第36話
事務所に着くと、さすがにまだ午前中なこともあってアイドルたちはおらず、横森さんがいつものようにパソコンと向き合っていた。
何か手伝うことがあるかと尋ねると、ちょうど良かったと資料を手渡された。
一体何の資料なのかと聞いたら……。
「決まったんですよ! あの子たちのデビューが!」
横森さんが、まるで自分のことのように嬉しげに笑った。
「デビュー……あの子たちがいよいよ、ですか?」
どうやら資料は、デビューライブする会場に関連するものらしい。
「会場…………【クオンモール】のイベントホールですか」
そこは俺も知っているし、たまに足を延ばすこともある。
ここらで一番人が集まる大型ショッピングモールだ。ここにはすべてが集まるという謳い文句に相応しく、本当に何でも売っている場所である。
食料はもちろんのこと、服や靴などのファッション関係、百均ショップや電化製品や本なども当たり前。特にフードコートが人気で、食事時には人が溢れて目眩がするほどだ。
変わり種でいえば、釣り具専門店やアウトドア用品専門店なども展開されている。ゲームセンターや映画館もあるので、一日中いてもまったく退屈しない。
そのモールには、イベントホールがあって、期間ごとに様々なイベントを行っている。
芸人が来たり、アーティストがきたり、落語家が来たりと、大いに賑わう企画だ。
そんな場所でアイドルライブを行うとは、デビューの舞台としては上等なのではなかろうか。
「こんな良いところでできるなんて滅多にないんですよ! 社長ってば、物凄く頑張ったみたいです!」
新人アイドルのデビューライブといえば、普通はもっと小さい規模で、あまり客が入らないところがほとんどらしい。
だから平日でも祝日でも大賑わいするようなモールでデビューできるのは、本当に恵まれているとのこと。
まあただ、大手のプロダクションならば、金や伝手などが豊富にあるので、その限りではないらしいが。
「しかも全員なんですね。これは大仕事になりそうだ」
「はい! きっと良いライブになりますよ! ううん、裏方として最高の舞台に仕上げてみせます!」
凄いやる気だ。それだけあの子たちを大切に想っている証拠だろう。
俺もアイドルたちが、デビューするために日々どれだけの努力を積み重ねているか知っているので、もちろん成功してもらいたいし、何かできるならしてやりたい。
「でも、資料を渡されても何をするんですか、俺?」
会場への送迎は当然だが、それ以外にできることが思いつかない。
「それは……あ、戻ってきました!」
横森さんの視線が向かう先、玄関口の扉が開き、そこから八ノ神十羽が姿を見せた。
「あ、お疲れ様です、十羽さん」
彼女のことは彼女自身から十羽と呼ぶように言われた。八ノ神さんだと夕羽と被るからだ。ただ夕羽に関しては、いまだに呼ぶ時は苗字のままだが。
「おっと、来てたんだ! おはよ~、六道くん」
「十羽さん、例のデビューライブの件、大枝さんにも手伝ってもらってはいかがですか?」
「ん、それは助かるわ。六道くん、いい?」
「はあ、手伝うことに関しては問題ありませんよ。でも何するんです?」
「当日まで会場の設営の準備かな。打ち合わせとかはあたしや社長が担当するけど、力仕事とかもあるから、手伝ってくれるなら助かるのよ」
「そういうことでしたか。それなら俺も微力ながらお手伝いさせて頂きます。彼女たちには、何の問題もなくライブに集中してほしいですから」
「うんうん、そう言ってくれると思ったよ。じゃあさっそく、向こうの人たちと打ち合わせがあるから一緒に来てくれる?」
当然承諾し、彼女とともに【クオンモール】へと車を走らせた。
そして真っ直ぐ、イベントホールへと来て、モールの責任者の人を紹介してもらうことになった……のだが。
何故か責任者の人が困った様子で、十羽と二人会話し始めた。
「――はあ? それ、どういうことですか?」
会話をしていた十羽が、突然信じられないといった面持ちで声を発した。
俺が「どうかしたんですか?」と尋ねると、眉間にしわを寄せたままの十羽が説明してくれる。
「どうも……横やりを入れてきた奴らがいるみたいなのよ」
「横やり……?」
俺が首を傾げた直後、
「――――おや? これはこれは、また珍しい場所で会ったもんだな」
声に振り向くと、そこには一人のスーツ姿の男性が立っていた。
「っ!? ……アンタ……ッ」
十羽がその男を見て、明らかに敵意を膨らませた。まるで憎い敵でも見るように。
「久しぶりだね、十羽」
含み笑いを浮かべたまま、男は慣れた感じで十羽の名を呼んだ。
「何でアンタがこんなとこに居るのよ? 顔も見たくないんだけど?」
「やれやれ、嫌われたものだなぁ」
「それだけのことをやっといて、ふざけてんの?」
飄々とした態度の男とは対照的に、十羽は今にも殴りかかりそうなほど怒りに満ちていることが伝わってくる。
「あの時、夕羽が……あの子がどんだけ傷ついたか知ってるの!」
「夕羽か、懐かしい。聞いてるぞ、モデルとしても人気があるみたいだ。なら立ち直ったんだろ? それでいいじゃないか」
「!? 心の傷がそう簡単に治るわけないでしょうがっ!」
「ふむ……そう怒ってばかりだとしわが増えるよ?」
「余計なお世話よ! この守銭奴野郎!」
「まったく、相変わらずの口の悪さだ。品が無い。そんなんだと嫁の貰い手がないぞ?」
「~~~~~~っ!」
このままでは、本当に掴みかかりそうだ。もしこんな大勢が集まる場所で暴力沙汰でも起こしたら大変なことになる。
だがそこへ――。
「――――――これは何の騒ぎ?」
急性の声が響いた。
見ると、我が事務所の社長が立っていた。
社長は、俺たちと謎の男を一瞥して、「なるほどね」と口にすると、男に向かって言葉を投げかける。
「ここでこれ以上騒ぎを大きくするのは、どちらにとっても損にしかならないと思いますが?」
そう問いかけられた男は、少し真面目な顔をすると大げさに肩を竦める。
「別にこっちから仕掛けたわけではないんですけどね。まあ、ここは引いておきます」
すると男は踵を返すが、不意に顔だけを少しこちらに向けると、見下すような笑みを見せた後、今度こそその場から去って行った。
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