第13話~記憶~



 小谷城からは、遠くに竹生島を眺める事が出来ました。


 女人禁制の竹生島という神の島


「なんて美しい島なのでしょう……」


 その悠然たる姿をひと目みた市は、その瞬間心を奪われていました。


 市は、生まれてすぐ信長によって鳳来寺に暫く預けられて育ちました。鳳来寺は少し風変わりな寺院で、山奥の人里離れた立地をいい事に、武家の隠し子を養育したり、忍の育成等を密かにしている寺院でもありました。


 勿論、そこにはこの世の決まりは通用せず、預けた側は口を一切挟まない、内部に関与しない、秘密を漏らさないを条件に契約は交わされ、それはこの世の秩序を守る為、均衡を保つ場所としてただただそこにあるものでもありました。


 場が人を目覚めさせるのか、はたまた元々目覚める人がこの場に呼ばれるものなのか


 市が鳳来寺に預けられ、まず目にしたのは天狗達の姿でした。


『娘、お前は我々が視えるのか』


 沢山の天狗達はその日から、市のいつも話相手でありました。そして市は更に自然と同化し、秘められた能力を開花させる事になっていったのでした。


 *


 昔の事を、暫し思い起こしていた市はハッと我に返ると、背後に気配を感じ慌てて振り向きました。


「驚かせてすまぬ、あまりにも市が竹生島に見入っていたものだから、声をかけずにいたのだ」


 長政はにこやかに市の傍に歩み寄ると、自分も竹生島を眺め始めました。


「美しい島であろう。あの島の神々と大方様である千代鶴様に、浅井は守られておるのだ」


「千代鶴様……六角家に嫁ぎ、そこで女の子を産むも流行り病で亡くされた……」


「全くもってその通り。母上からちからを持つと聞いてはいたが、ここまでとは……」


「市の事、お嫌になられましたか?」


 市は俯くと、か細い声でそう呟きました。小野殿からは大丈夫だと言われたものの、市を不安感が襲いました。


 それは、自由に自然の中で育った鳳来寺から信長に呼び寄せられ、織田家で暮らす様になったその後の事。つい出てしまう癖の色々を、家臣達からは気味悪がられた、心の傷から沸き起こったものでした。


「嫌になるどころか、市と夫婦になれて、本当に良かったと心から思うておる」


 長政が笑顔を市に向けると、市は顔を赤らめて更に更に俯かずにはいられませんでした。


「いつも感じた色々を、わたくしは秘めて生きて参りました。これからは浅井の為、もしこのちからが役に立つ事があるならば、喜んで使いたいと思いまする」


「そんな事は望んではいない」


「長政様にだけは、市は嘘はつきたくありませぬ。兄上は家臣達とは違い、わたくしのこのちからをとても認めておりました。逆に言えば、わたくしのこのちからを、これからの浅井に利用出来まする」


「そんな事は望んではいない」


「長政様はやはり織田の家臣達と同じなのですか?今、認めた口振りだけをして、実は心の底では笑っておられるのですか?そうだ………実は、わたくしは浅井千代鶴様の産みし女児の生まれ変わりなのです、六角家での事も少しですが覚えております、あとそれから」


 市が興奮気味に熱く語る姿を、優しく見守っていた長政は、その瞬間、言葉を制すると市を両手で抱きしめました。


「な、長政様………?」


 市は抱擁される腕の中で、頭が真っ白になっていました。


「市、そなたは浅井長政の正室、ただその役目を全うしてくれたらそれでよい。政(まつりごと)は、男に任せていればいいのだ」


「はい………」


「願いをひとつ言うなら……」


「願いにございますか?市は長政様の為なら、何でも致します」


「世継ぎを早く、この長政を父にして欲しい」


 市は、戦国の世では当たり前な、そして平凡であまりにも幸せな要求に涙を浮かべました。


 この方はきっとこれからも、自分の忌み嫌われた癖すら受け止めてくれるだろう。

 そしてこんな方こそ、今のこの戦乱の世を治めるには必要な人なのだ。


「長政様がわたくしの事をお嫌にならなければ、市も早く母になりとうございます」


 市が目を閉じると、一筋の涙が頬をつたいました。


 その姿に長政は、更に市を強く抱きしめたのでした。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る