第3話

 翌日の昼前、フレアは公園の大木の周囲に形作られた人の輪の中にいた。この日は幸いにもコバヤシの使者の一人であるゴトーが、帝都の訪れる日となっていた。そこで彼に事前に連絡を入れ急遽、木の周囲の空気と花の花粉の分析を依頼した。

 地元民はフレアに伴われ木の下でコバヤシの機械を扱うゴトーを珍し気に眺めている。彼らもコバヤシとコバヤシの機械のことは知っているが本人を目にすることは少ない。そのため彼らを目にした場合の反応はこのようになってしまうのだ

「では、分析に回しておきます」ゴトーは花粉を納めた小瓶の蓋をねじり封をした。 そして、足元に置いた透明の瓶と共にそれを黒い樹脂製の鞄に仕舞い鍵を閉めた。

「早ければ夜には結果をお知らせすることができると思います」

「お願いします」

 お互い頭を下げ、ゴトーは荷物をまとめ住民たちの間を抜けていった。

 彼が待たせていた馬車に乗り込み去っていくと住民たちはフレアのそばに集まってきた。

お待ちかねの質問の時間である。

「何かあったんですか?」

「あのコバヤシの人は何をしていたんですか?」

 矢継ぎ早に質問が飛ぶ。フレアは少しの間黙っていた。そして両手を軽く上げる。彼女もローズに遠く及ばないとしても齢三百の狼人である。本来なら人を取って食う存在であり、ローズには遠く及ばないものの人を制する力は持っている。

「皆さんは珍しいことに、この木が花を咲かせていることをご存じですよね」

 一斉に同意の声が上がる。

「これは非常に珍しい事らしく、この街と共に生きてきたローズ様でさえ」吸血鬼が生きているのかはこの際問題ではない。「初めて目にすることだそうです。綺麗でよいのですが、ローズ様は心配もされています。長い間なかったことが突然起きている。何かの前兆ではないかと」多数の住民が頷く。

「そのためローズ様は大事を取られて、折よくいらしたゴトー様に調査依頼をした次第です。皆さんももし気になる事があればお知らせください」

 とりあえずは、住民たちを納得させることはできたようで、それ以後は雑談の時間となったが、誰も花を見たのは始めてだということは確かとなった。


 陽が暮れてからのローズの私室は芝居見物の夜以上の慌ただしさを見せていた。ローズの着替えの裏側では、ゴトーによる今日の昼に回収した花粉や空気の分析結果の中間報告の解説が流れている。ローズは外出準備をしながらそれに耳を傾けている。

「わたしたちとこの世界の人たちが体が驚くほど似通っていることからあの花の花粉には同様の効果があるとみられます」

「眠れなくなるということですか?」

「はい、量は少ないようですが耐性に乏しく、長くその環境下にさらされればそれも考えられるとのことです」

「害はあるのですか?」

「量にもよりますが、少量なら特に害はありません。よほどの量にならなければただの眠気覚ましです。詳しい結果は次回そちらに出向いた折にお届けします。では失礼します」

「はい、ありがとうございました」

 外套に腕を通したローズにフレアが仮面を手渡す。

「花の無い状態でもあの木はごく薄い眠気覚ましを発散していた。それに当てられすっきりしたような気がした。あの場を離れればそれも抜ける。お酒でぼんやりしているもんだからそのまま寝る。今思えば、それが実態だったのかしら」

「眠りの木とはまるで逆ですか」

「そうね。お客様を待たせることになるといけないわ。そろそろ出ましょう」

「はい」

 

 お客様というのは今夜バンス・ニール邸に現れるという植物学者である。フレアは眠りの木について調べようと昼過ぎから図書館へと向かったが、名前も知らない木では調べようもない。そこで研究範囲がまるで違うのを承知ながらも、親交のあるバンス・ニール博士に泣きついた。

 幸いニールの知る範囲に植物園の関係者がいたため、連絡を取ってみた。そして、フレアの話に興味を持った先方は今夜出向いてもよいと返答をした。ただし、ローズを伴ってくることが条件である。興味本位で自分の姿を見たいをいう者に姿を見せることはないのだが、今回は例外とすることにした。

 ニール邸に到着し広間に通され彼と挨拶も交わさぬうちに、客人が現れた。執事とともに現れたのは小柄で小太りの女性見た目はローズより少し上程度か。外での仕事が多いのかよく日に焼け縮れた茶色の髪を後ろで纏めている。

 彼女はローズの姿を見つけると駆け寄り、ローズの右手を両手で握りしめた。とりあえず物珍しさだけでやって来たのではないらしい。

「一度お会いしたと思っていました。ご安心ください。マーガレットは元気にやっております」

「マーガレット?」ローズは小悪党をいたぶることはあっても、人を助けることは少ない。間接的に助けることになったことはあるだろうが、その場合名前までは把握できてはいない。

