第52話 拾われ子はまだ幼い

 灰青色の空が広がる早朝。空気は肌寒く、からからと音を鳴らしながら大きな枯葉が地面を転がっていった。

 宿屋ポーのドアが開く。


『お世話になりました』


「これからどんどん寒くなるから、身体に気を付けて旅をするんだよ」


『はい』


 スイは会釈をすると、コハクと共にカンペールの町の出入口へ向かう。

 門番の一人が気付き、片手を上げた。スイの代わりに詰所の小窓を叩く。出てきた男と、二・三言葉を交わすと、彼もスイに気付いて納得した様な顔をした。


『おはようございます』


「おはよう、もう行くのか?」


『はい』


「それじゃあ、この紙に記入を」


 スイは羽根ペンを借りて必要事項を書いていく。中央大陸に来て何度も繰り返したので、ペンの動きに淀みがない。


「行先を決めて旅をしているのか?」


『今は、王都に行こうと思っています』


「王都か、もしや新年祭が目的か?」


『そうです。書いたので、確認をお願いします』


「成程、確かに王都の新年祭は世界中から人が集まるからなぁ……うん、記入漏れもない。開門!」


 幾つもの丸太を合わせて作られた門が引き上げられる。


「小さきハンターと忠実な従魔の旅路に、幸運がある事を祈っている」


 スイだけならともかく、コハクにまで幸運を祈ってくれる人は珍しい。

 スイは驚きで一瞬目を丸くしたが、笑顔を彼に向けた。


『ありがとうございます。カンペールの町に、光龍の加護がありますように』


 中央大陸を守護するのは光龍だと伝えられている。光龍の加護があるようにとは「災いを跳ね除け、無事であります様に」、もしくは町に対して言う場合は「平和が永く続きます様に」と言った意味合いになる。

 町の外に出ると、背後で門が閉まる音を聞きながらスイとコハクは東に向かった。


『昨日のご飯、美味しかったね』


「うん! セントラルモウの肉って美味いんだな……知らなかった……中央大陸は美味い物がいっぱいだなぁ……」


 至福の時を過ごせた様で、コハクは昨日の夕食後からずっと上機嫌だ。


『昔から、各大陸から人が集まって来たから各地の食文化が混ざってるんだって。王都は特に凄くて、色んな土地の料理が食べられるらしいよ』


「肉も?」


『色んな種類のお肉があると思う』


「王都凄い……!」


 目を輝かせ、昇ってきた朝日を受けて口元に涎も輝かせるコハクは足取りが軽い。


「そうだ、スイ」


『何?』


「オレ、てっきりアーロブ達と旅をするんだと思ってた。何で一緒じゃないんだ?」


 昨夜、他のお客さんも交えて一緒に夕飯を食べている時に、誰からかはわからないがそんな話が出たのだ。しかし、はっきりと否定の言葉は出ずとも皆曖昧な笑みと言葉を並べて、流れていった。

