第4話
コンド・マーコットの居城ケオー製薬本社は旧市街の港湾地区の一角を占める巨大な倉庫だった。人気が絶え、闇に沈む通りでそこからだけ光が漏れていた。
闇の中、倉庫のすぐ傍に黒塗りの馬車が止められ、二人の身なりの良い女性が降りてきた。二人が本社倉庫に前に立った時、それを待ち受けていたように巨大な引き戸が開き始めた。
倉庫内で仕事をしていた作業員達は何事かと手を止め顔を上げた。そこにいたのは赤い瞳の美女と金髪の少女。状況が飲み込めず困惑している作業員達の中で、彼女らの正体に気が付いた男一人が、手にしていた荷物を放り出し逃げ出そうとした。
「お気遣いなく、皆さんはお仕事を続けてください」
ローズの声に作業員達は何事もなかったように作業を再開した。
今夜のローズは黒の外套も黒眼鏡も掛けていない。黒眼鏡と外套はローズの不意に漏出する力から人々を守るための防御壁。今夜のローズは慈悲の心は持ち合わせてはいない。
「何だ。お前たちは!」
異変を察したのか男が二人倉庫の奥からやってきた。髪はあるが、「スイサイダル・パレス」にいそうなタイプである。その体格からしておそらく警備要員だろう。ローズ達を前に黙々と仕事を続ける作業員達に不審の目を向けながら、前へとやってくる。
「お出迎えありがとうございます。マーコットさんのお部屋に案内していただけますか」
ローズの言葉に男達の動きが止まる。一人がローズの瞳を直視しし過ぎたためか、膝を付きその場に顔からうつ伏せに倒れ込んだ。
一人が少し離れた壁沿いに設置された階段を指差した。その先には部屋があるようだ。
男を案内役に二人は階段を上り扉を開け部屋へと入った。中は暗く人の気配はない。マーコットは今不在のようである。机が三台と掲示板、そこにはメモなどは何枚も貼りつけられている。他簡素な調度品と奥に大型の金庫が置かれている。窓からは階下の様子が見えるようになっている。
「冴えない部屋ですね」フレアが言った。
「まぁ、お客様をお招きすることはないんでしょう」
「あなた」ローズは仕事が終わりぼんやりと立っている案内係に声を掛けた。「そこの金庫を開けてもらえませんか」
ローズに命じられた男は少しの間金庫の鍵を触っていたが、やがて部屋の隅、掃除道具と共に置いてあった金属棒を使い、頑丈な扉をこじ開け始めた。当たり前のことだが男は金庫の開け方はしらなかったのだ。
「しかたないですね。わたしが手伝いましょう」
室内に響き渡る金属の破断音と共に扉が開いた。内部には二十ほどの札束と書類が詰まっている。
「たくさんありますね」
「今回の経費に幾らか頂いて帰りましょう」
フレアが札束を手持ちの鞄に詰めると金庫の金額は三分の一ほどに減った。
「ごくろうさまでした。今日はこれで下がっていいですよ」
ローズが男に暇を出すと、彼はは黙ったまま礼をしそのまま去っていった。
階段を下りて、まっすぐに奥へ向かう。途中で小瓶と漏斗などの簡素な道具、大量の液体の入った容器が置かれた作業机に置かれた区画を通った。ほんのりとあの薔薇もどきの香りが漂っている。香水はここで手作業によって瓶へと詰められていたのだろう。
「こんなやり方でよく何も起こりませんでしたね」
「起こっているに違いないわ。ただ隠されてきただけ、お金のためにね」
やがて、ローズ達は最奥に設置された巨大な引き戸に行きついた。鋼鉄の枠で補強された巨大な扉である。引き戸が耳障りな音と共に動き始めるにつれ、「野生の咆哮」の香りが強くなってきた。
「これは……」フレアは目の前の光景に言葉を失った。
「あっはっはっ……、こういうことがあるから、いつまで経ってもこの世界にいることはやめられないわ」
目の前には巨大な檻があり、そこにはまさに見上げるほどの成体のモルボルが囚われていた。体色は深緑だが、頭頂部に巨大で鮮やかな赤や黄色の花を咲かせている。明らかに変種のモルボルであり、このモルボルが付近に漂う香気の発生源である。檻の中には多数の送風機と、檻の向かって左側に何本ものパイプが設置されていた。それらはすぐ傍のタンクへ接続されていた。
