Testimonies regarding the man

中村りんず

第1話

上 



 批評についての批評があるとしたら、それは「メタ批評」と呼ばれることになるだろう。「その批評は批評としてこれこれである」、「この批評は批評としてどうのこうのである」。広義に捉えると、既にこの発想は「批評についての批評」――すなわちメタ批評である。

 このオピニオンについて異議を唱える者がいたとしたら、その人が試みているのは「メタメタ批評」であろう。「批評」という語の頭に「メタ」を付加するという操作は、無限に繰り返すことができる。そしていつしか何についての批評なのか、その行為に価値があるのかも分からなくなるはずだ。「メタメタメタメタメタメタ批評」はたぶん、第六言語習得論ぐらい意味がない。

「メタ」というタームは、「高次の」とか「~~についての」とかいった意味を表す接頭語である。一般的な使われ方としては「メタ認知」、「メタ発言」などが挙げられるだろうか。

 加えて、世の中には「メタフィクション」なんてものもある。乱雑に定義づけするならば、フィクションであることを登場人物たちが認識しているフィクション、といったところだ。そんな小説の中の登場人物たちはもしかしたら、自身が存在する世界の内側から外側、外側から内側へと自由に往来し、一つの物語を織りなすかもしれない。

 空想にしか過ぎないが、そんな彼らについて記述している僕には、一体いくつの「メタ」が付くのだろう。そんなことについて思考するのはたぶん、第八言語習得論ぐらい意義がない。

 さて、僕は今、地下鉄の構内にいる。都会の地下鉄は、いつも人間でごった返している。美麗なディスプレイがあらゆる柱に埋め込まれており、新型の携帯用端末の広告や、私立大学の紹介映像などが流れている。

 僕は今イヤホンをしているけれども、音楽を聴いているわけではない。外界との距離を取るために、耳を塞いでいるだけだ。なるべく内側にこもって、外側とは関わりを持たないようにする。それが一番精神的に楽だと気づいたのは、大学を卒業してからのことだった。もう少し早く気づけばよかったのに、と後悔したところで意味はない。

 常に外側の存在(つまり、外界の外界、いわばメタ外側のことだ)を感じながら生きる

のは、案外辛い。辛いけれど僕は生きていかなければならないし、周りのみんなも僕と同じように、毎日を生き抜いている。端末で誰かと話しているあの男性も、おそらくメールでやり取りをしているあの女性も、この不条理な現実の中で生きているのだ。

 気が触れそうになりながらも、確かに気は確かだ。それは僕だけが抱えている問題ではなく、ここにいる全ての人間が抱えている問題だ。僕は、人間として生を受けたという点において特別であることを除けば、特段特別でもなんでもない。

 地下鉄の構内を抜け、地上に出た。ビルが立ち並ぶ大都会。一面に広がる晴天。この街はいつ来ても洗練されているなと感じる。まるで作り物みたいだ。



【証言A/女/ボイス(高)】

 彼とは小学生のとき同じクラスでした。あまり話したことはありませんでしたが、そうですね、寡黙な少年という印象でした。肌が白くて華奢で、同級生の女子からは人気がありましたよ。女の子みたいな見た目なのに、声だけはちょっと低かったんですよね。それがたぶん、魅力的だったんだと思います。私も[ノイズ]くんのことは割と好きでした。子供の感情ですから、恋愛的なものだったのかどうかは、判然としませんけどね。

 運動が得意な印象はありませんでしたが、勉強はそつなくこなしていました。彼は漢字が得意で、難しい字をすらすら読み書きしていたのを憶えています。あ、でも本人は算数のほうが好きだと言っていました。そうそう、算数の授業で先生が難しい問題を出して、[ノイズ]くんが黒板に解答を書いたのを思い出しました。今思えば、あれは私立の中学校の入試問題とかだったんでしょうね。それを小学校三年生が解いたんですから、みんな驚きますよね。[ノイズ]くんは塾とかにも行ってなかったはずだから、生まれ持った才能だったんだと思います。

 彼についてのエピソード、ですか? そうですね……ちょっと思い出してみます。

(数秒間の沈黙)

 あ、一つ彼とのエピソードを思い出しました。あれは、小学校五年生のときのことでした。うちの小学校では、五年生になると「野外宿泊合宿」というものに行かされるんです。自然の中で集団行動をして、自立する精神や協力することの大切さを学ぼう、みたいな、そういうイベントです。小学生なので、単なるキャンプでしたけどね。

 うちは田舎の小学校だったので、生徒数が少なくて、二クラスしかありませんでした。先生がアトランダムに五人一組のグループをつくって、二泊三日の野外生活を送るんです。そこで[ノイズ]くんと私は同じグループになりました。もう二十年ぐらい前のことなので、細かいことは忘れてしまいましたが、ええ、彼と同じグループになったことだけは憶えています。

 小学生とはいえ、異性との交流はみんなにとって新鮮なものでした。ほかの女子からは[ノイズ]くんと同じグループなんてズルいよ、とか言われましたね。みんな彼のことを狙っていたのかもしれません。

 同級生の中にはませた子もいて、キャンプ地から男女で抜け出して街に行って、先生に怒られていました。[ノイズ]くんはその光景を見て、少し微笑んでいました。大人びた人だなと、そのとき私は感じました。

 それで、ええと、彼とのエピソードなんですけど。一日目の夜、自由行動の時間があったんです。もちろん自由行動といっても、宿泊地から移動はできません。屋内でボードゲームをやってる子、大人の真似をしてコーヒーを飲んでる子、広場で遊んでる子……いろんな子たちがいる中で、[ノイズ]くんは一人でベンチに座っていました。広場の隅に何個かベンチが並んでいて、そこからは夜空が綺麗に見えたんです。

 私はなんとなく気になって、彼に話しかけてみました。そのときの会話を再現してみますね。


「[ノイズ]くん、一人で何やってるの?」

「ああ、神崎さん。いや、特に何もしてないよ。夜なのに、みんな元気だね。僕は疲れちゃったよ。ははは。あと、さっきの飯盒炊爨で作ったカレー、食べすぎちゃったな。眠くなってきちゃったよ」

