先生のお気に入り

先生のお気に入り 第1話

それは一通の手紙から始まった。

 ローズの元に手紙が届くことは取り立てて珍しい事ではない。業務報告、調査報告そしていつもの抗議文書。それらが日々塔の玄関口に投函される。

「あら、これはあなた宛てね」

 ローズに封筒の一つを手渡されフレアは顔をしかめた。ここ一週間以上目立つような行動はとっていないはずだ。受け取った封筒の手触りは柔らかく、魔導騎士団特化隊から送られる重厚さはなかった。宛名書きの筆跡は明らかに特化隊のオ・ウィンのそれではない。裏返すと差し出し人としてよく知る人物の名が書きつけてあった。

「その、コハク・マイハマというのは誰?」

「インフレイムスの店員さんです。お菓子を取りに行ったときによくお話する方です。ニコライ様を紹介してくださったり、お化け屋敷騒ぎの時の助言もこの方です」

「あぁ、そうだったの、そんな方が何の御用でしょ」

 フレアは爪を使い開封し中の手紙を取り出した。

「突然のお便り失礼します。折り入って相談したいことがありますので……」

 フレアはローズに読み聞かせたが。書かれていた内容に具体的な文言はなくあくまで相談の申し込みのみとなっていた。

「相談、あなたに?えらく頼られたものね」

「はい、何でしょうね」


 フレアに急な頼み事ということで不穏な空気を感じたローズだったが、フレアが本人に会って確認したところ、身に差し迫った案件もないとのことからコハクとは直近の土曜日に会うことになった。

 ローズからの許可が出たのも彼女自身が面白がってのことである。

 ローズ達が普段から関わる連中からの折り入っての相談といえば、家賃の遅延から血の匂いが漂いとても表ざたにできない事柄となりうんざりとすることも多いのだ。コハクの身辺で起きている不穏な出来事についての相談であれば、まず警備隊にねじ込むつもりでいたが、その心配もないようだ。そこで一般的な若い女性が狼人に持ちかける相談の内容に興味が傾いていった次第である。

 コハクから待ち合わせ場所として指定されたのは、白華園と呼ばれている一帯の中央にある公園だった。小規模な植物園でもあり植えられている全て木々、草花は白い花をつけている。これがこの公園の名の由来となり、さらにこの地域の名称となっている。

 細かな白い花をつけた蔓草のトンネルを抜けると十個ほどの長椅子が配置された広場へと出た。今使われているのは半数ほどで、フレアはその一つに茶色い髪を肩まで伸ばしている若い女性を見つけた。髪を後ろで纏めず、いつものお仕着せも着ていないため雰囲気は違うがコハクであることは間違いない。

「こんにちは、フレアさん」フレアの姿を発見したコハクは立ち上がり手を振った。

 フレアも同じように手を振って応じ、人の速さで近づいていった。彼女の正体は皆周知の事柄であるが、非常時以外少女のフリは続けるようにしている。

「こんにちは、コハクさん。お待たせしました」フレアはコハクのすぐ隣に腰を下ろした。

 念のため周辺を窺ってみたが危険な気配は感じられない。他に居合わせた客たちも自分たちの会話に夢中であったり、椅子の上でぐっすりと眠り込んでいたりでこちらに関心を持っている者はいない。本当に危急の要件ではなさそうだが、それならどうして自分が相談相手として選ばれたのか。フレアはますます不思議でならなくなってきた。

