第91話 挨拶

 で、ゴールデンウィークである。

「で、なんで浦部がいんの?」

 ゴールデンウィーク初日である。

 今日の予定は、買い物、それと映画鑑賞。午前から集まって、電車で二駅、近隣で最大のショッピングモールを隅から隅まで見て回って、夕方には映画館にアクセス、とそういう予定である。

 琴樹と優芽と、希美と文と。

「なんで浦部?」

「通りすがりじゃない?」

 疑問を繰り返した希美に優芽が答えた。

「いやいやいや! んなわけなかろうにっ。なんとか言ってやってよ琴樹さん!」

「たぶん、偶然居合わせたんだと思う」

「よぉし!? おまえ売ったな!? 喧嘩売ってんな!? しこたま買うぞこらっ!」

「ごめん、わるかったって」

 琴樹は女子たちに向き直って続ける。「俺が誘った」以外にないとはこの場の全員がわかってはいる。

「イェア、オレたちis親友」

「ま、そういうわけで」

 肩を組み返すのは遠慮しつつ、琴樹は「それじゃ」と促す。

「行こうか。んで仁はそろそろ離れようか」

「いやぁ、おもしれーからこのまま行こうぜ」

 歩くに不便は承知で、仁としては女子二人が目を細めるのが愉快だった。

 楽しい一日になりそうだった。


 車内ではお静かに、ではあるが、口を噤んでいられるほど大人しくはなれない。

「一年生、どんな感じ? バドミントン部の方は」

「んー、別にフツーかなぁ。そういえば、そう、歓迎会やったよ。新入部員歓迎会」

「いいないいなー。くそぉ、うちの部もやろっかなぁ」

 部活の話なんかは丁度いい塩梅で盛り上がる。先輩になったというそれだけのことが案外と大きな事実だったりもするから、バラバラの部活のバラバラの事情を交換してみたりする。琴樹と仁には、少々入りにくい話題だ。

「一年って、誰か一人でも名前知ってるか?」

 それについては琴樹も「名前だけなら」ではある。訊いた仁にだって心当たりがあるくらい、耳に入る名前はあったりもした。例えばとんでもない美人だとか、中学時代の部活の実績だとか、そういった風聞だけだが。

 電車での移動の間は男女に分かれる形となったが、モールまでを歩くのに声を潜める必要はない。

「けっこう見てるぞ。つってもやっぱ、ちょっとでも自分でやんないとわかんねぇだろうけどな」

「そりゃ、そうか。イメージ出来ないもんなぁ」

 動画視聴の話題がeSportsにも及んだのは、仁の趣味による。ゲーム競技の視聴ではあるが、専らFPS専門だからあまり同調は得られない。

「今度やってみるか? やらせてくれるぜ? たぶん、いつでもいけんじゃねぇかな」

「あぁそれ! 言ってた! クラスの子から聞いたことある!」

 e-Sports部はいつでも誰でも体験だけでも歓迎である。というのを優芽はクラスメイトから聞かされていた。当人は部の人間ではないが、e-Sports部の部員と仲が良いらしくその流れでのこぼれ話だ。琴樹もいつだったかそんなことを聞いたことがあったなと思い出す。

