第199話 拾われ子と惨禍 二十二

《(……不味いな。さっきの奴等よりもかなり強い。鬼以上だ)》


 魔狼フローズヴィトニルは、生息域が北大陸の北部端と考えられている。人間には過酷な環境なのもあって遭遇例が少なく、討伐例は更に少ない。生態研究が進んでいない為、生息域含め、現時点での情報は殆ど仮説だ。

 ただでさえ不確か且つ乏しい情報量なのに、それを知るのも研究員か、ギルド関係者上層部、上級ハイランクにいる者の何れかだけ。

 何よりコハク達にとって最悪だったのは、フローズヴィトニルを知る者がこの場に居ない事ではなく、魔法陣が生み出したのが通常種では無かったという事だ。


「……に、人間の言葉を喋っただと……!? 何だコイツは!?」


 フローズヴィトニルは知能が高いのでは、と言われているが発声器官の構造は他の狼系モンスターと同様だ。念話のスキルが使える可能性はあるが、人語は話せない筈である。

 そして、通常種のフローズヴィトニルの属性は闇と水のみ。

 つまり、風属性も持つこのフローズヴィトニルはAランクモンスターの特殊個体となる。最早、現行の危険度ランクの基準では計り知れない。


《…………》


 息を整えたコハクはハンター達を見る。


《(……ここまでか)》


 スイと違い、コハクは人間全般に対して、助けなければならないと言う義務感は無い。この惨禍の中でもスイの意思に従っているだけで、コハク自身はスイ以外の人間を無理をしてまで助ける考えは無い。


《(スイを護る為に、オレも生き延びなきゃならない。例え、他を身代わりにしてでも)》


 何よりも大切な者の為に、コハクはその他全てを切り捨てる覚悟だ。

 後にその事を知ったスイに怒られる事になっても、これだけは譲れないからと。


《(魔力は残り少ない。岩礫ロックバレットを二発撃てるかどうか……っ!?)》


「っ!!」


 フローズヴィトニルに、上空から火矢ファイヤーアローが降り注いだ。

 その場から飛び退いたフローズヴィトニルは、発動者の方を睨む。そこには火魔法使いのハンターと、その前に盾を構えたハンターがいる。どちらも満身創痍だ。


《(死ぬ気か……ん?)》


 血の匂いを嗅ぎ取ったコハクは隣を見る。気配を消して来た初老のハンターと目が合った。


「力及ばずで無念だが、俺達はここまでだ。コハク、後はお前に託す」


 初老のハンターから差し出された物を、コハクは受け取る。


「頭の良いお前なら、きっと上手く使える筈だ」


《…………》


 黙って頷いたコハクに、初老のハンターも頷いてコハクの頭を一無ですると手を離した。


「悪いが長くは保たない。得られる情報は少ないかもしれんが、どうか勝利への糧にしてくれ」


 スイ達によろしくな。

 最後にそう言い遺して、初老のハンターはフローズヴィトニルへと向かっていった。


《…………》


 凍てつく暴風に消されかけた火が、フローズヴィトニルの毛を僅かに焼く。強烈な前足の一撃を受けた盾が凹んだ。グレイブが振り抜かれる前に、その身体は風魔法で切り裂かれた。


《…………》


 スイと旅をしてきて、ハンターというものをよく見てきたコハクは知っている。

 例外はいるが、ハンターは他の人間の為に自らを犠牲にする生き物だと。


 だが、ハンターというものをよく見てきたコハクでも、未だに解らない事がある。

 何故大勢の為に命を投げうって戦うのか。

 何が、ハンターにそうさせるのか。

 今の状況は尚更理解出来なかった。荒れ果てた町の中で、誰が生き残ってて誰が死んだのかを誰が把握していると言うのか。

 命を懸けて戦って、生き残っても死んでも、賛辞や感謝が向けられるのは「戦った者達」だ。個人にでは無い。


 敵前逃亡を許さないと言うハンターズギルドの規則は、この惨禍に限ってはブライアント伯の許可があるから適用されない。

 それにも関わらず、死を覚悟して残って戦う理由は何なのか。

 戦う理由の全てが一人の人間スイに帰結するコハクには、ハンターとしての矜恃や生まれ育った町への愛着等は理解し難いものだった。


《(スイもそうだけど。全員を守るなんて無茶過ぎるし、無理だ。自分自身すら守れないのに)》


 コハクの目には、血溜まりに沈んだ肉塊がある。

 ハンター三人の決死の戦いは、直ぐに終わった。フローズヴィトニルに与えた傷は殆ど無い。


《(……お前達の最期の戦いが、命を使う必要があったのかオレには解らない。その命の使い方が正しいとも思えない。でも)》


 コハクは、気付かない内に力を込めていた。地面に深く爪痕が残る。心の内に激しく渦巻く怒りが、痛みと疲労を麻痺させていく。


《(オレはお前達の事を憶えていく。顔と声と、戦っていた時のお前達の姿を)》

 

 短い時間ではあったが、共に戦った名も知らぬハンター達へ。

 手向けの言葉と自身への宣誓を心で呟いて、コハクはフローズヴィトニルに顔を向けた。


「どうした? 大人しいな。怖気付いたか?」


《…………》


 ゆっくりと歩き出したコハクは、助走を経て一気に駆け出した。

 コハクを貫こうと、 氷槍アイスランスが放たれる。それらを全て避けてフローズヴィトニルの側面に回ったコハクは、横腹を狙って跳んだ。

 素早く躱したフローズヴィトニルは、逆にコハクの横腹を殴りつける。


《っっ!!》


 飛ばされた身体が地面に落下して跳ねた。体勢を整えて立ったコハクだが、荒い呼吸を繰り返している。


《……ハッ、ハッ、ハッ……》


「もう力は残っていないんだろ。諦めた方が楽だぞ」


《……ハッ、ハッ、ハッ……ッ!》


 嵩じた痛みと疲労で、よたよたとふらつきながら走る様は上位の狼系モンスターとしてはあまりにも無様だ。今のコハクは、Dランクの盗賊狼バンディットウルフにもやられてしまうだろう。

