第21話 美女もお店に来てくれましたが。

 私はルルに、初歩的なことからパソコン用キーボードについて教えていく。


 大まかにキーの厚みや押し心地が変わる基本となる形式の違い、配列の種類など。打鍵音やキーストロークの心地よさがどれほど重要なのかを。


「キーボードって奥が深いんですね。わたし、全然知りませんでした」


「わかってもらえたみたいで嬉しいよ」


「はい! わたしも、ユズさんに教われて本当に嬉しいです」


 満面の笑みを浮かべるルルに、私は彼女を警戒していたことが恥ずかしくなった。


 もしかしたらオフ会でのことは、なにかの間違いだったんじゃないだろうか。そんな気さえしてくる。

 こんな無垢に笑う美少女があんなことすると思えない。


「それで、どれか気になるキーボードはあった? うちはオーダーメイドが売りだから細かくカスタマイズできるんだけど、ベースは最初に決めると選びやすいから」


「むぅ、そうですね。軽い押し心地がやっぱりよかったような気がするんですけど、でもまだ悩んでいて」


「うんうん。そうだよね、キーボードは悩むよね。どれにもまた別の魅力があるからね」


「あの、ユズさんのキーボードはどういったものなんですか? よかったら参考にさせてもらいたくて」


 はにかむような素振りで、ルルがお願いしてくる。


「わ、私のキーボード? え、でも私のはちょっと玄人好みのカスタマイズだから、あんまり参考にならないかなーって」


「でも見てみたいです……ダメ、ですか?」


「ダメってことはないけど、私の部屋にしかないし……あ、写真ならあるけど。ほら、これとかキーボードと私のツーショットで」


「実際に触ってみたいです! ユズさんに! ユズさんのキーボードに!」


 あんまり私のマイキーボードを見せびらかすと、素人さんはちょっと退いちゃうんじゃないかなって心配していた。

 けれどルルはやはり心優しい女の子のようで、とても興味津々な様子だった。


「ほ、本当に? ……そこまで言うなら、私のキーボード試しに触ってもいいけど」


「是非お願いします。あとさっきの写真も参考にするので、送っていただけませんか」


 ――そうか、純粋にこれだけキーボードへ興味があるなんて、やっぱりルルは良い子なんだな。


 私は誤解していたようだ。ルルに悪いことをしてしまったな、あんな警戒しちゃって。


「じゃあさっそくユズさんのお部屋に……」


「あーでもダメ! 今店番中だし、ほらもうすぐアズキさんも来るから」


「そう、でしたよね。ごめんなさい……」


「うーん、私のキーボード見せてあげたいんだけど」


 せっかくこんなにもキーボード愛へ目覚めようとしている女の子がいるというのに、口惜しい限りだ。

 本当ならすぐにでも案内して、私のマイキーボードのすべてを見せてあげたいくらいなのに。


 今日は二階に母もいるし、社員の久瀬くぜさんもいるから言えば店番は代わってもらえるだろう。


「……あとで、店番代わってもらえたらでよければ」


「待ちます! わたし、夕方でも夜でも待ちますから!」


「えぇ? ……本当に? そこまで言うなら……せっかくだし夕食とかも食べてく? キーボードの話でもしながら」


 最近の若い子はてっきりキーボードなんて興味なくて、スマホで文字打った方が早いくらいに考えていると思っていた。

 でもルルのように、今まで素晴らしいキーボードに触れてこなかっただけで、少し魅力を説明すればこうやって興味を持ってくれる人もいるんだ。


 私はどこか感動のようなものに打ちひしがれていた。


 アズキもキーボードにはこだわりがあると言っていた。まあ彼女はそういうの好きそうだからな、顔は美女だけど。


 でも今日はいい日だ。お店に二人もキーボード好きが来てくれたのだから。



   ◆◇◆◇◆◇



 程なくして、アズキが店に着いた。約束の時間きっちり五分前だ。


 気怠げでクールな美女という顔に似合わず、というのは偏見だろうか。元々ヴァヴァでもアズキが時間に正確なのは知っていた。


「いらっしゃいませ。わざわざ来てくれてありがとう」