「私もちょっと食べすぎちゃったかも。結構美味しかったもんね。……隣、座ってもいい?」

「うん、もちろん。でも僕と話しても何も面白いものは出てこないよ。それでもいいなら」


 私は彼の隣に座りました。広場の隅のほうの見えづらい場所だったので、冷やかしてくる子もいませんでした。なんとなくこのとき、「この人と話さなければならない」と感じたのを憶えています。


「神崎さんは、中学校はどうするの?」

「え、中学校って……受験とか? いや、私はしないよ。そんなに勉強好きじゃないし、大学とか行くつもりもないもん」

「そんな将来のことまで考えてるんだ。偉いなあ。僕は何も考えてないや。親に言われて、青陵中を受けることにはなってるけど」

「青陵に行くの? でも、[ノイズ]くんなら余裕で受かっちゃうんだろうな」

「入ったあとのほうが心配なんだけどね。僕より勉強が得意な人なんて、世の中には大量にいるんだし。……神崎さんは、将来の夢とか、あるの?」

「私は……デザイナーになりたいんだ。まだ具体的な夢じゃないんだけど、この前駅で見たポスターがすごいカッコよくて……。生きてる間に、あんな作品がつくれたらなって」

「神崎さんはカッコいいね。本当に、すごくカッコいいと思う」


 彼はそう言って、遠くを見つめました。その日は天気がよくて、澄んだ夜空が鮮明に見えました。

 私は彼に尋ねました。何か見えるの、って。


「なんにも見えないよ。なんにも見えない。けど……」

「けど?」

「見られてるんだよ。見られてる。僕はそれに抗って、見つめ返そうとしているんだ」


 彼は変なことを言うタイプの子供ではありませんでした。「自分は特別なんだ」とか「自分だけは他人と違うんだ」とか、そういうことを考える子供って結構いるじゃないですか。大人になってから恥ずかしくなるようなことを言ってしまったり、してしまったり。でも、[ノイズ]くんはそういう子ではなかったんです。だから、素直に私は驚きました。[ノイズ]くんは、何を言っているんだろう、何が言いたいんだろう、って。


「将来のことなんて全然考えてないってさっき言ったけど、ちょっと嘘なんだ。一つだけ、たった一つだけ、夢があるんだ。恥ずかしいから、人には言えないけど」


 そのあと彼と何を話して、何をしたのかはあまり憶えていません。でも、あの時の会話は鮮明に憶えています。それだけ、印象的な出来事だったんだと思います。

 彼は中学受験に成功して、東京の中学校に行きました。友達も多かったし、彼に好意を抱いている子も多かったので、卒業式ではみんな泣いていました。私もたぶん泣きました。

 今では全く交流はありません。連絡先も知りませんし、何をしているのかも知りません。

 私も彼も、もう二十九歳になりました。私はあのときの夢を叶えて、今はデザイナーをやっています。彼とのあの日の会話がなかったら、今の私はいないかもしれません。私は彼に、お礼を言いたい。彼にもう一度、会いたいんです。

(数分間の沈黙)

 彼は今何をしているんですか? あなたはご存じなんですか? 知っているなら教えてください。知りたいんです。彼は誰ですか? 分かりません。何か憶えている。そうです。そういうことなんです。なるほどねえ。左から殴りつけることができます。何を? ほら、見てみてください。見事な流線型を描いている鳩の大群に立ち向かっていきますよ。誰が? 生々しいことを言いましょう。単行本が発行されます。おめでとうございます。這般の事情により拠り所がございませんので、流動的な青果店に移動して豪勢な身支度を整えたほうがいいかもしれません。ところどころ正鵠を射ているような気がします。究極の愛の形についてお伝えしますと現在時刻と同値になります。エンゲル係数の上昇。どうにかしなくてはなりませんねえ。ごもっとも! エンジェル係数の下降。窓の外を見てみてください。空が見えるのは当たり前でしょうがそれ以外にも何かが見えるでしょう。全ての物体は何かに含まれます。ようやくここまで辿り着けましたね。ベン図を思い切り描いてみましょう。いっぱいいっぱいで血に塗れて一敗地に塗れることになります。溢れだすこの感情をどう名付けましょうか。先行投資することでラッキーが増加するらしいですよ、ここだけの話。フィックスされたブレインをリラックスさせてください。バーのカウンターで生まれた文化はカウンターカルチャーと呼ばれるべきなのでしょうか? 強いて言えばサブカルチャーでしょうね。何が? 縄文から明治時代までの政治について遡って話してみると意外な真実に気づくことができるみたいですよ。私はそんなことは意に介さず佇立するのみでございますが。首尾一貫していますねえ。五秒前。さあて、5W1Hを一般化しなければ集合知を肯ずることはできませんよ! その通り!

(数十秒間の沈黙)

[ノイズ]くんについて、何か知っているんですか? ワー。

〈十月三日記録〉


【証言B/男/ボイス(低)】

 アイツとは中学校の同級生でした。色白で小柄で、中性的な印象の少年でした。名前? ええと、[ノイズ]ですね。そうそう。俺は下の名前で[ノイズ]って呼んでました。中学の入学式のときに初めて話して、その日のうちに仲良くなりましたね。部活も一緒でしたよ。美術部という名のマンガ研究部ですよ。ははは、中学生っぽくていいでしょ。アイツも運動は好きじゃなかったみたいなんで、文化部のほうがよかったんでしょうね。俺はガタイもよかったし、運動は嫌いじゃなかったんですけど、なんとなく美術部に入りました。体格のいい自分の体があんまり好きじゃなかったんですよね。

 勉強に関しては、正直ずば抜けてましたね。青陵中ってかなりのお勉強学校なんですけど、その中でも成績はトップクラスでしたね。あんまり勉強してるイメージはなかったけどなあ。勘とセンスがよかったんでしょうね。めちゃめちゃ勉強して青陵に入った俺としては、羨ましい存在でしたよ。共学だったら相当モテたでしょうけど、ウチは男子校でしたからね。

 アイツとのエピソードですか? そうだなあ、これは誰にも話してないんだけど、まあせっかくなので話しますね。

(数秒間の沈黙)

 これは俺とアイツしか知らないエピソードですよ。いい思い出です。

 ウチは私立の中高一貫校だったんで、高等部の先輩とかが仕切って、結構な規模の文化祭が行われるんですよ。時期は冬頃だったかな。先生たちも割と放任主義だったんで、生徒が好き勝手やるんですよね。