「eスポ部……ゲームいろいろあんだよね? たしか」

 希美が神妙な顔をするから、他の四人は考えていることを察してしまった。

「遊びに行っていいという話ではないから」

 代表して文が忠告すれば「なはぁ、いやいやまさか」と希美は壊れた口笛を鳴らす。

 幅広の歩道を歩いていく。空には青が八割で白が二割だ。街路樹は小さく揺れ、日向は心地よい温度で体を包む。

 ショッピングモールの大きな看板がビルの陰からでてきた。



 買い物といっても今日のところは五人の誰にも荷物を増やす予定はなく、好奇心やら興味やら野次馬根性やらが行き先を決める。

「いくぞ? ……せーの」

 琴樹の音頭に単語が重なる。

「猫」:幕張琴樹

「犬」:浦部仁

「犬」:白木優芽

「猫」:篠原希美

「猫」:西畑文

「え、なんだって?」

「ほらみろわかんねぇって! オレは犬な」

「私も。犬」

「わたしは猫ぉ。猫がいいよ猫がー」

「私も猫の方が」

「俺も猫。で、2対3にーさんか。よしよしバラけたな。んじゃ十分後に」

 大型ショッピングモールはペットショップも広いのだった。

「それでなんで……てこともないか。西畑とは別に、今年もクラス一緒だから今更感あるけどな」

「そう言わないで。あれはまた、あの時だって話す時間は少なかったじゃない」

 任意参加ではあったが、クラスの中からしばらくいなくなる人間がいるというなら送るような集まりもあった。そう大層なものではなかったと琴樹は思うが、それでも嬉しく感じたものだ。申し訳なさも同じ重さで胃に落ちたけれど。

 その機会には、琴樹と文は二言三言程度の会話しかしていない。それを今日、埋め合わせるのも悪くはないだろう。

「別に私から言うこと、伝えることもないけどね」

「マジかぁ。悲しみ」

「……全然、普通に見えるけど……というのは、訊いていいのかな? そういうのもわからないから……話せることが、話すのが……話せることが少ないから、って、思ってしまうから」

「わるいな、気を遣わせて」

 ショーケースの中の子猫がみゃーと鳴く。

「ありがとう、それでも話しに来てくれて。西畑には世話になったよな。去年の文化祭とかもそうだし」

「それは、私が実行委員だったからってだけで……それにそれなら浦部君も同じだよね」

「二人とも、二人ともにだな、じゃあ」

 それが一番大きいところになるだろうか。琴樹が思うに、たしかに文とは深い付き合いはない。良くも悪くもクラスメイトの友人であり、だから頼めることもある。

「いいタイミングだから言っとくんだけど。優芽が……迷ったら、そん時は西畑が話を聞いてあげてくれないか」

 猫の方が好き。しかし琴樹は野良猫みたいなよく見るようなタイプが好きで、文はチンチラペルシャのようなふかふかとしたタイプが好きなのだった。

「いいの? 私が一番……キツイこと言うと思うけど」

「だからだよ。これ以上、重荷にはなりたくねぇ」

 文は「わかった」とだけ伝えた。自分の方を見ることもない琴樹がどんな顔をしているかは、ショーケースに薄っすらと滲んでいて、それで今になって琴樹の選択に得心がいった。



 時間が過ぎるのは早かった。それは一日の中。買い物の名目で歩き回ったショッピングモールは思いの外広くなく、映画の上映は一瞬だった。

 それは一日の繰り返し。スポーツ系の遊戯施設にも行った。カラオケ大会。サイクリングなんてのも。

 ゲームしたし勉強したしサウナで耐久勝負した。

 数人で、もっと多くで、二人で。

 ライブは新鮮で楽しかった。イメージ通りのちょっとアングラな空気感で、イメージとは全然違う朗らかな雰囲気で、文化祭以来のライブシーンというものを琴樹も優芽も心から楽しんだ。ステージ上に歌い上げる涼の姿に安堵もあった。

 バイトは一日だけ、二時間で、琴樹は店を後にする時に深く頭を下げることが出来た。それを見届けてくれるほどの関係にあったことが素直に喜ばしかった。

 そんな充実の裏ではもちろん、家を引き払う準備に追われていた。追われる、とわかっていたから、自室だけは作業が深夜に及んでも一息に、最初に片付けた。何度も無心を練り上げるよりはマシだったはずだと琴樹は思う。

