第1話 女刑事からの電話再び

「はい、どちら様ですか?」


 安倍成明はホテルの部屋にかかってきた電話を取った。


「久しぶりね」


 体温をいっさい感じさせない、冷然とした声音が受話器から聞こえてきた。警視庁刑事部捜査0課の女刑事、須佐之麗子である。


「こんにちは! こちらは子供電話相談室だよ! 陰陽師とはまったく関係のない、子供電話相談室だよ! 今日はお兄さんにどんな相談かな?」


 成明はハキハキとした好青年風の声で言った。


「あら、ちょうど良かったわ。相談したいことがあったのよ。──わたしの身近に、とても大きな力を持っているのに、その力を出し惜しみしている大人がいるんだけど、どうしたらその人に本気を出してもらえるかしら?」


「うーん、そうだね、たぶん、その人はお姉さんのことがとっても嫌いなんだと思うよ。本当に心底嫌いなんだと思うよ。だから、無理に仲良くなろうとせずに、距離を置くことを勧めるよ。それじゃ、また相談事があったら、いつでもお兄さんに気軽にお電話してきてね。それから、お兄さんは陰陽師とはまったく関係がないからね」


「――朝からお芝居の練習なんて大変ね。それとも、わたしが知らないだけで、一流の陰陽師になるには、そういう技術も必要なのかしら?」


 女刑事は抑揚のない口調で返してくる。


「まったく、君と話していると、ぼくが大人電話相談室に電話をしたくなるよ。異常に性格が悪い女上司と上手くやっていく方法を教えて欲しいよ」


「あら、そんなの簡単じゃない。言われたことを素直にやる。それだけで人間関係は良好になるわよ」


「やたらと面倒臭い事件ばかりを押し付けられるとあっては、素直に引き受けることなんて到底出来ないんだけどね」


「立派な大人の人間として成長するためには、少しぐらいの困難には立ち向かっていかなくちゃいけないんじゃないの?」


「こちらはすでに十二分に成長済みだよ。立派な大人です」


「そうね。毎日、違う女性を部屋に連れ込むなんて、本当に大人だと思うわよ。たしか、今日は二人も呼んでいたわね」


「――盗撮魔め!」


「でも、それだと下半身ばかり大人になってしまって、頭の方は子供のままでしょ。だから、バランス良く成長出来るように、頭を使う事件をいろいろと紹介しているんだけど」


「刑事をプライバシーの侵害で訴えるには、どうすればいいんだろう?」


「ひとつ忠告してあげる。裁判ざたになったら、莫大な費用が必要になるわよ。あら、ちょうど良かった。高額なギャラを提示してくれている依頼人がいるんだけど、どうする?」


「ぼくはお金の額で動いているわけじゃないから」


「それじゃ、もうひとつ言わせてもらうわ。今回の事件はあなたに大いに関係があるのよ。今回の事件には、アベノセイメイも関係しているんだから」


「――ウソじゃないだろうね?」


「刑事がウソをつくようになったら終わりでしょ?」


「君の場合はそうとも言い切れないから怖いんだよ」


「安心して、アベノセイメイが絡んでいるのは本当だから」


「――分かったよ。部屋まで資料を送ってくれ。どうせ、すでに送り済みなんだろうけど」


「事件の資料なら車の中で読んでくれるかしら。今からわたしは被害者宅へ話を聞きに行くから、同行してもらえるとうれしいんだけど」


「心の底から絶対にお断わりします」


「一度くらいは、あなたがどんな調査のやり方をするのか自分の目で見てみたいのよ」


「だから、お断わりしますって。上司の視線があると、気になって仕事がはかどらないタイプなんです、ぼくは」


「ホテルの下にいるから待ってるわ」


 それだけ言うと、電話は切れた。電話が切れるのを待っていたかのように、部屋のベルが鳴った。ボーイが事件資料の入った封筒を持ってきたようだ。


「盗撮されているホテルからの引っ越しを、そろそろ本格的に考えないといけないな。引っ越し代金になるぐらいの依頼ならいいけど」


 成明は封筒を受け取ると、いつもの服に着替え始めた。


「あれっ? なんだ。もう朝になってるじゃん」


 ベッド上でもぞもぞと動きがあり、布団の端から若い女性が顔をのぞかせた。


「あっ、ほんとだ。昨日は遅くまで頑張ったからね」


 別の声といっしょに、反対側の布団の端からも若い女性の頭が這い出てきた。


「急な用事が入ったから、外出してくるよ」


 起きたばかりの二人の女性に、名残惜しそうな視線をむけたまま声をかけると、成明はホテルの部屋を出ていった。



 ――――――――――――――――



 ホテルの玄関前に一台の車が横付けされていた。とても目立つ車で、ホテルに出入りする人間の視線を集めている。


「最近の警察は給料がいいんだね。それともぼくが知らないだけで、公務員には特別ボーナスが出るようになったのかな?」


 成明は車を横目で見ながら言った。


 車は外国メーカーの最高級スポーツカーである。地獄の紅蓮の炎を思わせる深紅のボディを見て、刑事が乗っていると思う人間はいないだろう。


「輸入車ディーラーに車の保険金詐欺の話を聞きにいったら、なぜか『格安』で譲ってくれたのよ。ひと目でわたしが人徳のある刑事だと分かってくれたみたいね」


 運転席に座る麗子はさらっと言ってのけた。


「そろそろ本格的に転職を考えた方がいいよ。刑事なんかよりも、よっぽど向いている職業がある気がするんだけどね」


 成明は不承不承、車に乗り込んだ。


「捜査資料はこれよ。被害者は家に気味の悪いモノが送られてきて困っているそうよ」


「それって、ただの嫌がらせじゃないの?」


「そこをあなたに正確に判断してもらいたいのよ」


「なんだかいいようにコキ使われているだけのような気がするけど――」


「それじゃ、飛ばすわよ」


「そのセリフ、君なら絶対に言うと思ったよ」


 成明の言葉が終わる前に、麗子はアクセルを強く踏み込み、エンジン音を轟かせながら、車をスタートさせた。


「もしかしたら、F1レーサーもいけるかもね」


 成明のぼやき声は、エンジン音にかき消されてしまった。

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