【異説】ファースト・エンペラー

紫陽_凛

秦王政と呂不韋

公子異人と商人の息子


 おれの親父の異人いじんは昔、ちょう国の人質だったことがあるらしい。一応、しん国の公子だったというが、ときの秦国王昭襄しょうじょう(おれのひい爺さんにあたる)が、不可侵協定を破りまくって趙国に軍事攻撃を繰り返していたものだから、親父・異人の人質としての価値はがた落ち。趙国で冷遇されてみすぼらしい恰好をしていたものだから、もはや「公子」「人質」なんて名ばかりだったね。後ろ盾も居ない王族?なんて、ただの人間だ。その人間を発掘したのが、あの男だ。

 呂不韋りょふい

 あいつは親父の顔、すがたかたちを見て、それが秦国公子だと知って、こう言ったそうだ。

「これ奇貨なり。居くべし」

 つまりこういうこと。――これは思いがけないだ。

 商人の家系ってのは、みんな「あんな」なんだろうか。呂不韋は父親と話し合い、秦の公子たる異人に「投資」することを決めたのさ。

 あいつにとって親父は金の生る木にでも見えていたんじゃないかな。少なくとも俺はそう思ってるよ。


 呂不韋はまず(おれの)祖父じいさん、安国君あんこくくんの寵姫、華陽かよう夫人に話を通した。『公子異人は非常に聡明で、あなた華陽夫人を母親のように慕ってお過ごしです』まったく舌も頭も回る奴だよな。夫人には安国君の寵愛があったけれども、肝心の子供がいないから、このまま歳をとってしまえば自分の立場が危うい。呂不韋は彼女のそうした不安に付け込んで、まず親父の後ろ盾を固めにかかったわけだ。夫人はこのことを安国君に話して、安国君もそれを承諾した。何も持たなかったみすぼらしいかわいそうな公子・異人に、晴れて養母ができたのだ。

 異人はこれを聞き、呂不韋を自分の後見人にした。華陽夫人が国の公女だったから、親父は異人から子楚しそに名前を改めた。子楚は呂不韋に感謝した。いずれ来る自分の時代、その時の厚遇を約束したのさ。呂不韋の思うがままにね。

 

 え?急に名前を改めるな?ややこしい?そんなこと言われても。おれたちの生きた時代には普通のことだったんだよ。


 ともかくだ、呂不韋は親父の後見人。そして俺の親父、異人あらため子楚は呂不韋の「金の生る木」だったわけだが……。親父の受けた恩を、別にその子供のおれが返す道理も義理もないわけだよ。おれは呂不韋に甘い汁だけを吸わせるつもりは毛頭なかったさ。

 おれは生涯、あいつを許さないよ。






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