第5話 アベノセイメイ、死刑にされる

 ボクの名前はアベノセイメイ。あの有名な陰陽師アベノセイメイである。朝から大きな声で起こされた。


「ちょっとドウムくん、あなたいったいなにしたのよ!」


 朝イチで母親――ではなくて、アベノセイメイに仕えるお手伝いさんが、慌てふためいた声をあげながら、ボクの部屋に駆け込んできた。


 ボクは昨日の大惨事の疲れが抜けきらずに、まだベッドの上で半分眠ったままの状態だった。


「すごいきれいな女の人が、ドウムくんに用事があるって来ているわよ」


「女の人?」

 

 ボクにはまったく心当たりがなかった。だいたいボクは十五歳の今まで、女性と付き合ったことがないのだ。キスはもちろんのこと、女性の手を握ったことすらないくらいだ。


「いいから早く玄関に行きなさい!」


「わ、わ、分かったから」


 ボクは慌てて着替えを済ませると、急かされるようにして玄関に向かった。


「初めまして、須佐之麗子といいます」


 目の前に立つ女性が言った。知的な雰囲気のとんでもない美人だ。


「えーと、ボ、ボ、ボクに、な、な、なに、なにか用、ですか……?」


 女性と話したことがほとんどないので、こういうとき言葉が思いっきりどもってしまう。


「アベノセイメイ様でよろしいですよね?」


「――――!」


 ボクは麗子さんの言葉に驚いてしまって、返事が出来なかった。


「わたしの勘違いでしたか? 知り合いから腕の立つ陰陽師の先生がいると聞いて、こちらを尋ねて来たのですが。実はとあるトラブルを抱えていまして、ぜひアベノセイメイ先生のお力をお借りしたいと思い、本日はおうかがいしました」


「え、は、は、はい……そう……なんですか……」


 ボクはまるで答えになっていない返事をするのでやっとだった。


「あの、やっぱり、わたしの間違いだったでしょうか? それとも、まさかニセのアベノセイというわけじゃ――」


「いえ、いえ、ボクが──アベノセイメイです。あの有名なアベノセイメイです。正真正銘、本物のアベノセイメイですよ」


 なんだか麗子さんの話のペースに巻き込まれるような形で、仕方なしにボクは肯定するハメになった。


「良かった。では詳しいお話ができる場所まで、ご案内いたします。あっ、ひとつ言い忘れていましたが、わたし、今回のトラブルを調査している、警視庁捜査0課の刑事です」


 麗子さんは刑事らしからぬ、ゾッとするような冷笑をボクに向けてきた。


 なんだかとっても嫌な予感がした。でも、今さら前言を撤回できるわけがなかった。こうなったらアベノセイメイで押し通すしかない。


 ボクは麗子さんに促されるようにして、玄関の前に停められていた真っ赤なスポーツーカーに乗り込んだ。


「それでは飛ばすので、しっかりつかまっていて下さい」


 麗子さんはボクのことなどお構いなしに、アクセルを強く踏み込むと、明らかに法定速度以上のスピードで走って行く。


 嫌な予感が、嫌な実感に変わりつつあった。

 


 ――――――――――――――――



 二十分後――車はどこかの立体駐車場に乗り入れて止まった。大きな繁華街だとは分かったけれど、あまりのスピードに窓の外の景色を楽しむ余裕すらなかったので、いったいここがどこなのか、皆目検討がつかなかった。


「わたしについてきて下さい」


 麗子さんは車を降りて、さっさと歩き出していく。どこに連れてきたのか教えてくれる様子はない。


 遅れないようにボクは麗子さんの後をついていった。きらびやかな看板がそこかしこに見える。どうやら、日本一の歓楽街、新宿歌舞伎町に連れてこられたみたいだ。



 警察が高校生を歌舞伎町に連れてくる理由とはいったいなんだろう? アベノセイメイの力を借りたいと言ってたけれど、歌舞伎町に妖怪でもいるのだろうか? そういえば、新宿のマンションに呪符を送ったことがあった気がするけど――。



「着きました」


 前を歩く麗子さんが振り返った。目的地に着いたらしい。


 その建物は幽霊屋敷といった方がしっくりときそうな、古くて汚い外観のマンションだった。このマンションならば、妖怪が出てきてもちっともおかしくはない気がする。


 麗子さんと一緒にマンションの中に入った。エレベーターで二階に上がり、そこにある部屋に案内された。


 室内にいたのは、八十歳は優に越えていると見られるお婆ちゃん一人だった。顔中しわだらけのこのお婆ちゃんが、まさか妖怪ということなのだろうか。


 お婆ちゃんと視線が合った。気のせいか、お婆ちゃんの頬が少し赤らんだように見えた。


「先生、こちらに座ってください」


 麗子さんに言われて、ボクはお婆ちゃんと向かい合う形で、ソファに腰を下ろした。


「こちらが今回、警察に依頼をくれたトメさんよ」


 麗子さんが教えてくれた。どうやらトメさんは妖怪ではなく、ちゃんとした人間だったらしい。でも、トメって名前に、ボクは聞き覚えがある気がした。呪符を使った仕事絡みで、似た名前を見たような覚えがあるけど勘違いだろうか?


