黒 い 鱗

 どうしても見たかったものは、同時に、見たくなかったものでもある。

 肩先から腕のない〈装甲傀儡〉の哀れな姿は、私の胸を締め付けた。〈傀儡〉に意思などない。それでも、「痛かったろう」と、声を掛けた。

 ここは、第三格納庫――〈装甲傀儡〉の整備場だ。

 どの〈想像物〉にも、もちろん〈装甲傀儡〉にも、普通に経年劣化がある。他の道具となんら変わらない。使用期限を迎えて『失効』されるまでは、回数制限のある原状回復を重ねる。

 丸ごと『複写』するよりは、交換部分だけを『失効』し『複写』する方が、〈想像能力者〉の身体的負担は遥かに軽い。申請や認証印の手間も省ける。

 そうであっても、目の前の〈傀儡〉に、腕を付けてやる体力は、今日の私にはない。『ごめんね』と、心のなかで呟いた。

「この機体は、このまま資料として残すことが決まってね。後日、〈機関〉に運ぶ予定だ」

「そうなんですか……。この壊れ方……ひねられて、引き千切られたんですね――なら、外甲を強化して……いや、柔軟性を持たせた方がいいのか…… 材や構造を考え直さないと――」

「しばらくは二機から四機体制で対応するから。強度不足は数で補なえるよ」

「それだと、当直の持ち回り順が早くなって、負担が大きくなるんじゃ……」

「ずっと続く訳じゃないから。君の方こそ、あまり根を詰めないで。日常生活は問題なくても、〈想像師〉としては心配なんだ。新たに『心像』を固めて『想像』するには、体力以上に心力が必要だろう? とにかく今は焦らず、心力を戻すことが第一だよ」

 スルファさんの気遣いに「はい」と答えたが、反して気持ちはいていた。

 ……のんびりしていては……『ヘヴンリ』の〈想像師〉として、役目を果たさないと……。

 足元には、折れた刺股と千切れた腕。その装甲には、噛み跡と思われる丸い凹みが、ずらりと並んでいる。

「……幾つか貫通してる。……〈外獣〉は、大きいものほど性格が穏やかで、無駄に暴れない。いつもなら、刺股一本あれば……首や足を抑えてやれば、誘導に従ってくれるのに。…………今回は、そんな平和的な種じゃなかったな……」

 寝かされた腕の前に置かれた白い台座の上には、硝子の標本箱がある。箱の内側は重力が無効化され、中身はふわりと宙に浮いていた。

「……あの…………これは……?」

 手のひらの二倍ほどある板状の物体。表面には細かな筋が幾つも刻まれ、黒くて艶やかで、釉薬ゆうやくをたっぶりとかけて焼いた硬い磁器のように見えて、どこか重さを感じない。

 ――今まで見たことがないものに、私の心はざわついた。

「鱗だよ。ほんの欠片だけどね。〈甲冑〉が落としていったものだ。もみ合った際に剥がれて――いや、剥がれた、というよりは、割れた、と言った方が正確だね――」

 鱗の淵は丸みを帯びながらも、たわんだように上に反り返り、もう片側はささくれている

「――表皮、体毛、爪、欠けた歯。〈外獣〉の落とし物は、分類研究にとって貴重な宝物だ。標本が増えたことは喜ばしいんだが……」

「割れた……。あっ、出血は――」

「大丈夫。見た通り、鱗部分に血は通っていない。念のため、夜が明けてから現場の再確認をしたけど、その痕跡はなかったよ」

「よかった。処理には手間が掛かりますからね」

 血液で汚染された土や雪は瓶詰めにされ、蝋封し、区界にある地下保管庫に運び込まれる。自然浄化には五十年が必要とされ、その間、汚染場所は立ち入りが制限された上に、観察地域となり、さらにこれが広範囲となると――とにかく、めんどくさいのだ――

 

 異世界へと繋がる空間のひずみ――〈外来の門〉。

 そこを通り抜けて訪れる、迷惑な訪問者――異界の生物たち――〈外獣〉。

 ふたつは、フィンルアルト国が抱える、根本から解決することのできない『厄介ごと』だ。


 現象の殆どは、ここ――ルドフィス区で発生する。その理由は未だ不明だが、現象としては、山の動物たちが、うっかりと人里に下りて来ることと、そう変わらない。

 けれど、その体は見上げるほどに大きい。容姿でさえ、私たちの常識から掛け離れている。性格が荒いのはもちろん、たとえ臆病な種であっても、家屋と変わらぬ巨体で、心のおもむくままに街を闊歩されれば、それなりの被害が出る。現にルドフィスは、過去に街を失った。

 そんな〈外獣〉を誘導し――時には力尽くで――速やかに、かつ無傷で、本来の世界へと追い返し、〈外来の門〉を閉じるのが、〈装甲傀儡〉の役割だ。 

 ――これが一番重要だ。

 この世界に迷い込んだ最初の一頭は、駆除され、真冬の森に放置された。巨大な亡骸は、春を迎えて腐敗臭を放ち、朽ちた肉が裂け、血液が溢れた。夏になる前に、手間取りながらも解体し、土に埋め、のちに焼却処分された。

 その後も、同様に駆除は続けられたが、ある時、人々は異変に気付く。亡骸のあった場所から一切の植物が消え、何も芽吹かず、血液が触れた土地も同様に、不毛の地となっていた。

 人間を含めた動物や昆虫への影響はないが、森を形成する木々などの植物が育たなければ、結果どうなるか――簡単に予想がつく。〈外獣〉の血液で、安易に土を汚すことはできない。

