第2話 始まりの(非)日常
教室に入れば先に校舎に入って行った二人が既にいるのは当然で、想花は自分の席に座り本来別クラスの愛菜は美青の席を借り横並びに座っていた。
ガラガラと鳴る開扉音に意識が向いた二人は、音の存在を確認しようと視線をこちらへ向けてきた。
「みーちゃんおはよう!」
「美青さんおはよー! いつもこんなに早く来てたんだね~」
もしこれが初めて会った時の美青ならば、その発言をもっと遅く来いと暗に言っているのかと疑っていただろう。
蒼海愛菜との付き合いも半年が経過している。今では想花を好きな者同士良い友達として関係が出来上がっているが、最初の頃は彼女を歓迎する姿勢の裏で燻る嫉妬の感情に美青の思考はぐちゃぐちゃになっていた。
時間の経過と共に理解したのは、愛菜という一人の少女には全くと言っていい程裏が無いという事。嬉しかったら笑顔を浮かべ、悲しかったらひたすら泣く。喜怒哀楽がはっきりしていて反応と表情で今の機嫌が分かってしまう。悪く言えば単純と言えるのだが、その裏表の無さが彼女の本質にある純真性を証明している。
そんな姿を見せつけられて異を唱えられる人がいるならば、それは余程の人間不信か肝の据わった精神強者の二択だろう。溜めるだけ溜めて吐き出す勇気も無い美青にとって対となる存在だ。
まるで自分が二人存在している気分だった。気持ち悪い事この上ない。
彼女を友達として好意的に眺めている美青に反発するように、嫉妬と自身の惨めさを重ねて彼女に憎悪の念を向ける自身の姿は常に寄り添っている。その行いが一層美青を哀れな者へ遂げさせているのに気が付いて尚、理屈ではどうにも出来ない感情の荒波に立つ美青に出来るのはただ抑える事しかできない。
そんな美青に対して穢れの無い純粋な眼をした笑顔で挨拶を出来る彼女は魅力ある素敵な子なのだ。嫉妬を重ねて惨めを地で生きる醜悪な存在と自身を評価する美青にとって、愛菜もまた想花とは違うタイプで尊敬できる人間だった。
「おはよ~。今日は二人とも早いんだね」
二人の元に歩きながら自然と会話に混ざる。これは本当に偶然の話だが、想花の暮らす一軒家の隣が愛菜の住居だったという。運命だと眼を輝かせ語るのは愛菜の言葉で、以来二人で登校するのが日課になっている。羨む気持ちもあったが、美青と想花では家が正反対なため共に登下校する事が叶わない。こればかりは運の問題だ。
そして朝が苦手な想花に合わせて愛菜が迎えに行き、学校に着くのはチャイムの鳴る三十分前付近に顔を出す事が多い。
美青と花梨は決まって早めの登校を心掛けているが、朝に弱い想花がこうして早く登校するだけの理由があるのかが気になった。
「それがね、私達って学校来るのいつも遅いでしょ?」
「へ? うーん、遅い……かなぁ?」
美青達の学校は正面玄関及び正門がチャイムの鳴る一時間半前に解放される。組織として作業のある生徒会や委員会に加えて、向上意欲の高い部活動部員が練習量の時間を増やせるため、有効活用すべく早くに登校する人は一定数いる。
文芸部に形ばかりの名貸で在籍扱いとしている美青は特に早く登校するメリットは無いのだが、心配事の起きる可能性を減らしたい考えが頭にあり、何事も早めの行動を心掛けて過ごすようになった結果自然とこの生活が日常化していた。
そんな時間管理に敏感気味な美青にとって、二人の来る時間を全校生徒の半分近くが登校し始める時間帯だと勝手に認識いるため、そこまで遅いと感じた事も無ければ早いと思った事も無かった。
しかしそれも想花にとっては間違いだったらしい。
「遅いのよ!」
「わぁ! ビックリしたぁ」
「私達が来る頃には既にみーちゃん達が三人で楽しそうにしてるのよ? そう、ズルい!」
「ず、ずるい?」
知り合いが来るまでは持参している文庫本で時間を潰すのだが、少なくとも今日に限っては陽の目を浴びる事が無さそうだ。
鬼気迫る勢いから悔しそうな表情へ、ころころ変わる想花の顔は正に百面相の様で少し面白い。
「ほら、桜さん達と仲良くなって一ヶ月が経つでしょ? 二人が想花のお試しの恋人になったはいいけどお互いに知ってる事がまだまだ少ないからもっと親しくしたくて時間を増やそうってなったんだ」
そして興奮しきった想花の代わりに説明した愛菜の言葉で理解した。一年の文化祭から付き合いの始まった愛菜は言うまでもないが、桜と篝は入学式からの付き合いとなる。つまりまだ一ヶ月しか経っていない。
