第2話
「それで、その……小さなモルボル?が現れたところをあんたは見たわけじゃないんだな?」
「そうね。わたし達が悲鳴を聞いて駆けつけた時は、あの被害者のエミさんに絡みついた触手をお友達二人が必死になって剥がそうとしていたところだった」
事が落ち着き、双方お互い自己紹介をした。女性達はローズ達の事を金持ちの奥様とそのメイドと思い、正体には気がついてはいなかった。それからほどなく帝都警備隊、加えて魔導騎士団が現れ、帝国歌劇場に歩行植物が出現という奇妙奇天烈な事件の捜査を開始した。結局公演は中止となり、被害者、友人を含めた四人は大事を取り、馬車にて病院へと搬送されたが、人扱いされていないローズ達は件の桟敷席もろとも化粧が剥げるほど大量の消毒液を浴びることとなった。
「被害者達の話によるとあんた達がモルボルを退治したという話だが間違いないか?」
「うーん、微妙ね。わたし達が巻きついている蔓に手を掛けた時に弾けて消えたという方が正確かも知れないわ」
「そうですね。わたしが手を添えたぐらいで緑の水に変わりましたから」フレアは不機嫌に答えた。
フレアは髪はばさばさで、服は消毒のために奪われ、裸でどこから来たのかわからない茶色の毛布にくるまっている。このような格好をする羽目になったのは、まださほど力を持っていなかった二百年以上前のこと、その時の記憶がフレアをいら立たせている。
今、ローズ達の相手をしているのは魔導騎士団特化隊のデヴィット・ビンチ。筋肉隆々の大男で派手なオレンジ色のターバンを巻き、対ローズ用の黒眼鏡を掛け、巨大な金色のゴルゲットを首に下げている。歌劇場よりローズの知り合いが営むナイトクラブの方が似合う雰囲気の男だ。
魔導騎士団は魔法犯罪や魔導書などの物品の取り締まりを担当している。特化隊はその実動部隊でローズ達のお目付け役も兼ねている。
「あんたがいたずら半分でやったんじゃないだろうな?」
「ふん、わたしが見ず知らずのお嬢さん達相手にいたずら?ばかじゃないの」ローズは黒眼鏡を下にずらし、真っ赤な瞳でビンチを見据えた。これは明らかな威嚇であるが、身にまとっているのがさえない色の毛布一枚であっては迫力不足は否めない。
「確かにわたしの力をもってすれば、舞台でモルボルと踊るジェイスン・ルーミスを観客全員に見せることもできる。でも、それが何の得になるというの、せっかくのお芝居をぶち壊しにするだけでしょ」
ローズはずれてくる毛布の襟物を整え言葉をつづけた。「わけがわからないからといって、全部わたしに押し付けないで、彼女たちの席にモルボルを投げ込んだ奴をさっさと探しなさい」
「そいつならあんたに言われなくても、とっくの昔から探してるよ」
「で、どうなの?まさか、まだ何の手がかりも掴めていないとか、じゃないでしょうね?」
「ただ者じゃないのはわかっている」ビンチはお手上げとでも言いたげに両手を挙げた。「この桟敷席の客は芝居好きの貴族と金持ちばかり、そのため劇場としてその警備は特に厳重だ。ここの担当の警備員は開演前に無人であることを確認し、その後、騒ぎが起こってあんたに促され助けを求めに来たお嬢さんが来るまで、不審な人物は見ていないし見知った人物であっても、馬鹿でかい荷物を持ち込むのを目にしていない」
「そこの通路に誰かがいきなり転移してきたとか」
「そんなことをしたらあんたが気配で一番に気づくだろ」
これにはローズは反論できなかった。
「そういうことだから、今考えられるのはあんたがやったか、芝居に夢中になっていたとはいえ、あんたまで巻き込んで大芝居をうてるような奴が、帝都にいるのかを探っているところだ。あいにく、まだ右往左往している最中だがね……」
「ふん、おもしろそうじゃない」
白い歯を見せて笑った。
翌朝、フレアは昨夜のモルボル騒ぎの被害者たちが、搬送されたと思わしき旧市街中央の病院へお見舞い用のクッキーを携え訪れた。クッキーはローズへの献血のお礼に出している物でその蓄えはたっぷりある。
院内に入ってみるとそこは別世界だった。玄関ロビーは患者にその付添人、そして見舞客でごった返している点は、フレアが普段ローズへの献血ために出入りしている新市街の病院と同じだったが、その家具、調度品と来客の服装から旧市街の高級ホテルと錯覚しそうになる。
「メイドさーん!」
背後からの聞き覚えのある声に振り向くと、少し離れた場所に三人女性がいた。右手を挙げて大きくて振っているのは、長い黒髪をアップにして纏めている女性、昨夜必死に友人を解放しようと頑張っていた一人である。その隣は短い金髪浅黒い肌でモルボルに絡まれていた娘エミ、もう一人は現場で蔓足と格闘していた茶髪のアリッサである。
フレアは昨夜の騒ぎに興味を持ったローズから、四人が病院から帰宅する前に詳しく事情を聞いてくるよう命じられていた。昨日の騒ぎの犯人が、ローズを含め歌劇場にいた者全員に大芝居を打つ力を持つ者、ローズに悟られることなく生き物を召喚する者となれば、彼女の興味を引かないわけがない。
事件に興味を持ち解明に乗り出しローズのために、病院へやってきたフレアだったが、この中から昨夜の被害者を探し出さなければならないのかと、少しうんざりしていたところだった。彼女たちの顔を目にしたフレアは思わず笑顔となった。
