第11話 少年たちの暗い覚悟
「――どうすんだよ?」
武彦がこの質問をするのは、ファミレスに入ってから五回目である。
「――――」
伸吾の答えはさっきと同じだった。だんまりである。
風俗街から走って逃げてきたはいいが、行く場所もなく、結局、明るい照明に誘われるようにして二人はファミレスに逃げ込んだ。少なくともファミレスの中には、あのバケモノじみた犬も入ってこられないとふんでのことである。
「あの女、オレたちのことをハメようとしたんだぜ」
武彦は伸吾の顔を見つめた。
「ああ」
伸吾は苛立ちを隠すことなく短く答えた。
「それにキヨシとマナブだって、あの女にやられたんじゃないのか?」
「そんなこと、おれに分かるわけねえだろう」
「でも、シンゴ。あの交通事故のとき、マナブは犬が見えるとか言ってたぜ。おれたちにはそんな犬は見えなかったけど、もしかしてマナブが見た犬っていうのが、さっきのバケモノ犬のことだったら――」
「だから、おれに聞くなっ! 分かんねえんだよっ!」
伸吾はテーブルの端を拳で力強く打ち付けた。夕食の時間も終わり、ちょうど店内は客が少なく空いていたこともあって、その音は思いのほか大きく店内に響いた。武彦たちの座るテーブルに、いっせいに他の客たちからの非難の視線が向けられる。なんだよ、と武彦は口には出さずに目だけで言うと、他の客の視線はすぐさま散っていった。
「おい、シンゴ。少し落ち着けよ。いつものおまえらしくないぞ」
「――分かってる」
伸吾は暗い目を、窓の外の景色に向けた。
「とにかく、シンゴ。こうなっちまったら、もうおれたちの手には負えねえよ」
「それで、どうしろって言うんだよ」
「どうしろって……。だから、いつもみたいにさ、シンゴのオヤジさんに頼んで――」
武彦は力ない卑屈な笑みを伸吾に向けた。
「オヤジになんて言うんだ? 野良犬をバラバラにして何匹も殺して、それで怒った女とバケモノじみた犬に追い掛けられているなんて、そんなこと言えると思うか?」
「それは、そうだけど……」
武彦は伸吾の視線から逃げるように顔を下に向けた。
「中学のときみたいな、ケンカやカツアゲとはレベルが違うんだよ。だいたい、いくらオヤジが政治家だからといっても、あのバケモノ犬はどうにもできねえだろう」
「じゃあ、おれたち、どうすんだよ? このまま、あの女とバケモノ犬にいつまでも追い掛け回されて、キヨシやマナブみたいに――」
「だから、こうなったらもうやるしかねえんだよ」
伸吾は重い声で言った。
「やる?」
「あのバケモノ犬にやられる前に、こっちからしかけてやるんだよ」
「でも、あのバケモノ犬をどうやって――」
「確かにあのバケモノはおれたちの力じゃ、無理かもしれねえ。でもよ、女の方だったらやれるだろう」
「女か……」
「あの女がバケモノを操ってるみたいだったからな。あの女をやっちまえば、おれたちにもまだ勝機はあるってことだろう?」
伸吾は意味ありげな視線で武彦の顔を見た。後ろ暗いところがある人間が、同じ境遇にある人間に相談を持ちかけるときにする目付きだ。
「――そうだよな。もうおれたちが助かるには、あの女をやるしかねえんだよな」
武彦は伸吾の暗い目の力に同意するようにうなずいた。
二人が互いに薄ら寒い笑みを浮かべたとき、伸吾のスマホの着信音が鳴った。
「――誰だよ、こんなときに」
伸吾は不機嫌丸出しの声でつぶやきながらスマホを手に取った。
「――ああ、そうだよ。で、おまえは誰なんだよ?」
伸吾の表情が劇変した。一分ほどで会話を終えて電話を切る。
「シンゴ、どうしたんだよ?」
「――あの女からだ。キヨシのスマホからかけてきやがった。今日の夜、例の神社で待ってるだとさ」
――――――――――――――――