入学式で階段から落ちかけた桜を偶然想花に救われて、その時初めて感じた胸の高鳴りと昂揚感が忘れられず、後日勢いに任せて想花に告白。最初は断った想花だが、お試しに交際してみてお互いの事を知り人となりを理解して欲しいという提案を受け、想花に縋る姿に庇護欲をそそられたという想花がその願いを受けてしまったという所から始まった。桜一人のみならず何故か付き添っていた桜の友達である篝からも告白されているのだから笑えない話だ。
その話を聞いた美青は、それが吊り橋効果による思い込みと一人断じてすぐに終わる関係だと高を括っていたのだが、意外にも一ヶ月経過した今でも想花に懐いている所を見て美青の認識は誤りだったのだと認識した。
愛菜との二股を伝えられた時でさえ一度話し合った上で渋々諦め半分恐怖半分の中了承したはずなのだが、まさか四股にまで広がるとは思いもしていなかった。
恐らく愛菜との二股交際が始まった辺りから、彼女の恋愛観の基準は緩くなってしまったのだと思う。それか元々緩かったのか。
桜も篝もまだ一ヶ月の付き合いだが、独特な雰囲気を持ちながらもいい子なのは確かだった。良い子というか面白い子と言うか、このような奇妙な関係でも無ければ純粋な友達として仲良くしたかったと思う程だ。想花が親密になりたいという気持ちも分かる。
「なるほど。それでこんなに早いんだ」
「ふふふ。今日からの私はこれまでとは違うのよ。皆に埋もれる有象無象から選ばれし者に生まれ変わるの」
「有象無象でまとめるのは可哀想だよ~。それに早く来たからって偉い訳じゃ無いよ?」
「そうだね……。あ、でも特別感はあるかも。皆が来たらそこには既に準備を終えて優雅に読書を嗜む蒼海愛菜の姿が……良い」
存在しない幻想を夢見て自分の世界に入ってしまった愛菜が一人悦に浸っている。教科書すら真剣に活用しているか怪しい成績を残している彼女が本を手に持つ姿が想像できない時点で有り得ない未来だが、そう言ってしまえば失礼に感じ口から漏らす事は無かった。
「早く桜と篝来ないかしら。きっと私を見て驚くはずよ……ふふ」
想花も想花で妄想に耽っていた。訪れるだろう想像した未来への期待から生まれる笑いを堪えるように口元を手で抑えている。
そんな姿を可愛いと感じると同時に、その感情が後輩達への期待から生まれていると気が付けば、他の人より自分の事を考えてほしいと嫉妬にも似た独占欲が顔を出しそうになる。
本当は二人で過ごしたいしお家デートもしたい。誰の目にもつかない場所で外では出来ない位イチャイチャしたい。恋人としてしたい事は沢山あるのに環境がそれを許さない。
――それでも、聞いてみるだけなら許されるだろうか。
「ねぇそーちゃん。今日久しぶりに家来ない? その、二人きりで」
「え? うーん……でも愛菜ちゃん達とも遊びたいのよね」
「……そうだよね。ごめん、言ってみただけ。えへへ」
「ごめんね? みーちゃんも大事だけど、同じくらい愛菜ちゃん達も大事なの」
「うん……。分かってる、よ」
――分かってる。想花は優しいから、同じ恋人相手に差はつけない。自分を大事に考えている事は理解している。少なくとも想花の中では大事にしてくれている。
そう判断しても、一番付き合いも長く初めて恋人として深まったのは美青なのだ。そんな美青でさえ、倒錯した今の恋愛関係の渦の中では他の恋人と何も変わらない。恋人と言う枠にまとめられた一人としか認識されていないのだと思い知らされる。
愛菜と出会い、桜に篝と出会い、二人きりの時間は一切無くなった。授業時間はお互い授業に集中し、休憩時間は人が集まる。最後に二人で遊んだのも、文化祭を二人で回った短い時間を最後に可能性すら見えなくなった。想花が皆でいる事を望むからだ。
「そっちから告白してくれたくせに……」
「みーちゃん何か言った? ごめんね、聞こえなかったの」
「何でもないよ」
幸い想花に聴こえる事は無かったが、消えかけの声と言葉は確かな形となり切実な心境を語っていた。
正気に戻った愛菜と想花が放課後に遊ぶ予定について話し始める。結局今日も一同で遊ぶ事になるようだ。
それに美青も笑顔で混ざり、振られる話に相槌を打ちつつ桜と篝が来るまでの間心を落ち着けるよう徹していた。