「トメさん。こちらが今回力を貸していただけることになった、陰陽師のアベノセイメイ先生です」


「トメじゃ。先生、よろしく頼みます」


 トメさんが頭を下げてくる。


「あ、はい……アベノセイメイ、といいます。が、が、頑張って、みますね……」


 この状況では、そう言うしかなかった。

 

「さっそくですが、先生、これを見ていただけますか。トメさんに送られてきた不気味な紙切れなんですが」


 麗子さんが差し出してきた紙切れを見て、ボクはその場から逃げ出したくなった。その紙切れは間違いなく、ボクが作ったニセモノの呪符だったのだ。


 そこでトメの名前を思い出した。呪符を送るときに、何度も封筒の宛名に書いた名前である。ボクはこのお婆さんを呪い殺す依頼を受けて、あの呪符を何枚もこのマンションに送っていたのだ。


 まったく状況が把握出来ないまま、麗子さんにこの部屋に連れてこられたが、今ようやく自分がとんでもない状況に陥っていることに気がついた。

 

「実はこの紙切れがトメさんに送られてくるようになってから、トメさんの体調がすぐれないんです。もしかしたら、呪いがかけられたのではないかと思って、今日はこうしてわざわざ先生にお越しいただいたんです。――先生、この一連の状況をどう思いますか?」


 麗子さんの視線を痛いほど顔に感じる。


「あ、あ、その、いや……それは、その……まあ、そうですね……なんというか……」


「やっぱり呪いって現実にあるんでしょうか?」


「の、の、呪いですか……? それはもちろん、あるといえばあるし……ないといえばないし……」


 どうにも歯切れの悪い返答しか出来なかった。当然である。ボクは『陰陽師でもなければ、アベノセイメイでもない』のだ。本物の呪いのことなど、これっぽっちも知らないのだから。


 でも、このままでは非常にヤバイのだけは間違いなかった。とにかく適当なことを上手く言って、ボロが出ないように切り抜けるしかなかった。


「あの……ええ、はい、ご心配ありませんよ。あの、今見たところ、こちらの紙切れは、たしかに神社の呪符を模していますが、あの……明らかにニセモノです。ですから、あの、呪いの効力などは……一切ありません。絶対にありません。ええ……体に害が及ぶこともありませんので……」


 ボクは途中何度も言葉に詰まりながらも、それっぽく説明した。


「つまり、これはニセモノの呪符なんですか?」


「はい。ニセモノです」


「本当にニセモノなんですね?」


「はい。ニセモノですよ」 


「本当にニセモノということでいいんですよね?」


 麗子さんはしつこいくらいに何度も確認してくる。


「はい。陰陽師であるアベノセイメイがしっかりと推知しましたから間違いないです。この呪符は完全にニセモノです」


「それは困ったわ。これがニセモノだとしたら、別の問題が出てきてしまうから」


 困っているようにはまったく聞こえない口調で麗子さんは続けた。


「はい? どういうことですか……?」


「この呪符がニセモノだということは、このニセモノの呪符を作っている人間は、詐欺を働いているということになりますよね?」


「えーと、そう……なるん……ですか……? えーと、詐欺って……確かに、ニセモノではあるけど……」


「あら、先生、どうかしたんですか? 急に歯切れが悪くなったようですが」


「いや、もしかしたらですが……このニセモノの呪符をネットで販売していた人も、本物だと信じていたのではないかと思いまして……。つまり、そうなると、その人も騙された被害者ということになりますし……。詐欺ではないような気が……」


「先生、わたし、この呪符がネットで販売しているなんて言いましたかしら?」


「――――!」


 自分から地雷原に足を踏み入れて、見事、地雷を踏んでしまったみたいだ。


「さすが名のある陰陽師の先生ですね。このニセモノを見ただけで、そんなことまで分かるんですか!」


「いや、そういうわけでは、決してないんですが……」


 麗子さんのひとつひとつの言葉が、抉るように胸に突き刺さってくる。


「とにかく、ニセモノということならば、詐欺罪で立件しないとならないので、もちろん、先生も警察の証人になってくれますよね?」


「えっ! しょ、しょ、証人と言われましても……」 


 完全に話が悪い方へ悪い方へと進んでいく。


「だって先生、言い忘れましたが、この詐欺師は先生の名前であるアベノセイメイと、勝手に名乗っているんですよ。絶対に許すわけにはいかないでしょ?」


「…………」


 ダメだ。これ以上もう言葉が出てこなかった。反論出来る材料が見当たらない。


「先生、さっきから、どうしたんですか? 体中震えていますよ。なにかに怯えているんですか? なにかが怖いんですか? 顔も蒼ざめていますよ? 額も汗でびっしょりだし、どこか気分でも悪いんですか? わたし、なにかお気に障るようなことを言ってしまいましたか?」


