なにものさん

@nanimonosan

第1話 無駄な考え

 人間とは非常に不器用な生き物だ。何故なら明確な数字でしか良し悪しを判断出来ず、抽象的な価値・・・いわばその生き物の持つ個性や過程そのものでは評価したがらないからである。例えば、テストの点数とか。100点が上限とされ、より近い数字を稼ぐことが出来たら頭が良い。例えば吹奏楽部のコンクール。目に見えないものを審査しているように思われるかもしれないが最後は審査員が点数をつけて高い順を決める、高ければ高いほど上手なのだ。例えばSNSなんかはイイネがつけばつくほど評価されたということになるだろう。本当はまだバズってない別人の投稿を盗んでいたとしても。だからと言って、別にこの考え方を否定したいわけでもないし勝敗をつけるならばその方法が簡単で手っ取り早いし。もしも私の考えが一般的な思考回路とずれているならば、きっとこんなことを考えたって感じたって時間と労力の無駄だと思われるだろう。しかしながら私はどうしようもない矛盾を抱えた、正解のないことを思考することが好きなのだ。


 私がこんなことを考えるようになったのはいつ頃からだっただろうか。昔は読書よりも体を動かすことが好きで難しいことを考えることは得意じゃなかったし、人の話はつまらない、と最後まで聞かずに逃げ出したと思えば見ず知らずの年が近い子供と追いかけっこを始めてしまうようなわんぱくな子供だった。温泉で友達をつくったり初対面の少し年上のお姉ちゃんを自宅に招待して親を驚かせたこともしばしば。物心がつく頃には男女共に憧れであるヒーローに憧れてみたり、当時大人気だったアイドルの歌とダンスを友達とひっしに練習してみたり。この頃はまだ、何者になりたいという願望、というと堅苦しいが憧れだけをもっていた。しかし高学年、中学生、と時間を経ると私が知っていた世界がいかに小さくて狭く、情報が少ないコミュニティーで生活していたのかが分かった。どれだけ私が無力で他人と比べて劣っているかということを感じてしまえるようになってからは、それと同時に何者にもなれないということを悟った。悟ってしまったのだ。それからというもの私は自分の名前についてですら違和感を覚えるようになった。私の名前を呼ばれて応答することにはなんとも感じなかったが、私自身が私の名前を呼ぶとしっくりこないというか当てはまってないような感覚がするのだ。別に私の名前が特別変わっていたり嫌いなわけではないのだ。ただ、他人を呼んでいるとも違う感覚を抱いている。これはきっと名前という衣を羽織っているだけの本体は何者にもなれないタンパク質の塊であるからだろう。私って何なんだろう、別に何者になりたいわけじゃないはずなんだ。ただ何者になる人たちは一体なぜ何者になれたのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る