元の性格が似ている者同士やはり波長が合うのか、美青がいなくても成立するだろう会話展開は、存在を必要ないと言われているように美青の劣弱意識を刺激する。そう感じるのはただの被害妄想であり、自身の精神状態の問題な為にニコニコと笑みを浮かべ続ける。意識して流せばなんてことは無い。
まるで自らを誤魔化すように思考を巡らせる美青の心は、窓越しに見える快晴の青空と対照に曇り冷めきっていた。
時間が過ぎれば閑散としていた教室内もちらほらと顔馴染みの生徒が姿を現す。とはいえクラスメイトと言うだけで話したことは一度も無いのが殆どだが、扉が開く度に後輩の到来を今か今かと待っている想花が顔を何故か緊張した顔を向けるせいか、見開いた眼とその勢いの強さに圧されて肩を震わせるクラスメイトの姿には少し心苦しさを感じてしまう。
早く来た理由と目的だけに想花の気持ちは理解できるが、これでは事情を知らない人が身に覚えのない嫌疑をかけられた気分に至ってしまう。
「ねぇそーちゃん。さっきから顔が酷い事になってるよ?」
「嘘……そーちゃんにそんな事言われるなんて」
「うーん? あたしは気が付かなかったなぁ」
「そ、そうじゃなくて。人が来る度にそっち向いて凄く怖い顔向けてるんだよ? あれじゃあ皆が怖がっちゃう」
「……もしかして、さっきから皆が震えてるのって私のせい? 私の圧?」
美青達を除いて現在四人のクラスメイトが着席している。想花が周りを見渡せば流れるように見られた順番から目線を逸らしている。
もはや眼力だけで学校征服できるのではないだろうか。まぁ周りの人も流石に過敏なまでに驚いている気もしないでもないが、どれだけ恐ろしかったのか、それは実際に想花の目に見つめられた人にしか分からないのだろう。
「そーちゃんが勢い強く見えて実は小さい事を企てる時に緊張しちゃうのは知ってるけど、そんな顔桜ちゃん達が見たら泣いちゃうよ?」
「うぅ……だ、だって気になっちゃって。扉が開く度に来た? 来た? ってそわそわしちゃうの」
想花は見知らぬ人が相手でも手を差し伸べる善良性を本質に持ち、大きなイベントにはむしろ率先して前を行くような大物だが、友達や知り合いに何か企てて実行に移すと反応が気になるあまり小さな事象に対しても過敏に反応しがちになるのだ。
なおそれはそれでギャップとして可愛いと言われるが、今回はそれが裏目に出てしまっている。
周囲の生徒に植え付けた恐怖心はなかなか取れないだろう。想花は泣きながら桜と篝を待つことになった。
「失礼しまーす……って、えぇ!?」
「篝、どうしたの? ……え?」
それから暫く想花を宥める時間に費やし、気が付けばいつも桜達が教室を訪れる時間帯に追いついていた。向き合って愛菜に頭を撫でられ蕩ける想花の姿はなんともシュールなものだが、桜達にとってそれ以上に驚くべき事態に直面しているため気にする余裕はない。
「想花先輩、早い」
若干の違和感を感じるテンポで話す少女、
間違いなく学校内で並べても上位に食い込むだけの顔立ちとすらりとした華奢な体をしているのだが、話し方の独特性と変わらぬ表情から感じ取らせるミステリアスな雰囲気が彼女に近寄る人の数を減らしていた。
話せば普通に会話も出来るし、寧ろ他の人とは違う感受性と反応は美青達の中でもいるだけで穏やかな気分を与える随一の存在となっている。一ヶ月の経過に伴う桜のイメージはグループにおいて確実に立ち位置を確立するに至っていた。
「………………」
そしてもう一人、桜より先に足を踏み入れていた筈の少女、
ハッとして慌てて動きだした篝の視線は何故か美青へ移り、その眼が状況説明を求めるように強く険しいものになっている。
仮にも篝は想花の恋人で、美青としてはむしろ桜と違う反応を見せる篝に首を傾げるしかない。
動く度に両側で結われ纏められているツインテールが小さく揺れる。心なしかいつも以上にその揺れは激しく映り、それが彼女の心境を表に出しているように感じるのは気のせいでは無いのだろう。
理由は美青にも不明だったが、間違いなく篝の機嫌は今絶不調の底にあるのが理解できた。
「美青先輩。これは一体どういうことです?」
「えっと……。どういうこと、って?」
美青の座る席の左側、即ち窓付きの壁と机の間にしゃがんでその身を埋める篝。机の上に両手を添えて顔を出す姿は小動物を彷彿とさせ非常に可愛らしい姿だったが、篝の眼がその光景を堪能させる暇を与えさせない程強く燃えている。
