第35話 口車に乗ってしまうようです。

 私は一縷の望みとまで思って、かかってきた通話に深く考えずでてしまった。


 この場から離れる言い訳ができればなんでもよかったのだ。


 ――少し時間を置けば、三人も冷静になってくれるはず。……多分。


「はい、どちら様でしょうか?」


 机の前から離れて、通話先に声をかけた。


 しばらくパソコンの画面はなるべく視界に入れないでおこう。


柚羽ゆずは、久しぶりだなぁ』


「え? ……誰――」


 と一瞬言いかけるが、耳障りの悪い声にこの全身を駆け巡る不快感。


鈴見すずみ……さん?」


『おぉ、元気してたか?』


 しまった。普段のやりとりが通信アプリだけだったから、一番最初に電話番号を交換していたと忘れていた。

 私は最初から鈴見総次郎を登録すらしていなかったので、着信拒否もしていない。


 直ぐにでも切りたい気持ちを抑えて、要件だけ確認しよう。


 万が一にも、姫草打鍵工房ひめくさだけんこうぼうと私への謝罪という可能性もある。


 ――それに、一言はっきりと言いたいこともあった。


「……なんですか? なにか私に用でも?」


『どうした、つれねぇな? わかった、俺に振られてから落ち込んでんだろ』


「あのサイト、鈴見デジタル・ゲーミングのハイエンドパソコン販売サイトのことだけど」


『あ? あぁ、わかってるよ。またお前のとこのキーボードを付属として売り出してほしいってことだろ?』


 あれから数ヶ月はたっているが、まったく変わっていない態度にむしろ安心感すら覚える。


 謝罪する気なんてさらさらない。だったら、


「違いますっ! あの失礼な文言のことです! あれも鈴見さんが言ってやらせたんですよね!? すぐに撤回してください」


『なんだよ、ぎゃーぎゃーうっせぇなぁ。あー? なんのことだかわかんねぇけどよ、全部本当のことしか書いてないだろ』


「そんなわけないでしょっ!! あのね、私は――」


 キーボードに関しては真摯であるべきだ。


 だから微粒子レベルでも、本当に鈴見デジタル・ゲーミングの自社製キーボードが、姫草打鍵工房のキーボードよりも優れている可能性もあると思い――わざわざ鈴見デジタル・ゲーミングが提携しているインターネットへ行って、ゲーミングパソコン席を利用し噂のキーボードを試しにまで行ったのだ。


 実際に、鈴見デジタル・ゲーミングの自社製キーボード触ったからはっきりと言える。憶測でも身内贔屓でもない。


「うちのキーボードと比べたら、鈴見さんのとこのキーボードなんてぼんじゃないですかっ!! それなのに、あんな嘘っぱちな数値比較表っ、誰ともわからないゲーマーのレビューっ!! 全部全部っ、直ぐに取り下げてくださいよっ!!」


 こんなこと言ったって、鈴見総次郎が聞くわけない。


 わかっていたのだが、言わなくては気が済まなかった。――もちろん、言ってもちっともすっきりはしていない。


 引っぱたいて火山の火口に投げ捨ててやりたいくらいだ。


 ――ちなみに本当は鈴見のキーボードはガラクタだ、粗大ゴミだくらい言ってやりたかったが、実際に性能としてはギリギリ高級キーボードのラインだったので凡ということにしてあげた。うん、私キーボードには嘘つけない。優しい。


『だよ、てめぇ。まだ勘違いしてんのかブっ――、じゃねえや、そうだな。お前の態度次第で、あのサイトも変更してやってもいい』


「……どういうことです?」


 意味のわからない交換条件なら、前回も提示された。


『まずユズ、今まで俺に発した身分知らずな発言をすべて謝罪しろ。そのわびとしてしばらくは俺の言いなりだ』


「い、言いなりって……」


『奴隷だよ。奴隷っ!」


 なにを言っているんだこの男。ファンタジー世界から帰ってきたところなんだろうか。――ヴァヴァ限定で闘士グラディエーターするぐらいならなってもいいんだけど。奴隷って絶対あれだよね。こいつ、本当クズ。


「もしそれに従ったら、どうなるんですか?」


『お前がさっき言ったとおり、キーボードの広告文章は変更してやるよ。それから、お前のとこのキーボードをまた鈴見デジタル・ゲーミングで売ってやってるよ。それもハイエンドパソコンの付属キーボードとしてだけじゃなくて、単品でも販売してやってもいい』


「そ、それって」


 姫草打鍵工房は世間的にはまだまだ無名の弱小企業だ。


 いくら高品質のオーダーメイド・キーボードを売っても、どうしても客足が伸びていない。

 それをもし、鈴見デジタル・ゲーミングのオンライン販売サイトでも買えるようになれば、売り上げが伸びて会社の知名度も――。


 あのときは姫草打鍵工房のキーボードへ悪態をつかれてそのまま拒絶してしまったが――会社のことを考えるなら、私も多少折れたほうが……。


 おっさん相手に姫プレイして、ギルドメンバーからもオフ会やキスを条件にレアアイテム貢いでもらって――それで最強ギルドを目指すことなんかより、鈴見総次郎の言いなりになって、鈴見デジタル・ゲーミングとの提携をまた再開させたほうがよほど会社のためになる。


