第一章 西大陸

第3話 拾われ子のスイ

 人の声が聞こえた気がして幼子は目を覚ました。見知らぬ天井に初めて嗅ぐ匂い。見知った家とはまったく違う場所に、急に怖くなった。


『ふぇ、うぇぇぇぇぇ……!』


「あらあらあら、大丈夫ですよ」


 優しそうな声に泣き声は一時的に止まったが、しゃくりあげながら幼子はレイラを見ている。


『だれ……? ははさまは……? ははさまぁ……!』


 再び泣き出した幼子を抱き上げてレイラは背中をぽんぽんと叩いてあやす。知らない場所に知らない老人が二人、そして母親は居ない。


「(今は何をどう話してもこの子は泣くでしょう。落ち着くまで待つしかありません)」


 幸い、気は長いし人生経験は豊富だ。待つのは慣れている。長い付き合いのマリクも同じ位生きているのだが、其方は短気で待つのは不慣れだ。今は少し離れた所でオロオロしながら此方を見ている。


「(伝説のハンターが聞いて呆れますね)」


 苦笑いを浮かべたレイラが、幼子を抱きながらマリクを窘める。


「マリク、貴方も落ち着いてください」


「あ、あぁ、そうだな……」


 マリクとレイラには子どもがいない。だが、子育て経験が無くともレイラは下に弟妹がいたし、知人友人の子をあやした事もあるので幼子の扱いは慣れたものだったが、マリクは全くの経験無しだった。


「手持ち無沙汰なのであれば、この子に飲み物を作ってくれませんか? お茶のレシピはそこの棚にありますので」


「わ、解った!」


 急いで棚からレシピの本を取り出し、キッチンに立ったマリクに笑いながらレイラは幼子が泣き止むまであやした。

 因みにマリクが作ったお茶は幼子に与える前にレイラが味見したが、


「目分量はやめてくださいっていつも言ってますよね?」


「ハイ」


「何の為のレシピだと思っているのです?」


「スマン」


 苦すぎて作り直しとなった。




「喉が乾いたでしょう? お茶をどうぞ」


『…………』


 漸く泣き止んだ幼子はレイラから渡されたカップをおずおずと受け取り、ちびっと口をつけた。


「美味しいかしら? 苦くない?」


『…………ん』


 こくんと頷いた幼子に、マリクが盛大に安堵の溜息を吐いた。計三回作り直した。因みに失敗作は全部マリクが飲まされた。


「良かったですね、マリク」


「あぁ……」


『……おじいさんがつくったのですか?』


「!? あ、あぁ、そうだが……」


『……ありがと、ございます』


 急に話しかけられた事に驚いたマリクは、カップを抱えてぺこりと頭を下げた幼子に更に驚いて固まった。翡翠色と燐灰石色の眼が不思議そうにマリクを見つめる。


「マリク、こんな小さな子がありがとうと言ってるのですよ。貴方も言う事があるでしょう?」


「おぉ……そ、そうだな。どういたしまして」


 ちびちびとお茶を飲む幼子に強面の老人があわあわとする姿はなんだか滑稽である。

 だが空気はいくらか和んだ。マリクとレイラは目配せをすると、レイラが口を開いた。


「お嬢さん、私の名前はレイラと言います。こっちのおじいさんはマリク。知らない所で怖いかもしれないけれど、解る事を教えて欲しいのです。自分のお名前はわかりますか?」


『スイです。んっと……さんさいです』


 左手で補助して右手の指を三本立てて、スイは答えた。


「あら、偉い。歳も言えるなんてスイは凄いですね」


 レイラに頭を撫でられてスイは照れ臭そうに目を細めて空のカップに口をつけると、小さく『あ』と声を漏らした。


「おかわりをどうぞ」


 カップにお茶を注ぎ、レイラは質問を続ける。


「スイと一緒にいた東龍イーストドラゴンの事は、何か知っていますか?」


『……いーすとどらごん?』


 首を傾げたスイはきょとんとしている。もしやと思い、マリクは別の呼び名で訊いてみた。


「お嬢ちゃんの所じゃ、もしかしたらリュウと呼ぶかもしれん。知っているか?」


 顔や声が怖いと子どもによく言われるので、なるべく怖がらせないようにと最大限マリクは優しく話す。内心また泣かれるのではとヒヤヒヤしたが、スイはピンときたのか大きく頷いた。