「ずいぶん雑な回収装置ね。モルボルはたまに他の植物と交雑することがあるのは言ったでしょう。交雑の結果この子の場合、本来の悪臭ではなく交雑相手が持つ香りを放つようになったわけね。それが災いして、こんな倉庫で囚われの身となってしまったのよ。あの香水はこの子の吐息そのものよ。あの香水はこの子の吐息を集めてただ単純に瓶詰めしただけ、だから瓶に種が混ざり込んであんな騒ぎが起こることになった」
モルボルはローズ達の気配に気づいたのか、身体を揺らし檻の金網を蔓足で盛んに叩き始めた。
「もう少し待ってなさい。出してあげるから……」
ローズが花咲きモルボルをなだめていると背後が騒がしくなってきた。
「そこで何をしている!」
振り向くと棍棒や斧を手にした男達が並んでいた。入り口にいた作業員と警備員それに新入りが三人、いち早くローズ達の正体に気づいたと思しき男はうまく逃げだしたらしく姿はなかった。
「何をしていると聞いているんだ!」大声で叫ぶ男は並ぶ荒くれ者の中では異質だった。小柄で白髪そして眼鏡を掛けている。
「ローズ様、あれがきっとマーコットですよ。コンド・マーコット」フレアは白髪の小男を指差した。
「たしかにエリオットが言ってたようないかにも胡散臭そうな小物ね」ローズは笑い声をあげた。「まぁ、楽にしてなさい」
男達は手にしていた武器をそのまま床に落とした。それが足に当たった者もいたが何も感じていない様子だ。マーコットは虚ろな目で棒立ちになった手下達の顔を覗き込んだ。彼らは動力が切れた人形のようにうなだれてただ立っている。
「何をした!こいつらに何をしたんだ!」
ローズは興奮し叫び続ける小男を見据えた。
「マーコットさんですね、あなたはわたし達にさっきからつまらない質問ばかりして、もっと他にしゃべる事はないんですか?」ローズはため息をついた。
「わたしはね、今回すごく期待していたんですよ。わたしを凌ぐ者が現れたのか。稀代の召喚士の出現か。でも、蓋を開けてみると、あなたのようなつまらなくていい加減な男が不良品の香水をただばらまいていただけ、あぁつまらない。本当にあなたには失望しましたよ。唯一の救いはこの子に会えたことですね」ローズは檻の中でうねうねと動く花咲きモルボルを手で示した。
「そこのあなた、急いで警備隊の方々を呼んできてくださいな。倉庫で事故が起きて、金属部材の下敷きになった者が大勢いると伝えてください」
右端の男は一度うなずくと倉庫を飛び出していった。
「何をするつもりだ……」
マーコットも逃げ出そうとしたが、足が動かなくなっていた。立っていることはできるのだが足は根が生えたように動かすことができない。
「何をするつもりだ……」
「またですか。つまらない。何もしませんよ。わたしはね……」
突然、みしみし、ぎしぎし、倉庫の部材が軋み始めた。花を頂いたモルボルを捕らえていた檻は急速に錆びつき自重でばらばらに崩壊し、男達に向かって倒れて来た。支持を失ったパイプ類も床へと崩れ落ちる。大量の赤錆と埃が舞う靄の中、立っていたのはローズとフレア、マーコット、そして自由を取り戻したモルボル。
マーコットの手下は鉄材と赤錆の山に埋もれたが、自分は無事であることに安堵した。足も動きを取り戻したことに笑みを浮かべる。しかし、それもつかの間のことモルボルの蔓足が素早く伸びマーコット捕らえ高く高く持ちあげた。
その蔓足は幼体の物と比べ遥かに太く頑丈で、そして弾けて消えることもなかった。モルボルに振り回されるマーコットは最初こそ叫び声を上げていたが何度か床にたたきつけられた後はすっかりおとなしくなった。
ビビアン・クアンベル作「蒼天の騎士」は五日間の休演を経て、めでたく再演と相成った。それを祝うべく歌劇場へ向かうローズの前に立ちはだかる黒眼鏡の男が一人。
「ローズさん、少し時間はありますか?お伺いしたいことがあります」
魔導騎士団特化隊員デヴィット・ビンチである。
「隣でよければどうぞ、ご用件は車内でお聞きしましょう、急ぎたいので。道中道が混むといけません」ローズは座席の右側を開けた。
フレアはビンチが乗り込んだのを確認すると馬車を出した。決して小柄ではない二人によって客車の座席はかなり窮屈なものとなった。
「まず、先日のモルボル騒ぎが解決しました」
「それではわたしへの疑いは晴れたということですね」
「はい」
「それではわたしに話したいこととは何でしょうか?」
