(光源氏との関係に怒り狂う右大臣は、何もわかっていないと思う)第14話
「六の姫よ」
先ほどまで怒鳴っていた右大臣の声が急に沈んだ。落ち着いたというより悲哀を帯びた。
「いまさら東宮さまがいらしたなどと反論しても、おもしろおかしく噂に
あの場にいたのは東宮と光源氏、そして、私。誰かが見たにしても、東宮との噂になるだけで、その場合、これほど広がりはしないだろう。
「東宮さまが帝になったとしても、光源氏さまによって、その地位を脅かせるとお思いなんでしょう」
「そうだ。だからこそ、なぜ、このような軽率な真似をした」
「言うても
「いまさら何じゃ。できぬことに大口を叩くのは、そこの辺りの
「父君。起きたことを嘆くのは愚か者のすることです。賢者は、未来をどう変えるかに能力を割くのです」
右大臣は、シワの多い顔をくしゃくしゃにした。
「では、策とは」
「この噂を利用しない手はございません。東宮への入内となれば、式典の準備などふくめて大いに時間が必要ですけど、
「それは、しかし、わしの娘が尚侍とは……、そなたに誇りはないのか」
「そんな愚かなプライドは、自信のない者が持つ感情です」
「ぷ、ぷら?」
「プライド。父君、言葉など気にしないで」
右大臣は何か言いたげだが、私を見て沈黙した。
右大臣家から女御として入内すれば、正式な妻として立后も可能だ。しかし、尚侍とは帝の世話をする女官、つまりキャリアウーマン的立場の働く女である。
女御での入内と、尚侍として働くでは身分が違い過ぎて、右大臣の娘がすることではない。右大臣は、私ではなく他の姫を入内させる事を考えない訳でもないだろう。
「父君、わたくし以外の娘を入内させても、東宮さまの愛を勝ち取ることはできないと思います」
「恐ろしいほどの自信だな」
「ええ……、それに、尚侍としてお近くに常に
彼の顔を上目遣いで見ながら、私は爆弾を落としてみた。
「夏には帝が退位され、東宮さまが即位されますから」
「それを、な……、なぜに知っておる……。い、いったいどこでそんな話を聞き及んだのじゃ」
右大臣は袖で額をぬぐっている。まだ、朝廷の上部層しか知らない現帝の退位。私が知るはずがない情報に慌てたのだろう。
どこか大雑把ですぐに沸騰する右大臣は扱いやすいところがある。だから、決定的なところで、将来、光源氏に負けてしまうのだ。
「もう、噂になっているか」
官吏にとって出世に関わる大問題だ。公にするのは直前である。
「父上、たまたま、姉君とお話しになっているのを盗み聞いたのです」
これは、はったりだ。しかし、
「ありえん、人払いはしてある」
「私は女官とは違います。誰も、私の行動を止めることはできません」
「まったく。ほんに困った姫だ」
「内密にそうなるとはご存じですよね、父君。だから、早くわたくしを入内させたいとお思いでしょう」
「……、どうして知っているか不問にしよう。それを知って、あのような振る舞いが、なぜできた」
「宿敵である光源氏を追い落とす策があります」
その後、父の耳もとで詳細を囁いたのは、間者を警戒してだ。屋敷にスパイがいないとは限らない。どこに耳があり、目があるかわからない。
「ま、まさか。それでは、おまえはどうなる」
「わたくしのことは、どうぞご心配なく。東宮さまへの出仕を早々に執りおこなってくださいませ。わたくしは噂のたった傷ものの姫ですから。女御としてではなく内侍として、お仕えします。東宮さまはお優しいので大丈夫でしょう。違います?」
右大臣は、しばらく何も言わなかった。それから、「わかった」とだけ告げて出ていった。
去ってすぐに筑紫がかたわらに来た。
「姫君」
「なに、筑紫」
「本気ですか。尚侍としてなどと。姫君のご身分で、帝の身の回りをお世話なされるとは。そのような立場に身を置かれるなど、筑紫は悲しゅうございます」
「嘘泣きまでしなくていいわ。いい、筑紫。一蓮托生よ。これから更に厳しくなる世間を渡りきるのよ」
「どこまでもついて参ります」
「それから、父君へ報告する内容を、わたしに確認してからなさい」
「仰せのままに」
「では、宮中に出仕する準備を早急にしなさい」
宮中には二つの対立軸がある。
今回の事態は、結果として『源氏物語』に書かれたように進んでいる。謎の男は自由といったが、本当に自由にできるのだろうか。
あるいは、自由にできないが、自由にして欲しいという希望なのだろうか。
文机の前に座り墨をすって筆を取る。対立する二つの権力勢力をつづってみた。
左大臣 対 右大臣
藤壺の宮 対 弘徽殿の女御
光源氏 対 東宮(後の朱雀帝)
??? 対 私
さて、敵の黒幕は、このなかの誰だろうか。
しばらく、この対立を眺め、それから、東宮への文をしたためるために、新しい紙を取り出した。
どう弁解しても、弁解に過ぎないだろうけど。でも、書かずにはおれなかった。
(第1章完結:つづく)
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