『りゅう! しってます。かみさまとそのおつかいたちです』


 ドラゴンは確かに神や精霊として崇められる。

 五大陸には地水火風光のそれぞれを司る五大神龍がいると伝えられているし、龍信仰の文化が一際強く根付いてる地域もある。そしてそれは、西よりも東側に多い。


「(この子は東側の生まれか)」


「あの青いリュウについて他に詳しい事は何か知っていますか?」


『んっと……? しってるきがするけど、わかんないです……よくおもいだせない、です……』


「そうか……」


「では、何か覚えている事はありますか? 何でもいいのです。おうちの事とか、見た事や聞いた事、此処に来る前の事を教えてください」


『おうちのこと……』


 翡翠と燐灰石の眼が瞬く間に潤んでいく。起きた時の様に大声で泣かれるかとマリクは身構えたが、スイはカップを見つめながら話し出した。


『あかいめのおとこのひとと、ははさまのこえ……』


「その男の人と母様ははさまは、何か言っていましたか?」


 こくんと頷いた拍子にスイの眼から涙が零れる。それを皮切りに、スイはしゃくり上げ始めた。


『おとこのひとはっ……なにいってたか……おぼえてないけどっ……ははさま、は……っ』


 ひっく、とスイの喉が大きく鳴る


『ははさまは……でていきなさい……って……おっきなこえで……! う、うわぁぁぁあん!!』


 噴火の如く泣き出したスイをレイラは抱きしめた。


「大丈夫、大丈夫ですよ。他に覚えてる事はありますか?」


 スイはぶんぶんと首を左右に振る。


「ごめんなさい。つらい事を思い出させました」


『ははさま、なんで、なんでぇ……! ごめんなさい、ごめんなさいぃ……!』


 心当たりは無いのだろう。それでもきっと自分が何か過ちを犯してしまったのだと思ってスイは謝り続けている。疲れ果てて眠るまで、スイは泣き続けていた。


「まいったな……」


 ベッドに寝かせたスイを見ながらマリクは重い溜息を吐いた。


「三歳にしちゃあしっかりしているし、礼儀を弁えてる方だ。東の貴族の生まれか?」


 生まれ持った力によって愛されたり、逆に疎まれたりは貴族ではよくある話だ。


「そうかもしれません。しかし我が子に出ていけなどと……」


 レイラの身体から、魔力が薄らと陽炎の様に立ち上る。普段温厚なレイラが怒っている証拠だ。お茶を注いだカップを渡してマリクが宥める。


「落ち着け、レイラ。今スイが起きたら、お前さんを見てまた泣いちまう」


「……そうですね……」


 お茶を一口飲んで怒りと共に溜息を吐くと、レイラから立ち上っていた魔力は霧散した。


「……母親の事は腹に据えかねますが、覚えている事があまりにも少ないのが気になりますね。起きたら母親の事に触れない様にもう少し聞いてみますが、もしかしたらショックが大きすぎてドラゴンに運ばれる前の記憶が失くなっているのかもしれません。しかし……」


 出ていけと言われたにも関わらず、目を覚まして一番に呼んだのは母親だった。


「記憶が失くなる程ショックを受ける位懐いていたなら、それまでは優しかったのかもしれません。突如豹変したんでしょうか……?」


「貴族ならよく聞く話だがな」


「捨てるとして、お包みに包んでドラゴンにこんな果ての地まで運ばせるでしょうか……? 生きていて困るのであれば、殺せば済む話です。山や森の中にでも置き去りにすれば良かっただけの事。気になる事が多いですね……」


「そうだな……うぅむ……今度町に行った時に少し東の事を探ってみるか」


「私も各地の友人達に久しぶりに手紙を書いてそれとなく訊いてみます。で、マリク」


「うん?」


「あの子は、スイは私達で育てる。問題ありませんね?」


 若い時から一緒に旅をした。

 生涯現役である為に子どもは作らず弟子も取らなかったが、お互い歳を取って旅をやめた今、自分達の技術や知識を託す者がいない事に寂しさを覚えていた。


「(……これも、巡り合わせか)」


 親から離され、母を求めて泣く幼子。


「(そんな事があっちゃならねぇ。子は宝だ。この世界の次代を担う、未知の可能性を秘めた存在であり、愛されるべき存在だ)」


 僅か三歳にしてその愛情を得られなくなったスイに、マリクは奥歯を鳴らすと力強く頷いた。


「勿論だ。本当の家族の分まで俺達が愛情を注ぐ。つっても、俺ももう歳だからいつまで一緒にいてやれるかは解らねぇが……ひとりで生きていけるだけの力は身につけさせる」


 その過程で、マリクの戦闘技術とレイラの知識はスイに受け継がれる。それを活用して生きていってくれれば、自分達の最後の願いも叶えられる。


「えぇ。あの子が将来を考えた時、どんな道でも選べる様に」

 

 この子は立派に育ててみせると、二人力強く頷いた。

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