「お店、楽しみにしてた。今日はよろしく」


 予想していたとおりアズキはかなりキーボードに詳しかった。私もまたついついキーボードトークに熱が入ってしまう。


「ゲーム用と普段使いで二つ作ってもらいたい」


「えー、アズキさん分けてるんだ」


「どうして分ける必要があるんですか?」


 少し後ろにいたルルが聞く。

 私とアズキの玄人ぶりにすっかり退いてしまっていないか心配だったので、こうやって話題に入ってきてくれて安心した。


「微妙に求めるものが違うっていうか、それぞれ使うキーと使わないキーがあるからね。そこら辺の無駄を減らしたりできるのがメリットかな」


「使わないキー……そういえば、わたしも一回も押したことないキーあります」


「でしょ? もちろん設定で使うキーをまとめたり、使わないキーを無効化したりはできるけど、物理的に排除するのが一番確実だから」


「そういうのもあるんですね」


 アズキが無口な分、知識としては十分あるけれど会話としてはやはりルルのほうが盛り上がってしまう。


 私は三人になってからも、キーボードに関することをあれこれルルに教え込んでしまっていた。


「……ユズ、僕これが気になる」


「え? 本当、それ私も同じ接点方式だよ。静音性高くて押し心地いいし、二重入力制御も入ってて。バックライトはどうする?」


「いらない」


「あのバックライトって光るやつですよね? ……キーボードも光るんですか?」


 ルルが買ったパソコンはどうやらスペックは高いみたいだけれど、ゲーミングパソコンと呼ばれる部類ではなかったらしい。


「光るよ、しかも虹色」


「ふえへっ!? なんで虹色なんです!?」


「派手だからかな……」


 ちなみにゲーミングパソコンやその周辺とされるゲーミング系のパソコン用品は、基本的にバックライトも細かく設定できる。

 だから虹色ではなく単色にもできるし、もちろん点灯しないようにもできる。


「……ユズ、あっちのとこれって組合せできる?」


「えーっとね、英字配列にキーの数減らして、左手用のキーパッドを追加で」


「左手用ってなんですか? キーボードって右手と左手で別々のもの使うんです?」


「うん。片手だけで操作できる範囲に使うキーボード集めて、右手のマウスと左手用の小さいキーボードと合わせて使うんだよ。ほら、マウス持つときってキーボードの右側って基本使わないでしょ?」


 私が説明すると、なるほどとルルが感心する。


 よくネットには、女の子相手にいろいろものを教えたがるおっさんというのがいるけれど、その気持ちがわかった気がした。


「ねえ、ユズ。あとこっちのサンプルもないかな?」


「それならたしか……」


「あ、わたし、それ向こうの棚で触った覚えあります」


「え? 本当? ありがとルルさん、もうすっかり詳しくなったし、バイトで雇いたいくらいかも」


 私がついそんな冗談を言うと、


「そ、そんな……ユズさんのおかげですよ。……ユズさんのお家で働かせてもらうなんて」


 とルルが顔を赤らめた。前も少し褒めたら真っ赤になっていたし、褒められ慣れてないんだろうか。

 これだけ可愛かったら、よく褒められそうなものだけれど。


「ユズ、僕も覚えている。ユズは一ヶ月に一回はキーボードを分解して掃除している」


「そんなこと話したっけ? 掃除はしてるけど……」


「エプロンはバイトのとき以外着けていない。高校であった家庭科授業以降まともに料理はしたことがなくて、目玉焼きすら失敗している」


「待って待って、なんの話!? だから怖いし私の個人情報を急に出してこないでって」


 目玉焼き失敗ってどこで話した? ヴァヴァでは話してないはずなのに、なんで。


「……ユズ、僕もしっかりユズのこと覚えているのに、扱いが違う」


 どこから自分の失敗が漏れたのか。そればかり気がかりで、私は美女の眠たげな半目の奥に暗い何かが宿っていたことを気づかなかった。

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