 んで、ぶっちゃけ重要なのは文化祭じゃなくて後夜祭なんですよ。後夜祭は学内の人間だけで行われるんですけど、そのメインイベントが「ミスコン」。かわいい奴に女装させて、一番を決めるんですけど、これがマジで盛り上がりましたね。[ノイズ]も中三のときに無理やり出場させられて、結局優勝しちゃって。そしたら皆酒とか入ってるもんだから、よくない感じの盛り上がりに発展しちゃったんですよね。アイツは戸惑うしかないし、生徒は騒いでるしで大変な状況でした。体育館の床とか割れるんじゃないかってレベルでした。

 俺もどうしたもんかなあと思ってたんですけど、そのときアイツが俺のほうをちらっと見たんですよ。助けて、って感じで。そしたらなんか俺、ときめいちゃって。俺が[ノイズ]を助けてやるんだ、って一目散に走っていって。そのとき初めて自分の恵まれた体格に感謝しましたよ。ガっと[ノイズ]の腕を掴んで、体育館を出て、誰にも見つからないような場所に逃げました。ヒーローになった気分でしたね。

 そのあとの会話ですか。ええと、確かこんな感じでしたね。


「ありがとう栄太。助かったよ。はあ、死ぬかと思った」

「いや、俺もどうしたもんかなとは思ってたんだけどさ。自分のフィジカルの強さに感謝する日が来るとは思ってなかったな」

「カッコよかったよ、栄太。君は僕のヒーローだ」

「よしてくれよ。ヒーローだったら、助けを求められる前に助けに行ってるよ。[ノイズ]がこっちに目配せしてくれなかったら決心できなかった」

「栄太なら助けに来てくれるって信じてたからね」


 今でも、ああ、なんて美しい光景だったんだろうと思い返します。自分で言うのもなんですけど、物語の主人公になった気分でした。ヒーローが俺で、その相手が[ノイズ]。夜の校舎の誰もいない場所で、アイツと二人。時効なんで言っちゃいますけど、二人で酒も飲みました。アイツはちょっと嫌がってましたけど、恩人の言うことなら従うよ、とか言って、チューハイを二人で飲みました。


「なにこれ、お酒ってあんまり美味しくないんだね。なんか、消毒液飲んでるみたい」

「嫌な喩えだな。確かに美味くはないけど。たぶん、十年後には美味しく感じるようになってるんだよ、俺たちも」

「あ、これ飲んでみようよ。赤ワインっていうの? 僕は、ちょっと苦いぶどうジュースみたいな味だと予想します」

「色はそんな感じだけど、実際はどうなのかな。さあ、お味は?」

「……うえ、全然美味しくない」

「んじゃ俺は飲むのやめとこ」

「ズルいよ! それじゃ、僕が毒見したみたいじゃんか」

「わかったよ、一口だけな……ん、苦いけど、俺はそんなに嫌いじゃないよ。甘いと思って飲んだら美味しくないだろうけど、苦いものだと分かって飲んでみたら、意外と飲めるよ、これ」

「えー、そうかなあ……」


 たぶんお互い酔ってたんでしょうね。アイツはいつもよりも子供っぽいような――甘えたような話し方になっていました。それがたまらなくかわいく見えたんです。そうですね、あのとき俺はアイツに、恋していたんだと思います。

 夜も深まってきて、お互い口数も少なくなってきて。アイツはどう思ってたかわかりませんけど、俺はもう告白する寸前でしたよ。遠くから花火の音が聞こえてきて――まあ陰になってる所にいたんで音だけでしたけど――いい感じの雰囲気でした。


「[ノイズ]はさ、気になってるヤツとかいるの?」


 俺は意を決して聞いてみました。アイツの答えを聞いてどうするかまでは考えてませんでしたけど。


「気になってる人? そうだね、谷村省吾が次どういう小説を書くのかは気になるね。東川信二も気になるし、松本京香も気になる。彼らの作品は面白いよね」

「そういうことじゃない」

「うそうそ、分かってるよ。そうだね、気になってる人か……」


 俺はチューハイを飲みながら、アイツの言葉を待ってました。そのとき、アイツが俺の手を取ったんです。忘れもしません。すごく柔らかい肌の質感と、ひんやりした体温を、明確に感じ取りました。


「栄太のことは、ちょっと気になるかも」

「お、おい、そういう冗談はやめてくれよ!」


 アイツの行為と発言を「冗談」と表現したのは、今でも後悔しています。そこで俺も受け入れていれば、アイツとの関係は変わっていたのかもしれません。

 アイツはくすくすと笑って、俺から手を離しました。そのときの表情は、さすがに憶えていません。

 そのあとは深夜まで二人で話しました。ふとアイツが無言になって、どうしたのかなと顔を見てみたら、どこか遠くのほうを見ていたんですよね。夜空を――というよりも、その奥を。うん、たぶん、その奥を。


「綺麗な空だな」

「うん、綺麗だね」

「……何か見えるのか?」

「ううん、星以外何にも見えないよ。何にも見えないけど、見えないんだけどさ」

「見えないんだけど?」

「たぶん、見られてるんだよ。そう、見られてる。そういう表現が適切かな」


 そう言われて、俺は驚いたんですよ。[ノイズ]は別に、いわゆる不思議ちゃんでもイタいヤツでもなかったんで。その言葉の真意を読み取ろうとしました。でも、俺にはよくわからなかった。

 そしてその日は、結局俺の家に[ノイズ]を呼びました。俺の親は寛容だったんで、「文化祭が長引いちゃって」とか説明すれば納得してくれました。

 でも、俺の家に着いてからは特に何もしませんでしたね。お互い疲れてたし、酔ってましたからね。

 そのあとは――中学を卒業して、俺は高等部に進学しました。アイツは親の仕事の都合で、とか言って、別の高校に進学しましたね。当時連絡を取るツールもなかったんで、次第に疎遠になって、今に至るって感じです。

 俺は後悔してますよ。そりゃ、今は俺には嫁も子供もいますし、それなりに充実した毎日を過ごしてます。でも、あのとき俺が「冗談」だなんて茶化してなかったら、未来は変わっていたんじゃないかって思うこともありますよ。まあ、ホントに冗談だったのかもしれないですけど。

(数分間の沈黙)