暗い神社の境内に伸吾と武彦はやってきた。時刻は午後十時を回っているせいか、境内に人の姿はまったく見当らない。本殿脇にある小さな外灯だけが、薄ぼんやりとしたオレンジ色の光を周囲に投げ掛けている。
「あの女、どこにいるんだよ」
武彦は誰にともなく言った。緊張と恐怖でこわばった体をリラクックスさせるために、知らぬうちに喉から出た言葉だった。
「さあな。とにかく神社に来いっていうんだから、そこらに隠れているんじゃないのか」
二人はしばらく境内を見て回ったが、どこにも少女の姿はなかった。
「やっぱり、いねえみたいだな。なあ、シンゴ、今日はいったん帰った方がよくねえか――」
「本殿の裏にまわるぞ」
伸吾は武彦の言葉を無視した。
「裏?」
武彦は思わず聞き返した。明かりの届いていない本殿の裏は、漆黒の暗闇と化している。なにが待ちうけているか分からない。
「そうだよ。忘れたのか。おれたちがどこで野良犬を殺したのか」
「いや、覚えているさ……」
武彦たち四人は人目の付かない本殿の裏で、野良犬をバラバラにして殺したのだった。その後で、境内や隣の公園の目立つ所に、わざとその野良犬の死体を放置しておいたのだ。
「タケヒコ、おまえは左から回れ」
伸吾は指示を出した。
「お、おい、シンゴ。おれを一人で行かせる気かよ」
武彦はつい弱音を漏らした。
「おまえ、まさか怖じ気付いてんのか?」
「な、な、なに言ってんだよ……。怖じ気付いてなんかいねえよ。ただよ、一人でいるよりも二人でいた方が安全だと思ったからさ――」
「いいから、おまえは左から回れ。おれは右から回る。両サイドから行けば、あの女が裏にいたとしても逃げられねえだろう」
伸吾は武彦の答えを聞く前に、本殿に向かって歩いて行った。
「お、おい。待ってくれよ……」
武彦は仕方なく伸吾に付いていく。本殿の前に来た所で、二人は左右に別れた。
二人が暗い闇の中に消えてからしばらくして、伸吾だけ本殿の前に戻ってきた。
「タケヒコ、あとは頼んだぜ」
伸吾は本殿の前の石階段に座ると、ポケットからタバコを取り出し、ライターで火をつけた。白い煙が夜の空間にうっすらと漂っていった。
――――――――――――――――
背後から差していた本殿の明かりは、すぐに見えなくなった。生い茂った木々の間から差し込んでくる、わずかばかりの星明かりだけが頼りである。
「まったく、なんでこんなことになっちまったんだよ」
武彦は愚痴とも弱音ともとれる言葉を吐きながら暗闇の奥へと進んでいく。途中、地面に落ちていた手頃な長さと太さの木の棒を見付けると、それを拾った。何も持たないよりは幾分かは力が湧いてくる。手の中で何度か握り直して感触をしっかりと確かめた。
「こうなったら、もうやるしかねえんだよな」
前方の木々の間から音がした。武彦の体に震えがはしる。
「く、く、くそ……。隠れてないで、で、で、出てきやがれ!」
両手で握った木の棒を、剣道の選手のように構えた。まるで武彦の心情を表すかのように、棒の先端が大きく左右に揺れている。
草を擦る音が、木々の奥から聞こえてくる。その音は、まっすぐ着実に武彦のいる方に近付いてくる。
不意に、武彦の脳裏にあるシーンが思い浮かんだ。マンションから落下して死んだ清。武彦の頬にべったりと付いた肉片と、そのぬらっとした気色悪い感触。それは、清の頭部から飛び散った脳の残片だった。
くそっ、おれは死なないぞ。おれはあんな死に方は絶対しないぞ。おれは、おれは、おれは、おれはおれはおれはおれはおれは────――────――。
「うりゃあああああああーーーーーーーっ!」
武彦は絶望的な叫び声を張り上げながら、前方の木々の奥に自ら駆け込んでいった。
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