「なんで皆切先輩がここにいるんですか。いつもはもっと遅いのに……なにか理由でも?」
「あっ、そうだよね驚くよね。ちゃんと可愛い事情があるんだよ」
美青はこの状況の発端とその理由について説明した。桜は椅子に座る想花の膝を借りて想花に抱き着かれたまま、篝と同じ疑問を直接問いていた。
それを聞いた篝の反応は非常にあっさりとしたもので、明らかな呆れを滲ませため息をついている。
(篝ちゃん達と仲良くなりたいって理由だから、てっきり喜ぶと思ったんだけどなぁ)
明らかに想花の恋人としての観点から見て、篝の興味なさげな反応は正直異常と言っていい。前から桜や愛菜と比べて一歩引いた場にいる篝だが、今日はいつも以上に様子がおかしい。
「……嬉しくないの?」
「正直、嬉しいの前に困惑が強いです。早く来たところで私達が来るまで時間ありますし、一緒にいれる時間なんて二十分増えるかどうかってレベルですよ? それを皆切先輩が苦手とする早朝に早起きしてまで実行するなんて……」
「えへへ、そうだよねぇ」
「なんで美青先輩が嬉しそうにするんですか。気持ち悪いですよ」
「なんでだろうね……。多分、実際嬉しいんだと思うな」
想花の恋人が増えたとして、それで美青が思う所が多くあるとしても未だ想花を好きなのだ。想花の行動力は間違いなく長所であり、美青にとって好きな人の長所を直接言葉に出されて嬉しくない訳が無かった。
「なんで他人事なんですか……。はぁ、ここでまともなのは私を除けば美青先輩くらいなんですから、しっかりしてくださいよ」
「んー? 皆しっかりしてると思うよ?」
「美青先輩はちょっとおっとりしすぎなんですよ。その緩やかさが無ければ完璧なのに」
ブツブツと上げては落とす篝の言い方に引っ掛かりを覚えながらも、自身が呑気な性質である事は自覚している為言い返す事は無い。少なくとも、想花や家族についてを除いての話だが。
実際全員しっかりしていると感じているのは事実であり、想花達の言動を見て不安視しない美青はかなり環境に準じて毒されてしまっていると言える。外から来た篝だから感じ取れる事であり、それをこの場で唯一想花の幼馴染として関係を築いてきた美青に求めるのは酷な話であった。
美青がこのグループに向ける様々な感情と執着は懐に隠し誤魔化している為、周囲の人から見た美青の人物像は天然の少し入ったおっとり美少女である。
つまり、仲良くなったばかりの篝から得た評価と言うのは周囲の生徒から受ける評価とほぼ同義であるのだが、密かに人気のある事実を普段から集団で動く美青の耳に周りの評価が入る事は無いのだ。美青の胸中に潜む惨い感情も周りには知り得ない訳だが。
事情を聞き終えた篝はすくりと立ち上がり、未だ隣で想花にひっついている桜を引き剥がそうとする。
窓際最前列に席を持つ想花が座りその横に想花、そして更にその横に桜と篝が居座り想花の前に愛菜が立っている。最前列と言うこともあり想花の横にいる桜達が邪魔となる事は少なく、これがここ最近の定位置となっていた。
「ほーら桜、皆切先輩に迷惑だからそろそろ離れましょうね~」
「篝待って、想花は嫌がってない」
「そうね。そもそも私は二人と仲良くしたくて今ここにいるのだから……篝ちゃんも私の膝の上乗っていいのよ!?」
「言い方が変態っぽいんですよ! 皆切先輩はとりあえずその鼻息抑えてください!」
「これはデフォルトよ」
「更に怖いですよ……」
「想花は可愛い女の子と触れ合う事を想像するだけで凄い興奮しちゃうからね……一緒に登校し始めてから初めて手を繋いだ時なんて凄かったんだから」
「えっ、愛菜ちゃん嘘よね……? 私そんな酷かったなんて冗談よね?」
「あはは……」
生き恥ともなる話を横に美青は苦笑いを浮かべるしかできなかった。後輩との親睦を更に深めるという名目で出来たこの時間は、黒歴史を増やされた想花と暴露した張本人である愛菜が泣き笑い合ってじゃれ合う姿と、引き剥がされて可愛い文句を言う桜を咎める篝という構図に二分化されて慌ただしくも過ぎていく。
「やっぱり私、要らないなぁ」
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