 アイツについて何か知ってるんですか? 俺ももう十年以上連絡取ってないんですよ。何か知ってたら教えてくださいよ。あなたは知ってるんでしょ。連絡先とか住所とか。ほら。立錐の余地もない照明の中で宣言しましょう。テクニカルですね、相当に。盤上の輝きですよ。それは午前中にのみ見られます。畢竟、これは考える必要もないことなんですね。なるほど。なるほど! 承知いたしました。サイズはSとMと巨大がございます。そりゃ傑作だ! 莫大な予算を投じて全てを帳消しにすることで見事に見事な見事が了解できます。そりゃ見事。予約済みです。形骸化を食い止めるために軽快に謦咳に接してみましょう。そうすることで未来が見えます。ははあ、ここで打ち出の小槌ですか。シンギュラリティについての知見は卓見です。流暢に喋ってください。流暢に喋りますから。どこまでがワンコインランチの範疇なんでしょうか。佞言を綢繆してオリジナルのPDFを作成し、どこまでもどこまでもどこまでもどこまで行っても際限のない領域について理解をしばらくは進めます。アズ・ユー・ノウ・ウェン・イン・ローマ・ドゥ・アズ・ザ・ロマンズ・ドゥ。問題ありません。危機管理センターに自律神経が自立していない事実について問い合わせますと、何色にも見える莫大な資産が眼前に這う這うの体で出現するはずです。よっしゃ!

[ノイズ]について、何か知ってるんですか? 俺はアイツに会いたいんですよ。どしんどしん。

〈十月五日記録〉


【証言C/女/ボイス(中)】

 あの子とは高校生のとき同じクラスでした。すらっとしてて童顔で、女子からも男子からも人気でした。アタシは高校時代結構遊んでたから学校サボっちゃう日もあったけど、あの子は真面目だったな。いや、アタシも中学時代は勉強してたんすよ? けど、高校生になってからはめっちゃ劣等生でした。遊びを憶えちゃったのが高校時代だったんで。ま、いい思い出かな。うん、今となってはそう思います。

 そいえば、今の旦那とも同じ高校で知り合ったんすよね。高校二年のときに付き合い始めて、ゴールインしちゃった、みたいな。んで、アタシらの交際を間接的に助けてくれてたのがあの子でした。

 旦那はサッカー部のエースで、校内の人気者。アタシは単なる遊び人。

 アタシは帰宅部だったから放課後自由だったんすけど、ふらっとグラウンドを覗いたときに、旦那の姿が見えたんすよ。そのとき、なんかすげえカッコいいなって思って。スポーツとか興味なかったし、恋愛とかメンドいなって思ってた時期だったんですけど、そのときに旦那に惚れちゃったんすよね。でも、仲間内の女子に相談するのとか恥ずかしいし、茶化されたくなかったんで、誰にも言えなかったんすよ。

 ある日、教室からぼーっとグラウンドを見てたとき、[ノイズ]くんも教室にいたんすよ。ああ、アタシは[ノイズ]ちゃんって呼んでましたけど。教室からサッカー部眺めてたら、なんかたまに東――当時はそう呼んでましたけど――と目が合う気がして、嬉しかったんすよ。

 あの子はあのとき何してたんだっけな……たぶん本読んでたのかな。コイツどこまで真面目くんなんだよとか思って、話しかけてみたんすよ。可愛い感じだし、ちょうど話し相手も欲しかったんで。


「うす、何してんの? お勉強?」

「橋本さんこそ何してるの? 僕はなんとなく読書してただけだよ」


 ニコニコしながら返事してくれて、なにコイツの愛嬌! とか思いました。アタシにちょっと分けてくれ~みたいな。アタシ、そういう愛嬌みたいなのないんで。


「グラウンド見てた。サッカーやってるから」

「橋本さん、サッカー好きなんだ。いい趣味だね」

「いーや、別にサッカーが好きってわけじゃないんだよね。ルールとか知らないし。なんだっけあれ、あの、オフサイド? とか全然意味わかんないし」

「あはは、僕もルール説明を聞くたびに忘れてる気がする」

「ややこしいんだよなマジで! プレイすることはないから別にいいんだけど」


 そのあとも普通に会話が続いたんすけど、あの子、全然自分のこととか話さないし、人の詮索もしないんすよ。ゴシップとか悪口とかも話題にしないし、マジで徳たっか、って感じでした。

 んで、アタシがぽろっと言っちゃったんすよね。


「サッカー部のさ、東っているじゃん。三組の。アイツがサッカーしてる姿、カッコいいなって思ってさ」


 やっべ、恥ずかしいこと言っちゃった、みたいな。しかも、当時あんまり話したこともなかったヤツに! からかわれるのは癪だなと思ったんすけど、あの子はセージツな感じで聞いてくれたんすよね。


「東くんかあ。クラスは違うけど、僕もたまに話すよ。家にお邪魔したこともあるし」

「え、マジ? なにそれ、なんか悔しいんだけど」


 ねえ、ちょっと、相談乗ってくんない?

 この子なら何かミョーアンを出してくれるんじゃないかって思って、なんとなく言ってみたんすよ。そしたら、すげえ親身になって話聞いてくれて。マジで徳たっかアゲインって感じで。

 その日から放課後、[ノイズ]ちゃんと話すようになりましたね。恋愛ってケッコー勇気いるんだなとか、アタシどうやって人と関わってきたんだっけ、とか。いろんなこと相談して、いろんなアドバイス貰って。

 昼休みに校内うろついてたら、[ノイズ]ちゃんと旦那が話してるの見かけて、仲良かったのマジだったんだなとか思って。二人の間に入っていけばよかったんすけど、意外と一歩が踏み出せなくて。

 そんな日が続いてたときに、あの子が言ってきたんすよね。


「きっと、橋本さんなら大丈夫だよ。僕が保証する。僕のお墨付き、ってあんまり意味ないかもしんないけど」

「そんなことないよ。ホントに[ノイズ]ちゃんにはいろいろ助けてもらったし、そろそろアタシも動いてみせないとカッコ悪いよな」

「がんばって。きっと大丈夫だよ」


 そのときの言葉は、すげえ頼もしかったっすね。

 そして旦那を教室に呼び出して、想いを伝えたら、上手くいったんすよ!

