如月事件
奥田光治
第一章 きさらぎ駅~伝説
「先生、『きさらぎ駅』って知っていますか?」
二〇〇八年一月五日日曜日。その日、品川の榊原探偵事務所で、この事務所に入り浸っている自称助手の女子高生・
榊原は年齢四十一歳。かつては警視庁刑事部捜査一課第十三係(通称・沖田班)の警部補で同班のブレーン的存在として活動していたが、十年ほど前に諸事情で辞職して現在はこの品川の片隅で探偵事務所を開いている。くたびれたスーツにネクタイと一見すると窓際の中年サラリーマンにしか見えないが、こう見えて刑事時代・探偵時代問わず今まで数々の犯罪史に名を残す大事件を解決してきた推理の天才で、彼を知る人間からは冗談抜きで「名探偵」だの「真の探偵」だのと呼ばれていた。かくいう瑞穂も、一年ほど前に自身が所属している立山高校ミステリー研究会で起こったある事件に榊原が関わった際にその圧倒的な推理に心酔し、こうして勝手に弟子入りしている人間である。
さて、そんな瑞穂の唐突な問いかけに、デスクで文庫本を読んでいた榊原は眉をひそめて答えた。
「突然どうしたんだね?」
「いやぁ、今度オカルト研とミス研と文芸部で合同冊子を出す事になって、その時の会議で都市伝説が話題になったんですけど、そこでオカルト研の部長が話してくれた話なんです。何でもネット上の大型掲示板が発祥らしいんですけど……気になりませんか?」
「さぁね」
榊原はどうでもよさげに返事するが、瑞穂は構わずに勝手にその概要を話し始めた。
「それは今からちょうど四年前……二〇〇四年の一月八日に起こりました。日付が具体的なのはこの話がちょっと特殊で、いわゆる怪奇現象の実況中継だったからだそうです。具体的には、その都市伝説を体験した女性がその様子を現在進行形でネット上の掲示板に投稿するという形で広まったんだとか。最近の怪談もハイテクになっているんですね」
「……そのようだね」
無視しても無駄だと判断したのか、仕方がないという風に首を振って榊原は話に付き合う姿勢を見せる。それを見て、瑞穂は本格的にこの都市伝説の内容を語り始めた。
「その日、その女性……仮に『Aさん』としておきますが、彼女は帰宅のために静岡県の新浜松駅を出る午後十一時過ぎの電車に乗ったんだそうです。ところが、普段だったら数分で次の駅に到着できるはずなのに電車は数十分経っても走り続けたままで、しかも周りの乗客たちは全員そろって眠っている状態。Aさんはその状況に異常を感じて掲示板にその事実を投稿していたんですけど、そのうちに電車は小さな無人駅に到着して、咄嗟にその駅で電車を降りたそうなんです。その無人駅の名前が『きさらぎ駅』というんですけど、実際の静岡県内にそんな駅は存在しません」
「つまり、存在しない無人駅に降りてしまった、と」
榊原のコメントに、瑞穂は頷く。
「そうなんです。問題の『きさらぎ駅』は典型的な田舎の無人駅と言った風で、駅舎内には誰もおらず、駅の前に出ても暗闇の中に草原と山が見えるだけで人気は全くなかったそうです。ただ、どこからともなく鈴や太鼓のような音が聞こえてきたんだとか。怖くなって警察に電話したんですけど相手にされず、両親はさすがに心配してくれたそうですが場所がわからないから迎えにも行けない。仕方がないから線路伝いに歩いて戻ろうとしたらしいんですが、その途中で伊佐貫と書かれたトンネルを抜けようとした時に、後ろに片足のない老人が立っていて何かを忠告してきたそうなんです」
瑞穂はいったん言葉を切るが、榊原は無言で先を促す。反応が薄い事に少しがっかりしつつも、瑞穂はめげずに話を続けた。
「Aさんは恐怖を感じて老人から逃げ、トンネルを抜けて少し歩いたところで別の男性に出会います。男性は富士市にあるビジネスホテルまで彼女を車で送ってくれるというのでAさんは掲示板の人たちの忠告を無視してその車に乗ったんですが、出発すると車はどう見ても富士市へ行くとは思えない山道を走り始めて、運転する男もわけのわからない事を呟き始めたそうなんです。気味が悪くなったAさんは車から降りる旨を掲示板に投稿して……それを最後に彼女からの投稿は一切なくなってしまい、そのまま行方がわからなくなってしまった、という話です。どうですか? 探偵としてはそれなりに興味深い話じゃないですか?」
瑞穂は少し得意げに尋ねた。瑞穂としては、榊原の事だから「そんなオカルトめいた話は探偵として信じられるものではないね」とでも言うと思ったのである。
だが、これに対する榊原の返事は意外なものだった。