 時間が過ぎるのは早い。

 あっという間にゴールデンウィークは残すところ一日である。

 琴樹は玄関で靴を履きながらふと思い出したのだった。そういえば、この靴は去年の十一月、駅前のビルの店で買ったものだ、と。

「行ってきます」

 は、ただの習慣。

 鍵を返してしまうから、行ってきます、は違ったなとすぐに思った。



「今日はとても落ち着いてるわ。朝もね、珍しくニュースを見ていたし。食事はいつもしっかりなんだけどねぇ」

 祖父の様子を聞いて琴樹は若干の気恥ずかしさを覚える。

「すみませんなんか、食い意地だけはあるみたいで」

「もう、そういうことじゃないわよ。ちゃんと食べてくれてこっちも助かってるんだから」

 それは何度かは聞いた話だが、どうしたって気後れみたいなものはあるのだ。

「どうぞ」

 会釈してドアの先に一人踏み出しながら、琴樹は少し長く息を吸った。


 琴樹が自身のための選択をする上で、どうしても付き纏うものがあった。それを、問題と呼びたくはないけれど。

 実際には問題として立ち塞がるものであり、考えなければいけないことだった。

 施設に預けている祖父について、どういった対応をするのか。

 嘘だ。どうもなにもない。置いて行くか、そもそも行かないかの二択だ。

 そして自分は行くことを選んだのだと、琴樹はそのことから目を逸らしたくはなかった。

「じいちゃん」

 すぐ隣に膝を折り、呼びかけて反応がある。それすら久しぶりに感じる。

「ん? 正樹か?」

「それは親父だよ。あんたの息子だ。俺は琴樹、孫の琴樹だ」

「孫だぁ?」

「正樹でも、いいけどな」

「ん……孫……孫……」

 正直、手が震える。記憶の中で豪快に大口開けて笑う皺くちゃの顔と、いま目の前でたるんだ緩い表情でぶつぶつと何事か唱える顔と、変わり過ぎたものの落差に琴樹の手は震えていた。

「じいちゃん」

 たぶん、今回も何も伝わらないのだろう。きっと、もう琴樹と祖父だけになってしまったことすら理解されていない。

「じいちゃんからしたら、別に変わることなんてなくて、ないんだけど……俺、少しゆっくりすることにしたからさ。……疲れた、のかなぁ」

 実のところ自分のことを把握しきれていなくて、本当は心のどこかに迷いはあって、普通じゃないことをしようとしている怖じ気もあって。

「じいちゃん、昔よく言ってたろ。『男だろうが、シャキッとせい』ってさ」

 琴樹は僅かに口角を上げた。

「時代遅れだぜそういうの。……シャキッとするために、ちょっと行ってくるわ」

 長く話し込むほどの対話にはならないから琴樹は立ち上がった。最後に言っておく言葉だけは決まっていた

「帰ってくるまで、死ぬなよ、じいちゃん。じゃあまた来年に」

 それから案内してくれた女性のところに戻って腰を折る。

「すみませんが、よろしくお願いします。何かあれば、お伝えしてある連絡先に、遠慮なく連絡いただければと思います」

「ええ、わかってます。……こう言ってはなんだし、資格というか、弁えてないとは思うんだけど……いってらっしゃい」

「……はい。行ってきます。……ありがとうございます」



 先生とは随分とざっくりとした別れだった。

「では次回は、来年ですね。処方箋はいつものように。どうぞ。お疲れ様でした」

 一応、出発前の最後の検診ではある。入室してから、退室を促される場面に至ってもいつもと変わりないが。

「ありがとうございました」

「体に気を付けて」

 一言、付け加えられただけで。



 午前の内に所用を済ませた琴樹は病院の敷地を出てすぐに大きく深呼吸をした。

 あちらへこちらへ足を運んだ疲労はしっかりと蓄積している。それだけじゃない。この数日、数か月、数年の積み重なりが圧し掛かっているような怠さがある。

 たまらず気の抜けた声とも息ともつかないものが口から漏れ出す。

 五月晴れ。薫風。空は高い。

 ゴールデンウィーク最終日に、予定はあと一つだけ。

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