「あぁ、ローズさん、こちらは帝国植物園所属のヴィヴィアン・アルヴェルドーベ博士です。どうぞ皆さん掛けください」 ニールはローズに慌てて声をかけた。

 改めて両者頭を下げ分かれて席に着いた。アルヴェルドーベはまだ興奮気味のようである。

「アルヴェルドーベ博士、マーガレットという方は博士とはどういう御関係ですか?」ローズは彼女の頭の中を探るより言葉での返答を聞いてみることにした。

「あぁ、言葉が足らずすみません。マーガレットというのは以前あなたに助けていただいた変種のモルボルの愛称です。倉庫に閉じ込められていた当時は少し弱っておりましたが、今は十分に日を浴びて広い場所におりますので元気そのものです」

 ローズにはすぐに彼女のいうモルボルのことを思い出した。不良品の香水を発端とするモルボル出現騒動は公式にはローズたちは無関係とされている。誰かがローズの関与をほのめかしたに違いない。

「歌劇場に出現したモルボルですね。あの折はわたしも巻き込まれまして難儀しました。博士 はなぜモルボルのことをご存じなんですか?」

「はい、警備隊から協力要請を受け、現れたモルボルの幼体について助言をしておりました」

「ヴィヴィアン、その件はそれぐらいにしておいて、今回は別件で来たのではないかな?」とニール。

「あらあら、すみません。そうでしたね。植物園は夜も開けている時もありますのでよければお越しください」

 ローズは彼の言葉に胸をなでおろした。彼女に悪意はなく、むしろ感じるのは溢れるほどの謝意だけなのだが、ローズとしてはこの話題は続けたくはなかった。帝都の公式発表を今更荒らしたくはない。

「はい、ありがとうございます」

「それではご相談というのはアルベロアドロメンタについてでしたね」

「……」

 博士はきょとんとしている二人の様子を察して説明を付け加えた。

「四番街の木の名前です。通称ではコンゴウムネと呼ばれています。近東原産のはずなんですが、なぜかこちらで生えています。あの木は周囲の土地を支配するかのように他の木を枯らしてしまうため、付近には背の低い下草しか生えません」

「それであのような状態になっていたのですね」 とローズ。

 二人は眠りの木と呼ばれていた大木について博士に話して聞かせた。最初はにこやかだった博士の表情がフレアが話す木の状態、花の様子を聞くにつれ険しさが見えてきた。

「始めに言っておきますと、皆さんにお気の毒ではありますがその木の寿命は長くないかもしれません」

「どういうことですか」

「あの木についてはわかっていないことの方が多いのですが、こちらでの観察事例で同じアルベロアドロメンタの老木が突然花を咲かせたのち一月ほどで枯れてしまったことがありました。花が萎み種を形成し細かな綿毛が飛散するまでの期間です。それから根付いた種はないか探しているのですがまだ発見されていません。非常に強く寿命も長い木ですがやはり生き物です。いずれ死が訪れます。あの木は通常花をつけることはないのですが、その身に異変を感じると花を咲かせ延命を図るといわれています。ここでの延命は代を繋ぐという意味です。それも伝説の範囲で確証はありません」

「こちらで何かできることはありませんか?」

「何かの害を受けているなら、それを取り除くことで解決できるかもしれませんが、寿命の場合は静かに見送るほかはありません」


 アルヴェルドーベ博士との会見を終え、馬車で帰途に就く二人は重い空気に包まれていた。博士に現地で木の様子を見てもらう約束は取り付けたものの、彼女にできることは限られていることは察しがついた。それはローズたちも同じことである。

「もしもの時が来る前に皆さんに告げた方がいいんでしょうか」

「種ができるようなことになれば、考えた方がいいでしょうね」ローズが静かにため息をつく。「その役目はわたしがやってもいいわ。あの木とは長い付き合いだから、向こうはわたしなんて何とも思っていないだろうけど」

「つい最近二百年のお祝いをしたばかりというのに、こんなことになるなんて」

「一月前のことね。あの時は久し振りに昔のことを思い出したわ。塔ができた時もみんなでお祝いしたけど、あれから二百年経ってるのね。それなのに同じ場所で似たようなことをしてる変わらないわね」

「一か月ですか……ローズ様」

「何?」

「あの方たちが眠れなくなったのが一週間、不眠に陥るまで個人差はあるようですが二週間。 木はそのあたりで花をつけ花粉を出し始めたことになりますね。何か異変があったなら……」

「その少し前、除幕式の辺りということ?」

「偶然かもしれませんが……」

「その偶然気になってきたわ。もう一度公園に行ってみましょう」

 

