孤島のしゃぼん玉

霞(@tera1012)

第1話

 何故だろう、海が見えなくても、海がある方角の空は、何かが違って見える。そして風は、いつも海から吹いている。

 晴れ上がった空。風は暖かいと言えるほどだ。潮の香りはしなかった。

 目を閉じて顔を上げ、春の日差しを正面から受け止める。


 その時、気配を感じた。


「お兄ちゃん」


 振り向くよりも早く、背後から小さな声がかかった。ゆっくりと微笑んで見せながら、言葉を返す。


「どうした、ぼうや」

 

 小学校に入るか入らないかぐらいの、子供だった。廃校となった小学校の門柱の陰に半分身を隠したまま、うかがうようにこちらを見ている。


「ここの島の子か」

 こっくりと、小さな頭が頷いた。


「お父さんお母さんは? お友達は?」

 子供はフルフルと首を振る。


「はぐれたのか」

「……かくれんぼしてたら、みんないなくなった」

「そうか。びっくりしたな」

「うん」


 俺が顔を前に戻すと、ととと、と軽い足音がして、隣に小さな人影が立つ。


「……兄ちゃんと一緒に来るか? みんなを探すの、手伝ってやるよ」

 子供はしばらく、じいっと俺の顔を見つめていた。


「知らない人に、ついていっちゃ、いけないって」

「……なるほどな」

 俺は苦笑する。


「それじゃここで、迎えが来るまで一緒に遊ぼうか」

「いいの?」

 子供の顔がぱっと輝く。

 とはいえ、仕事の出張でここに来た俺には、子供のおもちゃなど持ち合わせはない。とっさに思案し、バックの中にペットボトルと、風呂道具一式があることを思い出した。




「なんか、変な味がする」

「ちょっと苦いよな、タンポポの茎」


 道端に咲いていたタンポポを折り取って、茎だけにする。片方の先端に裂け目を入れて、水に浸すと、茎の先端はくるりと開く。それをせっけん水につけてそうっと吹くと――


 ぷくう。


「わあ!」

 大きめのシャボン玉に、子供の目が輝いた。

 

「やってみろ」

「うん!」


 ぷうー。ぽぽぽぽぽ。

 風に流れる、無数の小さな泡。


「あれえ、なんでえ」

「あんまり強く、息を吹いちゃだめだよ。ゆっくりそうっと、息を入れてごらん」


 ぷくう。


「あ、みてみて!」

「おう、うまいうまい」


 子供の口元から生まれた虹色の球は、海からの風にふんわりと舞い上がった。

 子供ははしゃいで、次から次へと光る球を生み出していく。


 シャボン玉たちは、あるものはゆっくりゆっくりゆらゆらと空へと舞い上がり、あるものはふいにはじけて消えていった。


「きれいだなあ。ずうっと、とっておきたい」

「そうだな。でも、かたちがあるものはいつか壊れる。だからより美しく感じるんだ」

「ぼくもあんな風に、遠くに飛んでいけたらなあ」

「――行けるさ。君が望めば」


 子供の目は、ずっとシャボン玉の行方を追っていた。


「お兄さん、僕、ずっとここには、いられないのかな」

「――そうだな、それはたぶん、世の中のことわりからは外れたことだろう」

「でも僕は、まだここにいたい。だって、まだ何にも見ていないし、触っていないし、味わってもいない。そんなの、そんなの、不公平だよ」

「――そうだなあ」


 俺はさりげなく、ポケットに手を入れる。

 子供の形をしたものは、ゆっくりと黒い影に塗りつぶされていく。

 俺が飛びずさり、影に向かって右手を開こうとした瞬間、一陣の風が吹き抜けた。


 白いつぶてが、影を貫く。風に吹き上げられた、無数のタンポポの綿毛だった。

 子供の目が見開く。


「この綿毛みたいに、君も、どこか遠くで、もう一度、生まれ変わらないか。そして、たくさんの物を見て、触って、味わえよ」


 俺の言葉に、子供は笑ったようだった。


「痛いこと、しないんだ。お兄さん、優しいね」

「……あんまり、言われた覚えがないな」

「ありがとう、シャボン玉、きれいだった」

「……ああ」


 人影はゆっくりと光を帯び、浮かび上がる。俺は、風に乗るそれに向かい、ただシャボン玉を送り続ける。

 キラキラと、虹色の球に導かれながら、光る人影は青空に吸い込まれていった。


 俺はそのまま、仰向けに地面に倒れ込む。

「はあ……、何とか、なった……」



 10年前に無人島となったこの離島での仕事が「祓い師」の俺に舞い込んできたのは、数週間前のことだ。数十年前の子供の失踪事件。当時神隠しと言われたそれが、かくれんぼをしたまま友達をおいてけぼりにしたちょっとした悪戯心からの事故だったと、死の間際に、依頼者の父が告白したのだという。

 依頼者の父は、病を得て長く苦しみぬいて死んだ。その後、依頼者の周辺にも、小さな不幸が立て続けに起こるようになったという。

 それが、彼らが罪悪感より自らにかけた呪いだったのか、本当に怨霊のもたらすものだったのかは分からない。

 

 とにかく、島に来た俺の前に現れたのは、予想外に強力で、そして無邪気な思念の塊だった。あやうく引きずりこまれそうになり、背筋が凍った。


(ガキの頃の遊びも、時には役に立つんだな)


 ぷくう。 ぱちり。


 俺の作った最後の球は、口の中に微かなほろ苦さだけを残し、生まれたと同時に目の前で消えた。

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