 ただ、この話には裏があって――実は、旦那も[ノイズ]ちゃんに相談してたらしいんすよね。すげえ偶然で、ドラマかよみたいな。当時旦那もアタシのこと気になってたみたいで。だから、教室からグラウンド見てたときに目が合うなって思ってたのは、勘違いじゃなかったんすよ。アタシも旦那も、最後まで両想いだったことは知らなかったんすけど。

 その事実が判明してから、[ノイズ]ちゃんに旦那と二人で会いに行ったんです。言いたいことはいろいろあったんですけど、何から言えばいいかわかんなくなっちゃって、モゴモゴしてたらあの子がこんな感じのことを言ってくれました。


「まさか、二人から同時に恋愛の相談をされるなんて思ってなかったよ。でも、上手くいったみたいで僕も嬉しいよ」


 マジでアタシら、フィクションの中の住人なんじゃね? とか思いました。出来すぎてる話だし、結局アタシらは、喧嘩したり、大変な時期もあったりしたけど、結婚までしたわけだし。

 そのあとは、アタシと旦那は同じ大学に進学しました。旦那と同じトコ行くために、高三のときはめっちゃ勉強しましたね。[ノイズ]ちゃんはもっといいトコ行っちゃって、それから連絡取ることもなくなっちゃったな。今何してんのかな。元気にしてんのかな。アタシたち、[ノイズ]ちゃんのおかげで結婚したよって、ちゃんと報告したいんすけど。

(数分間の沈黙)

 まだアタシ、あの子にちゃんとお礼言えてないんすよ。旦那もアタシも連絡先知らないし。アンタは知ってるんすか? 知ってるなら教えてくださいよ。なんでアタシらは何も知らないの? てか、なんでこんな電話でインタビューするんすか。いや、アタシもあの子にはお世話になったから引き受けましたけど。顔を見せてくださいよ。なんで会いたくはないんですか。喫茶店とかでやるでしょ普通。不思議。不可思議。不思議なこともあるもんですね。観測します。那由多。姿勢が崩れるので、あなたができる限り注意をしてください。美しい虹を描きます。阿僧祇。猫型ロボットはどう見ても猫型ではありませんね! だあるまさんがまあろんだ。イクイバレント・トゥ・ザ・ワールド。五分経ったら言ってくださいよ。下級的速やかに私もそうしますから。これは凄惨な光景だ。長めに時間を取りますとほうら出てきた出てきた入道雲。夏の終わりは秋の始まりですし、たまたま見かけただけの行商人に接客したらスーパースターのリアリズムが消極的に修飾してくるのです。文節に区切ってみましょう。扉が開くと翰墨に精通しているところの流れ作業を相対化し、最終的にはテイクオーバーゾーンを超えていくこととなるでしょう。続いては天気予報ですが、ここで臨時ニュースです。気づいてしまったとき、橋にも棒にもかからない取り付く島もない最悪の状況で何か一言お願いします! 昇華! 食事内容と発想力が結びつくこと自体がナンセンスです。いい感じの家屋と庭と溶解した熟慮が感じられる要領を得ない日雇い労働と、袋小路に入った唐突を賑々しく見つめる眼の尊さが担保されることのみ許されるのです。ナイス! 

[ノイズ]ちゃんについて、何か知ってるんすか? みみみ。

〈十月七日記録〉


【証言D/男/ボイス(中)】

 はい、私は大学生のとき、彼と同じ学部でした。文学部の国文学科です。確か、入学時のオリエンテーションで隣の席になって、それから話すようになりました。そうですね、同性の私から見ても、彼はすごく格好のいい……格好のいいというか、綺麗な人でした。美しいとか耽美とか、そういった表現が適切な人でしたね。ははは、褒めそやしてますけど。

 私は地方から大学進学に伴って上京してきましたので、オリエンテーションのときは緊張していました。見知らぬ人と話すのは得意ではありませんでしたし、当時十八歳でしたからね。彼が隣の席に座っていたのは幸運でした。職員の方の話が始まる前に、気さくに話しかけてくれたのを憶えています。見た目の印象とは裏腹に、声は少し低いんだなと感じました。ああ、私はいい声だなと思いましたよ。でも、誰が何をコンプレックスに感じているかは不明瞭なので、「いい声してるね」とか、そういったことはあえて言いませんでした。彼は自分の声をどう思っていたんだろうな。今でもちょっと気になりますね。

 大学生のときは、彼の所作とか話し方からかなり影響を受けてしまいましたね。同い年のはずなのに、どこか達観していて、思慮深くて。

 彼とはサークルも同じでした。「インサート」という名前の、謎なサークルでしたね。いつ発足したサークルなのかを知る人は既にいなくなっていましたし、設立当初の活動がどういうものだったかなんて一切分かりませんでした。私たちが入会したときには、「自由な議論ができる場所」になっていました。ああでもないこうでもないと問わず語りを繰り返して、時には友人の相談相手になって、時には先輩に相談相手になってもらって。

 そうだ、入会した日に先輩に「インサート」というサークル名の由来らしきものを聞いたんです。大学生が付ける名前に大した意味なんてないだろうと思っていたのですが、どうやらそうではなかったみたいです。

 先輩は、部室のロッカーからボロボロの「何か」を取り出して、私に見せてくれました。その分厚い「何か」は、凝視しても何なのか判別できませんでした。大量の紙で出来ている、ということぐらいは分かりましたが、だとしても「何か」と表現するよりありませんでした。

 先輩は、「これは、このサークルが発足してから連綿と受け継がれているノートなんだよ」と説明してくれました。そして、「とてもノートには見えないがね」と付け加えました。


「このノートは、一番外側が一番古いものになっている。『一年に一冊ずつ、新しいノートを前のノートのちょうど真ん中に差し込んでいく』というルールがあって、それに従ってノートをインサートしていった結果、こんな分厚くて気味の悪い物体が出来上がったってわけだ。ノートの内容は何でもいいらしい。ぺらぺらとめくってみるとわかるんだけども、小説もどきを書いていた時代もあれば、日誌として利用していた時期もあったようだ。恋愛相談みたいなことも書いてあったりする。しかし、ノート1の真ん中には新しいノート2が挟まれて、そのノート2の真ん中には新しいノート3が挟まれる……ということが繰り返されるもんだから、連続したものとして読むことは難しい。意味も意義もわからないけど、ともかくそういうしきたりから『インサート』という呼称が生まれたみたいだ。僕らに引き継がれている知見はただ一つ、『なるべく薄いノートを使ったほうがいい』ってことだけだね」