 ただ、眼光だけは微塵も曇らないでいる。冥府の暗殺者は、屠るべき敵から目を逸らさない。


「苦しみを望むか。なら、新しい力を試させてもらう」


《…………!?》


 二匹を囲む様に紫の霧が立ち込め、フローズヴィトニルが複数匹現れた。


《(増えた? いや……偽物か?)》


 コハクは一番手前にいる一匹に飛びかかる。


《!?》


 前足ごと貫通したのに、肉に爪が刺さった感触が無い。


《(何だ、これ!?)》


 フローズヴィトニルの使う闇魔法のひとつ、幻覚ハルシネーション

 極狭い範囲内に限り、使用者の姿を被使用者に複数見せる魔法であり、当然被使用者が見ている幻覚それぞれに実体は無い。

 触れれば虚実の見分けはつくが、幻覚は消えない。数が多ければ多い程本物を叩きにくくなり、被使用者は隙が出るので厄介な魔法である。


《っ! っっ!》


 どれかは本物の筈だと、目に見える全てに爪を立てていくが、一向に本物に当たらない。


《ぐっ!?》


 腹部に衝撃を受け、地面に転がった。毛皮の下を血が伝う感覚と鋭い痛みに、もどかしさと苛立ちが募る。


《(使いたくなかったけど仕方無い……!)》


 立ち上がったコハクは、震える脚で踏ん張って地魔法の岩礫ロックバレットを放つ。

 フローズヴィトニル全てに岩礫が命中したが、何れも無反応だった。


《(全部偽物!?)》


 予想外の事態にコハクは愕然とする。迫って来るフローズヴィトニルの幻像達に、コハクは一旦距離を取るべく下がった。


《(どうする…………え?)》


 一瞬だ。ほんの一瞬、反応が遅れた。

 連日の長時間の連戦による疲労、怪我と失血、枯渇しかけている魔力。様々な原因が重なった故の思考力の低下が齎した、その一瞬。

 自身の周りを囲う様に走ってきたフローズヴィトニル達の中に、僅かにコハクは違和感を覚えた。


《(な、に!?)》


 追い掛けてきて側面を並走している幻像達を突き抜けて、一匹のフローズヴィトニルが飛び出してきた。

 大きく開いた口に並ぶ牙が、コハクに迫る。


《(本物はコイツか!!)》


 牙が腹に食込み、皮膚が破れて、肉へ突き立った。激痛が全身に走り、反射でコハクは口を開く。

 せき止めるものが無くなり、込み上げてきた血とずっと溜まり続けていた血が口内から溢れた。


「…………?」


 牙に付いたコハクの血の味を感じながら、フローズヴィトニルはコハクの口内に血とは別の紅色を見付けた。

 血と唾液に濡れ、その合間から紅い光を反射している石。それから感じる属性に、フローズヴィトニルは身体が拒絶するのを感じた。


「!?」


《(やっと口を開けられる)》


 訪れた最大の好機と、焦燥に目を見開くフローズヴィトニル。

 攻撃を食らう度に魔石を噛み砕かない様に、込み上げてくる血と食いしばる事を堪え続けた甲斐があったとコハクは笑う。


《(これが、最後の一撃だ)》


 コハクは、咥えていた火の魔石に残り少ない魔力を全て込める。

 魔石から放たれた巨大な炎が、フローズヴィトニルの頭を呑み込んだ。


「グァァオオオオンッ!?」


 水属性を持つフローズヴィトニルは火属性への耐性が低い。頭の炎を消そうとのたうち回るが、純度の高い魔石の炎は上級魔法並に威力がある為に中々消えず、身体を侵食していく。


「オ前ェェェェエ!!」


《うぐっ》


 怒り狂うフローズヴィトニルの一撃を避けられず、コハクは吹っ飛んだ。地面を二度跳ね、滑っていったコハクは震える脚でゆっくりと起き上がる。

 短く早く動く腹。新たに込み上げてきた血が口からこぼれ、糸を引いて地面に落ちた。


《……ッ、……ハッ、……ハ……、…………》


 霞む視界。軽くなっていく身体を不思議に思いながらコハクはスイを思う。


《(……いかなきゃ……スイのところに……)》


 コハクの脳裏に、自分よりも大きかった昔のスイが思い浮かんだ。アードウィッチ、オアシス、中央大陸、北大陸、そして南大陸。

 スイと出会ってから旅をしてきた日々が、頭の中を流れていく。


《(……スイをのせて……はしるんだ……オレがいないと、スイ……スイ、は……)》


 スイが泣くから。

 盗賊狼にやられて動けない自分に、届かない手を伸ばしながら泣いていた、あの頃の様に。


《……いやだ……スイがなくのは、いやなんだ。だいじょうぶだ、スイ。いま、すぐ、い》


 かくりと脚から力が抜けて、コハクは地面に倒れた。

 炎の熱さと痛みに吼えるフローズヴィトニルの声が辺りに響く。

 それを何処か遠くからの音の様に感じながら、細く長く息を吐いて、コハクの呼吸は止まった。 

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