 何度目かの冬を迎た頃、武器使用は厳禁となった。威嚇や追い込みには犬を使い、大縄や棒を使った人海戦術で対応したが、〈外獣〉に傷を付けない代償は甚大だった。

 最前線で働く者たちの命を守るため、〈想像能力者〉たちは体を防護する〈装甲〉を『想像』した。身に着ける鎧に始まり、長年にわたり改良され続け、その流れはやがて、着用するのではなく、人が乗り込む〈装甲傀儡〉へと進化し、今へと続く――

 

「この鱗……〈外獣〉に由来している物質、ということは確かなんだが――」と、スルファさんが差し出したのは、麻糸で綴られた薄い紙束。今回の報告書だ。

「初めに〈門〉の出現を確認したのは、君の〈鷹〉だよ。評判は上々。区界くざかい付近の巡回は、行って帰るだけで一苦労だからね。この調子なら――正式採用に切り替わるのも、もうすぐなんじゃないかな」

 〈鷹〉はその名の通り、鷹をかたどった上空偵察機だ。〈外来の門〉や〈外獣〉の痕跡を追尾し、その位置を〈鳩〉で知らせる――鷹が鳩を生むなんて、生物界ではあり得ない構図だ――

 〈外来の門〉は、いつ、どこで出現するのか予測ができない。次の出現が数十日後という時もあれば、いきなり数分後、稀に同時ということもある。

 そのため、昼夜問わずの監視は欠かせない。過去の統計を参考にし、出現率の高い場所では〈装甲傀儡〉で、その他は警備隊の手も借り、犬を使って巡回を行っている。

 昼間はともかく、広い森を有するルドフィス区内を、余す所なく見て回るのは、夜間当直の負担が大きいと、以前から声が上がっていた。

 その負担軽減にと『想像』したのが〈鷹〉だ。現在、夜間限定で試験導入されているが、採用されても主力として使うにはまだまだ力不足。あくまでも彼らの補助――後方支援に過ぎない。これからも改良が必要だ。

「そうですか……それなりに役に立ってるんだ。よかった――えっと……既存種との照らし合わせの結果は……」

 〈鷹〉には映像記録の機能を付けたかったが、〈想像能力管理機関〉での審議の結果、その許可は下りなかった。はたから見ると、私の〈想像物〉の素案は、どこか突飛に見えるようで、それも今なら納得する――私に、『前』の世界で人生を送った経験があるからだ。

 ……せめて、静止画像でもあれば、〈外獣〉研究がやり易くなるのに。でも……『前』の世界でも、写真の出初めは不気味がられたらしいし、何より――別の用途で使われることを危惧してるんだろう……理解を得るには、もうしばらく掛かるだろうな……。

 受け取った報告書をぺらぺらとめくり、『該当種』の項目を探した。が、そこは斜めの線が引かれていた。

「……読めないんだよ。『解読』出来ない。いや、一部はなんとなくわかるんだが――こんなこと、今までになかったことだ」

 優れた〈解読師〉のスルファさんが、それを『読め』なかったことに、私は驚かなかった。

「それに……当直から気になる報告もあってね」

「気になる……? えっと……この日の当直は――」と、記入者欄の名前を見て、先ほど見たおおらかな男の姿が頭に浮かんだ。

「彼に直接、聞いてみるといいよ。その方が……彼も喜ぶんじゃないかな? 今頃はこの話で、ケスと盛り上がってるだろうね」

「そうですね……私も、話に混ぜてもらおうかな」

 ふと、視線を感じ、報告書からスルファさんに目を移した。優しい眼差しは私を通して、遥か彼方にいる別の人物に向けられていた。

「早いものだね。君が……アフテナと同い歳になったのかと思ったら、なんだか感慨深くて。本当に、若かったんだなあって……」

「アフテナさん……亡くなられたのは、二十歳の時でしたね……」

 スルファさん、ソクラさん、そして、ハナウォン兄弟の父親――〈複写師〉のカデナラさんは、かつて、彼の〈共団〉に所属していた。

「ああ。――君と同じでね、〈想像師〉という仕事が心から好きで、誇りを持っていた。君が委任されるまでは、アフテナは十代で〈想像師〉になった唯一の〈能力者〉だった。五つも年下なのに、僕よりもしっかりしていてね。そのくせ――」と、スルファさんは小さく笑う。

 祖父様と同じ表情かおだ――皆、アフテナさんを思い出す時、笑顔なのに、どこか、やるせなさが見て取れる。二十年を経た今も、彼は特別で、大切で、忘れがたい存在なのだ。

「――調査団が、新しい標本を持ち帰ったと聞くと、そわそわして。授業そっち退けで、一番乗りで見に行ってたな……。無邪気でね。名門家の長男だというのに、気取らない、気さくなやつで……のことだって……あんなに可愛がっていたのに……」

 あいつ――この男の名前を、祖父様でさえ、あまり口にはしない。言葉や表情から本心を読み解くことのできない、謎めいた存在だったという。

「……アフテナが生きていたら、きっとカナンと気が合って、年が離れていても、君の良き友人になっていただろうね……。――カナン、頼むから、もう二度と、今回みたいな無茶はしないで。君に……アフテナのように、消えて欲しくはないんだよ」

 優しくたしなめるファデルさんから、寂しさが漂った。


 本来なら、ここに立っているのは、私ではない。

 カナン・ヘヴンリ――その存在は、アフテナさんの死の上に在る。

 だから、気負ってしまう。

 そう言われた訳でもないのに、彼の代役なのだと自分に言い聞かせる。

 それでいて、その役に成り切れないことも、不釣り合いなことも、十分に自覚している。

 〈想像師〉としての実績を重ねても、自分のことが妙に頼りなく、希薄に感じる。

 体に色がないような、光が通り抜けていくような――

 重さも、実体もなく、地に足が着いていないかのような――

 子供の頃に知った心細さは、大人になった今も、消えないままだ。

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