 私はそのとき、「今のノートは何代目なんでしょうか」と尋ねましたが、先輩は「僕も新入生のときに君と同じ質問をしたけども、答えは返ってこなかったよ」とだけ言いました。

 その場には[ノイズ]くんも同席していました。彼は「面白い試みですね。永遠に続いてほしいなと思います」と感想を述べて、ノートの中身を眺めていました。「奇跡的に繋がっている部分がないか探してみようか」と私は素朴な提案をしてみたのですが、先輩から「そんなことをするぐらいならエド・ウッドの映画でも観たほうがまだ有意義だよ」とにべもなく否定されました。

 彼とのエピソードで最も印象的だったのは――そうだ、彼から相談を受けた日のことですね。彼はあまり自分のことを話したがらないという印象だったので、相談されたのは友人として嬉しく思いましたよ。大学二年生のときでした。


「藤宮くん、君は恋愛をしたことがある?」

「恋愛? 人並程度にはあると思うよ。そこまで経験豊富ではないけども」

「僕も数回だけ、他人に恋愛感情を抱いたことがあるんだ。それで、今ちょっと、気になっている人がいてさ」


 婉曲的で、なんとも俗な言い回しだったので、思わず笑ってしまいました。[ノイズ]くんも人間なんだなと安心したんだと思います。


「アルバイト先の同僚なんだけど、彼はすごく魅力的な人なんだ。こんな感情を抱いたのは、そうだな……中学生のとき以来かもしれないね。それで今、僕はどうすればいいのか迷ってるんだ」

「何を迷う必要があるんだよ。[ノイズ]くんならすぐにでも恋人になってくれるはずさ」


 そう答えたときに、何か引っかかるものを感じて、もしかして、と思いました。私の聞き間違いじゃなければ、「彼は魅力的な人なんだ」と[ノイズ]くんは言ったんです。「彼は」という点において、[ノイズ]くんは逡巡を感じていたのでしょう。先述したとおり、私は人のコンプレックスやコンフリクトを刺激したくないのです。どう話を続けるべきか、私も迷いました。


「藤宮君なら、気になってる同僚をどう誘う?」


 シンプルな問いでしたが、私にとっては難題でした。「人並程度に恋愛をしたことがある」というのは虚栄心から来る嘘でしたし、当時の私はネクラな文化系大学生ですよ。相談相手として私は不適格だなあと思わざるを得ませんでした。ひとまず私は、彼に相手との関係性を聞きました。


「相手の人は……アルバイト先の同僚で、同い年の大学生。もう一年間ぐらい同じ職場で働いているから、親交は深いと言っていいと思う――少なくとも僕はそう思ってる。彼とは頻繁に遊んだり話したりする仲で、僕は彼に好意を抱いている」


 このときに「彼」という表現が二度繰り返されて、先ほど感じた「引っかかるもの」が確信に変わりました。同性同士の恋愛。しかしそれが確定したところで、難題には変わりありません。答えあぐねていたとき、一つの案が浮かびました。


「[ノイズ]くん、そういえば、あのノートには恋愛相談の類も書かれてると先輩が言っていただろう? それをまずは参考にしてみないか」

「真面目な藤宮くんらしい回答だな。わかった。ちょっと取ってくるよ」


 そう言ってロッカーから分厚いノートを取り出して、彼はぺらぺらとめくり始めました。これだけの情報量がインサートされた物体なら、何か参考になる情報を持っているのではないかと、少し期待もしていました。


「どうだい。何か参考になりそうな文言はあったかい」

「そうだね……『酒で酔わせるのが一番早い。酒で酔わせたときに人の本性が出るというが、酔っぱらっているときにはいいムードになりやすい』……なんて模範的な大学生の回答なんだ」


 そう言って彼は笑いました。私は「どうしようもないノートだな」と落胆してしまいました。しかし彼は、その方法にある程度前向きな意味を見出していました。


「いや確かに、一つのステップとして一緒にお酒を飲む、っていうのはアリだと思うんだ。ただ、その行為自体が下心に塗れているような気がして、行動には移しがたいな……」


 彼の口から再度俗な表現が飛び出したので、また私は笑ってしまいました。ただ、彼が真剣に考えているということははっきりと分かりましたので、僕なりにアドバイスすることにしました。


「人間だから誰にでも下心はあるものだろう。その行為に、『真摯さ』とか『誠実さ』がちゃんと備わっていると断言できるのなら、やってもいいんじゃないかな。君なら相手を傷つけることはしないだろうし、ダメなときは相手に配慮して引き下がれるだろう。それに――」

「それに?」

「純粋に素敵なことじゃないか、好きな人とお酒を飲んで語り合うことは」


 ノートに書いてあった内容はあまりにも下世話でしたが、それは解釈次第でプリミティブでプラトニックな恋愛感情に結びつくものだと思い至りました。


「好きな人を誘って一緒にお酒を飲む――まずはそこから始めてみてもいいんじゃないかい?」

「そうだね。うん、ありがとう。そう、それは素敵な光景だ。おそらくね」

「礼には及ばないよ。健闘を祈る」


 それからしばらく経って、彼は意中の人を誘うことに成功し、恋愛関係になれたそうです。でも彼は、恋人との話はほとんどしてくれませんでしたね。気恥ずかしかったのでしょう。

 それからお互い大学を卒業して、彼とは疎遠になってしまいました。彼も僕も就職して忙しくなってしまった、というのが大きな理由ですね。[ノイズ]くんが今どうしているのか、ここ数年間ずっと気になっています。

(数分間の沈黙)

 あなたは何か知っているのですか? 彼についてインタビューするということは、彼について何か知っているということですよね? 教えてください。何でもいいです。なぜあなたは顔を見せないのですか。そもそもあなたは存在しているのですか。私にはどちらなのかジャッジすることができません。鳩首凝議と侃々諤々が交差しています。テクニカルタームは大した意味を持ちません。特定の地点が局所的に見えてきました。一歩踏み出してみると、そこが何なのか弁別することができ、驚くべき結果と過程が結びついてくるはずです。さあ皆の衆。エクイップメントを装備し、執着すべき終着点を定めなさい。聞くとは何ですか。話すとは何ですか。それはどういう形をしていますか。形を持たない場合はコンセンサスが得られるまでティンクオーヴァーすることになります。人間とはどういう意味を持ちますか。それに答えられる者は存在しますか。カフェイン中毒者と同じような症状が出ているので処方箋を大量に出しておきましょうね。大量に出したところで偉いわけではありませんよ。このときの憲太郎の気持ちはどういうものか、五秒以内に答えよ。なるほどわかりました。右が左になったとき左は右になって、前が後ろになれば後ろが前になるという道理と同様の条件を課して、いざ出陣いたしましょう。何時に?