「他に行きますか?」 フレアはとりあえず聞いてみた。

「ここにいましょう。ここなら何の気も使いません」

「そうですか」

 フレアはこっそりと安堵した。人の居る店などにはあまり入りたくはない。人の食べ物は口に合わないし、好きな物を置いている店は数少ない。

「早速なんですが、わたしに相談とは何でしょうか?」

「変なお願いと思われるかもしれませんが、ある場所を調べるのを手伝ってほしいんです」少し声を上ずらせフレアとの間を詰めて来た。

「どんな場所ですか。危険な場所の探索でしたら同行はお勧めできませんよ」

「たぶん、危険はないと思うんですが、お店としては表ざたにしたくない事情もあって絶対に内密にお願いしたいんです」

 コハクはフレアの右手を取り上げ両手で握った。そしてしっかりと目を見つめてくる。

「えぇ、任せてください。そういうのは慣れてますから」

 どう慣れているか説明するわけにはいかないが、とりあえずフレアはそう答えておいた。彼女の必死の目がそうさせた。

「ありがとうございます」コハクは安堵のため息をついた。

「はい、それでわたしはどういうお手伝いをすればいいんですか?」 話は最初へと戻る。

「それなんですが、一か月ぐらい前ですが、うちの店のお菓子が増えたことは御存じですよね。ばら売りのクッキーの横でワゴンに乗せて売っている分です」

「ツゥルネ先生のお気に入りですか?」

「それです。あのお菓子ですが、あれはうちで作っているわけじゃないんです。外部の工房から持ち込まれたものをうちが委託販売しているんです」

「そうだったんですか」

「で……その工房がどこか妙なんです」

「どういう風にですか」

「少し長くなりそうですが聞いてくださいね」

「はい」

「あのお菓子は最初、四人組の女の子が店に直接売り込みに来たんです。試食してみるとよくできていて店長が試しに置いてみることになりました。初めはお盆の上に五個ぐらいだったんですが、今では種類も増えてワゴンに山盛りです。毎朝納品があっても閉店時には売り切れます。それで店長が納品の数を増やしてもらうよう直接工房に出向いていったんですが、教えてもらっていた場所は空き家だったんです。その日は店長も自分の聞いた場所が間違っていたんだろう判断して引き上げてきました。それで改めて次の日に納品に来た彼女たちに工房まで案内してもらったら、やっぱりそこだったんです」

「ただ、単に一回目は確認不足だったじゃないんですか?」

「それはみんな指摘したんですが、店長は間違いなかったというんです。最初門から入って玄関を何度か叩いても反応がない。訪問した場所が間違っていたのかと確認し直してもそこだった。で、今度は敷地内に入って窓から中を覗き込んだり裏口に回って扉を叩いたりとしてみたそうですが全く人気はなし、それでその場は住所の方が間違っていたのだろうと思い引き上げたそうです」

「工房がお休みだったというのはないですか」

「店長も最初はそれで納得しかけたんですが、工房に案内されてまた驚きがあったそうです。 前日外から覗いた時、台所は一般家庭と変わらなかったはずでしたが案内された時はしっかりとした菓子工房になっていたそうです。昨日とまるで雰囲気が変わっているところが多くて、わけがわからないながらもとりあえず増量をお願いして帰ってきたそうです」

「不思議な体験をしたんですね」

「はい、店長もだまっていられなくてその時いたみんなに話しました。それで誰かに操られて嘘夢を見せられたんじゃないかという説が湧いてきたんです」

「嘘夢ですか」

 真っ先に浮かんだのはローズの顔だが、夜であっても彼女がそんないたずらを仕掛けるわけもない。

「でも、おいしいお菓子もお茶も頂いたそうで、そういうことまでできるんでしょうか」

「ローズ様程度の力があればできると思います。あの方によると相手の意識に入り込んで刺激し、こちらが狙った夢を相手自身に作らせることが要領だそうです。まぁ、そこまでできるのはごく限られた存在のようですが」

 ここでフレアは港にローズと同じぐらいに面倒なのがやってきていることを思い出した。彼女も意識操作においては自分と力はさほど変わらないとローズは言っていた。しかし、彼女がわざわざ菓子屋の店主をだますとは思えない。

「それならやっぱりこちらで調べるのは危険もあるということですね。店長は腕もいいし取引はうまくいっているから続けたいんですが、自分たちが何者と取引をしているのか心配になってきて、ローズさんのメイドであるフレアさんに相談してみようとなったわけです」

「状況はわかりました」

「お願いできますか」

「その工房とそこで働いている人たちが何者なのかを調べる手伝いをこっそりすればいいんですか?」

「はい」

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