 やっていることだって、たいして変わらないんじゃないだろうか。


 ――でも、でもなぁ。美少女達相手にキスされたり、したりするのと、鈴見総次郎じゃ全然違う。

 ちょっと媚び売るのですら拒否反応が出る。要するにそこらへんのおっさん達以下なのだ。


 しかし、親のことを、姫草打鍵工房のことを考えると――。


「私が鈴見さんの言いなりになれば、いいわけ? 言いなりって期間は一日? 半日とか?」


『バカかよ? それで俺の気が晴れるわけねぇだろが! 最低でも一ヶ月だな。あ、でも一ヶ月俺の相手するからってまた付き合えるって勘違いするなよ? あくまでお前は○奴隷だから』


「……いや、えっと、勘違いはしないですけど」


 一ヶ月。長すぎる。


 でもキス一回で課金ガチャ装備五つを基準に考えると、鈴見デジタル・ゲーミングで姫草打鍵工房のキーボードを扱ってもらうことでの売り上げを比べると一ヶ月の服従は妥当なんだろうか。


 わからない、現代日本での奴隷の正当な報酬っていくらなんだろう。


 ――まあでもよく考えたら、一ヶ月って言っても顔を合わせるのなんて数回かな? お互い学生だし、忙しいし、一回とか二回くらいあれやこれで……いやいやいや、あれやこれは絶対したくない。したくないけど。したくない……けど。


『あとあれだ、それとてめぇから親に言え。ウチに、鈴見デジタル・ゲーミングに頭下げて、もう一回取り引きさせてくださいってな。菓子折もってきて、深々と社員全員で頭下げにこい。俺と俺の親父にな』


「え? なにそれ……なんで私の親が……社員さん達が鈴見さん達に頭下げないといけないわけ……?」


『当たり前だろ、バカかお前? ウチみたいな大企業が、やめた契約をもう一回結び直してやるって言ってんだよ。それくらい道理だろ。あのな、わかってんの? 俺からこうやってお前に連絡入れてやってんのも、そっちの立場ってのを俺が優しく教えてあげてんの』


 どういうことか、よくわからない。企業同士の格というものは、多分あるのだろう。


 姫草打鍵工房と鈴見デジタル・ゲーミング、比べるまでもないのは確かだ。


『お前らのメンツ考えて、会社からじゃなくて俺からの個人的な連絡で頭下げる機会つくってやってんだよ? わっかんねーかなぁそういう俺の優しさ? ま、今回は親父に言われてだけど、それをちゃんと守ってる俺の優しさと寛大さだな、やっぱ』


「……おかしいでしょ。私が謝るのは、まだわかるし、鈴見さんの気が済むように言いなりってのも……ギリギリわかるけど。なんで、私の親が、会社の人達が、自分から頭下げなきゃいけないの……それも鈴見さんに言われて……」


 私は、まだ学生だ。大人の世界、社会の事なんてわからない。


 だから、もしかしたらそういうものなのかもしれない。どれだけこちらに非がなくでも、一方的に取り引きを打ち切られて、また向こうの都合で再開してもいいと言われたら喜んで頭を下げに行く――それが普通なのかもしれないけれど。


「原因が私なんだし、私だけでどうにかならないの? ……また提携が決まったら、会社としても挨拶には行かせてもらうと思うんだけど」


『うっせぇえな。早くウチに来て土下座しろ、バカ一家バカ会社一同でっ!! てめぇんとこのゴミみてぇなキーボードまた売ってやるって言ってんだぞ、靴でもなめろっ!! てめぇにはもちろん他のところもなめさせて――』


「あっ、あんたみたいなクズにっ!! みんなの頭下げさせるわけないでしょ!! 寝言は寝て言ってよっ!! ゴミはあなたでしょ!!」


 我慢の限界だ。


 やはり無理だった。私は子供なんだろうか。


 それでもこんなやつに、私の親や会社のみんなに頭を下げさせるなんて到底耐えられない。許せない。一ヶ月だろうが一年だろうが奴隷になるよりも、絶対に認められない。


『てめぇ、またなめた口聞いてっ!!』


「え? あなたがなめろって言ったんじゃなかった? あとね、全然まだ言い足りてないから」


『あ?』


「鈴見さんとこのキーボード、さっき凡って言ったけど、あれ一般基準だから。正直値段考えたら凡以下だし、姫草打鍵工房のキーボードと比べたら論外。でもって、鈴見さん、あなたは誰と比べるまでもなく間違いようのないゴミ。もう二度と、私と私の家族と会社に関わらないで」