 スイは少しばかり切なくなったが、彼等の気持ちも理解出来るので何も気付かないふりをした。


『……説明するのは、難しいかな……』


 自分達よりランクが高く、強いスイと旅をすれば、アーロブ達にとって道中は安全だろう。モンスターとの戦い方も、参考になるかもしれない。

 しかし、スイはアーロブ達よりもずっと歳下だ。何も知らない人が傍から見れば、成人済みのアーロブ達が幼いスイを守り先導していると思うかもしれないが、実際は逆になる。

 歳下の子どもに引っ張ってもらう、成人済みの冒険者パーティ。

 彼等にだってプライドがある。他の冒険者にそんな光景を見られたり、不名誉な噂を立てられるのは我慢ならないだろう。

 聡いスイは、それを察してしまった。


「……そっかぁ」


 スイの顔を見たコハクは、理解したのかしていないのか、それ以上追及する事は無かった。


『コハクは、人数多い方が好き?』


「スイが一緒なら、人数はどうでもいい」


『そっか』


「でも、シュウは居たら嬉しい」


 母親を亡くした時から、一緒に居たのはスイとシュウだった。スイとシュウならスイを選ぶが、シュウがいないのはやはり寂しい。


「オレ、シュウに撫でられるの好きだ。スイもだろ?」


『……手、大きいもんね』


 スイは否定も肯定もしない。


「うん、シュウに撫でられるの気持ちいい」


『……私に撫でられるのと、どっちが好き?』


「スイ」


 即答したコハクはスイに頭を擦り付ける。


「スイの手はシュウより小さいけど、柔らかくて優しいから好き。撫でられると……なんて言うんだ?」


 上手い表現が見つからないのか、コハクは唸りながら首を傾げた。被毛が増えた胸の辺りを前足でさする。


「……むずむずする? でも嫌じゃない」


『……その感じ、解る、かも……』


 シュウに撫でられた時に、まさにそうなる。

 今は亡き養祖父母に撫でられた時も、同じ感覚に陥ったのを覚えている。

 胸の辺りがむずむずして、でも暖かくて、もっと撫でて欲しいと思ってしまう。


「撫でて」


『うん』


 首元を撫でられてコハクは喉を鳴らす。

 気持ち良さそうに目を細めるさまに、スイは少しだけコハクが羨ましくなった。


 襲ってくるモンスターを倒しながら東に歩く事、約半日。日没前にスイとコハクは野営の準備を始めた。川が近いので、水が流れる音が聞こえる。

 水分を抜いた薪に魔石で火を付けて、コハクがとってきた魚の内臓を抜いて洗う。木の枝の先を尖らせて串にすると、塩を振った魚に突き刺して焚き火に翳した。


『珍しいね、肉より魚をとってくるなんて』


「たまには魚が食いたい」


 コハクは焚き火に当たり、尻尾を揺らしながら今か今かと焼き上がるのを待っている。

 スイはそんなコハクを見て、ひとつ疑問に思った事を訊ねた。


『肉は生で食べる時が多いのに、魚は焼けるまで待つの?』


「うん。魚は焼いた方が好き」


『そっか』


 魚の位置を変えて、全体に火が通る様にする。

 暫く雑談を交わし、魚が焼きあがると串を外してコハクの前に数匹置いた。

 スイも、手を合わせると串を両手で持ち、かぶりつく。

 焼く前に振りかけた塩がきいていて美味い。

 スイはふと、米を思い出した。


『(お米が食べたい)』


 養祖父母が存命中は、時々米料理や白米が食卓に上った。西大陸では米は珍しく、高価なので、レイラが東出身と思われるスイの為に振舞ってくれたのだと今になって思う。


『(おばあさま……会いたい、な)』


 朝方にコハクと話してから、スイは寂寥感に襲われていた。それは、コハクに撫でるのを要求される度に強くなった。

 マリクもレイラもシュウも側にいない。抱きしめたり、頭を撫でてくれる人は誰もいない。


『(……早く大人になりたい……)』


 そうすれば、きっとこんな気持ちは無くなる。

 スイは残っている魚を食べ終えると、後片付けを手早く済ませて寝る準備をした。


『(早く眠ってしまおう……寝て起きたら、こんな気持ちきっと無くなる)』


 見張りのコハクに一声掛けて、スイは眠った。




 ――……


「スイ」


 低めだが柔らかい声が自分を呼ぶ。

 振り向けば、父が立っていた。


『……ちちさま?』


 そう言った自分の声は、随分と舌足らずだ。

 だが、父は嬉しそうに笑うと目の前まで来てしゃがんだ。燐灰石色の双眸が自分を見る。


『……ちちさま』


 大きな手が伸びてきて、頭を撫でられた。

 視界が涙で歪む。

 この青い眼は、この顔は、確かに父だ。この大きな手で優しい撫で方も、確かに父によるものだ。何故自分は今まで思い出せなかったのか。


『ちちさまぁ……!』


 涙を拭って、父に手を伸ばす。

 父は微笑んで、ひとつゆっくりと瞬きをした。


『えっ』


 次に眼を開けたその人は、自分の知る父ではなかった。紅い眼で、冷たい眼で自分を見下ろすその人は、両手を首に添えてきた。恐怖に涙が零れた。


『な、なん、で……?』


「……お前のせいだ」


 紅い眼の男は、父と同じ声に憎悪を込めて言葉を続ける。


「お前のせいで、俺の世界は壊れた」


 父の顔で、その男は呪詛を吐いた。


「お前など、産まれてこなければ良かったのに」


 首に添えられていた両手に、力が込められた。


 ――……


「スイ! スイ!?」


『…………っ!!』


 世界が破裂した様な感覚をスイは覚えた。周りを見れば暗闇で、焚き火の周りだけが明るい。

 コハクが心配そうな顔をしている。


「大丈夫か? 苦しそうだったぞ……?」


『………………』


「スイ……?」


 コハクの首に抱き着いて、スイは肩を震わせて静かに泣く。

 涙がコハクの毛を濡らす。コハクはスイを受け止め、耳だけをしきりに動かして周囲を警戒する。


『(違う……あんなの、父様ちちさまじゃない……! 父様は、あんな事言わない……!!)』


 そう思いはしても、父の顔と声で言われた言葉は深くスイの心を抉った。

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