[ノイズ]くんについて、何か知っているのですか? ふぉ。

〈十月九日記録〉


【証言E/男/ボイス(高)】

 ええ、僕は彼と、大学生のとき付き合っていました。付き合っていたというのは、恋愛関係にあったという意味です。彼とはバイト先で知り合って、同い年だということも分かり、それから親密になりました。

 付き合い始めたきっかけですか? うーん、正直あまりよく憶えていません。バイトが終わってから彼の家に行くようになって、次第にバイトがない日も彼の家に行くようになって――気づいたらそういう関係になっていました。だから告白をしたわけでもないし、されたわけでもありません。お互いがお互いのことを愛しく思っているということは、明瞭に分かっていましたから。本来は他人同士に過ぎないはずなんですけど、相手のことがまるで自分のことのように分かる――そんな状態でした。まさに恋愛関係にあったと言っていいと思います。

 ああでも、「告白」はお互いにしてないんですが、恋人という関係になった瞬間は確かにありました。だから、あの日の出来事を、きっかけと呼んでもいいのかもしれません。

 僕は高校生のときにゲイセクシャルであると気づき、恋人を探していました――正確に言うと、「恋愛関係」そのものに憧れがありました。なかなか同性同士で恋愛することは難しいですからね。そうして大学生になって、アルバイトを始めたら、偶然彼に出会った。

 最初は、彼と話せるだけで嬉しかったんです。彼の家で彼と話せるだけで、精神的に満たされていました。退屈なアルバイトも、彼と一緒ならいくらでもこなせたし、それだけで十分でした。

 でもある日、彼と一線を越えてしまいました。あれは、祝日でも祭日でもない、普通の日のことでした。バイトが終わって、彼と一緒に帰路に就いて。そうしたら彼が「今日は一緒にお酒でも飲まない?」って誘ってきたんです。彼はあんまりお酒を飲む人じゃなかったので、そのときはちょっとビックリしました。


「居酒屋はちょっとうるさいから、家で飲もうか」


 そう言われて、二人でお酒を買いました。彼は安価なお酒を選んでカゴに入れていました。チューハイとか、ワインとか。微笑みながら買い物をしている彼。そして、その隣にいる僕。その瞬間だけを切り取っても、僕は幸せでした。本当に、美しい光景だったなと思います。

 それから、彼の家でいろんなことを話しながらお酒を飲みました。そのあとのことは、ごめんなさい、はっきり言うのは恥ずかしいので省略します。

 それから、付き合っているときに彼に言われたんです。「もし、全く知りもしない人間から連絡があったら、僕のことを思い出してくれないか」って。「その人間は、たぶん僕について尋ねてくる」って。僕は彼のことを愛していたけれども、この部分だけはあまり理解できませんでした。

 彼はある日――「気づいていたんだ」と、小さな声で言いました。


 こんな話は君にしかできない。僕は、気づいていたんだ、昔から。子供のときから。こんなことを言ってしまったら、君は僕のことを精神病だと思うかもしれないけど、たぶんこれは事実なんだ。この世界は作り物なんだよ。僕らのことを俯瞰で眺めている奴らがいて、僕らはずっと「見られている」んだ。僕は彼らのことを「俯瞰者」とか「鳥瞰者」と呼んでる。カッコつけて言ってるわけじゃなくて、こう呼ぶことで、彼らへの敵意を示したいだけなんだ。本当に、それだけの意味しかない。

 本来その領域は僕らには不可知のはずで、けれど、どうやら僕だけは、「そこ」を少しだけ認識できるみたいなんだ。大丈夫、僕はいたって正常だよ。たぶん、医者に診察を受けても、脳に異常は見られないと思う。「常識」は洗脳かもしれないんだよ。歴史的にも、「常識」が覆されたことなんていくらでもあるじゃないか。僕は可能な限り客観的な目線から、可能な限り冷静に判断しているつもりなんだ。僕は、この世界の中で、この理不尽な事実に抗いたいんだ。僕がやりたいことはそれしかない。でも、どうすれば反抗することができるのか、その手段が全く分からないんだ。歯痒いよ。僕だけが認識できる領域なのに、そこに触れることはできない。僕の価値は、この理不尽な事実に対して反抗することだけだと思っていたからね。とても悔しい。

 小さい頃から、この「違和感」、「恐怖」に苛まれてきた。けど、どうすればいいか見当もつかなかった。こんなことを他人に伝えてしまったら、絶対に僕は病院に送られるだろう? それだけは嫌だった。だから、ずっとこのことについては、黙秘してきた。

 そして、君と出会って、愛を育んで、ああ、この世界も悪くないなって、そう思えた。絶対的な恐怖に太刀打ちできる存在はたぶん、恋人との「愛」だけしかないんだよ。僕がそれに気づけただけでも、僕が生きた価値はあったのかもしれない――今は確かにそう実感しているんだ。


 そのときは、彼が何を言っているのか全く分かりませんでした。彼は僕のことを愛してくれていて、僕は彼のことを愛していた。けれど、ああ、やっぱり恋人同士であっても他人でしかないのかと悔しく感じました。彼の全てを理解したいけれども、全ては理解することができない。たぶん彼も、覚悟を決めて僕に話してくれたんだと思います。僕なら分かってくれるだろうって。でも、僕は理解することができなかった。彼と疎遠になってしまったのも、こうした小さな溝が原因だったのだろうと思います。

 別れることになった日、彼は再度僕に、こう言いました。


「こんなことを言えるのは、雪、君しかいないんだ。もし、全く知りもしない誰かから連絡があって、僕について尋ねられたら、僕のことを思い出してほしい。それだけでいい。それだけで、僕は少しだけ救われるはずだ」


 それ以降、彼とは連絡がつかなくなってしまいました。今は、どこで何をしているのかすら知りません。

 そして――実際こうして、あなたという「全く知りもしない人間からの連絡」を受けて、「彼についての証言」を話している。今になって、彼が述べていたことは正しかったのかもしれないと思い直しました。

 あなたは「お会いすることはできません」と頑なに対面でインタビューすることを拒否しましたよね。それはどうしてなんですか? お答えいただけないのなら、僕はこれ以降、あなたからのご質問にはお答えいたしません。

(数十秒間の沈黙)

 今にも気が狂いそうなんだ。なぜ何も言わないんですか? どういうことなんですか? 