 ――あーっやっと少しだけすっきりした。もちろんまだまだ言おうと思えばいくらでも言えるのだけど。


『ブス、てめぇ自分でなに言ってるかわかってんのか? 今度こそてめぇの会社は終わりだぞ』


「……そうならないように、私も全力で頑張るだけだから。もう鈴見さんには関係ないことなんで放って置いて」


『いや、あるね。お優しい俺も、てめぇのそのふざけた態度はもう見過ごせねぇ。徹底的に潰す』


「潰すって」


 企業間で大々的な攻撃をしてくるということだろうか。さすがにそんなことされたら――。


「ま、まさか鈴見さん、親に頼んで姫草打鍵工房を……」


『もちろんそれもいいが、親父は義理堅いからな。あの販売サイトでも名指しでてめぇのバカ会社批判するのはやめとけって言ったくらいだし、それに親父に任せるだけだと、俺の腹の虫が治まらねぇ』


「……鈴見さんがなにを」


 あなたになにができるのか。


 と言おうと思ったが、やめておく。すっきりした私はゲーマー特有の冷静さを取り戻しつつあり、相手が何をしてくるか聞き出したほうが対策できる、と考えていた。


「なにをするつもりなんですか?」


『俺個人ではっきりとてめぇのバカ会社のキーボードがクソだって宣伝してやるよ。最新のキーボードより前のキーボードがよかったなんて言ってるアホな連中もいるからな、ここらで俺からビシっと言ってやらねぇといけねぇってのは前から思ってたんだよ』


 ――世間には良識あるキーボード好きがいるというのに、このクズは。


『ま、俺はもともとゲーマー界隈でも名が知れているから、今からでも可能だが、そうだな。ヴァヴァで次にやるイベントダンジョン攻略……あれで華々しく上位入賞してってのが発言力も激ヤバいし、そしたら世界中のゲーマーにてめぇのとこのキーボードがゴミだって教えられるわけよ』


 ヴァヴァのイベントで上位入賞して宣伝する。――悪い宣伝だけど。


 驚いたことに、私と同じようなことを考えたらしい。


 なんだか自分が、情けなくなる。ゲーマーというのは有名になって発言力を上げればなんでもできると思ってしまう生き物なのかもしれない。――私は、そんなことないと思うけどね?


 そもそも鈴見総次郎が言っていた発言から思いついたアイデアなので、こいつがまた同じ発想になるのも不思議じゃないことか。


 ただそんなことより、鈴見総次郎の言っていることは、もしかしたら成功する可能性がある。


 英哲えいてつグラン隊のパーティーメンバーなら、十位以内の成績でイベントを走破することも不可能ではないだろう。


 その状況で、鈴見総次郎から姫草打鍵工房にマイナスな発言を連発されれば、少なくともヴァヴァ界隈、ゲーマー界隈にはウチの悪評が広まってしまう。


 そんなこと――させるわけにはいかない。


「……もし」


『あ? もしなんだって?』


「もし私のパーティーが鈴見さんより上だったら」


『はぁ? そんなわけねぇだろ、俺がどのレベルのプレイヤーかわかってんの? それもわかんねぇくらいバカなのかよ』


 ――鈴見総次郎のレベルはわかっている。プレイングは別にしても、キャラクターの育成度、なにより所属パーティーの練度が私達よりもかなり上だ。


 それでも。


「もし私達のパーティーが勝ったら、そういうのやめてくれますか? 普通に営業妨害ですし、迷惑なんで」


『お前のパーティーが俺に? んなわけねーだろうがよぉ! まっ、でもそういう賭けも面白いわな。俺が百パー勝つわけだし、いいぜ、それでも。その代わり俺が勝ったら』


「……鈴見さんのキーボードを褒めます」


『バカかお前!? てめぇに褒められても何一つ得がねぇんだよっ!!』


 ――まあそうか。ちなみに私も、鈴見さんに姫草打鍵工房のキーボードを褒められたくない。名を口にしないでほしい。


『奴隷な、奴隷』


「それはちょっと……廃止されてる制度だし」


『っせぇなあ、じゃあ一晩だ。一晩好きにやらせろ』


 そんな賭け、乗っちゃいけない。さっき一度冷静になったはずの私なら、口約束でもそんなこと了承しない。だけど――。


「わかりました。その代わり私が勝ったら、あの広告サイトの虚偽の文言を全部削除して、それから二度と姫草打鍵工房に関わらないでください。もちろん今後は会社のマイナスになる発言も全面禁止」


『あーはいはい。負けたときのことはどーでもいいわ、あり得ないから。俺が勝ったらお前の体楽しませてもらうから、それだけで俺はいいのよ』


 やってしまった。言ってしまった。


 とんでもないことを決めてしまった。だけど後悔はない。

 キスの代わりにレアアイテムもらうことよりも、ずっとこの決断に満足している。


 だって、勝つし。


 ――って、勝てないよ!! 散々、現実的に厳しいってギルドメンバーと話し合ってたとこだし、さっきまでそれどころじゃない状態で。あ、というかずっと放置したままだから早く戻らないと。


 そして、私はそこで通話アプリの画面を見て、自分のマイクがミュートになっていなかったことを知る。

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