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  • 1995 1.17 5:46への応援コメント

    ちょっと当時を思い出しました。伊丹に住んでいたのでいろいろショックは大きかったですね。
    こんな家族があの日何組もいたのだろうなと。

  • 1995 1.17 5:46への応援コメント

    私も該当地域の出身でテレビが落ちてきたり、食器棚から落ちた食器が粉々になっておりました。
    一番困ったのはライフラインで、水道が止まってしまってお風呂に入られない事態となりました。
    コンビニが存在しなかったので、食材のストックも大事でご近所と分け合ったりしました。
    もう随分前のお話となりますが、災害は体験しないとわからない恐ろしさも多々ありますね。

    作者からの返信

    私はその時、三重県に住んでいて、強い揺れを感じて目が覚めました。で、テレビを見ると、神戸があんなことになっていてびっくりしました。いざとなった時の備えは大事ですね。

  • 1995 1.17 5:46への応援コメント

    1995年1月17日、あの時の記憶はいまだに鮮明です。


  • 編集済

    1995 1.17 5:46への応援コメント

    自主企画で今日は何の日とお題を合わせて作品を作ろうと企画を立てている者です。丁度来週のお題と何の日かを考え調べているところでした。1/17の「防災とボランティアの日」から阪神淡路大震災を調べました。私は当事者ではありません。でも東日本大震災を間接的に経験したものとしても、忘れてはならない日だと思い直しています。一人でも多くの人にこの作品に触れて、忘れずに語りついでいって欲しいとそう願います。良い作品に触れることができて嬉しかったです。ありがとうございました😊

  • 1995 1.17 5:46への応援コメント

    私は当事者ではありません。
    でもあの日、大地震、大震災が現実に起こるものなんだと思い知らされました。
    横倒しになったビル、崩落した高速道路、崩れ落ちた駅舎、すべてが灰燼と化した神戸の街。
    テレビの映し出すこの映像が本当に現実なのか、ただただ唖然とした記憶があります。
    あれからもうすぐ三十年。
    六千以上もの御霊に、心からご冥福をお祈りいたします。

    作者からの返信

    どうも。鉄オタの自分が印象に残ってるのは阪急の伊丹駅や三宮駅、JR西日本の六甲道駅です。とても現実とは思えませんでした。あと2年ちょっとで30年ですね。これからもこの出来事を語り継いでいってほしいです。

  • 1995 1.17 5:46への応援コメント

    自分も神戸出身です。達也くん同様震災の記憶はありませんが、毎年震災の話を聞いて育ちました。記憶はないのに見知った場所の震災当時と今を比べて自然の脅威を心底恐ろしく感じた覚えがあります。
    震災の話を書いてくださってありがとうございます。

    作者からの返信

    どうも。私はその瞬間、三重の自宅にいたんですが、大きな揺れで目が覚めました。で、テレビをつけると、神戸があんなことになっていて、びっくりしました。時と共に震災の記憶は徐々に薄れていくけど、この出来事は語り継いでいかなければならないと思って書きました。思えば今年で関東大震災から100年。今一度、9月1日がどうして防災の日なのか、考えてほしいと思っています。