 こちらの様子を気に掛けてくれているみたいだけど、なぜか麗子さんの声は面白がっているようにしか聞こえなかった。


「あの、あの……そうだ。このあとも依頼があったのを忘れていました。それで、遅刻しないかと焦ってしまって……。とにかく次の用事があるので、ボクはこれで失礼しますね――」

 

 こうなったらボロが出る前に、一秒でも早くこの場から立ち去らないといけない。明らかに挙動不審に見えようが、そんなこと気にしている場合ではなかった。


 ボクはすぐに立ち上がると、部屋のドアを開けて、外へ逃げ――出せなかった。

 


 なぜならば、ボクの目の前に『ボク』が立っていたのだ!

 


 それは間違いなくボクだった。毎朝鏡で見る痩せて覇気のまったく感じられない顔と瓜二つの顔が、ボクのことを見つめてくる。


 いったいなにが起こったのか、まるで分からなかった。我知らず、助けを求めるようにして室内に目を戻した。

 


 そこに麗子さんがいた。十数人の麗子さんが!



「詐欺罪で緊急逮捕します!」


 一番前に立つ麗子さんが、ボクの右手首にガチャリと手錠をはめた。


「詐欺罪で緊急逮捕します!」


 別の麗子さんが、今度はボクの左手首にガチャリと手錠をはめた。


 非現実的な光景を前にして、体を動かすことはもちろんのこと、まばたきすら出来なかった。


 視界を埋めた麗子さんの集団から目を放せないまま、生きる彫像と化してしまっているボクに向かって、麗子さんの集団が怒涛のごとく群がってきた。

 

「詐欺罪で緊急逮捕します!」

「詐欺罪で緊急逮捕します!」

「詐欺罪で緊急逮捕します!」

「詐欺罪で緊急逮捕します!」

「詐欺罪で緊急逮捕します!」

「詐欺罪で緊急逮捕します!」

「詐欺罪で緊急逮捕します!」

「詐欺罪で緊急逮捕します!」



「詐欺罪で緊急死刑にします!」



 聞き捨てならないセリフを、一人の麗子さんが口にした。


「ただちに死刑を執行します!」

「ただちに死刑を執行します!」

「ただちに死刑を執行します!」

「ただちに死刑を執行します!」

「ただちに死刑を執行します!」

「ただちに死刑を執行します!」

「ただちに死刑を執行します!」

「ただちに死刑を執行します!」


 何人もいる麗子さんが一斉に声を張り上げた。


 何人もいる麗子さんが銃を手に取った。


 何人もいる麗子さんが銃口をボクに向けてきた。


 そして次の瞬間、部屋の中で乾いた音が何重にも鳴り響いた。同時に、ボクの胸元の辺りに鈍い衝撃が走り、ボクはその場に崩れ落ちた。



 まさか……銃で……銃で……………ボクは…………ボクは…………撃たれ………たの…………………………?



 遠ざかる意識の向こうから、人の話す声が聞こえてきた。


「ちょっとやりすぎなんじゃない?」

 

 麗子さんの声だ。言葉とは裏腹に、その声はまるでパーティーを楽しんでいるかのような口振りだった。


「ぼくの名前を勝手に使用していたんだから、これくらいは使用料としては安いものだよ」


 誰の声だろう。若い男性の声だった。


 状況はよく分からないが、どうやらボクが『ニセモノのアベノセイメイ』であることは、最初からバレていたみたいだ。


「ところで、二人に相談事があるんじゃがの――」


 トメさんの声も聞こえてきた。


「わしは別に被害らしい被害は受けていないから、この少年のことは、わしに一任させてくれんじゃろうか」


「ぼくはしっかりとお仕置きをしたから、これ以上はいいですよ。あとは、ここにいる刑事さんがどう判断するかだけど――」


「二人がそう言うのであれば、わたしもいいですよ。でも、トメさんはこの少年をどうしたいんですか?」


「わしか。わしはの――」


「――それは妙案だね」


「わたしもその説教なら大賛成です」


 声が遠くて聞き取りづらかったが、三人の間で、なんらかの話し合いがされているみたいだ。


「それで、陰陽師の先生にひとつだけお願いがあるんじゃがの」


「ぼくにですか?」


「ちょっと刑事さん、悪いが少しだけ席を外してもらえるかい」


「――いいですが、なにか?」


「いや、こちらの先生にな、陰陽道に関して、ちょっとした相談があるんじゃ」


「そういうことなら、わたしは席を外しますよ」


「トメさん、なんですか? 陰陽道のこととは――」


「じつはな、先生にひとつ頼みたいんじゃが――」


 話し声が徐々に遠ざかっていき、声が聞こえなくなった。最後に聞こえたトメさんの声は、どこか恥じらいを含んだ少女のような声音に聞こえた。



 この状況下で、なぜそんな声を出すんだろう?



 そんな疑問を感じながら、ボクの意識は完全に落ちていった。

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