「おはようございます。昨夜はありがとうございました」
「皆さんこそ、お元気そうでなによりです」そこでフレアは彼女の人数が昨夜と比べて一人足りないことに気が付いた。「そういえば、もうお一人はどこに行かれたのですか?」
足りないのはモルボルにおびえ、硬直してしまっていた赤毛の女性である。
三人はお互いに顔を見合わせ、そしてうなずいた。
「アンジェラのことですか?」金髪のエミが言った。
「彼女、夜中のうちにお父様とそのお付きの人といっしょにお屋敷に帰りました」
「実はですね……」
ここで後ろから軽い咳払いが聞こえた。一同が振り向くと車いすに乗る老婆とそれを押すお仕着せの男性。
そう、ここは通路のど真中である。
四人掛けのテーブル席に座る面々の前に給仕が珈琲を置いていった。珈琲はフレアの苦手な物の一つであるが、とりあえず苦いだけなので少し冷ましてから飲むことにする。
ここはごった返す受付ロビーから少し離れた場所にある来客向けの休憩所。テーブルの中央にクッキーを置き談笑する彼女たちの姿は、傍を通る者たちには気の知れた女友達の集まりと映るだろう。外出用のドレスと肘までの手袋といったフレアの姿も他に三人に違和感なく溶け込んでいる。
彼女達はフレアの正体には気づかず、相変わらずお金持ちの奥様付きのメイドとしか思っていないようだった。そして、見た目の年齢も近いことから話も弾み、話題もすぐに昨夜の出来事へと進んでいった。
彼女達は女学校時代からの友人で、今でもよく四人で遊びに出掛けることがあるそうで、今回はジェイソン・ルーミス主演で話題の「蒼天の騎士」を観に行こうということになった。席はエミの父親のマイクル・モット氏の計らいで豪華な桟敷席での鑑賞となり、大はしゃぎとなった。
しかし、結果は昨夜の通りである。親たちは大慌てで駆けつけた来たが、大事がないとわかると入院代だけを置き、夜明け前には帰って行った。誰もひどく忙しいのだ。
しかし、アンジェラだけは様子が違った。
「アンジェラはお父様といっしょにやってきた魔導騎士団とかいう人たちに付き添われて夜中に帰って行きました」とエミが言う。
「その人たちうちの工場で働いているようなごつい身体の人たちでしたね。あんな騎士さんもいるんですね」黒髪のマユミがクッキーを口に放り込みつつ言う。
ここにも特化隊が来たようだ。フレアは静かに苦い液体をすすった。
「その人たちの言うには、昨夜のようなモルボルが現れたのは、今回が始めたじゃないようです。もう何人も貴族のお嬢様や奥様が自宅で襲われていていたんです。幸いすぐにいなくなるので大事に至ったことはないようです。狙われた相手が相手ということで、警備隊やその騎士団の人たちが必死になって犯人を探しているそうですが、何もつかめていないようです。今までは事の奇妙さに内密にされていたようですが、昨夜はどういうわけかそれが桟敷席に現れて……騒ぎが表ざたになったようです」アリッサは手についた屑をテーブルの上に払い落す。彼女は珈琲を一度口にして先を続けた。「それで、あの人たち曰く、狙われたのは貴族のアンジェラで、わたし達はとばっちりで巻き込まれたのではないかと……つまり、貴族をつけ狙う一連の犯人の犯行ではないかと」
「頭に来るのは、あの人たちはわたし達が見たのは、全部ウソ夢じゃないか思っていることなんです。わたしはあの気持ち悪くてぬるぬるした蔓を引っ張ったことを絶対嘘だなんて言わせません!」マユミは昨夜のことを思い出し、両手を眺めた。
「跡もまだ残っているんですよ」エミは袖をめくって腕を見せた。
少し浅黒い肌なので少しわかりにくいが、確かに赤い跡が付いている。
「あの化け物が出て、メイドさんと奥様が駆けつけてくれて、あの化け物が消えるところまで何度話しても信じてもらえないんです」
特化隊は本気で昨夜の騒ぎをローズを上回るような能力を持つ者の犯行とみているのだろうかと、フレアはいぶかしんだ。ローズもフレアによく彼女達が言うウソ夢を悪戯半分で見せてくることがある。しかし、昨夜見たモルボルはそれとは違うような気がする。
「痕跡がないとも言われました。あの化け物は酷い匂いを出すそうですが、それが全く感じられないとも……」
「あぁー……」アリッサが叫びをあげた。「もしかしたら、あの香水の匂いで消されたのかも……」
「あぁー……」今度はエミが叫びをあげた。
「何かあったんですか?」
「昨夜はやっと手に入ったコンド・マーコットの「野生の咆哮」をバッグに入れて持って行ったんですよ。それをみんなに見せているうちにお芝居が始まって、きちんとバックにしまっておけばよかったですが、手に持ったままでいて、お芝居に集中しているうちに床に落としてしまって……瓶が割れて、中身全部ぶちまけて、もう大変なことになって……」
エミはここで一息ついた。「あの匂いの中なら何でも隠せそうですよ。ありそうだと思いませんか?」
「うん、あるある!」残りの二人は頷いた。
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