第8話

 業務に励む日々の中で、僕はやがてルカのことを忘れていった。

 十一月のある朝、出社すると僕のパソコンに広報からのお知らせが来ていた。

 社長のインタビューが雑誌のサイトに掲載されたので見ておくようにと、全社員に向けたメッセージだった。会社の記事が公開されると、内容に関する質問や意見等が来ることもあるので、事前に内容を把握してそれに備えるのだ。

 僕は、その日の仕事に取り掛かる前にサイトをチェックした。

 僕が気になった箇所を抜粋しよう。


記者「今、認知症で苦しむ多くの方がいらっしゃいます。御社の技術を以ってすれば、そういった方々の記憶を取り戻すことができるのではないかと思うのですが、考えておられますか」


神谷社長「いえ、技術的に難しいと思っています。記憶を消すことよりも復活させる方がより困難です。ある事柄を記憶の奥底にしまいこむことができるからといって、記憶を掘り出すことが容易だと考えるのは間違っています。例えば貴方のパソコンの中にあるデータを消去するのは簡単にできますが、一度消去したデータを復元するのは簡単にはできないことからもわかるでしょう」


記者「一部の研究機関では、外部装置に記憶をバックアップしておく研究もされていますが」


神谷社長「それは僕の研究の範疇外です。人間の記憶を全部パックアップなど、容量がいくらあっても足りないし、それらの記憶を取り出す作業はどうするか考えると、とても僕の手に負えるものではありませんから。だいたい人の記憶というのは不正確です。自分の都合のいいように書き換えるし、都合の悪いことは忘れる、そういう作業を日常的にやっています。記憶を外部装置にバックアップを取ったとしても、その記憶が事実の記憶なのか、もしかしたら偽りの記憶である可能性も否定できない。それから、日々の記憶の中には、辛いこと、悲しいこと、恥ずかしくて思い出したくないこと、忘れたいことが山ほどあります。記憶を保存する、或いは記憶を蘇らせるということは、そういった負の記憶も全てということになります。莫大な記憶のデータから必要なことだけを抽出し、不必要な記憶や思い出したくないことは封印する。それが可能ならすばらしいと思いますが、今の僕にはそうしたらそれができるのか、見当もつきません。他の方にお任せします」


記者「将来的にはどうでしょう」


神谷社長「考えていません。そもそも僕は、忘れたい悲しみを記憶の奥底に封じ込め、苦痛や悲しみから人の心を救いたくてこの研究を始めました。辛い経験や記憶に囚われた方を苦痛から解放することを目指したのです。記憶を蘇らせることは興味がないし僕の仕事ではない」


記者「社長ご自身、忘れたい経験がおありなのでしょうか」


神谷社長「ええ。ですが、辛い記憶を消すと僕の人生の大部分を消去しなければならなくなるので、あきらめました。僕は自分の辛い記憶を抱えたまま、生きていかざるをえないのです。ですから、弊社を必要とするお客様のご心痛が少しは理解できると自負していますし、親身になってご相談を受けることができると思っています」


 我が社に批判的な人はある程度の数いる。

「人の記憶を他者が消すことは正しいことなのか」

「記憶をコントロールするようになるのではないか」

 そんな時、社長は言う。

「人間は忘れられる権利も忘れる権利も持っている。我が社はそれを手助けするだけです。人間の記憶をコントロールすることは我が社に必要のないことだし研究もしていません」


 社長は常勤ではないので、僕ら社員は滅多に社長と会うことはない。本社には社長室があるけれど、来客用としてあるだけで、ほとんど社長はそこにいない。

 普段は自宅の研究室に籠もっているという噂を聞いたことがある。

「社長って人間嫌いなんですか」

 この会社に入って間もない頃、若松先輩に訊いたことがある。

「というより、どちらかというと人間が好きなんじゃないかな」

 そう若松先輩は言った。

「親しい人間とは、生きてると死別離別いずれ別れが来るでしょ。それが耐えられないんだと思う。社長はどちらかというと愛情深いタイプなんだと思うな。だからなるべく親しい人間を作らないという」

 映画に出てくる一匹狼のようだ。寂しくないのかな、と僕は思った。


「社長の忘れたいことってなんなんでしょうね」

 昼休みの社食で、いつもの世間話のように同僚の大森が言った。

「そんなもん、知ったところでどうなるん」

 金先輩がうどんをすすりながら言った。

「え、いや、何となく」

「本人が忘れたいことを他人のウチらが知る必要ってあるん?」

「う、ううん」

「誰だって忘れたいことの一つや二つあるんだから、他人のそれを知ったとしても、本人が忘れたいことなんだから、周りの人は忘れてあげるのが優しさってもんじゃない?違うん?」

 僕はそれらのやり取りを聞きながら、別のことを考えていた。


 先日、中学時代の同窓会があった。

 担任の先生も招いたのだが、ご家族から「認知症になったので欠席したい」と返事が来た。

 ある同級生の女性は「私も祖父が認知症だけど、歳を取って忘れていくのって、次に生まれ変わる準備を始めているんじゃないかと思うのよ」と言った。

 僕は同意できなかった。

 若年性認知症という病気もあるし、人が生まれ変わるのかどうかも確信が持てないからだ。

「彼女、宗教団体に入っているらしいよ」

 後で友人がこそっと言った。

 僕は、他人がどのような宗教を信じようと気にしていない。その人の救いになるのならそれでいいと思う。

 ただ、僕自身は何の宗教も信じていないし、個々が求める救いはそれぞれ違うから、ひとつの宗教がすべての人に当てはまるとは思っていない。

 僕はふと、ルカのことを思い出した。

 彼女も生まれ変わりを信じていたのだろうか。

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