第138話 エピローグ

「それで結局、なんであんなことしたの?」

 後夜祭のさなかに優芽は琴樹に訊ねた。

 陽は落ちきっているが飾り付けの電灯や大きな焚き火の明かりが辺りを照らしている。暗すぎることはなく、けれどやっぱり昼間みたいな明るさでもない輪郭の朧な薄明にも似た夜の校庭。

 後夜祭は焚き火を囲む形で歓談とダンスがメインだ。三年生たちが取り仕切るいくつかのスペースにジュースやお菓子、屋台系の残り物なんかが並んでいる。

 校舎も立ち入りが許可されていて、窓には時々、人影もある。出し物の片付けは本格的には明後日からだから、思い出をなぞり、もしかしたらいま作っている人たちもいるのかもしれない。

『怪我のないように、事故のないように』

 仁が何度も繰り返した言葉はきっと誰にも行き渡っていて、それとこれまでこの学校で重ねられてきた歴史が、信頼として生徒に大きな自由を与えてくれていた。

「言っただろ、俺は欲張りだからさ、優芽だけじゃ足りないんだ。みんなに知ってもらいたかったし……認めてもらいたかった」

「だからってぇ。まぁ……いいけど。これでもう琴樹にちょっかいかけてくる女子もいないだろうし」

「はは……それはほんとにわるかった」

 重ねたものが返ってくるなら、琴樹が一つ間違ったのは確かだ。

「ちょっと確認しときたいんだけど、優芽の中での浮気ラインってどのへんなんだ?」

「私以外の女の子を視界に入れたら」

「え」

「てのは半分は冗談だけど。そうだなぁ、昨日のあれも、ほんとは別にそこまで気にしないかな、や、気にしないは嘘。気にするけど」

 琴樹が、半分、に気を取られている間にも優芽は言葉を続けた。

「逆に、琴樹だって、私が他の男子とああいうことしてたら……嫌じゃない?」

「嫌だな、普通に。あぁ、そうか、でも別に浮気とまでは言わないか」

「そんな感じ。んん、この話は後でしよ。なんかちょっと……今の雰囲気には合わないし」

「そうかもな。やめておこう」

 深堀すると生々しくなりそうだ。どうせこのあとそういった話をするに丁度いいタイミングはある。

「なんだっけ、なんであんな告白したのか、か」

「あんな大勢の前で、ね」

 あの『高校生のLIKEorLOVE』での琴樹の大胆に過ぎる告白の後、琴樹と優芽と芽衣はしばらく喋ってから、琴樹は会場に戻った。優芽と芽衣はそのまま『正桜祭』を見て回りに行った。

 戻った琴樹は一年生の実行役員に状況を聞いて作業に復帰し、自分がいない間も滞りなく進行してくれていた二人に感謝しながらイベントの終了を見届けた。あとで二人にしこたま怒られて平謝りしたのは言うまでもない。

 琴樹の事故じみた告白の後に続く者たちだが、結果としてよい方向に刺激されたらしく、もう全く後のことなど考えないくらいに胸の内を吐露する者が多かったのは幸いだろう。琴樹もほっとしたものだ。

「まぁ、やっぱ、一人で抱え込むと碌なことがないからな。二人で、やろうとしても、難しかったりな」

「それで衆目環視の逃げ場のない状況にわざわざ自分を追い込んで、みたいなフィクションみたいなことしたんだ?」

「そういう勇気の出し方もあるってことで」

 そう言われると、琴樹をとやかく言うのは他に勇気を出した人たちに失礼ではある。優芽は、ばかじゃないの? の一言を呑み込んだ。琴樹にだけなら言ってやりたいところだが。

「まぁ……うん、わかった、納得……するように努力する」

「そんなにか」

「そんなにだよ。ほんっと恥ずかしかったんだからっ。私がどれだけ揶揄われたかっ。わかるっ!?」

 友人の数では優芽が圧倒的に勝る。琴樹よりもずっと多くの人間に声を掛けられるわけだ。

「わるいけどしばらくは我慢してくれ。その分、俺がちゃんと優芽の……願いというか、して欲しいこととか全部、聞くから」

「言ったね?」

「言った。聞ける範囲で聞くから」

「もう逃げた!」

 バシッと肩を叩かれて琴樹は笑った。優芽も笑った。聞ける範囲で聞くなんて、それじゃ今までと大して変わらないではないか。

 後夜祭が進んでいく。未来へ未来へ。その先には必ず終わりがある。

 揺れる火を見ながら琴樹は話を元に戻した。

「なんであんな風に、大勢の前でやる必要があったかってさ。……伝えたかったんだ……俺はこうしたぞって」

 それは理由の一つ。優芽や優芽の全部を求めたこととはまた別の、誰かのための理由だった。

「……涼に?」

「涼にも。仁にも。……他にもな」

 目を閉じて思い出すのは、数時間前に行われたライブであり、歌う涼の涙だったり、響く仁のギターだったり、聴衆だったり。

 盛り上がりに盛り上がったライブを琴樹は思い出す。

 きっとそこに交差したものたちの、何か一助くらいにはなれただろうか。

 自分たちではない誰かの物語の背を、少しくらいは押せただろうか。

「そういうとこ……好き」

 優芽の声に振り返り、はにかむ笑顔を愛しいと感じる。

「好きだよ。琴樹のそういう、誰かのために何かしようとするところ」

「あんま、やってない気がするけどな」

「うん。あんまりやったりしないね。だから好き。そういうことする時の琴樹は、好き」

「は?」

「ふふ。も」

 琴樹は衝動を抑えた。今はその時ではない。優芽を抱き寄せる時では。

「どうなるだろうな」

「どうなるんだろうね」

 それは仁や涼に対してであり、自分たちに対してだ。

「大学……前にアメリカとか言ったことあったよな。あれ、半分は嘘じゃないんだ。短期留学で行くかもしれない」

「そっか」

「卒業してからも……建物ってさ、世界中にあるだろ? それぞれが、国柄とか、気候とか、単に見栄えとか、色んなことが絡み合って、建ってる。建てられてる」

「それを、見て回るってこと?」

「まぁ、簡単に言えばそういうことかな」

 実のところそうなるかはわからない。琴樹の中の最も望む可能性がそうなだけで、もしかしたら自分にそれだけの才覚と熱量はないかもしれない。世界を股にかけて、なんてのは今はまだ自分も世界も知らない琴樹の願望でしかない。

 ただ、触れた手の熱に思う。

 わからないことばかりの未来に対して、不安はない。竦む臆病も。

 たしかな今があるから、過去を抱えて未来に踏み出せる。

 篝火が落ちる。照明はとっくに消されている。

 星と月と、火の残滓。

 薄暗闇に一つ、言い伝えがある。

 焚き火の炎が消える時、触れ合っていた者たちが未来を約束されるという、よくある噂話。

 衝動はもう抑える気がない。

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