ」

 俺は頷く。

 そうだった。梨夏ちゃんは俺にお礼を言うために、駅前でずっと俺を探してくれていたんだった。

「今日は、買い物?」

「はい」

「あのショッピングモール、よく行くの?」

「いえ、昨日が初めてです」

「なら本当にすげえ偶然だなあ」

「そうですね、ほんとに」

 しみじみ頷く梨夏ちゃんの顔から俺は目が離せなかった。

 俺の視線に気づいた梨夏ちゃんが、顔を赤くしてぎこちなく笑う。

「どうかしましたか」

「ああ、いや」

 すげえ偶然。

 この出会いを本当にそんな言葉で片付けられるなら、それに越したことはないわけだけど。

 そうはいかないだろう。

 俺たちが出会うはずはないのだから。

 偶然なんて、起きるはずがないのだ。

 俺やA太やH川のおっさんや寺井君や森井さんやジュンさんやチャーリーさんやゾークさんがこの世界で生きているように、梨夏ちゃんは梨夏ちゃんたちの物語の世界で生きている。

 そこは、俺たちの暮らす世界とは並行世界のような関係の世界だ。

 こことは別の世界なのだ。

 だからこそ、俺たちモブは、あっちの世界で大怪我しようが死のうが身体ごと消滅しようが、こっちの世界では大した影響もなく(消滅までしちまうと多少なりとも影響はあるわけだが)生きているわけだ。

 物語を創造している作者さんの許可を得て、俺たちはモブとしてその世界に足を踏み入れる。

 だが、向こうの住人がこっちにやって来ることはできない。

 理屈は分からないが、多分こっちの世界は、どこかの作者さんが作った物語ではないからだろう。

 だから今まで俺は彼女の物語にモブとして入り、モブとして彼女と出会ってきた。

 一度目も二度目も、三度目もだ。

 彼女との間にはいろいろとイレギュラーなこともあったが、それでもそこは変わらない。他のモブ仕事と同じ、大前提だ。

 でも今日、俺は彼女の物語世界に入った感覚はなかった。

 ここはただの、俺たちの現実世界だ。

 こうして本当に大怪我しているのが、何よりの証拠だろう。

 だから、俺は彼女とこんな風に出会ってはいけないはずなのだ。

 それは、世界の法則に反している。

「梨夏ちゃん」

 試しにもう一度、名前を呼んでみる。

「はい、何ですか」

 返事をする彼女は、はっきり言ってめちゃくちゃ可愛い。

 現実のものではないみたいだ。

 えっ、まさか。

 いや、そんなわけ。

 でも、万が一ということもあるぞ。

 俺は無事な左腕を彼女に伸ばした。

「あ、何か取りますか?」

 俺の怪しい挙動を勘違いした彼女がサイドテーブルの方を見るが、俺はそのまま彼女のほっぺたをつついた。

 ふかっ。

 いや、ふわっ、かな。

 柔らかい。

 コンビニで売ってるふかふか触感が売りのスイーツみたいな感触があった。

 チープな比喩でごめんなさい。

 だって、他に思いつかない。こんなにふかふかしたもの。

 でもとにかく幻覚とかじゃない。俺は壁に向かって独りごと言ってるわけじゃない。

「ええっ」

 梨夏ちゃんはびっくりした顔でこっちを見た。

 可愛い。

 この感触は絶対嘘じゃない。

 彼女は紛れもなく現実に存在している。

「どうしたんですか、さつきさん」

 梨夏ちゃんは自分のほっぺたを押さえて顔を赤くしている。

「ごめん。何となく」

「びっくりしたあ」

 そう言って笑う梨夏ちゃんが、俺の脳が勝手に作り上げた幻覚だったりしたら地獄だ。

「あ、そうだ。壊しちゃったお店のことですけど」

 梨夏ちゃんが言った。

 梨夏ちゃんは俺の代わりにさっきの店のお姉さんと連絡先を交換し、向こうの状況の確認までしてくれていた。

「さつきさんが助けた男の子のご両親が、ショッピングモールと話し合うことになったみたいです」

「じゃあ俺は弁償しなくていいんだね」

「はい」

 よかった。ただでさえしばらく仕事ができない状態になってしまったのだ。入院費に加えて、店の商品を弁償しろなんて言われたらどうしようかと思った。

「当たり前ですよ。さつきさん、命懸けであの子の命を救ったんですから」

「いや、それはそうだけど」

 命を懸けるつもりまではなかった。結果的に死にかけただけで。

 それに、落ちた先にあったあの店には何の関係もないからねえ。

「あの男の子のご両親がさつきさんにお礼のご挨拶に来たいって言ってたんですけど、ここ教えてもいいですか?」

「あ、うん。全然いいよ」

「よかった。実はもう教えちゃってたんです」

 安心したように笑う梨夏ちゃんが可愛い。

「ほんとにありがとねえ。何から何まで」

「何言ってるんですか」

 梨夏ちゃんは少し潤んだ目で俺を睨む。

「何から何までっていうのは、初めて会ったときにさつきさんが私にしてくれたみたいなことを言うんですよ。今回は人命救助した結果の、名誉の負傷なんですから。さつきさんは堂々としていてください」

「はい」

 ナンパモブにその優しさはきつい。

 また勘違いしそうになる。

「そういえば、ヒロキ君とは仲良くやってるの」

 自分を戒めるために、俺は彼の名前を出した。

 梨夏ちゃんは一瞬何だか曖昧な顔をした。

 それから、ああヒロキ、と頷く。

「ええ、あの、はい」

 少し言いづらそうに。

「おかげさまで、その、お付き合いを」

 お付き合いを、という時の梨夏ちゃんの顔はすごく幸せそうだった。

 そうだよなあ。

 あぶねえ、あぶねえ。また無意味に凹むところだった。

「そりゃよかった」

「全部、さつきさんのおかげです」

「それはない」

「それはなくないです」

 そんなことを話しているうちに、肝心のことは聞けずじまいになった。

 聞いたところで、彼女には何を聞かれているのか分からなかったかもしれないけど。


 梨夏ちゃん、君はどうしてここにいるんだい。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る