禁術使いとウヰスキー

@kotton-towel

前科十二犯の冒険

超越者の誘い

背の高いグラスに入っている完全に透明なロックアイスは滴る琥珀色を受け止めると、少しだけ腰を上げて風鈴のように涼し気な音を反響させた。


 ほどなくして注ぎ込まれた透明な液体は、その発泡によってグラスの底を舐め、やがて水面で無数の香りの粒となって弾ける。


「───今日は早いね」オールバックの男がカウンターの向こうから言った。


 人中のあたりに氷が触れるのを感じながら静かに頷き、コースターにグラスを置いて「どうしても飲みたい気分でね」と俺は続けた。


 そんな気分ではなかったことなど、ここ十年にはない。思えばこうするしかなかっただけかもしれない。


 俺は四十半ばにして妻も子もいない。かと言って、別段仕事に生きてきたわけでもない。こうでもしなければ、朝起きて職場へ行って、帰って床に就くまでに楽しい時間などひとつもありゃしないんだから、何かに夢中になるか、何かで誤魔化すしかない。


 結局のところ、誤魔化して誤魔化して、もうこれ以上は誤魔化しがきかないところまで来てしまっても、こうして床に這いつくばるまでそれをやめられなかった。


 嗚呼───永遠に酒を飲み続けられたらなあ。







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「おはよう、唐之杜くん」


 男とも女ともつかない声、まるで子供のような声だった。


「いや、お疲れ様と言うべきかなあ。ハハッ」


 何も見えない。何にも触れられないし感じない。呼吸も必要ないし、声も出ない。けれども聞くことと考えることだけは出来た。


「無視とは酷いなあ、唐之杜くん。せっかく労いの言葉を掛けてあげてるのに。あっ、ごめん、権限を与えてあげていなかったね。ハハッ」


「あっ……あー、あー、」


 自分の思考が音になった。それを確かに聞き取ることが出来たけれど、きっとこの世界には振動すらもない。喉は震えないし、鼓膜もそれを受容しない。まるでお気に入りの曲の一節を頭の中で再生しているような感覚だった。


「誰だ。ここはどこだ」と俺は音を発した。


「僕?僕はねぇ……うーん君に説明するのは難しいなあ。どれぐらい難しいかって言うと、君たち人間の言葉を昆虫に理解させるのと同じくらい難しいかな。もう1つの質問の方だけは答えてあげる。ここは、君たちの言葉で言うと『異次元』とか『異空間』と呼ぶべき場所さ」


「お前が俺をその異次元とやらに呼んだのか?」


「『お前』とは言葉遣いが良くないなあ、唐之杜くん」


「その『唐之杜くん』って言うのやめろ。嫌いだった上司の顔を思い出す」


「ふむ。君にへそを曲げられるのもつまらないし、応じよう。それじゃあ親しみを込めて下の名前で呼ばせてもらおうかな。それにしても唐之杜翔太郎なんて、なんだか文豪みたいな名前だねぇハハッ」


 やかましい。こっちはそれも聞き飽きているんだ。


「───なあ、俺は死んだんだろう?」


 俺の記憶だと、急に具合が悪くなって、最後に見た景色は行きつけの店の掃除がゆきとどいたフローリングだったはずだ。


「そりゃあそうさ!余命まで言い渡されてたくせに、ボロボロの肝臓で最期まで酒を飲むのをやめないんだから」


 こいつが何故に俺の事をここまで知っているのかはわからない。けれど言っていることは正しい。酒が飲めずに半年生き長らえるか、好きなだけ飲んで二ヶ月で死ぬか。俺は合理的な取捨選択をしたまでのこと。


「お………失礼な呼び方で呼ばれたくなけれりゃ、名前を教えろよ」


「ふむ、それもそうだ。しかし僕には名前がないんだ。君が名付けてくれて構わないよ」


 名前が無いなんてことはあるはずが無い。単純に言いたくないだけだろう。


「あー……それじゃあ……クレイグ」


「おぉー。結構イケてる名前だね」


「クレイグ、もうひとつ質問させてくれ。俺は死んだら天国や地獄へ行くなんてことは全く信じてもいないし、ここがそのどちらかでないこともわかる。だからあんたが神様なんかであるはずがないことも。それを踏まえた上で訊ねたい。何故俺をここへ連れてきた」


「ハハハッ!怖いくらいに物分りがいいねぇ!ふむ、それじゃあ交渉のテーブルに就くとしようか。手始めに君の世界の秩序に沿った空間と実体、それから五感を一時的に授けてあげよう」


 気がつくと俺は地面を頼りに自分の脚で立っていた。瞳には映像が映りこんだ。


 足元には真紅の絨毯が引かれ、目の前には長机と篝火のようなものがが置かれている。左右を見渡すとそれらは霞んで見えなくなるまで遥か遠くまで続いていた。


 机のこちら側と向こう側に木製の椅子が対面する格好で置かれ、向こう側の椅子には既に腰をかける者がいた。

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