 馬車は塔の周辺三番街を抜け四番街へ、公園の付近は花の匂いが薄っすらと漂っていることをフレアは感じたが、ローズの処置はまだ効いているようで住民たちは寝静まっている。馬車を公園内まで乗り入れ眠りの木の元へ向かう。そしてローズはその傍の記念碑の前にしゃがみこんだ。

「この一か月で公園に新しく加わったのはこの記念碑だけ」ローズは記念碑に向かい手をかざした。

「でも、ローズ様それは」

「わかってる。あの人たちに悪意なんて欠片もなかった。除幕式で感じたのは誇らしさとお祭り気分、そして旧市街への反発心が少し、それは昔から変わらない」

 土の上に置かれていただけの記念碑は誰かが支えているかのようにゆっくりと後方へと倒れた。記念碑で隠れていた場所には十数個の穴が開いていた。小指ほどで眠りの木に向かって掘られているように見える。 そして記念碑の底で隠れていた部分には小さな殻のようなものがこびりついている。

「何ですかこれは……」

「何かの卵の……殻?」ローズは呟いた。

 ローズは軽く舌打ちをした。

 ローズの手元から小さな火球が多数現れ、その一つ一つが地面の穴に吸い込まれていった。ややあって、木の根元からいくつもの砂煙が噴出し同時にそこから黒い球が飛び出してきた。玉は宙で軽く震えると砕けて地面に落ちた。

 フレアが近づいてみるとそこには透明の羽や殻、脚が散らばっていた。バラバラになった甲虫の残骸だった。

「記念碑の石材に付いて来た虫でしょうね。売れ残りの石材に付いて眠っていた虫が地面に置かれ目覚めた。この木はあの匂いの素を使って追い払おうとしたけど敵わず、花を咲かせる結果になったのかも」

 ローズはちぎれた虫の胴を蹴り飛ばした。「あの人たちの手でという発案で始まった事だから手控えていたけど、少しは顔出しをしておくべきだったわね」

「これで安心なんでしょうか」

「虫の気配は消えたようだけど何とも言えないわ」ローズはそっと幹に手を添える。「あとはこの木の力次第でしょうね。見守りましょう。それしかできないわ」

 ローズは虫の残骸をその場で焼き払い公園を後にした。


 ローズの処置が切れる頃が来ても、塔の前の住民たちの行列が復活することはなかった。ベランダから見下ろす街路は閑散している。フレアはあれから公園に何度か昼夜を問わず訪れたが、匂いがかなり控えめになった以外は眠りの木に変化はなかった。

 ローズはこの夜、公園に行くためフレアに馬車の用意をさせた。花が種を生じるようなら木を見送る心構えが必要となる。そのために今一度自身で様子を見に行くことにしたのだ。

 公園の入り口まで来ると、黒々とした木のそばに焚火が見えた。火のそばに人影が三人見える。昔よく目にした光景である。馬車と二人の姿を目にして全員が焚火のそばから立ち上がった。

「ローズさん、フレアさん、こんばんは」男の一人が挨拶をした。

「こんばんは」二人が返す

「花の見物なら残念ですが全部落っちまいましたよ」一人が上を指差した。ぼんやりとした目つきからして、どうやら全員酔っているようだ。

「落ちた?」

「ええ、全部根元からぽっきりと折れて落ちました」

「こんな物いらねぇよって感じで、咲いたまま落ちたんです」

 二人は顔を見合わせた。予想外の展開である。花が萎み枯れていることを期待はしていたが。

「いきなりなんで驚きましたが、前より元気そうだみんな言ってます」

「これは良い知らせと受け取っていいんでしょうか?」フレアはイヤリングでローズに問いかけた。

「そう期待したいけど、博士に一度見てもらいましょう」ローズはフレアから視線を外した。

「それは何よりですね。ところであなた方はよくここで飲んでいるのですか?」

「今日が初めてです」

「こいつが昔はここで飲んでたんだって言い出したんで、じゃぁやってみようぜってことで」

 挨拶をした男が隣の男を指差した。

「この木が最近話題になっておもいだしたんですよ。爺ちゃんが生きてた頃に聞いた話をまぁ、爺ちゃんもその爺ちゃんから聞いたって言ってましたが、それもたまにローズさんも一緒だったって」

 男はすこしばつが悪そうにローズに目をやった。

「わたしはお酒を飲むことはできませんが、夜にお話をすることはありましたね。この木のそばに焚火なんて大変懐かしく思いました」

「それじゃ、本当だったんですね」

「もちろんです。もっとも、あの頃はこの木と建設中の塔しかありませんでしたがいい思い出です」

 睡眠不足というローズが体験することのない悩みを発端とした今回の騒動だったが、ローズには過去を思い返すよい機会となったのは間違いない。


 なお、アルヴェルドーベ博士からは、眠りの木は健康を取り戻しているとみてよいでしょうとの見解を得て、ローズとフレアは胸をなでおろした。

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