「もう新聞発表になっているのでご存じでしょうが、今回に騒ぎを起こした首謀者というのはコンド・マーコットという男です。あの「野生の咆哮」という流行り物の香水の元売り業者、正確には騒ぎの原因となった香水を作り出した男です」
「さすがに特化隊ですね。あの難解な事件を解決するとは」御者席からフレアの声が聞こえる。
ビンチは一瞬顔を歪めたがすぐに言葉をつづけた。「我々でもケオー製薬の内偵は始めてはいましたが、検挙につながったのはほんの偶然からです。ケオー製薬の従業員を名乗る男が、警備隊の港湾第一分署に、倉庫の事故でけが人が出ていると、助けを求めにやってきたことからです。ケオー製薬ということで我々も駆けつけました。発見されたのは錆びた鉄材の下敷きなった従業員達と何者かにぼろ雑巾のようにされた社長のマーコット、そして巨大なモルボル、破壊された金庫」
「事件の詳細をわざわざ教えていただけるのはうれしいんですが、それを今わたし達に話す意味はあるんですか?」
「いろいろ不可解な点が多いんでね……」丁寧な言葉遣いもここまでビンチは本題に入った。「極めて強い力で断ち切られた金庫の閂、異様なほどに錆びた鉄材、重傷を負った従業員たちのあいまいな記憶。ある程度は倉庫にいたモルボルの仕業と推測できても、その他第三者も関与が疑われる。強い力を持つ者の関与だ。我々としてはそちらにも興味がある」
「それでわたしのところに来たということですか?」
「その通り、三日前の夜こと、あんたの馬車を旧市街の港の近くで見たという証言があるんだ。黒塗りで鉄馬が曳く馬車だったと……」
「その日なら確かに港に近くまで馬車を走らせましたね。それだけです。お芝居の公演がこの先どうなるのか気になって落ち着かなかったので、気晴らしに馬車を走らせていました、そうよね?フレア」
「はい、ローズ様」
「ビンチさん、わたしは随分前に人間をやめた吸血鬼で魔導師でもあります。それなりに力の強さには自負もあります。が、当然できないこと多くもあります。前も言ったでしょう。わからないことをすべてわたしに押し付けるのはおやめなさい。わたしには関係ありません。他に黒幕がいるのかも知れませんよ。そいつらの上前をはねて逃げた奴が、そいつを探しなさい」
「わかりました。隊長にはそう報告しておきましょう」ビンチはローズにほほ笑んだ。ローズも微笑みを返す。しかし、お互い黒眼鏡下に隠れた瞳までは見ることはできない
「それはそうと、そのマーコットとかいう男はどうなるんです?」
「不良品の香水や許可外のモルボルの飼育までならともかく、容疑は人身売買まで絡んできた、モルボルに叩きのめされた怪我が治って、不自由ながらも身体が動くようになっても、行動の自由は望めんだろうね」
「どういうことです?」
「マーコットは移民希望の人たちをだまして帝都に連れてきて、港に停泊した船に閉じ込め、香水の詰め込み作業員としてこき使っていた。これには帝都の者も絡んでいるようで、容赦ない取り締まりが始まってる。この件は引き続き特化隊も関与していく」
「だまされてここに連れてこられた人たちはどうなるんです?」
「国に帰るなり、ここに残るなり本人の望む事を支援するということで、帝国正教会が動き出した。なにやら、タイミング良く多額の寄付が入ってきたらしくてね」
「モルボルはどうなるんです?」フレアが声を投げかけてきた。
「あいつは帝国植物園行きだな。今回モルボルの件で世話になった先生があいつをえらく気に入って、植物園も展示にかなり乗り気らしい」
「かなりの変種ですからね」フレアがつぶやいた。
「なぜそれを知ってる?」
「あの香水の原料になるなら変種に決まってるでしょう。それぐらいは少し考えれば想像がつきます。新聞にもモルボルの事は載ってましたし……」ローズがすかさずフォローを入れる。
「なるほど、新聞ね。まぁ、後は芝居見物でも何でも好きなことをしてくれ。ただし、俺達の邪魔はしないようにな」
ビンチは客車を揺らし飛び降り走り去っていった。
これが呪われた者が共に暮らす今の帝都の姿である。
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