第17話 森井さんの説明を暗い気持ちで聞く

  

 どこにでもありそうな、高校。

 その校舎の裏の、日の当たらない狭い庭。

 俺たち5人はそこに集まっていた。

 俺たちが着るのは揃いの、光沢のない灰色の作業着。

 現実着げんじつぎ

 ああ、俺は何でこんなもん着ちまったんだろう。

 この仕事の返事をしたときの、ポジティブな自分を恨む。

 あのときの俺は俺じゃないんだ。今の俺とは別人なんだよ。

 こら、ポジティブB介。お前どこ行ったんだ。

 お前が引き受けたんだから、お前がやれよ。

 不毛な一人芝居。

 そんなことをぶつぶつ言っても仕方ない。

 これを着てしまった以上、俺は闇堕ちモブのハントに参加しなければならないのだ。

 俺とともに参加するほかの三人のモブにちらりと目を向ける。

 全員が、男。

 どいつもこいつも俺同様、大して特徴のない背格好に冴えない顔をしている。

 まあみんなモブなんだから、当たり前か。

 俺と同じくらいの年のやつが一人。

 もっと若い、まだ成人もしていなさそうなあんちゃんが一人。

 それからだいぶいい年したおっさんが一人。

 みんな、ろくにサイズの合っていないお仕着せみたいな作業着を着て、じっとりと押し黙っている。

「今回、闇堕ちしたのは主人公たちの同級生の“タダシ”だ」

 森井さんの言葉に、俺たちは全員、ぴくりと反応した。

 誰も何も言わないが、思ったことは多分同じだ。


 名前もらってんのかよ。


 名前のある、主人公たちの同級生。

 それなら俺と違って、モブの中でも上等な部類だ。

 そういう脇役に近いモブの供給には、うちみたいな零細はほとんど携わっていなくて、大抵はもっと大手の派遣会社がやっている。

 うちの会社のモブは、解説系にしろ称賛系にしろ俺たちみたいな粗暴系にしろ、名前なんてない一過性のモブがほとんどだ。

 一過性だからこそ、同じ物語に別のモブとして何度か登場しても読者にバレない。

 つまり、一人の人間を何度も使いまわせるという意味で、会社としては非常にコスパがいいわけだ。

 だから下手に名前なんかもらってしまうと、会社はかえってあんまりいい顔をしない。

 もうその物語では、そいつはそのキャラクターとしてしか使えないからだ。

 もちろん社員から表立って、お前何やってんだ、なんて言われることはないけど、微妙な空気になるので分かる。

 あー、名前もらっちゃったのかー。そっかー。次のシフトどうすっかな、こいつ抜きで回せるかなー。みたいな。

 いや、俺自身は前にも言ったとおり、名前をもらったことなんて一度もないけどね。

 でも、何度かそういう場面を見たことはある。

 確かに、限られた人間でたくさんの依頼をこなしている以上、会社側の気持ちも分からないではない。

 もっと人を雇えばいいだろうが、なんて言うのは、経営をやったことのない人間の短絡的な意見なのだろう、多分。

 モブだって慈善事業ではないのだから、儲けを出さなければならない。

「タダシは解説系モブの亜種だ。ヒーローやヒロインの言動に対して“ただしそれについては……”とコミカルな注釈を加える」

 森井さんの説明に小さく頷く。

 なるほど、だからタダシね。

「タダシの妙に冷めた注釈は、作中で読者から隠れた人気を集めていた。タダシの注釈がないと物足りない、なんて感想をよこす読者までいたほどだ」

 ひゅう、と口笛を吹いたのは一番若いあんちゃんだ。

「すげえ。人気者じゃん」

「そこで満足しときゃよかったんだ」

 苦々しげに言ったのは一番年配のおっさん。

「ちょっと持ち上げられたからって、勘違いしやがって」

 まあ、そうなんだろうな。

 このおっさんの言ってることは正しい。

 このおっさんが、もう何十年もモブ一筋でやって来たんだろうってことは俺にも分かる。

 どうしてかっていうと、次にどこかで顔を合わせても絶対に覚えていないという確信が俺にあるからだ。

 この個性の消しっぷり。これこそ、モブに求められるものだ。

 このおっさんはただもんじゃねえ。

「H川さんの言う通りだ」

 森井さんは言った。H川さんってのがこのベテランのおっさんの仲間内での名前らしい。

「タダシの人気は、あくまで作者さんの用意した展開のうまさがあってのものだ。だがタダシはそれを自分の実力と勘違いした。自分というキャラクターが物語の重要な要素を担っているとうぬぼれ、思い違いをした。そんな力がモブにあるはずもないというのに」

 背筋がひやりとするくらいの冷たい口調。

 普段は穏やかな森井さんだが、時々垣間見せるこの冷淡さこそが、きっとこの仕事をするうえで必要不可欠なものなのだろう。

 俺は森井さんと同じ社員の、寺井君の顔を思い浮かべる。

 電話で、社会の矛盾について熱く憤っていた入社二年目の寺井君。

 あと何年かしたら、彼もこんな冷淡な声を出すようになるんだろうか。

 ……なるんだろうな。

 それが社会に、仕事に慣れるっていうことだ。

 そうなれないのなら、職を去るしかない。

「タダシは作者からの要請もない場面で、勝手に不必要な注釈を繰り返した」

 森井さんは淡々と説明する。

「この種の小ネタというのは、適度な間隔を開けつつ、マンネリにならないように細心の注意を払って差し込むべきものだ。だが調子に乗ったタダシはあらゆる場面で“ただしそれは……”と繰り返した。突然ブレイクしたお笑い芸人が、あらゆる番組で馬鹿の一つ覚えのように自分のたった一つしかない持ちギャグを繰り返すようにな」

 ああ、嫌なたとえだな。

 俺まで、まるで自分まで苦いものを呑み込んだような気分になる。

 お笑い芸人が一生懸命に、自分の武器であるたった一つのギャグを披露する。

 最初は笑っていた視聴者も、同じギャグの繰り返しにあっという間に飽きて離れていく。

 それでもテレビ局はそのギャグを要求するから、彼にはそれを繰り返す以外に道はない。そうして結局、まるでただの消耗品だったかのように使い潰されて消えていく。

 そんな一発屋と呼ばれるお笑い芸人たちとタダシとの決定的な違いは、タダシが誰からも求められていないのにそれをやっているってことだ。

 自分の承認欲求だけを膨らませて、やれとも言われていない持ちネタを繰り返している。

 悲しい一人芝居。

「読者の感想は、すっかり不評の嵐だそうだ。タダシが鼻につく、タダシがモブのくせに出しゃばりすぎ、タダシのせいで雰囲気ぶち壊し、タダシイラネ……」

 森井さんはあくまで淡々と話し続ける。

「そこで気付いて引ければまだよかった。だがタダシは、それが自分のせいではなくて物語の展開が悪いせいだと考えた。もっとストーリーが自分に寄り添ってくれれば、もっと自分の才能を輝かせる方向に展開してくれれば、そうすればこの物語はもっともっと面白くなるのに。僕がもっともっと面白くしてやるのに。だから作者はそうすべきなんだ、と」

「闇堕ちの典型の一種だな」

 H川のおっさんが突き放すように言った。

「モブが物語に奉仕するんだ、その逆はない。物語に奉仕させようとしたら、モブは終わりだ」

 辛辣な言い方だが、その通りだった。

 モブは物語の歯車だ。物語に合わせて形を変える。

 逆にたった一つの歯車に合わせて全体を変えてしまったら、その歪みはどれだけ大きなことになるか。

「外形観察による闇堕ち深度は2」

 森井さんは言った。

「放っておけば、すぐにも3に達する可能性が高い」

「じゃあ今のうちに押さえないとっすね」

 一番若いあんちゃんが重い口調で言った。

「そうだな」

 と俺も頷いてやる。

 タダシのためにも、そのほうがいいんだろう。

「今日、ヒーローとヒロインが放課後の教室で他愛ない雑談をする。その場面に本来現れないはずのタダシが姿を現すはずだ。そこを押さえる。試薬はI野君が担当してくれ」

 森井さんの指示に、俺と同じくらいの年の男が無言で頷く。

「ほかの三人には、私とともにタダシの身柄の確保と拘束を担当してもらう。いいね」

 俺とH川のおっさん、それに一番若いあんちゃんの三人が頷くのを確認してから、森井さんは腕時計を見た。

「よし。それでは配置に」




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