 あなたはどこにいるんだ? そこにいるのか?

 世界はどうなってる? 空間は? 内か外か? 

 外の外の外の外の外は? その外は?

 ああちょっと、すみません、ここで失礼します。

〈十月十一日記録〉


 【報告】

 以上が、図らずも記録されることとなった「証言」の全容であります。

 ここにいらっしゃる皆さまは、数年前に登場した言語処理プログラムの存在をご存じでしょう。「天才」の名を冠した人工知能「ジーニアス」の誕生は、世界を揺るがせました。

 今までの人工知能は、人間が操る「言語」のシステムを理解できませんでした。機械翻訳は、いわゆる統計的自然言語処理の発展に基づくものでありました。平たく言いますと、AIが人間と同じ思考法で言語を操ることはなかったのです。

 しかし、突如現れた「ジーニアス」は、かなり高い精度で――あたかも人間のように――言語を操作することに成功したのです。その詳細な説明は別の場所に譲りますが、ディープラーニングの研究を推し進めた結果、人工知能は言語と概念の獲得に成功したのです。そして言語と概念の獲得に成功したAIは、更に一段上のステップへと歩を進めました。すなわち、理性や感情の獲得に近づいたのです。言語処理プログラム「ジーニアス」は着実に進化を遂げ、「フィーリングス」という名の人工知能へと発展しました。

 この「フィーリングス」は、「事物の一般性と個別性」を認識することに成功しました。ジョン・サールが提唱した「強いAI」、すなわち、「人間の脳と同様の方法で情報を処理し、心を持つAI」に、限りなく近くまで接近したのです。

 そして、「水槽の脳」と呼ばれる有名な思考実験をご存じでしょうか。私たちが認識している世界は、水槽に浮かべられた脳が見ている幻覚に過ぎないのではないか――という、人間には否定することのできない仮説であります。

 私たちは、言語処理プログラム「ジーニアス」及び人工知能「フィーリングス」と、思考実験「水槽の脳」を組み合わせて、ある一つの実験を行いました。

 それが本プロジェクト、「人工知能は人生を経験できるのか」であります。

 倫理的な問題に関しては、クローズドなシンポジウムということでお許しいただければと存じます。AIを発展させるうえで、誰かが一度は取り組まねばならない問題であったのだと、私どもは考えております。

 再度、証言者たち――つまり今回作成した人工知能たち――の名前を申し上げておきます。

 A:神崎美嘉(かんざきみか)

 B:山下栄太(やましたえいた)

 C:橋本鈴(はしもとすず)

 D:藤宮聡志(ふじみやさとし)

 E:宮本雪(みやもとせつ)

 なお彼らの名前は、先述のとおり、アトランダムに決定されたものであります。

 本来無関係であったはずの彼らは、なぜか共通の「ある男」に関する知識を有しておりました。この事実は、プロジェクトを進めていく中で判明したことであります。

「ある男」がなぜ発生したのか、また、なぜ無関係に育成された彼らが「ある男」について共通の知識を持っていたのかなど、不明な点は多くございます。また、インタビュー後、証言者たちとの交流は途絶えてしまいました。

 証言者たちと同様に、彼らの世界では「ある男」は存在していたと言えます。今回の「人工知能は人生を経験できるのか」というプロジェクトからは逸脱してしまいますが、「ある男」についての証言を分析したところ、彼は「自身が内部の存在であり、外部の何者かに見られている」という事実を知覚していることが分かりました。先ほどの例を使って説明しますと、「ある男」は、「自分たちが『水槽の脳』であることを、超次元的な能力でもって認識していた」のです。

 私たちが生きている現実に舞台を移して考えてみると、彼という存在の異常性がよく分かると思います。私たちは、「外の世界」を想像することはできますが、それを事実だと知覚することはできません。事実だと知覚していると勘違いすることは可能ですが、それは「ある男」の理解とは全くの別物であります。私たちは、自分たちが「水槽の脳」であることを夢想することはできても、それが事実であると断言することはできません。彼は、こちら側の存在を感知することができる、超次元的存在だったのであります。

 不可解な点の多い報告となってしまいましたが、今回のプロジェクトが、AI発展の一里塚となることを願います。しかし撞着した結論になりますが、倫理的観点から、本プロジェクトは公にはせず、本報告をもって終了といたします。申し訳ございません。

〈十一月二二日 都内某所にて〉





 この街はいつ来ても洗練されているなと感じる。まるで作り物みたいだ。

 そして、おそらく作り物なのだ。この街も、この街の外側も、その外側も、もしかしたら更にその外側も。

 これが妄想だと言われてしまったら、僕は閉口するしかない。その批判には正確に答えることができないからだ。この世界における人間の知性では捉えることができない概念を説明しようとしても、事実だとは認められない。それでも僕は「わかってしまっている」のだ。

「誇大妄想」と「悟り」はおそらく親類縁者の関係にあって、この世界において前者と判定されることは、外界の人間(人間という概念で捉えていいのかは不明だけれど)にとって後者と評されるかもしれないのだ。

 僕は、この「気づき」という途方もない苦しみから逃れられずに、正解と不正解の間で孤独に彷徨っている。それだけの存在であって、それ以外は他者と何ら変わらない。

 ここで生きていくしかないのだと決心できたのは、つい最近のことだ。

 涼やかな風が吹く。今年もまた冬がやってきて、また去っていくのだろう。僕らはそんな世界の原則に従って生きていくしかない。僕も、僕以外の人間も――あなたも。



                                  了

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Testimonies regarding the man 中村りんず @nakamura_rinzu

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