「……聞かせてもらったところ悪いんだが、その都市伝説なら私もよく知っている」
これには瑞穂も驚いた。
「え、そうなんですか?」
「何だね、その意外そうな顔は」
「いやぁ、先生ってこういうネット発祥の都市伝説とかに疎いような気がしていたので」
「……まぁ、間違ってはいないがね。ただ、この都市伝説だけは特別だ。何しろ……」
直後、榊原はこんな発言をした。
「その都市伝説に関係するある事件に、私は関わった事があるからね」
「え?」
「いや、訂正しよう。『この都市伝説に関係する事件』ではない。むしろ、『この都市伝説の根幹になった事件』だ。私は……その『きさらぎ駅』とかいう都市伝説の大元になった出来事に関わった事がある」
「そ、それってどういう意味ですか?」
思わぬ方向へ話が向かおうとしている事に瑞穂が戸惑っていると、榊原は無言で立ち上がって壁際の本棚に向かい、その中に大量に収められている今まで関与してきた様々な事件の記録をまとめたファイル群の中から一冊を取り出して瑞穂の方へ放り投げた。
「この事件だ」
それは、今まで瑞穂も読んだ事がないファイルだった。ただ、その表紙のラベルに書かれた文字を見て瑞穂の表情が緊張する。
「これって……」
事件名は「浜松市民俗学者殺人事件」。そして、その下に書かれている発生日時は……
『二〇〇四年一月八日』
それは、さっき瑞穂が語った、「きさらぎ駅」の書き込みが実際にあったとされる日付そのものである。しかも、事件が起こったらしい浜松市は、まさに「きさらぎ駅」伝説の舞台となっている場所ではないか。
唖然とする瑞穂に対し、榊原は静かに説明を始めた。
「事件そのものはシンプルで、静岡県浜松市内のホテルの一室で一人の民俗学者が殺害されたというものだ。この事件に聞き覚えは?」
「えーっと、全くありません……。というか、あの都市伝説と同じ日にこんな事件が起こっていたこと自体初耳なんですけど……」
瑞穂は目を白黒させながら言う。
「まぁ、あまり有名な事件ではなかったからね。ただ、この事件には大きな問題が二つある。一つは、事件が発生してすでに四年が経過しているが、公式的にはこの事件は今現在も未解決だという事だ」
「え、えぇっ!」
今度こそ瑞穂は心底驚いた声を上げた。
「ちょっと待ってください! こうして調査ファイルがあるって事は、この事件の調査には先生が関わったって事ですよね?」
「さっきから何度もそう言っている」
「って事は、この事件って先生が関わっていたにもかかわらず未解決になっちゃった事件なんですか!」
瑞穂にとってはそれが一番のショックだった。今まで日本の犯罪史にその名を残すような大事件を容赦なく暴き立て、その論理一辺倒で犯人を追い詰めるその姿から『真の探偵』の異名さえ持ち、刑事時代には捜査一課最強のブレーンとして犯罪者に恐れられていたのがこの榊原恵一という男である。その榊原が関与しながら解決できなかった事件があったということ自体が瑞穂にとっては青天の霹靂であった。
「まぁ、そこには少し複雑な事情はあるんだが、今は置いておこう。もう一つの問題は、先程の都市伝説にもかかわってくる問題だ。この事件、公式名称はこのファイルの表紙にも書かれているシンプルなものなんだが、最終的に未解決に終わった事から管轄する静岡県警の内部では被害者の名字をとってある通称で呼ばれている」
「通称、ですか?」
「あぁ。まぁ、百聞は一見に如かず、だ。一ページ目をめくってみなさい」
そう言われて、瑞穂は息を飲みながらファイルの一枚目をめくった。そして、そこに書かれている内容を見た瞬間、瑞穂は思わず背筋が凍る思いをした。そこにはこう書かれていたからだ。
『事件名:浜松市民俗学者殺人事件 通称・
『被害者氏名:
『被害者職業:フリーの民俗学者』
『発生日:二〇〇四年一月八日』
『現場:静岡県浜松市内 ホテル「ハイエスト浜松」』
「き……如月……」
それは、まさに都市伝説に登場するあの謎の駅の名前そのものだったのである。
「せ、先生! これってどういう事なんですか!」
「……ひとまず、そのファイルを読んでみなさい。話はそれからだ」
瑞穂はそう言われて、恐る恐る榊原が差し出したファイルを手に取って中を開いた。そこに書かれていたのは、四年前に発生した不可思議な殺人事件……『如月事件』に関する詳細な記録だったのである……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます